※この作品はR-18です。

ARIA A SECRET SCHOOL DAYS   作:真夜中のミネルヴァ

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闇オークション その3

 

「え、アリシアがまだ来ていないですって?」

 協会事務員のアイリス・カーマイケルの報告を受けた天地秋乃の表情が、とたんに曇る。

「ええ、さきほどからルロワさんにも何度もお電話をしているのですが、ぜんぜん通じなくて……」

 会議の開始時刻を過ぎても、アリシアは未だ会場に現れてはいなかったのだ。

 演者は既に三人目が登壇していて、アリシアの順番が巡ってくるまで、もう一時間もないのだった。

 セッション会場となったコンチネンタルホテル一階にあるロイヤルバンケットホールには、国内外の起業家、有識者、著名人に加え、各国政府の関係者までも含めると総勢三百名以上の有力者たちが集まり、シンポジウムとは別に、AQUAとの文化学術交流、観光、ビジネスに関する様々な部門別、分野別の講演活動が行われていた。

 ゴンドラ協会もその一環として本会議にも参加していて、わけてもアリシアの口演――ネオ・ヴェネチアにおける水先案内業の成立の歴史と現状、今日的な意義――と題した二十五分ほどのスピーチとその後の質疑は、セッション期間のちょうど中日で行われることもあって衆目を集める、ある意味クライマックスだった。

 彼女にまつわる一連の事件の後、アリシアの元には連日、取材依頼や講演要請が殺到していて、誰もがAQUAに降臨したこの美しく聡明な、心やさしい女神に興味津々で、彼女を間近にしたくてたまらなかったのだ。

 こうした事情もあって、ネオ・ヴェネチアは今や人類圏でももっとも人気のある観光地の一つとして人々の憧れの地となっていた。

 街の成立の由縁から、それまではあくまでもテーマパークシティとしての体裁をとっていたものが、今や本家のヴェネチアを凌ぐ盛況ぶりに、AQUA政府はいち早く先手を打つ形でウンディーネを含む水先案内業全てを重要無形文化資産に登録してゴンドラ協会を傘下に組み入れ、またネオ・ヴェネチア地区の本島及び島嶼部一帯全てをAQUA文化遺産に指定して国家管理を強化したのだった。

 これはアリシアの事件を契機にしていたことはいうまでもない。

 若く美しいウンディーネたちを保護することは、ネオ・ヴェネチアの自然景観を守ることと同義であった。

 島嶼部への出入管理を厳格化――以前からも制限されていたが、外部からの電子機器の島内への持ち込みは原則一切禁止となり、またカメラなどの撮影機材は無料で貸し出しをし、街を出る際に撮影したものの中で利用者が持ち帰りたいものについて安価で買い取るという形が採用されている。ただしウンディーネについては肖像権を尊重し、プリマからペアに至るまで、一構図につき七クレジットと比較的高額な撮影料を徴収することで配慮していた――した結果、当初、懸念されていたオーバーツーリズムによる住人の生活環境の悪化などは未然に防がれて、長閑で穏やかな街の景観は損なわれることなく、またウンディーネたちも不安を覚えることなく業務に専念できることから、街の人々からは歓迎されていたのである。

 方や、ネオ・ヴェネチアの玄関口になる対岸のメストレ地区一帯は、新しいビジネスチャンスを求めて国内外からの企業進出、出店ラッシュで賑わっていた。

 このセッションも、こうした時宜に合わせて政府と商工連盟が連携したビジネスレセプションの意味合いも多分に含まれていて、名目はともかくアリシアも地元の観光業界を応援する役割を期待されて顔見せすることになっていたのである。

 ただアリシアは、ゴンドラ協会の広報担当の理事として秋に入ってからは概ね週に一度、多い時には三回ものスピーチをこなして多少、自身の新しい職務に慣れてきたつもりではあっても、さすがに政府が絡む国際会議への出席となると二の足を踏み、できれば辞退したいところなのだった。だが内容はいっさい問わないから、とにかくほんの少しの間だけでも出席して欲しいとの上からのお達しに、やむなく応じることにしたのである。

 シンポジウムでは、彼女がいくつか抱える講演テーマのレパートリーの中から、人々の関心の高いゴンドラとウンディーネの実際について自らの経験も踏まえて紹介することになっていた。

 それにはアニセー・ルロワの支援も大いに助けになっていたのだった。

 事務処理能力の高い有能なサポート役なくして、神輿に載せられた飾り物――アリシアはいつしか自身をそう認ずるようになっていた――は役目を果たし得ない。

 自分からはあれこれ注文をつけずに、担ぎ上げる側にとって負担とならないように素直に指示に従って行動する。

 要するに努めて軽い神輿になろうと徹することにしていたのだが、もとより彼女にはさして選択の幅があるわけではなかったのだ。

 指名で舞い込む数々の出演依頼等については、そもそも現役のプリマ・ウンディーネであり、連邦トップクラスの一流大学の学生であり、かつまた協会の新参の理事でもあるアリシアはいかにも多忙で、学業以外のスケジュール調整はゴンドラ協会の事務局に対応の全てを委ねる以外に道はなかったからだった。

 通常であれば所属ウンディーネの営業に関する管理の一切は、事業主体の責任者であるアリア・カンパニーの代表代行、水無灯里が行うべきところだが、アリシアの場合は協会理事ということもあり便宜上、協会側がその管理業務の一部を担うという形をとることになっていたのである。

 これにはウンディーネのシンボルであり、またAQUAのアイコンでもあるアリシアの業務支援をすることで彼女を手元に置きたい思惑のある協会側と、代表代行として着任したての灯里の負担軽減、そして理事としての周辺雑務を協会に任せることで仕事と学業に当面専念したいアリシアの三者の利益が合致したことによる特例の措置だった。

 目下、アリシアの事実上の専任秘書として、協会事務局のベテラン職員で総務部長でもあるアニセー・ルロワがこうした依頼の水際での交通整理に当たっていて、今日の会議も裏方としてアリシアのサポートをしつつ現場での調整にあたる予定だった。

 彼女はウンディーネとしての経験はなかったが、ゴンドラ協会に勤続すること既に四半世紀余、現在四十四歳。

 ネオ・ヴェネチア生まれのネオ・ヴェネチア育ちで、ウンディーネとこの街をこよなく愛するチャキチャキのネオ・ヴェネチアンである。

 そのキーパーソンであるルロワも、本来はアリシアと共に会場入りするはずだったのだが姿が見えないのだという。

 アイリスが困惑顔で訴えていた。

「アリシアさんもルロワさんも、お二方ともそれぞれ私よりも何台か先のコミューターで出られたはずなのですが……交通社の方にも問い合わせをかけたところ、アリシアさんは確かにホテル前で下車されたことになっているそうで、私ももうてっきり会場に居られるとばかり思っていたのですが……」

 アニセー・ルロワと天地秋乃は、秋乃がプリマ・ウンディーネとしてキャリアにおける最初のピークを迎えた頃、ルロワがゴンドラ協会の事務局に採用されて以来の付き合いで、お互いに気心の知れた旧知の間柄だった。

 ルロワも秋乃がアリシアをこよなく愛していることをよく心得ていて、アリシアが弱冠二十歳という若さで協会理事の職に就いて以降は、秋乃が居ない場合などにはアリシアの相談相手として彼女を保護し、そして指導していたのだ。

 秋乃が最も信頼する協会関係者の一人で、今日のゴンドラ業界改革を実務面で支えてくれた功労者でもある。

「アニも来ていないのだとすると……二人ともどこかで迷子にでもなってるのかしら……」

 口にこそしなかったが秋乃が最初に案じたのは、アリシアたちがホテル内のどこかの部屋に拉致されたりしてはいないだろうか、ということだった。

 最悪、ルロワは事件の巻き添えになった可能性もあるのかもしれない――。

 考えたくはなかったが、アリシアをめぐる一連の事件を思うと一概には拭えない疑念、懸念だった。

 もしも愛澤のような類の人物が、アリシアに対して狼藉を働こうと組織的に動いていたとしたら、とてもアニ・ルロワ一人で対処できるとは思えない。

 それに善良で純粋なだけに人を疑うようなことを好まないアリシアは、たとえ悪意をもって接近をはかろうとする者に対しても誠実であろうとする。

 つけ入る隙は少なくないのだ。

 また自身の女性としての魅力に対して自覚の乏しいところも弱点だった。

 これはほとんど罪深いとも言えるほど、アリシアはごく自然に周囲を魅了してしまう。

 美しい顔、愛くるしい仕草、穢れのない温和な微笑み……。

 そして盗撮事件によっても明らかにされた、異性の目からみるとどこまでも理想の官能的な体つき。

 間近にして、悖戻な衝動に憑かれた者たちの手によって何か間違いでも起こってしまったとしたら……。

 万が一にも取り返しのつかないことになる前に、早急に事態を把握しなければ――。

 秋乃の憂慮は深かった。

「私たち、どうしてあの時、アリシアさんをひとりで先に行かせてしまったのか……」

「アイリス、あなたの責任じゃないわ、島のミニ・コミューターはそもそも一人乗りだから仕方のないことよ。でもきっと大丈夫、あの子はとても頭のいい子だから、何があったとしても身を守るための術ぐらい心得ている筈よ。滅多なことでは危うきに近づくようなことはしないわ。それにもしアニが一緒ならなおさらでしょ?」

 そう言いながらも秋乃は、可愛い孫娘からほんの僅かのあいだ目を離したことで迷子にしてしまった時の祖母のような、言い知れないを不安と悔いとを覚えてしまっている。

「あなたは先にホテルマネジャーに会って事情を確認してきて。場合によってはセキュリティー部門に防犯カメラなどのチェックをするようにお願いするかもしれないから。わたしは運営に寄って、アリシアの口演の順番を先送りするように伝えておくわ、後で支配人室で合流しましょう」

「わかりました、さっそくそのように手配いたします」

 アイリスと別れた秋乃は、会議スタッフが屯する事務局へと急ぎながら、

「……どうか神さま……アリシアを御まもり下さい……あの子を

……どうか……神さま……私はどうなってもかまいませんから……あの子だけは……」

 愛弟子の無事を祈り続けるのだった。

 




今週末は時間が取れるか微妙で、更新できないかもしれませんが……
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