ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
3
「やっぱり、ここだったんだね……」
外壁を這う作業用の梯子をのぼり、ひょこっと頭だけ出してエレベーターのマシンルームの上を覗いた灯里は、探していたクラスメートの姿を見つけて声をかけた。
そこは学園の敷地内でもっとも背の高い九階建ての建物――それゆえ生徒たちからセントラル9と愛称される中央棟の屋上。
五月の陽光にさんざめく青い大海原と、対をなす紺碧の空が眼下の視界一杯にひろがる長閑で静かな学園の昼下がり。
彼――のお気に入りの場所だった。
コンクリの平たい屋根の上で大の字になって昼寝をしていた少年は、眩しそうに目を瞑ったまま、
「ここは灯里ちゃんたちの体には毒だよ」
暗に紫外線の強さに注意を促した。
「アキトさんだって……」
「ボクはこのとおりだからね」
首をまわして灯里を見ると、地黒の顔を少し自慢げに頬笑む。
灯里は梯子にのったまま手を伸ばして、寝そべるアキトの横に包みを置いた。
「これ、食べ残しだけど……」
「お弁当?」
「ホントはアキトさんに持ってきたんだよ。でも居なくなっちゃうから……」
藍華とアリスと分け合った残り物だが、自分の分だけは手をつけずにおいたのだった。
「ボクに作ってくれたの?」
「あたしじゃなくて……アリシアさんが……」
「そう……」
笑みを向けていた少年の表情が少し翳りを帯びた。
頭をかきながら、むくっと起きあがると包みを解き、タッパーウエアの蓋を開けて中を確かめる。
「ホントだ……」
中味は一辺に四角い海苔をまいた少し小さめの三角お握りが二つ、それとタコの形を模した赤い色のウインナー、卵焼きの鮮やかな黄色、お皿にみたてた青々としたレタスの上にポテトサラダがのっている。
お子さまランチっぽいメニューでも、作り手の細やかな心遣いと、几帳面な性格を感じる仕上がり。
藍華やアリスは気がつかなくても、アキトにはすぐに誰の手によるものか分かったらしい。
「ありがとう、灯里ちゃん」
「藍華ちゃんたちにも大評判だったんだよ。もしもアリシアさんが作ったって教えたら、きっと何も残らなかったよ。アリシアさん、お料理も上手だから……それなのに……」
梯子に掴まったまま、灯里は本当に言いたかったことをわきに置いて、少しばかり非難めいた調子の言葉を送っていた。
「二人が来ると、どうしていつも逃げるんですか……?」
以前に何度も尋ねたことをまた繰り返す。
その度に、なんとなくわかったような、わからなかったような返事でごまかされてしまうのだったが。
「灯里ちゃんが話したいのは、そのこと?」
散らかった心中を見透かすように、逆にアキトの方から話の核心へと水を向けられる。
「え……うん……」
灯里は曖昧にうなずいた。
何から話したら――。
迷っていると、アキトはいきなりスッと立ち上がり、大きく伸びをひとつして灯里をハラハラさせる。
たとえ地面まで転落することはなくても、フェンスのない屋根は見ているだけで危なっかしかった。心配をよそに、アキトは無雑作に歩いて端までくると、軽い身のこなしで、ひょい、と飛びおりて灯里を呆れさせるのだった。
向き合うと、背は、同じくらい。
どこか中性的な雰囲気を残した痩身の少年。ミルクチョコレート色の肌は、精悍さよりもむしろ可愛いという印象の方が強かった。
同い年でも、お姉さんぶって世話を焼きたくなる、ほわっと穏和な性格の、男の子――。
そのハズが、何か言うのを待ってじっと見つめているのがわかると、少女はたちまちはにかんで、俯いてしまう。
睫の濃い、二重のぱっちりとした黒瞳がとても眩しくて。
彼と二人きりであるのを意識して。
これまでも、みんなと居るときのアキトと、二人のときのアキトは違う――。
そんなふうに感じたことはあったけれど……。
その差をただ自分の気持ちのせいだとばかり思っていた。
でもやっぱり、アキトもスイッチの入れかえをしていたのだと今日はっきり分かったのだった。
自分を気のおけない友人として見るときの目と、自分を通して、そのむこうに恋人の姿を見るときのまなざしの違いを。
「ありがとう……灯里ちゃん……」
今度もアキトが先に口を開いた。
灯里はこっくり。ことわらなくても、何についてのものかわかる。さっきの「ありがとうと」は別の理由。
「アリシアさん、何か言ってた?」
訊かれて少女は首を振った。
「そう……」
互いの胸の裡を探るようなやりとりの後の、沈黙。
灯里は壁に身をもたせかけ、少年のようすをチラッと窺って、同じように壁を背にしているのがわかると、ちょっと気が楽になる。
「アキトさん……」
やっと口を開いた。
並ぶと、顔を合わせているよりもずっと話しやすくなるのだった。
言い出せずにいたことを、口にする勇気がわいてくる。
「アリシアさんのこと……あんまりいじめたら、ダメだよ……」
でも、それだけ言うのが精一杯だった。
「うん……」
すなおに頷くアキトの横顔は、出逢ったときの彼と少しも変わらなかった。