ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
未だルージュを結んだことのないアリシアの清楚な唇は、しかし恋を知らないわけではなかった。
キスにはさまざまな可能性があること、唇を許すということはそのすべての口づけへの入り口になるものであることを彼女はもう知っているのだった。
さらにはどんなに大胆な行為がありうるのか、閨では男と女が思いつくありとあらゆる淫らな接吻が可能となることを、アキトとの交わりを通してしっかり学んでいる。
唇を許すということはそれら全てを受け容れることであり、肌を許すこととほとんど同じ意味を持っていることも――。
だから覚悟をしたつもりでいても、いざとなると口惜しさに閉じた瞼にまた涙が滲んでしまうのだった。
これから自分がいま抱かれている男に穢されること、最愛の恋人を裏切ることを想って。
辛くて、哀しい、女の務め――。
イヤっ――!
たすけて! 誰か……アキトさんっ――!
唇が奪われようとしたその時、彼女は胸の内で悲鳴をあげていた。
が、その寸前、実際に「うわぁっ!」と頓狂な悲鳴を発したのは男の方なのだった。
アリシアの腰にまわしていた腕を解いて彼女を放つと、「痛っ!」と、声を上げながらよろよろと後退していく。
見ると愛澤彪樹の顔に黒いものが貼り付いていて、男の手がそいつを掴んで剥ぎ取ろうとしていたが、爪を立てて抗っているらしい。
それは朝顔が抱いていた小さな黒猫なのだった。
顔をひっかかれた痛みに男は猫を相手に怒号と罵声を浴びせかけている。
黒猫は巧みに男の攻撃を躱し逃れていたが、ついには大きな手に首を掴まれて、縊り殺そうというのか男が力を込めるのが窺えた。
「やめてっ! その子に乱暴しないでっ!」
アリシアは声を上げて制止し、愛澤が一瞬、怯んだ隙に猫は男の手を逃れると床にぴょんと飛び降り、男に対しては前足を伸ばして背中を丸め、毛を逆立てて、“おい、やんのかっ!” と威嚇ポーズをしていたかと思うと、今度はくるりと身を翻してアリシアの胸に飛び込んでくる。
猫を抱いたアリシアはすばやく男と距離を取り、腕の中の猫に視線を落とした。
見ると背中の辺りが傷ついて血を流していた。
「猫さん……あなた、もしかしてあたしの為に?……助けようとしてくれたの?……かわいそうに……でも、ありがとう……」
背中をいたわって撫でると、
#ニャア……#
金色の瞳がアリシアを見上げていた。頭を撫でられると気持ちよさそうにして満足げに表情を和ませる。
「あなたは朝顔の猫さんね?」
#ミュウ……#
火星猫の知能は高く、人語を解すると言われていた。人の心までも読み取ると。
「クソ猫っ、どっから入ってきたんだっ?!」
引っ掻かれたらしく片手で頬をおさえて愛澤は怒気を孕んだ声で訊く。
「この子は朝顔さんの猫です――」
「アサガオ? 誰だ?」
「ホテリアーの女の子……」
「ホテリアー……? ああ、あのポンコツ人形か――」
「…………」
「ここに猫を入れていいなんて俺は言ってないぞっ、あとで部下にあれのAIのチェックをさせないとな、場合によっては即刻廃棄処分だ――」
「…………」
不寛容な言葉も態度も行動も、愛澤彪樹の本当の顔を知ってしまった今は当然のように思えた。理事だった時に見せていた紳士的で優しげな振る舞いは、全てかりそめのものだったのだと胸に落ちる。
恋人のアキトとは何もかもが違っていた。
「さて、とんだじゃまが入ったが、まぁいい、続きをしようか……さぁ服を脱ぐんだ、脱げ、アリシア――」
「…………」
命じられたアリシアは鼻をぐずらせながら無言で、スーツを脱ぐ為に猫をそっと床に下ろした。
「はい――」
愛澤に応じる。
黒猫は足元に居て、逃げようとはせずに座ると両前足をきちんと揃えて彼女をじっと見上げている。
「……あなたは……朝顔さんのところへお行きなさい、ここに居てはいけないわ、きっとやさしいご主人さまがあなたを探している筈だから……」
猫は、その神秘的な瞳で不思議そうにしばらくアリシアを見つめていたが、何を思ったのか大きな丸いベッドの上にピョン、と跳び乗ると、ベッドの真ん中におさまり前足で顔をぬぐったり、長い尻尾を舐めてほつれた毛足を整えたりと呑気に身繕いを始めるのだった。
まるでアリシアにベッドを使わせまいとするように――。
「猫さん……」
「このいまいましいクソ猫がっ、ベッドは人間さまの物だっ、畜生は畜生らしく床に這いつくばってろっ」
愛澤は片手で傷ついた顔をおさえながら、腹立ちまぎれにまた猫に掴みかかろうとする。
「愛澤さんっ、この子を怖がらせないでくださいっ! 猫さんはとっても頭が良くて、わたしたちの会話だってちゃんと解ってるんです。お話をすれば伝わりますから……」
アリシアはベッドサイドに膝をそろえて腰を下ろすと、体を倒して猫の居る方へと手を伸ばした。
「いらっしゃい……これから、このベッドを使うの……」
#ミュウ……#
「……あたしは……ここで……おつと、めが……ある、から……」
言いながらアリシアはまた両目から涙を溢れさせて、肩をふるわせて嗚咽をはじめる。
#ニャア……#
優しい声で鳴く。アリシアには慰められているように聞こえて
「猫さん……」
#ミャア……#
黒猫はなおしばらくそこに留まっていたが、やがてベッドの反対側へ飛び降りると姿が見えなくなるのだった。
と――。
アリシアの目の前、ベッドの上にまた男女の映像が投影されたのだ。
それを間近にして彼女は息を呑んだ。
はじめに思ったのは、自分とアキトとのいつかの閨を何者かに盗み撮りされていたのではないか、という疑念。
というのも抱き合っていたのは、自分と同じような金髪の大人の女性とまだ明らかに未成熟の、成人するまでにはあと何年もあるような小柄な男の子だったからだ。
しかし男の子の肌はアキトのように健康的なオリーブ色ではなくて色白で、女も自分に似てはいたものの、それがすぐに判るくらいには異なっていた。
体格差もあって、もしかすると母子なのかもしれないと思うほど密度の濃い間柄を窺わせる二人。
しかし確かに男と女の関係であることは、裸で抱き合って思いのこもった口づけを交わしていることからもはっきりしているのだった。
互いに深く愛し合い心を通わせていて、口づけの最中にも刻々、言葉にならない思いを重ねていることが感じられるのだ。
これを見て愛澤は明らかに色を失った様子になって、実に忌々しげに、
「ナニやってるんだ、あのバカは――」
罵声を呟くと慌てた様にキョロキョロと周りを見回していたが、壁にホログラム映像の操作パネルらしきものを見つけるや、そちらの方へと歩み去っていってしまうのだった。
バカ、と罵られたのが女なのか男の子の方なのか、それともそれ以外なのかアリシアにはわからない。
ただこれが愛澤にとっては予想外のアクシデントで、理由は分からないが彼にとっては不都合であるらしいというのは感じている。
愛澤は壁のパネルの前で操作に手間取っているのか携帯で誰かと口論をしているようだった。時に怒鳴りつける猛々しい声が響いていた。
アリシアは肩で大きく息をつくと、睦み合う二人に目を転じて、また驚きに釘付けになった。
男の子に組み敷かれて唇を重ねて、舌をからめているのか女の顔に切なげな表情が作られていたのだ。
寄せられている眉、眉間に泛く悩ましげな薄い縦皺。
男の子の方が主導権を取っているらしいことがアリシアの好奇を刺激している。
しかし、決して女も拒んではいなのが判る、感じられるのだった。
それは自分にも覚えのある、女が“男のもの――”にされていくのを覚悟した時の顔だったからだ。
今し方まで彼女が目撃した仲間たちによるホログラム映像は、女が一方的に陵辱されるもので目にするのも悍ましく顔を反けていたが、この二人に関しては逆に見てはいけない――と、思いながらも魅入られてしまう。
もしも目にしていることが恋人たちの逢瀬であるのなら、盗み見たりするのはとても卑劣な恥ずべきことだった。
ただ自分とアキトとの姿も重なって、彼女は顔を背けようにも目を離せずにいるのだった。
男の子は女の首筋に唇を這わせながら体位をずらしていくと、豊満な両の乳房の先の淡い桜色の尖りを懇ろに口に含んで固くさせるている。
恥ずかしげに頬を朱く染めている女は両腕を伸ばして少年を招いていた。
けれど、男の子にはもっと淫らな目的があったのだ。
彼は女の腕を逃れてそのままに、いきなり体を下方へと沈め、女の顔には明らかに予想を超えた成り行きへの驚きと怯えの表情が作られていく。
男の子の面前にふんわりとした飴色の恥毛が露わにされて、女は当然感じる羞恥から股間に両手を伸ばして隠そうとしていた。が、視線から庇おうとする女の両手を少年は無慈悲に払いのけると、女の内腿に手をかけてそこを開こうとしているのだ。
膝の間に力を入れて閉ざしている女は当惑に視線を泳がせて、表情からはさまざまな思いと葛藤、躊躇い、迷いが読み取れるのだった。
少なくとも女にとっては、男の子を相手にして、それが初めて――のようなのである。
やがて――。
女は男の子からの強い求めに負けたように、体に入れていた力を緩めたのがアリシアにも分かった。
男の子の手に促されておずおずと長い脚を開くと――。
あなたたちもするのね……あの愛撫を……。
自身に重ねて固唾を呑んで見つめる。
初めての時、あの蝋燭の炎の揺らめく地下の聖堂で、アリシアもアキトからあんなことを求められるなんて思ってもいなかったのだった。
行為そのものの知識はあっても自分には無縁の、我が身に降りかかることなどけしてありえないことだと思いこんでいた。
男の人に、殿方の顔の前で股間をさらけてしまうなんて!
そんな恐ろしいことは自分にはできるはずもないし、そもそも普通の人であればそんな非道いことをするとはとても思えなかった。
ハイティーンの、まだ少女のアリシアにしてみれば、どこまでも他人事、他所事、絵空事だったのだ。
でも……。
今は違う――。
女にとって避けたいことが、彼にとっては一番したいことだったなんて……。
愛の深さと思いの強さを教えられて、いちばん敏感な肌と肉に訴えかけられて、どうして彼のことを恨んだり憎んだりできよう。
初めての経験で泣いてしまったのは何故?
それは辱められて悲しかったからばかりではなかった。
心が受け止められないほどの感動の奔騰が涙になっていたのだった。
#……いいにおい、ボク大好きっ……きみのだいじなところのにおい、やさしいお姉さんのにおいがするから……これが心のやさしい女神さまのにおいなんだって、天にも昇るくらい幸せで、ボク、もう死んでもいい、かまわないって思います……#
羞しいところのにおいが好き、と言われて胸が熱くなるのはどうしてなのか、その時にはわからなかったことが今はよく分かるのだ。
そしてあの時、彼が女の体に火をつけていったことも――。
近頃はアキトに抱かれて、いけないことだと思いながら、でも愛されたい、可愛がられたい、そう思っている自分がいるのを感じている。
男の子の愛撫に溺れてしまうなんて、なんてはしたない、ダメな女だろうと思う――。
そう思うが、デートが定まって胸が躍るのも、体がどうしようもなく熱を持ってしまうのも、恋人と紡いできた濃密な時間が、歓びの記憶が心にも肌にも深く沁みわたっているからだった。
アリシアの目の前で、男の子は女の股間に顔を寄せていく。
秘所を間近にして、きっと馴染みのない生々しい女の臭いに驚いたのだろう、一瞬、たじろいだ様子になりながらも、優しい性格らしくすぐに幸せそうに微笑みを浮かべたまま密やかな口づけが始まったのだ。
方や、女の顔には悔いと不安、諦めの表情が作られていく。
そしてそれは次第に愛撫に身をまかせるように変わっていったのだった。
辱めに堪えて哀しげに、悩ましげに眉根を寄せながら、ときおり頬に泛く微笑みのような繊細な小皺はこの上ない歓びを感じている時のもの。
クンニリングス――。
愛し合う男と女のいとなみの中で、最も淫らで最も美しい愛のかたち。
アキトがそう言っていたのをアリシアはいままた思い出していた。
女が愛情表現として脚を開くというのは、とても尊いことなのだとも。
確かにその通りだと思う。
言われてから胸に落ちるのだ。
それは相手の男性への深い信頼の証であり、愛しているからこそ身をまかせられるのだった。
信じていなければ到底、許すことなどできる筈もない。
また男からすると女性器への口づけはパートナーへの尊敬と憧れの発露で、どんなことにも優る大きな歓びとなるものなのだという。
食べちゃいたいくらい可愛いから、する――のだとも言っていた。
#だからもっともっといっぱい食べたいな、キミを……アリシアさん……ボクだけのスノーホワイトにしたいから……#
もう、本当にイケナイ男の子なんだから……アキトさんは……うふふっ。
経験を重ねた今でも、アキトに求められて脚を開く時に感じる不安と恥ずかしさは、初めての時ほどではなくても今でも強いのだった。
だって、女の子だもん――。
あんなに恥ずかしいこと……。
……汚いし……もしも……醜いところを見られて嫌われたりしたら、とても辛いから……。
いろんなこと、考えているのよ。
ただ哀しくて啼いてるだけじゃないんだから――。
でもたしかに、自分に似た女と男の子が演じるオーラルシーンは、哀しいくらいにひたむきで愛情に溢れた美しいものだった。
陵辱としての性器接吻は、女の身にはただただ恐ろしく悍ましいものであるのに対して、恋人同士だとこんなにも心を動かす素敵なものになるなんて――!
愛し合うことの不思議、恋の歓び、セックスのすばらしさ。
愛撫を楽しむ決心がついたのか、女ももう身を固くするばかりではなくなっている。
両腕を頭の上に投げ出して、体の全てを開いて何もかも受け入れる姿になって。
男の子が息継ぎに顔を上げると、無意識に女も腰を上げて口づけをねだって追いかけるようになっている。
初めはきちんと慎ましく結んでいた筈の秘密の白い唇は、今は半ば開かれて中に隠れていた桜色をした粘膜や襞が覗けるようになっていて、お尻の穴までヒクヒクさせて女が男の子の愛撫に魅了されているのが窺えるのだ。
男の子の舌がそこ――にも届くと、女は歓びを求めてさらに脚を開いて舐られやすくするために自ら腰を浮かせるようにもしているのだった。
あんなはしたないこと――自分はしない、と思いたかったが、アリシア自身にも身に覚えのあることでもあり、
イヤだなぁ、あたしもアキトさんに、あんなにしどけないところ、いつも見られちゃっているのかしら……うふふっ……。
真っ赤になって胸の中で独言ながら、
それなのにアキトは少しも気にした様子もなく、彼が幸福を感じていることが泣きたくなるくらい嬉しかったのだった。
大好きよアキトさん――。
愛してる……。
目の前で愛を紡ぐ二人も、歓びを迎え入れようとしていた。
愛撫から逃れようとしたり、逆に男の子の顔をそこに閉じ込めようとしているのか脚を閉ざそうとしたりと忙しなく身をもがかせていた女は、やがて男の子の顔を股間に密着させたまま、ぶるっと腰を戦慄かせて、アリシアは女が逸楽の尾根を越えていくのを見届けたのだった。
オルガスムスの大波に呑み込まれた後の女体に、官能の余韻が二度、三度と行き来していく。
女が気をやったことに満足した少年は、ようやく股間から顔を上げた。
鼻から下をすっかり女の体液で濡らしたままの顔で、
「愛してます、アリシアさん……」
目の前でそう訴えていて、アリシアは心臓が止まりそうになるくらいびっくりした。
だが、映像の少年が言葉をかけたのは、もちろん自分に対してではなく、彼が惜しみない愛情を注いで果てた裸の女に対してなのだった。
自分に似た女が、自分と同じ名前であること――。
それがただの偶然だとは思えないのだ。
アリシアは目を瞠って二人を凝視している。
少しして、乱れた息を整えながら
「愛してるわ……アヤキくん……」
女も声を甘くして応えていた。
どこか聞き覚えのある自分に似た声で――。
アヤキくん――!?
愛澤のファーストネームもまた
やがてアリシアはあることに気がついて愕然とする。
「そんなっ……そんなことって……これは、どういうことっ!?」
胸をドキドキさせながら頭の中を整理している。
この女の人は……。
まさか……。
女の発している声は、メディアなどを通して耳にしたことのある自分の声とそっくり同じなのだった。