ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
5
すきっとリフレッシュした少女が
アリシアさん、まだ起きてる――?
規則正しい生活を送るアリシアにしては珍しいことだった。
灯里よりもいつも十五分ほど先、6時前には起床しているアリシアは、夜更かしをすることなど滅多になくて、たいてい12時前には消灯していた。
テレビの下のHDDの前面グリルの表示は、じき2時になろうとしている。
どうしようかと迷ったが、結局、灯里はドアをノックしていた。
はい――。
部屋の中から涼しげな声。
「アリシアさん……?」
ドアをゆっくり開きながら、灯里は呼びかけた。
覗くと、白いコットンのネグリジェ姿で、読書中らしいアリシアが眼鏡の顔を向けている。姿勢良くデスクに座って。
「どうしたの灯里ちゃん……眠れないの?」
灯里はこっくり。
「アリシアさんは?」
「あたしは……昨日、図書室に届いた本を読んでいたの……少し前に灯里ちゃんが注文しておいてくれた本よ。読み始めたら止められなくなって……」
開いた本に目を落としながら、ちょっと淋しそうに頬笑んだ。アリシアが小さな嘘をついたときのくせ。
「あのぉ……入ってもいいですか?」
灯里が尋くと、眉をあげ、わずかに驚いた顔をしたが、うなずく。
デスクの上にはステイシー・ポールソンの『残照 おくれ毛』の分厚い邦訳ものが置かれてあった。
ずっと以前にアリシアが図書室に収蔵希望を出していたもの。
原著の方がいいのでは、と尋いた灯里に、
「だって、みんなに読んでほしいから……とってもステキなお話なのよ」
そう言って、わざわざ翻訳版を指定されていたのだった。
実際にはそちらの方が二十年以上も前に絶版になっていて、手配するまで二ヶ月以上もかかってしまったのだが。
「どんな、お話なんですか?」
「そうねぇ……灯里ちゃんと同じくらいの十五歳の女の子が主人公のお話よ。著者の分身とも言われる……」
ポールソンはウルフの現代的な後継者と目される南アフリカの作家で、代表作である本書は著者の少女時代をモチーフにした自伝的小説だという。多感な少女のビビッドな心情描写が秀逸ということだった。
「……中でもわたしのいちばんのお気に入りは、真ん中あたりにある中編小説の『窓』かしら……昔、あたしがまだ少女の頃、はじめて読んだときには一行ごとに、うん、うん、わかる、わかるって思いながらページをめくったものよ、懐かしいわ……」
「そうだったんですか。あたしも借りてみようかな、アリシアさんの次に……」
「ぜひっ」
「でも、こんなに分厚い本、期限までに読み切れるかな……?」
「短編や中編を集めたものだから、長さは少しも気にならないわ、大丈夫」
「はぁ……」
「きっと思春期まっただ中の灯里ちゃんの方が、今のわたしよりもずっと共感できる部分が多いんじゃないかしら」
何気なく使った、思春期――という言葉に反応して灯里が複雑な表情をすると、笑顔を向けていたアリシアの顔にもまた翳りがさしてくる。
今日は帰宅してからもずっとこんな具合なのだった。
いつものように会話が長続きしない、女の子同士のおしゃべりができなかった。
学校でのこと、教室でのこと、クラスメートのこと、お友達のこと。
図書室での一件以来、どれも微妙な話題になってしまっている。
けれども避けることで、かえって余計に意識してしまう。お互いに差し障りなく、普段通りをよそおっているのを感じてしまうのだった。
沈黙が気まずさに変わる前に、アリシアはぱたん、と本を閉じた。眼鏡を外して丁寧にたたむとデスクの上に置く。灯里には横顔を向けたままで。
「もう二時を過ぎたわ……寝ないと……」
椅子から立ち上がってネグリジェの背を向けた。
コットンの柔らかい白さと競い合う、袖口から覗く腕の白さ、氷壁を落ちる黄金の滝のような長い髪。
自分がいちばん好きな人が誰なのかを教える、美しい姉の、後ろ姿。
少女が憧れをもって見つめた、いつも見なれているハズの。それを少し遠くに感じて灯里は寂しくなってくる。
長い指先の両手がふわっと髪に空気をはらませると、夜着の乱れを整える。そんな、女の子だったら誰でもする日常のささいなしぐさですら、とてもマネができないと思うのだった。所作のひとつひとつに心地よい神秘のリズムと旋律があるようで、目と心を惹きつけられてしまう。
あるべき位置に置かれ、もっとも好ましい軌跡を描いていた手。それが、何かを思い出したように腰紐を結ぶ動きが止まった。
「灯里、ちゃん……」
「はい……」
「……………」
こちらを向いたアリシアは、もの言いたげな顔をしていたが、灯里と目が合うと碧い瞳が揺れる。気持ちをそのままうつして。
それでも、視線はそらさなかった。
「灯里ちゃんには、ちゃんとお話ししないといけないわね……」
「あたしも……アリシアさんにお話ししたいことが……」
灯里がそういうと、アリシアの顔にいつもの笑顔がもどった。
「枕を、持っていらっしゃい……」