ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
「……AQUAではアンコウは群れを作るのですか?」
アキトの質問に、待ってましたとでも言うようにアナスタシアはニヤッとする。アキトは好奇心に瞳を輝かせていた。
「そうよね、彼らのような食性を持つ深海魚が限られた餌を求めるのに群れを作るのは非合理よね、したがって海の底でひっそりと孤独に暮らしている、普通はそう考えるわ。だからあたしもそう思っていたからびっくりだったの」
「雌の産卵期だったとかですか?」
「だとしたら、どこかのマッチング事業者か怪しげな宗教団体が主催の集団お見合い状態よね」
「おや、近頃は海の中もずいぶん賑やかになってるんですね。男余りはここAQUAでも他人事じゃないのか」
アナスタシアのジョークにアキトがかぶせると、
「でも残念、違うわ、こっちでも彼らの産卵期は春だから」
と応じてからさらに
「まぁ、娘のハートを射止めたあなたにとっては縁もゆかりもないどこか遠い異世界の出来事でしょうけど」
ちょっぴり毒を含ませた切り返しにアキトはやられた、とばかりに苦笑いする。
研究室での議論を思わせる会話のテンポに気をよくしたアナスタシアは再び真顔になると
「夏の終わりを迎える頃、ネオ・アトランティック・オーシャンの赤道近く、西側海域の表面に富栄養となるスポットがいくつか出現するの、原因の多くは人の生活排水などが流入したことによると思うんだけれど、もともと海水温の高い暖流がさらに温められると、そこではプランクトンが大発生するでしょ? そうなると今度はイワシなどの小魚の群れが押し寄せてくる。どうやら彼らはそれを狙って浅瀬で待ちかまえていたらしいのよ」
アナスタシアの説明は、意図してのことであろうツッコミどころが満載で、少年はすぐに疑問を呈して、再び活発な意見の交換が始まることになった。
「……そうなのよねぇ、だから悩ましいの……」
口ではボヤキながらアナスタシアは実に楽しげである。
「……たとえば海流が一時的に逆流するとか……少し深いところの流れはどうでしょう?」
「あたしもそれを疑って調べてみたんだけれど、周辺に大陸棚からの影響を窺わせるものは何もなかったわ……教科書通り大陸にぶつかった海流は陸に沿うかたちで北へ向かい一部は極流になるけれど大部分は大きく回ってまた赤道付近へと還っていく……ごく表層の流れは拡散するばかりでとても五百海里も離れた西方海域にまで及びそうにも無い……」
「そうなると、どうやって彼らは魚群の出現と接近を知るんでしょうね? いよいよ不思議ですね……」
「ね――」
「でもって、目論見通りに小魚の群れがやってくると連中はメインバラスト排水! って全艦急浮上するってわけですよね? 大口を開けてパラダイスに向かって」
「そうなのっ、たしかに彼らにとってはパラダイスねっ、ああ可笑しいっ」
アキトの表現がツボだったのかアナスタシアは破顔する。
「あら、パラダイスってなんのお話ですか?」
お燗にした日本酒の徳利をのせた盆を持って戻ってきたアリシアが、膝をつきながら幸せいっぱいの微笑みを向けて尋ねた。
彼女にすると当初は懸念していた母とアキトとの関係が、望外に良好であることに安堵していたのだ。むしろ良すぎることが気になるくらいに。
「いま先生から海洋調査での不思議なエピソードを伺っていたんですよ。アンコウが群れをなしていたっていう……」
「あんこう? 何かお魚の名前なんですか……?」
「アリシアさんでもご存知なかったですか? 大きな口に長い牙のいっぱい生えた、“恐怖っ、謎の水棲人間エックスっ!”みたいな凶悪な顔をした深海魚なんですが」
「長い牙がいっぱい生えたお魚さん? まぁ怖い、うふふっ、でも、そう言われてもあたし、アキトさんみたいに物知りじゃないから、あんまり買いかぶらないで下さいね」
「確かに、アンコウはスーパーのお魚売り場などでは見かけないかもしれませんけど……でも美味しいお魚なんですよ」
「あら、食べられるお魚さんなんですか? そんなに怖い顔をしてるのに?」
「顔は怖くても実は大きな口は見かけだけなんです。主に小魚を丸呑みするためのもので獲物に咬みつくためのものじゃないので、そしてもしも大きな魚を捕らえられたらラッキーぐらいの意味しかなくて、だから噛む力だってそんなに強くない。性格も大人しくて深海底にじっとして獲物が通るのを待っているっていう……」
「ホントになんでもよく知ってるわよね、あなたの旦那さまは」
アナスタシアが半ば呆れ顔になって娘に言った。
「いえ、たまたまです。ボクは以前にアンコウを食べたことがあったので」
「そういえばネオ・トウキョウにもそれを出すお店もあるそうだけど、あたしはまだ行ったことがないわ。今度、あなたが来た時にはご案内してさしあげるわね」
「その時は、あたしもご一緒しますっ――」
隙あらばアキトの勧誘にかかる母親に対してアリシアはすかさず予防線を張ると、徳利をアナスタシアと秋乃の座布団のある前にそれぞれ置いた。
自身の前にも一本付けるが、
「アキトさんにはまだ早いのであげません――うふふっ」
傍のアキトへ向けてはしっかり念を押している。
「わかってますよ」
「鰻、もうすぐできますから待っていてくださいね」
「うん、楽しみだなぁ、さっきからすごくいい香りが漂ってくるから」
「でしょ、うふふっ」
アキトは隣に座る姉さん女房のお猪口に徳利を傾けて酌をしていた。
「ありがとう……」
二人の様子を微笑ましげに眺めながら、シニアの二人は「「仲がいいわね」」と、声を揃えている。
アリシアが頬を染めているのは、お酒の所為ばかりではなかっただろう。もとより酔いがあまり顔に現れない質ではあったが、その彼女が珠のように白い肌を今は薄いピンク色にして、まるで上気しているように艶めいているのだった。
あるいは愛し合っているときに強い羞恥を覗かせている時の姿にも重なって、少年の目を惹き心を騒がせている。
「こちらのお漬物はとても美味しいですね、これは冬瓜の浅漬けですか?」
アナスタシアが秋乃に尋ねた。
「うふふ、先生のお口にも合いますか?」
「ええとっても、お酒にも合いますし」
熱燗のお猪口を口に含みながら言う。
「でもお母さま、それ冬瓜じゃないんですよ」
「あら、そうなの? じゃあ……」
「え、ボクも冬瓜だとばっかり思ってましたけれど……じゃあ……もしかすると……これは西瓜? なんですか……?」
さっぱりとした塩味の漬物は、濃厚な鰻や鯉コクの間の箸休めには絶妙なのだった。
「ご明察、それは西瓜の白身よ、気に入っていただけたようで嬉しいわ」
「グランマのところでは西瓜も白身までお漬物にして無駄なく戴いているの。あたしも会社のキッチンで糠漬けにしたり、こんなふうに薄切りにして浅漬けにしたりしているわ」
訪れた観光客たちがひとしく憧れるARIAカンパニーの楽屋裏では、日常生活もしっかり営まれているのだった。
「蕪の代わりに千枚漬けのようにゆず昆布を添えて甘酢漬けにしても美味しくいただけるのよ」
「食べ残しじゃなくて、ちゃんと最初から切り分けたものを使っていますから心配しないでくださいね」
アリシアは片目を瞑っていたずらっぽいウインクを送ってくる。
アキトは全く気にしていなかったが、こんな美女たちのものであれば、男たちは食べ残しの方をよほどありがたがるに違いないとも思うのだ。
「きっと白いご飯のお供にもうってつけですね」
「じゃあ、明日のアキトさんの朝ごはんはそうしようかしらね、ねぇアリシア」
「おかまいなく、ボクは白いご飯があれば、それだけで幸せになれますから」
「まぁ、アキトさんったら、うふふっ、でも新米が出るまでにはもう少しかかるけれど、ここでは精米したてだからご飯も他所よりずっと美味しいはずよ」
「ええ、美味しいです……もう泣きたくなるくらい美味しいですよ……高級な鰻が負けそうなくらい」
確かに粒立ちのいいご飯はしっかりと存在感を示していて、タレが絡むとそれだけでこたえられないご馳走と化していた。
「まぁ、泣きたくなるだなんて、大げさねぇ」
秋乃は目を細めている。
「先生にとっては普通のことなのかもしれませんけれど、ボクらみたいに常に余剰米の消費役を担わされてきた者たちからすると、やっぱり銀シャリのおまんまは特別なんです。この美味さを忘れたらもう日本人じゃなくなるから……漬物やら佃煮で白いご飯をかき込んで、それが喉をぐびぐび通り抜けていくときの快感は、ああ、ニッポン人で良かったぁ、と思える瞬間でもあるわけで……地球ではボクらはもう盆と正月ぐらいにしかありつけないですけれど……」
少年の素直な述懐には美女たちも少し驚いた様子で目を丸くしている。
「すみません、ちょっと悪ノリし過ぎました」
「いいのよ、いいのよ、アキトさんはやっぱり日本の方なんだなと思って懐かしさを感じただけだから」
「そういえばAQUAは初期入植者を含めて日本人が多かったそうですからね」
そう云うアナスタシアは少し遠い目をしている。
「そうですね……あたしもルーツを辿れば多分そう……天地、という姓はそもそも日本のものでしょ?」
秋乃はアキトに向けて問い、
「そうかもしれません、天地とか天知とか、雨池とか、漢字にしないと区別できない独特の姓を持つ人は、ボクが生まれ育った周辺では今でも少なくないですから」
少年はそれを受けて応えた。
「うちも母方の曽祖母は日本からの入植者だって聞かされているわ」
「あら、お母さま、そうだったんですか? あたし初耳です」
「そうだったかしら――?」
「えっ?! 先生も日本にご縁があるんですか? ちょっと意外な気がしなくもないですけれど……」
「あら、どうして――?」
「どうしてって言われても……」
詰め寄られた少年は口淀む。
豪華なブロンドヘアの女性は日本人にはそう多くは居ないからだったが……。
「そもそもあたしのミドルネームのアイコは、曽祖母の愛子お婆さまからいただいたものだから」
アナスタシアが指先で中空に漢字で、愛子、と書いてみせて、それはアキトと同郷であることを強く示唆していた。
「じゃあ、あたしにもアキトさんと同じ血が流れているってことですね」
そういうアリシアは、やっぱり――と、いうように満足げなのだ。
「そうなると、ここに居るみんなどこかで日本と繋がっていたってことになるわけね……なんだか不思議なご縁だわね、今夜は同郷を偲ぶ会になってしまったみたいだわ」
「これも、AQUAの神々のお導き、ということでしょうか?」
「先生がそんなことをおっしゃるようになるなんて……うふふ」
「こんなにもいろいろな偶然、奇跡が重なると……私も宗旨替えをしないといけなくなりましたから……ねぇ……」
アナスタシアに見つめられてアキトはまた、シャンと姿勢を正す。
「もしかすると石が招くっていうのは、私たちの中にある互いの遺伝子が惹き合う、そういうことなのかもしれません……少年、何か意見はありますか?」
いきなり振られたアキトだったが、アナスタシアの言外に込められた意味を察して頬を赤くする。
「特に、ありません……」
「ほう、能弁な君にしては珍しく殊勝ですね――」
アリシアは俄かに教師口調になった母親を訝しんで
「お母さま、何をおっしゃっておられるのですか?」
訊く。
「あなたと彼の仲睦まじさは遺伝子の相性の良さもあるんじゃないかって話をしているのよ」
「それなら、きっとそうですっ(ぺかっ)」
アリシアは当然、とばかりに顔を輝かせていた。
「だって初めて逢ったときから、アキトさんはとても気になる人でしたから」
一方、アキトは困惑を滲ませていて、
「アキトさんは違うんですか?」
ちょっと当惑気味の流し目で見遣る。
「いや、そうじゃないんだけど……ボクもそうだと思うから……」
「でも、あまり嬉しそうには見えませんけれど――」
不満げにしている。
「すごく嬉しいよ……ただ……」
「ただ、なんですか?」
アキトはアナスタシアの方をチラリと盗み見て、ほくそ笑むような顔をしているのを見てとると、またやられた――と、思うのだった。
仕方なく、アリシアの耳元でアナスタシアの本意を囁くと、聞いていたアリシアはたちまち顔に火がついたように真っ赤になっていった。
「お母さまっ――!」
「なぁに? 彼からいったい何を言われたの?」
挑発するように意趣を返されて、ぐっと堪えて唇を結ぶ。
とても人前では口にはできないようなことだったからだ。
それでも隣でアキトが頷いていると、アリシアは頬を染めながらも白い歯並みを覗かせコックリとする。
「いいえ、なんでもありませんっ」
アリシアはきっぱりと言い、隣で秋乃もわけ知りに温和な笑みを浮かべているのだった。
先週は週末、休みが取れずにそもそも更新が無理だったのですが、
先々週末は、多分、夏バテがやってきたのだと……単純にサボりました。二週続けて更新しなかったので、覗きに来られた方には申し訳ありませんでした。
さはさりながら、久しぶりの更新でも、呑気なホームドラマが続いています。
既に蚊帳の中で“初夜”を迎えた二人は熱心に互いの思いの丈を伝え合っていて、月明かりに照らされるなか無事に破瓜を迎えたアリシアさんの健気な容子もしっかり覗き見ているのですが、描く方が間に合わずにモタモタしています。
展開が遅いのは申し訳なく、跳んでから渋谷に到着するまで一週間を費やした某アニメにイラっとしていたことを思うと忸怩はあります。
ただ一応、後に繋がるエピソードでもあってスキップできないので、今しばらくはご辛抱下さい。18禁シーンのみご関心がある向きには、飛ばして下さいますようお願いいたします。
ご挨拶が遅れましたが、お茶のワルツさま、お気に入りに加えていただきありがとうございます。
こちらではあまり官能シーンは多くないので、お楽しみいただけるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
今日はもう一本、上げられるようでしたらアップいたします。
やっぱりホームドラマ、になりそうですが……。