ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
やっぱりホームドラマになりました
「……それは……どういうことですか――?」
アリシアは小首を傾げて見つめている。
アキトはうっかり口を滑らせてしまったことを悔いたが、言ってしまった以上はうやむやにもできなかった。
「……実は……ボク、地球に帰っていた間、あっちの学校でちょっとした問題があって……必要な単位が得られるかどうかで危なかったりしていたんですよ」
少年は目尻を下げて愛想笑いをしながら頭を掻いた。
「なにか、いけないことでもあったのかしら――?」
その話はアリシアにとっては初耳で、円らな瞳を瞠って怪訝そうにしている。
聡明なアキトが学校の単位を落とすなど想像もつかず、きっと何かがあったに違いないと判っていたからだった。
そして彼女の想像は正しかった。
要は帰還もままならないような重大なトラブルがあったということで、今頃になって夫からそのようなことを聞かされた新妻としては、やはりそのままにはしておけないのだ。
考えるうちに食べかけのお箸の先を唇に咥えていて、若い夫の顔をまんじりとする。
少しお行儀が悪いがそれもまたいちだんと愛くるしい表情をつくって、間近にした少年は頬を緩めて言った。
「いや、つまらないことなんです、ホントに、ちょっと授業を受けられなくなってしまっただけですから」
実際のところはいささか深刻で、騒動の最中にはAQUAへの帰還にイエローランプが点ったのは間違いなく、少年は焦慮を抱きつつも事態の推移を見守るしかなかったのだった。
首尾よく普通科中等部の卒業資格を得るためにはAQUAに渡っていた期間の空白を含めて二年間の過程を半年で通過する必要があったのだが、座学はともかくとしても体育や音楽などの実技を伴うものについてはどうしても時間短縮ができない上に、アキトひとりだけでは教室が成り立たず、生徒たちが一定数集まらないことには授業を行うことさえままならないのだった。
こうした中で起きた、あの、舞浜メルヘンランド事件――後に鬼越界隈では“鬼東中、十四日間戦争”と呼称されるようになる――は、文字通り彼にとっては計画の見直しを迫られる重大事件ともいえるものだったのだ。
それまで順調にカリキュラムを消化していて、アリシアから拝領した“御神体”を日々丹念に崇めつつ、予定通り二ヶ月後に迫る出国を待ちかねていた少年にとって、当初はゴールデンウィーク期間中の学校イベントなど取るに足らないもの、ちょっとした中休みぐらいにしか看做していなかったのが、それがまさかあのような学年を挙げての揉めごとになろうとは。
熾烈な多数派工作と一部生徒たちによる寮占拠、及び授業の無期限ボイコット――。
奨学金の底も見えてきて、先々が心細くなっているところに生じたこのトラブルは、まさに目標完遂の成否に直結していた。
絶対に帰りの便を逃すわけにはいかないのだったが、学内の混乱のあおりをまともに食らって授業を受けることができなくなり、予定通りの単位取得も危ぶまれる事態に陥ってしまったのだ。
幸い、騒ぎは二週間ほどで収まったのだが、もしも局面が好転しなかった場合には復路便をキャンセルしなければならず、そうなれば旅費が跳ね上がるのは確実だった。
むろん、そのような追加負担は少年の懐事情ではとても不可能で、また奨学金の給付も確定しておらず、最悪、AQUAに戻る道も閉ざされてしまうことにもなりかねない状況だったのである。
そんなことになれば――。
考えたくもなかったが、アリシアとは二度と会えなくなってしまうかもしれなかった。
「中学生が授業を受けられないって、どうしてそんなことが――?」
アナスタシアも関心を抱いた様子で話に乗ってくる。
「集団感染で学級閉鎖とかかしら? でもそれとアンコウがどう繋がるのかしら? さっぱりわからないわね」
「そんな、先生まで……所詮は中学生のやることです、つまらない話ですから」
「つまるかつまらないかは聞いてみなければわからないわ――」
「いったい何があったの? 賢いアキトさんが授業も受けられなくなるようなことって、奥さまにもちゃんと伝えないといけないでしょ、ねぇアリシア」
「ええ、アキトさん、ちゃんと白状なさい、うふふっ」
「え、うーん……さて何を話をしたらいいものか……」
しかたなく少年は、自身が経験した“舞浜メルヘンランド事件”の概略について語ったのだった。
学年横断で男子生徒と女子生徒の間に生じた相互不信と亀裂、非難の応酬合戦と、それが決定的な対立を迎える前にどうにか和解へと収斂したことを。
それにはアンコウ!――が一役、買っていた。
そんな美味い話があるものか――!
と思うが、実際、アンコウづくしの料理の前に、多くの男子生徒たちの戦意が挫かれたのも事実だったのだ。
たしかに美味かった!
日頃、寮や学食での“食餌”に、すっかり身と心を蝕まれていた少年たちにとっては、捌き立てのアンコウの七つ道具の味わいは、まさに干天の慈雨、青天の霹靂、驚天動地言語道断諸行無常っのご馳走! と呼べるもので、食という文字は人を良くする、とはまさに言い得て妙っ! だったのである。
「……それで、アンコウがあんまり美味しかったんで、それでなんとなーくうやむやになったっていう……ね、他愛もない話でしょ?」
かくして、彼の単位取得はギリギリ間に合い――それでも出国の前日になってなんとか予定を達成という綱渡りであった――当初通りの便でAQUAに戻ることがかなったのだった。
話を聴いて美女三人は納得したようである。
「……ホントにしょうもない話ね、男どもの際限のないバカさ加減ってのは、どこでも一緒、まぁ今に始まったことじゃないけど――」
アナスタシアの評価は辛辣だったが、
「なんにせよアキトくんに問題があったわけではないってのはわかってたわよ」
その言葉にアキトは苦笑する。
実際には無関係であったわけではなく当事者、騒動の発端を作ったとも云えたからだった。
ただ、それについては特に話をする必要を感じなくて、ここでは触れずに流しておくことにした。
現実に、その時の彼には他にどうすることもできなかったからだ。
そしてアキトの場合、問題はそれだけにとどまらず、騒動が収まって以降も影響は尾を引いて、その次には経済面での問題が立ち上がってくることになったのである。
「……この件ではいろいろあって……残り一ヶ月半、残金が五十クレジット余りになった時には、さすがにこりゃマズイぞって慌てましたけど……授業が先送りにされた分、スケジュールがよりタイトになって、バイトする時間も取れなかったですから」
それを耳にした三人は、件の騒擾話よりも関心を示した様子で
「「「其れ、どゆコト――!?」」」と、でもいうような顔をしている。
少年は照れくさそうにまた頭を掻きながら
「男子たちが寮に立てこもっている間、賄いがストップしたり、安い学食が利用できなくなったりしていたので、想定外の臨時の出費が重なってしまって……」
言い訳をした。
が、女たちが気になったのは無論、そうしたことではない。
いくらマンホームに比べて物価の安いと言われるAQUAでも、親もとを離れた中学生が一ヶ月以上もの間を僅か五十クレジットで生活するのは至難なことなのである。
一日一クレジットで、いったいどうやって生きて行くというのか? と。
「あたしに連絡してくれれば、仕送りなんていくらでもしてあげられたのにっ、全然、音沙汰がなかったんだからっ――」
こうしたアリシアの抗議には、そんなことお願いできるわけないでしょ――と、思いつつ、少年は曖昧な笑顔で受け流すのだった。
メールや電話でさえもアシがつく事を懸念して避けていたのに、お金のやり取りなどできるはずもなかった。
そもそも夫となる身、沽券に関わるし、何よりアリシアを心配させることには忸怩があった。
「そんなに驚かれるようなことではなかったんですけれど……騒ぎが収まれば寮では朝晩のまかないがあるので、昼だけ我慢すればなんとかなりましたから」
「その間ずっと一食抜いてたっていうの? よく辛抱できたわねぇ」
アナスタシアからは妙な関心のされ方をしている。
「一ヶ月半もの間、ですか……?」
「あなたぐらいの頃は、ちゃんと栄養を摂らなければならないのに――」
「いえ、学校近くのパン屋さんがパンの耳や切り落としを分けてくれたりしてたので、全然、飢えたりはしてませんよ。ただ、昼になるとみんなからはかなりイジられましたけど。そりゃ毎日/\、お昼になると物欲しげな顔をして教室の隅っこでパンの耳をしゃぶってたんですから仕方ないですよね。でもその代わり、弁当のおかずを分けてくれたりして……それはそれで結構、楽しかったんですけど」
飢える――という、ここ暫くとんと耳にしたこともないワードを聞かされて、三人の美女が呆れ顔で容子を窺いあっていた。
「もう、あたしが見てないところで、ナニ勝手やっちゃってくれてるのよぉっ」
言葉遣いまでお侠になってアリシアが不平をこぼすと
「一昨日、大事件を起こしたばかりのキミがそれを言いますか――?」
と、切り返されてさらに女の子のようなむくれ顔になった。
それを間近に少年はますます表情を甘くする。
「まぁいいじゃない、旦那さまはちゃんとこうして戻って来てるんだし」
秋乃がとりなして場を収めた。
「今度、アキトさんが里帰りされる時には、あたしも付いていきますからねっ――」
アリシアが宣告して、少年は仕方なく首肯する。
そうなるまでには、きっと何年もかかるだろうな、と想いながら。
「そうだわっ、すっかり忘れてたっ、記念の写真を撮っておかないとっ、こうしてみんなが揃うのは初めてなんだし」
秋乃が膝を叩くと
「そうですね、あたし、写真機を取ってきますっ」
すぐにアリシアが機敏に立ち上がる。
「場所はわかる?」
「ええ、勝手知ったるなんとやら、です、うふふっ」
「それじゃあ、あたしは改めて乾杯の用意をしましょうか、お猪口だと写真映えしないから、大きめのワイングラスを持ってこないと」
秋乃も立ち上がりキッチンへと向かうのだった。
ややあって大きなアナログの写真機を持って戻ってきたアリシアが部屋の隅に三脚を立てるとタイマーを仕掛けながら、アキトを真ん中に左右に妙齢の美女が配置する。
「アリシア、あなたはどこに入るの?」
「あたしはアキトさんの後ろでいいです」
機械式タイマーがジーッという音を立てている間にとって返すと、アリシアはアキトの肩に顎をのせるようにして頬を寄せていた。
カシャリ――。
カメラのシャッターが降りて、
「もう三枚、撮りますのでそのままじっとしていて下さいね」
アリシアの指示で、さらに立て続けにシャッター音を聞いて、緊張を解いた四人は、それぞれの座布団に戻るとグラスのワインを傾けながら、また話の花を咲かせるのだった。
「ねぇ、アキトくん、本当にうちのラボに来なさいよ、あなたなら学位だってすぐに取れるから」
「お母さまっ――」
アナスタシアが性懲りも無く自分の夫にまた秋波を送っているのに反応してアリシアは白い頬をピリリとさせる。
「今度は江戸甚のお店で調理したてのウナギをご馳走するわよ」
その申し出にアキトは顔を輝かせるが
「そんな高級なもの、ボクには分不相応ですから……」
「マンホームの本店とは違ってこっちにある支店は、ずっと庶民的だから気にしないで。ランチタイムはもっと安価になるし、あたしみたいな教員の薄給でも、ちょっとした折には暖簾を潜ることができるくらいなんだから」
「そう言われても、ボクは何ヶ月かに一度、たとえば盆とかお正月とかの特別な慶事にかこつけてニイイチゼロワンが食べられれば十分ですので……」
「「2101?」」
「やっぱりご存知ないですよねぇ、菜膳屋の注文番号なんて……江戸前風鰻丼の……あそこの人気メニューなんですけど……」
「サイゼンヤ、さん……?」
アリシアもアナスタシアももどかしげに首を横に振る。
親子らしく仕草のテンポがよく似ているのに少年は目を細めながら、
「たしか、菜膳屋はアカミラノにはお店を出していたと聞いてますが、まだこっちには出店してないみたいですから。セントラルのドーナツ圏ではボクらのような子供でも利用できる安価なダイナーのチェーンなんですけれど……ドリンクバーが1クレジットちょっとで利用できるのでスタンドカフェよりも安くて、真夏の暑い時期なんかは仲間と宿題を片付けるのには図書館よりも使い勝手が良くて……ボクがあっちに帰っていた間も随分、お世話になりました」
「そうだったんですか……」
「ただ、アリシアさんたちが利用するには、菜膳屋はどうなのかなぁ……」
「あら、どうして――?」
秋乃はむしろ納得がいかない様子で訊き、アリシアは
「グランマはそのお店をご存知なんですか?」
尋ねる。
「あたしだってそれぐらい知ってるわよ、だって、ウチの若い子たちの間でも、再来月、メストレに出店するって話題になってるみたいだし、アリシア、あなたは知らなかったの?」
アリシアは当惑げに目をぱちくり瞬かせて首を振る。
そりゃ、アリシアさんの周りには、灯里さんとか藍華さんとか、アリスちゃんとか、気軽にフローリアンを利用できるようなお嬢様しか居ないからねーと、アキトは内心、こんなところにも大江戸川が流れているのかしらと、なんだか可笑しくなってくるのだ。
「あたしも総督府に招かれた際にアクアポリスにあるお店に総督自らご案内していただいたわよ――」
「えええええ――っ、エーデルソン総督直々にですか?」
これにはさすがにアキトも驚きの声を上げていた。
「ええ、突然の訪問には、お店の人もお客さんたちも驚いたみたいだったけど、すぐにうちとけて、みんなと楽しくもりあがったりしたわ、うふふ」
「最高指導者がですか……やっぱりAQUAは違うんだなぁ……」
神妙な顔つきでいると
「国のリーダーだからでしょ、だって私的な交際に、みんなから集めた税金を使うわけにはいかないし、たとえ私費でもあまり派手だと、すぐに贈賄だ利益誘導だナンだのって野党やマスコミさんから叩かれたりするから。だからもちろんこちらもワリカンにして戴いたわよ、明細を見て逆の意味でびっくりだったわ、うふふ」
場末の食堂で安酒で盛り上がる――?
いったいどこの田舎の村役場、町内会の寄り合いなんだっ? と呆れるが、それもやはりAQUAならでは、他人目を怯ませるような華美を好まずに、慎ましさのなかに価値を見出そうとする文化的背景があってこその、このリーダーなのだろうと思う。
アリシアも素朴で飾り気のない服装を好むが、それが彼女の美しさを損なうどころかいっそうひきたてていた。
厚化粧をしたつくり物は、素の美しさに遠く及ばない――。
こうした人としての基本的な潔さを、地球の連中はいつになったら備えられるのだろうかと、つい少年は自身の故郷と比較して考えてしまうのだ。
「アキトさん、うなぎはどうでした? 上手く蒸しあがっていたかしら?」
秋乃に問われ、アキトは恐縮しながら
「ハイ、とても美味しくいただきました。やっぱりホンモノは凄いものなんだなぁって。表面がカリカリとしていて、中はふわっとしていて……」
が――、
「本当に――?」
アナスタシアが片方の眉を吊り上げて、疑り深そうな顔つきを作って訊く。
「あの……何か、ボク、まずいことでも言ったりしてたのでしょうか……?」
「いいえ、ただ、あなたなら何か一家言があるのかと思って、あるなら忌憚のないところを伺いたいなと思っただけよ」
「一家言だなんて、そんな大それたこと、ボク、一介の年端もいかない中学生なんですよ――」
「アッハハハハハ、超ウケる~、アキトくんはジョークもキレッキレね」
拍手喝采するアナスタシアに
「お母さま、お食事中にお行儀が悪いですよ、酔っぱらってるんですか?」
「いいじゃないの、そんなカタいこと言わないの、もう家族同士なんだから――」
「だって……」
アリシアは渋るが、秋乃も
「今ここにいる三人で、アキトさんのことをただの中学生だなんて思っている人はもう一人も居ないわ……あなたを含めてね……ね、そうでしょ、アリシア?」
これにはアリシアも頷いてから
「アキトさんはあたしの大切な旦那さまですから」
艶っぽい流し目を送られて、アキトはビクッとする。
お酒が入っている所為なのか、アリシアも常とは違う雰囲気を纏っているようだった。
「アリシアさん……」
「あなたも自分が変わったことに気がついていて? そりゃ好きな男の人ができれば女は変わるものだけれど」
「グランマ……?」
「感情表現だってずっと豊かになったわ。以前のあなたは、こっちが健気に感じるくらい自分を抑えていたから。まぁそれも仕方がなかった面もあるけれど……たった一人で会社を切り盛りして、後輩である灯里ちゃんの上司であり指導者でもあったわけだしね、常にしっかりしなくちゃと我を出さないように自己をコントロールしていなければならなかったのはよく分かるわ。でも、近頃は好きなこと、嫌いなことをはっきりと口に出して言えるようになったし、いろんな顔を見せてくれるようになったわね。私はそれがとても楽しくて嬉しいのよ」
「…………」
「きっと旦那さまから愛されている自信からくるのでしょう、大事な人から愛されること、これも女にはとても大切なことなの。自分を無条件に受け入れてくれる人がすぐそばにいること、女にとってこれほど安心できることはないから」
思うところがあったのかアリシアは大きく頷いている。
「それをしたのが貴方なのよ、アキトさん。うちの内裏のアリシアをよくもここまで……うふふ」
「あの、ボク、やっぱり責められているんでしょうか?」
「違うわよ、そりゃ初めは誰でも思うわよ、可愛いアリシアを誑かしたんだって、でもアリシアはとても賢い子だから、そもそもそんなことが並の男にできるはずもなかったの」
「そうね、賢いかどうかはともかくとしても、心の鍵はいつもしっかり閉めていたわね」
「グランマ、お母さま……」
「あなたが心を開いた相手がいったいどんな男か、あなたからその話を聞かされて以来いつでもずっと心配だったわ……だって、あなたは世間知らずで男の本当の怖さを知らないから……」
怖さ――というのが一昨日のようなことを指しているのだとするのなら、確かにその通りだったとアリシア自身も思う。
いよいよ身に危険が及ぶまで危機感を覚えずにいたからだ。
非常時の備えについてまるで意識の中にはなかったことを、世間知らず、というのであれば母の指摘は正しかった。
自分は鈍感であったのだと思う。
「だからねアキトさん、貴方を最初に見た時には、てっきりアリシアの方が貴方のことをリードしていたと思ったのよ、それなら頷けるから、アリシアさんらしいって――」
「でも、そうじゃなかった――」
アナスタシアも全く同意見だと言わんばかりに大きく頷いて言った。
「貴方は男の子の姿をしているけれど……でも、中身はそうじゃない……」
「「あなたは男の子の皮を被った……とんだオンナ誑しよ――!」」
「――へっ!!!――」
予期せぬタイミングで、妙齢の美女二人からツープラトンの口撃をまともに喰らったアキトは大きくよろめいた。
左舷に二発、被弾っ!
縦列隔壁閉鎖っ!
右舷注水、傾斜戻せっ!
艦長っ、ダメですっ! 注水装置が作動しませんっ!
動力炉と格納庫に正確に一発ずつ、保つまいっ、
長らくネオ・アトランティック・オーシャンに君臨していた、不沈戦艦の最後だっ!
そのまま少年の体がズブズブと闇の中に深く沈んでいき、走馬灯のように奇妙なイメージが脳裏を横切って
あ、ボク、死んだな……これはもうダメだ……。
と、諦めかけた時、頭上に黄金色の光が差して、そして女神の声が聞こえたのだ。
「アキトさんは女ったらしなんかじゃありませんっ――!」
「アリシア、さん……」
「アキトさんを女と見れば誰でも見境いなく口説いて回るような、そんなわるい男の人だなんて、あたし、ゼッタイに思いませんからっ――」
「あたしたち、別に彼のことをそんな風には思ってなんかいないわよ、ねぇアナスタシアさん」
「ええ、そんなこと云ってないでしょ?」
「だって、女たらしだなんて酷いことを」
「別に悪い意味で使ったわけじゃないから」
さすがに、女たらし――などという言葉に良い意味があるなどと納得できる筈もなく、
「じゃあ、どんな意味があるって言われるのですか? お母さまはっ」
「アキトくんはそれだけ貴方に対して思いやり深く接していた、ということを言いたかったのよ」
「ごめんなさいね、悪意はなかったのよアキトさん、傷つけてしまったのなら謝るわ」
「いえ、ボクは……ちょっとびっくりしただけで……大丈夫です……」
「……そう、だったんですか……アキトさん……」
アナスタシアと秋乃の二人からアキトの企みを明かされたアリシアは円らな瞳をさらに大きくしてあらためて傍らの若い夫の顔をまんじりとする。
親たちの言葉は全て思い当たることばかりだったからだ。
「あなたのことをそれだけ大切に思っていたからよ」
「アキトさんくらいの思春期の男の子にとって、それがどれだけ大変なことだったか……」
二人には故あって“夜の儀”でのことは打ち明けられなかったが、地上に出てからは、その後デートを重ねても彼からは長く体を求められたことはなかったというのは事実だった。
ともに裸になって一緒にお湯に浸かることはあっても、あからさまな性的なアプローチをされることは殆どと言ってもいいほどなかったのだ。
彼女の方が逆に少し焦ったくなってくるくらい、ちょっとエッチな悪戯はあってもアキトとのデートは年齢相応のお子さまなものなのだった。
ただ一度、彼の帰郷する最後の日、クリスマスイブのデートを除いて――。
二人で居るだけで心踊る時が過ぎていく。
次の約束をしないで別れたことはなかったし、約束が果たされなかったこともなかった。
楽しくて嬉しくてちょっぴり切ない、彼女にとっては心が騒ぎ、そして安らぐ日々。
けれど、それが男の子の場合には必ずしもそうはならないことを、親たちから言われるまでは気づきもしなかったのだった。
男の性と女の性の違い――。
恋とセックスまでの距離感が男女で全然違うこと。
アキトはそんなことを一言も云ってはくれなかった。
「本当に鈍感でどこまでもボンクラな娘なんだから……」
「お母さま……」
「目の前にいつでも手をつけられる、見たこともないほどのご馳走があって、それでも手を伸ばさずにいる。もしかしたら他の誰かにいちばん美味しいところを持っていかれてしまうかもしれない、そんな不安を抱えて、それでもあなたの歩幅に合わせようとしていたのよ。あなたの心の扉が開くのを待って……そんなこと、分別のある大人の男でも難しいのに……」
「ただボクに意気地がなかっただけですから……」
それが嘘なのはアリシアにも分るのだ。
なぜなら夜の儀で、既に体の関係をしっかり結んでいたからだ。だから彼女の方でも求められれば、きっと拒まなかっただろうと思う。
そもそも心憎からず思う男の子の願いを残酷に払いのけることなど、自分にはできるはずなどなかった。
「アキトさん……」
「先生方が言われるような大袈裟なことじゃないですから、ボクはただキミが……」
「もう、なにも言わないで……アキトさん……」
アリシアは顔を寄せると親たちが見ている前でアキトと唇を重ねるのだった。
軽い挨拶のキスでもなく、親愛を示すキスでもなく、愛し合う男と女の大人の接吻を。もしも二人きりであればそのまま肌を重ね合うことになる、濃厚な性をいとなむ前の前奏曲としての長く熱い口づけ。
「愛してるわ……アキトさん……」
「愛してる……キミのことを誰よりも……」
それはアナスタシアと秋乃にとっても心を動かされるシーンだった。思わずギョッとして互いに顔を見合わせて、そして諦観の笑みを浮かべる。
こんなにもセックスの雰囲気を放つ娘、アリシアの姿を見るのは初めてだったからだ。
分かってはいても、少しばかりショックとなるもの。
AQUAの女神、白き妖精と称えられる稀代の美女が魅せる、女としての一面――。
やさしい男の子が、男の顔になる時。
そのどれもが女性の目をもってしても心惹かれるものなのだ。
性の持つ美しさを、尊さを教える若い二人の恋模様。
親たちは、子供たちにはきちんと思いを遂げさせるのが、先立つものの務めなのだとはっきり自覚させられるのだった。
また、お気に入りに加えていただきました方、ありがとうございます。
このところホームドラマばっかりなんですが、やっぱりARIAはこっちの方が好まれるものなのでしょうか?