※この作品はR-18です。

ARIA A SECRET SCHOOL DAYS   作:真夜中のミネルヴァ

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その クリスマス・プレゼントの中味は…その1

 

ネオ・ヴェネツィア市街、24月24日、午後5時少し前――。

 

 サン・マルコ広場近くにある I.J.T.(インタープラネタリー・ジャーニー・アンド・トランスポート)ネオ・ヴェネツィア支店には、昼間はそこそこ入りのあった客足もすっかりはけて、カウンター奥の事務所ではアルバイトスタッフのアナベラ・モーズリーがひとり閉店作業にあたっていた。

 町の空気を乱さないように音量を落として流していた宣伝BGMのスイッチを落とすと、店内は俄かにひっそりとなった。

 若い店長も正規従業員もみんな、今夜はクリスマス・イヴ――というので午後も早々に切り上げてしまったのだ。アナは近隣在住ということもあって居残りを任されることになったのだが、外が暗くなってくるとさすがにちょっと心細くなってくる。

 市場で買い物をしたいが、まだ間に合うかしら、と。

 七面鳥だけは調理済みのものを取り置くように店にあらかじめ電話を入れてあったが、せっかくの冬のクリスマスに安物のポルトワインとメインディッシュだけではさすがにキッチンをあずかる主婦としては肩身が狭かった。

 それに、息子にはプレゼントも用意しないと――。

 どうせロクでなし揃いの宿六どもは、子供のことなどすっかり忘れて今日は浮かれて昼間から呑んだくれているに違いなかった。

(まったく、あのゴクつぶしどもときたひには……)

 壁の時計を見ながら書類の束をトントンとデスクに揃え、バッグの中からミラーを取り出してそそくさと身繕いを始める。

 あと十分……。

 ちょっと早いけど表のカーテンを閉めちゃおうかしら、と席を立ちかけたとき、

 ガランガラン――。

 入口に下げたドアベルが来店を告げて、アナは小さく舌打ちした。

(なぁに、こんな時間にお客? 忙しいんだからさっさと追い返さなきゃ。チップはケチるくせに文句だけはしつっこい××××人じゃないといいんだけど……)

 黒ぶちの丸眼鏡をきゅっと整え、口角をあげて営業スマイルをつくると、丁寧なお断りの文句を諳(そら)んじながらアナは事務所との境のブラインドカーテンを払った。

「もうしわけございませんが……」

 が、カウンターの前に立つ人物が目に入ったとたん、彼女の作り笑いは驚きに変わり、それはすぐに彼女本来の素の笑顔になった。

「スノー・ホワイト……」

 相好をくずしたまま絶句する。

「うそでしょ!」

 小さく叫びながらカウンターに駆け寄り、予期せぬ訪問者と対峙する。感激を禁じえない、そんな顔をして。

 わずか数十センチのカウンターを挟んで相対するうら若き女性は、同性であっても惹きつけられずにはいられない眩しいオーラを発散している。

(まったくなんてこと! サンタのかわりに町のお姫さまがご登場とはっ。今夜ウチに帰って話したら、アントニオもバカ弟のアルベルトもジダンダ踏んで悔しがるわね)

 彼女のまんじりとした視線にアリシアははにかむように長い睫を伏せ、アナはますます彼女のことが好きになった。

(ホントになんて綺麗な子かしら、リアルにこんな女の子がいるなんて……それに、とってもすなおそう……アイドルなんて間近にすれば印象が変わるものと思ってたけど、どうやら違うみたい……)

「良かった、間に合って……」

 天使の声で言うと、アリシアは気恥ずかしげな笑顔をみせた。すこし息をはずませている。うっすら汗を浮かせているのか前髪が数本、ひろい額にはりついていた。ファウンデーションをのせていないせいで鼻のあたまを光らせている。

 人間味を感じる素顔のアリシアには、とっつきにくいどころか親しみさえ感じるのだった。

(よっぽど急いでいたのね……汗かいて、頬をほんのり赤くして……かわいいわ……)

 対峙して感じるのは、こんなに華奢だったんだ、と思う体つきの細さ。冬物の制服をキリッと着こなして大人っぽく見せているが、首などせいぜい自分の腕の太さほどにしかみえない。 これでどうやって大勢のせたゴンドラを操るのだろうかと不思議なくらい儚げな風情。それにスタイルがいいせいだろう、遠目の時よりも小柄な印象だった。ヒールを履いている分、5-8のアナの方が、やや見おろす感じになっている。

(たしか最近二十歳になったって聞いたけど……でも、まだまだ女のコ女のコした感じだわ……)

 人と接する機会の多い仕事であっても、刹那にこんなにもさまざまな感興を誘う相手と会うのもアナは初めてだった。

 大きなしぐさもなく、ひっそりと落ち着いた雰囲気。それなのに、わずかな眉の動き、瞳の配りだけで美しい顔に豊かな表情の変化をそえる。

 なんて愛くるしい……。

「どうなさったんですか、私どものようなところにじきじきにお運びになるなんて……」

 自分よりもずっと年下の子に対してではあるが、少しも抵抗を感じずに自然に敬語が口をついて出た。

 ネオ・ヴェネツィアにとってプリマ・ウンディーネはアイドルであるばかりか貴重な観光資源、町の生ける文化財。その中の現役トップのアリシア・フローレンスはまさに貴人、真のレディともいうべき存在だと聞く。

 その彼女が、華やかな祭りを控えて浮き足だつイヴの宵に、一介の旅行業者の店先に一人ぽつりと登場するなどということは、少なくともアナ・モーズリーの想像の中ではありえないことだった。

 普通、こんな時間ギリギリの飛び込みは、ホテルが決まらないィ、とか、予約がダブってましたぁ、とか、どこそこへ行く道がわかりませんっ、の類の、たすけてコールばっかり。電話して、アポとって、コンファームして……。

 もう、ウンザリ――。

 でも、今夜はクリスマス・イヴ。居残りの私へのサンタクロースからのささやかなプレゼント?

「あの……」

 アリシアは言いよどんだ。

「閉店間際のところ、お忙しいのに申しわけありませんが……」

 用向きはアナが拍子抜けするような他愛もないことだった。

 客の忘れ物を届けに来たのだという、ただそれだけのこと。へりくだるアリシアにかえってアナの方が恐縮するくらい。

 もっともスジから言えば、本来は水先案内業こそ観光業の風下であるはずだった。しかしここネオ・ヴェネツィアでは立ち位置が完全に逆転している。どの旅行業者も代理店も、いかにプリマ・ウンディーネを自分たちの供するサービスに取り込めるかでしのぎを削っていた。

 格安チケットが売りの、後発にして弱小の旅行事業者であるI. J. T. は、もとより地元の観光協会とのパイプも頼りなく、人気のゴンドラ遊覧についてはいつもキャンセル待ちのおこぼれで何とか客の対面を保っている状態。そこへ現れたのだ。

 彼女の方から――。

 アリアカンパニーのアリシア・フローレンスは社にすれば万人の客にも優る、お客さま。

 そうした俗な事情がなかったにしても、アナはアリシアに対してある種の厳かな印象を抱かずにはいられなかった。恵まれているのが容姿だけにとどまらないことを予期せぬ邂逅で彼女は感じたのだ。

 多く与えられたものは、より多くの責を持つ――。

 それに倣えば、彼女もまた大きな使命――を担わされているのではないかしら?

 自分たちのような凡人たちとは違う重い運命、宿命のようなものを……。

「あ……そうですね、まちがいありません、ウチのタグです……」

 ためらいがちにアリシアが差し出した男物の黒っぽいポシェットには、ストラップのところに見馴れたネームタグがぶら下がっていて、アナはひと目見るなりそう返答した。確かめるまでもなくビニール製の粗末なタグには、はっきりとI・J・Tと緑色のシンボルロゴがプリントされている。

「お名前は……」

 タグを返して裏面に記されたアルファベットの手書きの署名を読んだ。

「……エーカイトー・ハイールァージィ……少々お待ちくださいね、いま台帳をあたってみますので……お客さまの宿泊場所が分かればそこに電話して、明日にでも取りに来てもらえば……ウチは明日も営業日なんですよ、まったく本クリだっていうのにねぇ……」

 “エーカイトー・ハイールァージィ”……“エーカイトー・ハイールァージィ”……。

 呟きながら、ファイルをめくっていく。

 その間、アリシアがちょっと困ったような顔のたおやかな微笑みをたたえているのを、舌先で指を湿しながらページを繰るアナは気づくわけもなかった。

「……あ、やっぱりあったわ、ウチのお客さんです……あー大変、このお客さん今夜お発ちだわね……ダ・ヴィンチ発、えー、九時ィ?! 困ったわねぇ、ここに取りに来てもらうわけにもいかないし……えーと……中味はお分かりになりますか?」

 アリシアは申しわけなさそうに首を振る。

「ですよねぇ、何が入ってるのかしら……軽いけど……もしパスだったりすると不味いんだけど……でもコンビネーションキーつきっていうことは、貴重品ってことよねぇ……なんだろ……」

 ひとりごちながら、アナは二十センチ角ほどの平べったいモケット地の小物入れを、外からパフパフ手探りをして中味を確かめようとする。

「固いものがあるわね、薬瓶みたいな、それと柔らかい布きれみたいなものも……」

 するとアリシアはあわてた容子になって、それを制した。

「あ、あのっ、お客さまの持ち物を、そんなふうにしてはっ」

 目許をほんのり赤く染めてうったえる。

「いけなくは、ありませんか……?」

「あ、そうですよね、イッケナイ、あたしとしたことが。でも角張ったものは無いみたいだから、とりあえず財布や旅券の類は入ってなさそうですよ……急ぎでなければ、もしも渡らなくてもサイアク郵送することもできるし……でも、やっぱり届けた方がいいかしら……電話して確かめてからでも……」

 後の方を一人ぶつぶつ言いながら時計を見やる。肩をすくめ、

「いいわっ、私が帰りに寄って届けます。“エイキット”さんのレジデンスは……うん、ちょっと遠回りになるけど、ここなら車で五分とかからないし……」

「ありがとうございます、すみません、本当にご迷惑をおかけして……」

 申し訳なさそうにアリシアが頭を深く垂れて、逆にアナの方があわてる始末だった。いい訳がましい言葉をいくつか返して取り繕う。これで給料を貰っているのだから、とかなんとか、ついでにクリスマスの話題をひとくさり。さりげなくアリシアの今夜に話をふって、イヴの夜はお仲間たちと過ごすというとっておきの情報をつかんだ。きっとみんな……とりわけ男どもに聞かせたら大喜びするだろうビッグニュース。にこやかに友人を語るアリシアの愛らしいこと。三大妖精がプライベートでも大の仲良しっていうのも、ちょっと驚き。会社も違うし、互いに張り合ってる部分もあるんじゃないかって思っていたんだけど……。

 アリシアとの世間話に興じながら、アナの頭にひらめきの光が射した。

「あのぉ……」

 と、切り出してみる。

「サインを、いただけませんか……?」

「ええ、受け取りですね」

「いえ、あの……息子にサインを……ウチの子、アリシアさんの大ファンで……」

 アリシアは快く申し出に応じた。アナがカウンターの下から取り出した四角い厚紙の色紙に、手慣れたようすでサインを書き込む。軽く身を屈め、長いサラサラのブロンドを耳にかけて白い横顔を面にして。長い睫は濃く、伏し目になるとメランコリックな翳がおちる。白くきれいな手がスラスラと。所作も手並みもはっとするほど美しい。

(これほどの子になると、何やってもサマになるのねぇ……)

 そばで見ているアナは感心するばかりだった。

「よかったわ、最高のクリスマス・プレゼントよ。きっとあの子、大喜びっ」

「息子さんのお名前は……なんとお書きすれば?」

「アントニオ。あの子、大きくなったら絶対にアリシアさんをお嫁さんにするんだって言ってきかないんです、ホントに身の程知らずで」

「まぁ嬉しい、うふふっ……」

 頬笑みながらアリシアはアントニオくんへ、と書き添える。アリアカンパニーのロゴと、アリア社長の似顔絵もさらりと色紙のコーナーに置く。

「でも、小さいので勘弁してやってくださいね」

「お幾つなんですか?」

「もうじき六つ、来年、第一学年に上がるんです。やっと少し手がはなれるかなって……」

「まぁ、では早く帰ってあげないと、お母さまがお家にいなくてきっと寂しがってますよ」

「さびしいだなんて……」

 母親の顔になったアナは受け取った色紙を眺め、感心したようすで顎をくいっとひとひねりさせる。ちょっと男っぽいしぐさにアリシアは目を細めた。

「あの、もう一枚、お願いできませんか?」

 アナは申し訳なさそうにねだった。

「ええ、かまいませんが……」

「じつはもう一人、居るんですよ。アリシアさんのファンが。おバカな弟なんですけど……今、こっちに来ていて……」

 アリシアは話に小さく頷きながら、別の色紙に器用に同じものを描き始めた。

「……大学院なんてところに行って社会逃避していて、もう三十近いっていうのに、ダラダラして、グータラもいいところ……」

「ステキじゃないですか、何かを一所懸命に研究されているって」

「だといいんだけど……(すこしもお追従に聞こえないのはこの子の人徳ね)……昼間は息子とゲームのコントローラーのとりあい、夜は亭主と酒瓶の奪い合い、ホントに役立たず……でも、いくつになっても弟は弟でね……やっぱり……」

「アナベラさんは、やさしいお母さまであるばかりか、いいお姉さまでもあるんですね……弟さんのお名前はなんとおっしゃるのですか……?」

「アルベルトです……ああすばらしいわ、きっとみんな大喜びよ、本当にありがとう……わたしも今日からあなたの大ファンになってもいいかしら」

「そんな、ファンだなんて……おともだちで……」

 アリシアが言うと、アナは少しだけ複雑な顔になって首をふった。

「アリシアさんとは……お友達にはなれないわ。棲む世界が違いすぎるから。でもとても嬉しいわ、あなたからそう言われて……本当よ」

「アナベラさん……」

「わかるの……わかったの、今夜あなたとお話しできて……この町の人たちがどんなにあなたを、あなたたちウンディーネを愛しているのか、大切にしているのか、そのワケが……遠くから憧れをこめて見まもっている。みんな心からそうしたいと思っているから、そうしているんだって……」

「……わたしには……」

 アリシアの表情に愁いが兆している。

「マンホームからこっちに移住(うつ)ってきてまだ半年、あっちとは全然ちがうから、それなりにいろいろあったんだけど……でもそうしたのが正しかったって、良かったって、心から思うわ。ありがとう……アリシアさん」

 アリシアは戸口のところでこちらを振り返り、丁寧に腰を折って一礼する。その時、外から吹き込んできた冷たい風に長い金髪がなぶられて、ちょっと驚いたように頭をおさえた。ワンピースの前をかばうしぐさも初々しく。

 その容子がとても新鮮に映って、どうしてかしら? と考えて、アリシアが普段は髪を結っていることを思い出した。それが今日は珍しくゆったりストレートにしていて、そんなささやかなことでも何だか得をした気分になるのだった。

 白い制服の後ろ姿を、またお話しする機会、あるかしら――と、アナはちょっと名残惜しく見送った。

(とてもお忙しいそうだから……)

 アリシアが去って、華やかな香りに満たされたようだった店内に日常が戻ってくる。高揚した気分がおさまると、視線の先、カウンターの隅にそれまで全く気にならなかった茶色いラッピングが目にとまった。

 五センチ角くらいのその小さな箱を手にとってしげしげと眺める。一粒入りの高級チョコレートの類だろうか、きれいに包装されたうえに、ご丁寧にもクロスにリボンがかけられている。

 はて、なんだったかしら――?

 にわかに忘れものをしていたような気分で記憶をさかのぼったアナは、はたと思い出したのだ。アリシア宛の託(ことづ)けがあったことを。

「いっけない! あの子との約束っ!」

 あわてて小箱をつかむと制服のブレザースーツのポケットにつっこみ、店の外へと飛びだした。きょろきょろと通りの左右を窺う。が、ネオ・ヴェネツィアは、たとえ人影はまばらでも折れ曲がった狭い途は見通しがきかず、あまつさえ宵闇がせまっている。

 もうアリシアの姿は見えなかった。

(どっち? 広場の方? ちがうわ……いちばん近くの舟寄せって……?)

 当たりをつけてか細い辻を小走りになる。このところ体重が増えがちなことから、たとえパンプスでなくてもヒールにはあまり体重がのらないようにして。

 カッカッカッカッ……。

 石畳にハデに跫音が響いた。

 外套を羽織らずに出てきたために、ジャケットだとたちまち冷気が身にしみるようになる。この寒さをスマートなウンディーネたちは、ケープにワンピという軽装で水の上に出ていることにあらためて驚かされた。

 アリシアの着ていた冬物の制服は、裾が風にひらめくくらい思いのほか薄手だった。スリットからタイツが覗けたが、防寒着というにはあまりにもたよりないもの。

 屋外で体を使う仕事と屋内の事務仕事の違いはあっても、自分たちがいかに普段、ぬるま湯に漬かるような日々を送っているのか思い知らされる発見。

(年が明けたら、あたしも何か体を動かそうかしら……)

 果たされることのない決心をしながら低い石造りのアーケードをくぐりぬけた。

(たしか、この先にあったと思ったけど……あそこを曲がると……ホント、この町って迷路よね……当たってるかしら? おねがいっ!)

 角から通りの先を見やる。

 ビンゴっ――!

 後ろ姿が目に入った。自分と違って体の重みを少しも感じさせない軽やかな足運びの。

 待ってっ――!

 と、呼びかける前に、せわしない跫音(あしおと)に気づいたのかアリシアが振り返った。アナだとわかって足を止める。何事かしら、と不思議そうに小首をかしげて。

 追いついたアナは、

「あたしっ……うっかり、忘れてて……あんまり、びっくりだった、ものだからっ……(こんなことくらいで息切れするなんて、ホントなさけないっ……あたしってば、まだ三十五よっ! そりゃウンディーネにはなれっこないけどっ)」

 ハァハァと息をととのえながら言った。

「あの、コレっ」

 と、件(くだん)の小箱を差しだした。

「なんですか?」

「アリシアさんへのことづけ、プレゼントみたいですよっ、お若いお客さまからのっ」

「私に……?」

「ええ、まちがいなく、あたしが受けたので」

 怪訝そうな顔をして小箱を受け取ったアリシアだったが、何か思いついたように小さく恥ずかしげな笑みをのぞかせた。控えめな頬笑みを。

「二、三日前だったかしら、店に男の子が来たんですよ。その子がアリシアさんに渡して欲しいって言って……でも名前も言わずに行ってしまったから……」

 小箱には何も書かれていなかった。メッセージはおろか、宛名も差出人の名前すら添えられていない。

「お心当たりはおありですか?」

 アリシアはかぶりをふった。

「十二、三くらいの、ちょっとかわいい感じの子でしたよ。黒い髪、黒い目のぱっちりした、このくらいの背丈の……」

 アナは自分の上顎のあたりに手をかざした。

「ウチなんかに、あなたのようなトップウンディーネが来るはずないからって言っても聞いてくれなくて。でも渡せなければそれでもかまいませんからって言うので、仕方なくお預かりしていたんですけど……」

「そうですか……」

 アリシアは小箱を胸もとに、両手で包むようにしている。

「まさかアリシアさんが本当にお見えになるなんて思ってもいなかったので……」

「……私のことで、またお手間をとらせてしまって本当に申し訳ありません……」

 目の前で恭しくお辞儀をする。空気が動いてアリシアの体臭が運ばれてきた。

(いいにおい……いったい何の香り……?)

 アリシアの纏う匂いは甘くやさしい……少しバニラの香りにも似ているかもしれない。

(おかしいわ、なんだかこの子のそばにいるとドキドキしてくる……)

 アナは少女のような恥じらいをのぞかせているアリシアを、ぎゅっと抱きしめたい、という誘惑と闘わなければならなくなった。

(女の私でもこうなんだから、もしも男の子だったらいったいどうなっちゃうのかしら?)

 そう思ったアナは、ふと、胸に落ちたように深く頷くのだった。

「そうか……そういうことだったんだ……じゃなきゃ、アリシアさんがウチに来るはずないし……」

 すっかり合点がいったという顔つきになっている。

「そうだわ、そうにちがいないっ」

 ひとり納得のアナを、目の前のアリシアはちょっと不安そうな面持ちで見まもっている。

「きっとその男の子ですよ、あのポシェットの持ち主は。さっきリストで年齢を確かめておけばよかったンですけど、なにしろいきなりアリシアさんが現れたもので……」

 アナが言うには、件の男の子がアリシアに渡しそびれたプレゼントを自分に託したというのだ。そのためにわざとポシェットの忘れ物を残してアリシアを店に誘導したに違いないと。

「シャイな坊やにはきれいなウンディーネさんがあんまり眩しすぎて、プレゼントを渡したくても恥ずかしくて切り出せなかったんですよ」

 アナの推理をアリシアは曖昧な頬笑みのまま、頷くでもなく否定するでもなく聞いていた。碧く澄んだ瞳にわずかに安堵の色をにじませて。

「そのおかげでこうしてお近づきになれたんですから、アーカート君だったかしら? あの子には忘れ物を届ける時に、直接会ってありがとうってお礼を言わないと。それとアリシアさんにプレゼント、ちゃんと渡しましたよって言って、安心させてあげなくちゃ。きっと気にしてると思うから」

「あの、そこまでされなくてもっ」

「え、あら、どうして?」

「それは……」

 アナの疑問に特に大きな含意などなかったが、アリシアはとっさに返答に詰まった感じになった。が、すぐに、

「私に関係することで……これ以上、お時間をとれせてしまうのが申し訳なくて……だって、今夜はクリスマス・イヴじゃないですか。ご家族がお待ちなのに……」

「ついでよ、ついで。だってあたし、これから今夜の買い物するつもりだったのよ。ウチは夜が遅いの。毎度の事よ。それにアリシアさんからのとっておきのクリスマス・プレゼントがあるから、そっち系の買い物ははしょることができるし。隠し玉にしてサゲといてから、その後どっかーんっ! てね、今からあの子たちがびっくりする顔をみるのが楽しみだわっ」

 アキトと会うつもりと聞いて、はじめいくぶん当惑気味だったアリシアもアナの嬉しそうな顔に表情を明るくした。

「それでは、わたしの言づて、お願いしてもいいですか? もし会えたらですけれど……その……男の子に……」

「もちろんです。で、なんて言えば?」

「クリスマス・プレゼント、ありがとうございます、どうか旅がご無事でありますように、と」

「畏まりました……」

 アナは恭しく片足を後ろに引き、軽く腰を折ってお澄ましした礼をする。貴婦人に対するように。その姿を見たアリシアがクスッと、笑んだ。旅行会社のグリーンジャケットを着た体格のいい女性が、柄にもなくクラシックなお辞儀をしてみせたので、その落差がとてもユーモラスなのだった。だからアリシアもお返しに同じポーズを真似してみせた。

 今度はアナがふきだす番。

 アリシアの方はさまになっていたが、近寄りがたく思っていた相手が自分のおふざけにつきあってくれて、親近感を覚えたから。

 女性ならではのトーンの高い軽やかな笑い声が通りにこだまする。

 この笑顔――。

 初めて見る晴れやかなアリシアの笑顔。それまで見せていた、やや陰影を感じる頬笑みとは別の。白い歯並みがきれいにのぞく。

 これがこの子の本当の素顔なんだわ、とアナは思った。

 周りの雰囲気を明るくして、接する者の誰をも幸せにする天使の笑み、幸せそうなスノー・ホワイトの笑顔。

「やっぱりアリシアさんには、その顔がいちばん似合うわね……ドキドキしちゃう」

 アナは、つと一歩踏み出し、アリシアとの間合いを詰めた。

「我慢してたけど、もうだめ……限界……」

 言いつつ、アリシアの背中に腕を伸ばして抱き寄せる。なんて軽くてしなやかな……とため息がつくくらい驚きながら。

「アナ、ベラさん……?!」

 ぎゅっと抱きしめながら言う。

「メリー・クリスマス、アリシアさん……あなたの幸せを祈っているわ……」

 強く抱かれてアリシアは驚きに見開いた目をしばたたかせた。が、あらがわずに年上の婦人の腕に身をゆだねると、柔らかな表情をいっそう穏やかにして、祈りの言葉を返すのだった。

「……メリー・クリスマス……アナベラさんも……ご家族の皆さまも、どうかお幸せでありますように……」

 

 

 

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