ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
しかし、アリシアのもくろみはすぐに現実から拒絶されてしまった。間の悪いことに水路の奥に見馴れた黒いゴンドラがあらわれて器用に角を曲がってくる。
身を隠そうかと逡巡する間もなく、「あ、アリシアさんだぁ」の黄色い声。聞き慣れているので藍華のものとすぐに判る。彼女は舳先に座っていた。漕ぎ手は灯里らしい、狭い水路をすいすいとすべって見る間にゴンドラが近づいてきた。
本当に上達したわ、とアリシアは後輩であり教え子でもある灯里の成長に目を細めた。嬉しさとともに、一抹の寂しさも覚えながら。そんな感傷にうっかりひたっていたため、アキトからのプレゼントをしまう機会を逸してしまったのだ。
「アリシアさん、こんなところで何をなさってるんですか……あ、後ろに、何をかくしてるんですぅ?」
小箱を持って後ろ手にしていたが、藍華はそれにも目ざとく反応する。
「え? これは……ナイショ、後のお楽しみ、うふふっ」
さりげなくパーティ用のプレゼントであることをにおわせて容子をうかがう。自分でもウソが巧くなったと思いながら。
「みんなはもう用意、できているの? 今日は二十四日よ」
「買出しはすませたんですけど……」
さりげなくアリシアが促した、二十四日、という言葉に藍華はひっかかりを感じたらしい。
「用意って……ケーキは買いましたし、蝋燭はあるし、クラッカーも用意したし、ゲームはウチからたっぷり積んできたしぃ……他に……灯里ぃ、何かあったっけ? あたし、なんか大事なこと、すーっかり忘れてるような気がするんだけど……料理は晃さんが『今日はオレサマにまかせろっ』って吠えてましたからいいとしてぇ……まぁ、ちょっと気がかりではあるんですけどねぇ、これがアリシアさんが言うンなら、もう大船に乗った気分でいられるんですけど……イモリの黒焼きとかマムシの姿煮なんか出てくんじゃないかって。なんていってもあのひとはアリシアさんとは雲泥の差で、妖精ってガラじゃなくて魔女って呼ぶ方が似合ってるくらいですから……」
「あらあら……」
いつもながら晃にだけは辛辣な藍華に、アリシアは眉根を寄せて困り顔の微笑みをむける。
でも本当は少女が誰よりも晃のことを思っていることを、アリシアはよく心得ていた。
「は……!」
藍華の隣に居たアリスが、暮れなずむ大空に突然、巨大な未確認飛行物体が現れたような顔をして水路の先を見上げた。
「な、なにっ、後輩ちゃん!?」
藍華もつられて空を見上げるが、もちろんそこには何もない。
「クリスマスのパーティと言えば……」
「クリスマスのパーティと言えば……?」
アリスにつづいて藍華も復唱する。
「はへー……用意してないよぉ……」
藍華よりも先に意味に気がついた灯里が、アゴをだらんと落とした。
「だからなにっ、灯里っ!?」
「プレゼントぉ、裏誕生日のアテナさんの」
灯里に言われて、藍華も口をあんぐりとしたまま凝固まる。
「でっかいやってしまいました……」
「灯里、今何時っ」
「五時四十分になるところ……きっとレコード屋さんも本屋さんも、もう殆どのお店、閉まっちゃってるよぉ……クリスマス・イヴだから……どうしよう……」
「だいたいアテナさんのことは後輩ちゃん、アンタが担当なんだから、忘れてどうすんのよっ……て……やっぱちがうか。アテナさんには、みんな世話になってるから……」
「でも、でっかいドジっ子の先輩のことですから、きっとご自分の裏誕生日のことなんてすっかり忘れてるにキマッテます。黙っていればでっかいモーマンタ……」
言いつつ、アリスはきっぱり首をふり、
「というワケには……いきません、これはでっかい大問題です……」
三人娘は深刻な顔をして互いに顔を見合わせた。
「……プレゼントを何にするかもキメずに、閉店後の街をあてどなくさまよってもラチあかないし……」
索漠としている三人の間を、一迅の風が冷たく吹き抜けていき、白い頬をそそけだたせた少女たちはゴンドラの上で背中をいっそう丸くしてふるえあがった。
藍華が盛大にくしゃみをして、それが仲良く灯里とアリスにも伝染した。
井戸端会議ならぬゴンドラ会議に可愛いくしゃみが幾度も連発して、そばで見ていたアリシアはクスッと、ふきだしてしまった。
本当に仲良しなのね……。
「ちがうのよ、今夜はアテナちゃんのお誕生会ということにしてあってサプライズプレゼントはもう用意してあるの、だから気にしなくても大丈夫よ。それとは別に私たちから、あなたたち三人に何かプレゼントをしようって、ずっと前から相談していて……」
肩を落とした三人組にアリシアは助け舟を出した。本来サプライズにするはずのイベントを勝手にオープンにしてしまったことで、後で晃から叱られるのを覚悟しながら。
「そう言われても、やっぱりマズいですよ、後輩のあたしらが大切な人のお誕生日を忘れるなんて……サプライズプレゼントと聞けばなおさら……」
「ねぇ藍華ちゃん、マルコ・ポーロはどうかな……」
「あ、そっか、まだその手があったかっ!」
自信なさそうな灯里の申し出に、藍華はポン、と手のひらを拳で叩いて、灯里の顔がほころんだ。
「たしかあそこなら旅行者用のショッピングモールが夜遅くまで開いてるはずです。灯里先輩っ、でっかいナイスフォローですっ!」
「だけど往復するとなると、けっこうかかるよ。今からだと……」
おそるおそる確認すると、そろってアリシアの方をうかがった。
六つのつぶらな瞳が許可を求めていて、アリシアは華奢な肩を軽くすくめる。
「わかったわ。晃ちゃんに言って会のスタートを遅らせてもらうことにするわ、あなたたちが戻ってくるまで。でもお買い物に夢中になってあんまり遅くならないでね、心配だから」
「ありがとうございますっ、アリシアさんっ」
目的を得て、水を得た魚のようにまた元気を取り戻した三人は、テキパキと息の合った動きで配置に戻った。まるで競技用ボートで、あらかじめコックス、ストローク、フォアのポジションが定まってでもいるように。
藍華の声に応えて、灯里のオールが無駄のない弧を描く。気持ちのいいのび足で、ゴンドラが水路の上を長く滑った。
「暗くなってきたから、気をつけてね」
「はぁーいっ!」
性格の異なる三人組が、ここでもみごとにユニゾンして返し、アリシアは眩しそうに目を細めて三人の乗るゴンドラを見送るのだった。
まるで何年か前の自分たちを見ているように思いながら。
「よーしっ、こうなったら灯里っ、両舷全速とっかんモードで宇宙港に奇襲攻撃かけるわよっ」
藍華の気勢が響く。
「はえー? シャトル使わないのぉ?」
「ウンディーネ見習いが何いってんのよっ! テルミナでいつ来るかもわからないシャトルをぼんやり待ってるよりゴンドラのがよっぽど速いって言うのっ! ホラ、さっさとキャナルに出て、百八十度回頭しなさいってば。緊急事態なんだからお得意の逆漕ぎでいくわよっ!」
「藍華先輩、わたしにでっかい名案があります。灯里先輩の豪腕に頼らなくても、うまくすると7時までに戻ってこられるかもしれません」
「ほえー、あたしって豪腕だったんだぁ……」
「ぼうっとしてないであんたは漕ぐ漕ぐっ、で、なに、その名案って?」
アリスの思いつきに、二人は顔を寄せてヒソヒソやりはじめた。取り残されまいと灯里もオールを操りながら身を屈めて顔を寄せる。
「なーるほど」
「でも、いいのかなぁー」
「でっかいだいじょぶです」
遠ざかる後ろ姿は、まさに悪だくみに胸を躍らせる少女たちの図だった。
「あらあら、あんなところまでわたしたちにそっくりだなんて、困った子たちねぇ、うふふっ」
いつもどおりの笑顔を取り戻したアリシアは、ゴンドラが三叉路を折れ、視界から消えるのを見届けると、後ろ手に秘めていた小箱を胸前にとりだした。
両手でキュッと包んでから、リボンの結び目に、キス。目を閉じて、少し長めの口づけをする。
「もう大丈夫よ、アキトさん……あたしには、あの子たちが居るから……晃ちゃんや、アテナちゃんが居るから……」
ひとりごちると、アリシアはスラリとしたシルエットをかえして、傍らに繋留してあった白いゴンドラに乗り移った。羽のように軽やかに。
オールを手に、艫にたってゴンドラを離岸させる。頭をあげて居ずまいを正した姿は、もう一片のくもりもない栄えあるプリマウンディーネの光輪を纏っていた。