ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
第三節 バッロット その2
バッロットを終えて再び問診が行われた部屋に連れてこられたアリシアは、
「これをつかうといいわ」
アイリーンからペーパーナイフを渡された。
白いカードは封蝋で閉じられていてその上にそれぞれ異なる印璽が押されている。もちろん未開封。展くと中から一枚、トランプに似たカードがあらわれた。ただハートやスペードといったおなじみの図柄のかわりに六角形をした雪のシンボルマークと二桁の数字を組み合わせただけのいたってシンプルなデザインである。もうひとつのカードにも同趣の花をイメージさせるシンボルマークと数字が描かれていて、どちらも角の一部が破り取られている。
「カードは書棚の鍵を兼ねているの、その番号の棚の中に書類袋があるから取っていらっしゃい」
件の保健室風の部屋の奥には薬品庫のような細長い続き部屋があって片側の壁の中程が造りつけの書類棚になっていた。集合住宅の郵便受けほどのサイズの木製の鍵戸が並んでいる。実際に機能も郵便受けそのものだった。ちょうど壁の裏側が投函口になっているらしく、くじ引きに先立って各候補者たちが自身の調査書やゲストルームの鍵を入れた書類を納めているというのだ。
棚は縦の段が上から月、星、花、雪、宙、横列は左から右に一から二十まで番号が振ってあり指定された棚はすぐに見つかった。
中にあったのはA4サイズの図面袋がひとつ、紙製のどこにでもある綴じ紐のつきのものだ。が、中味は書類だけではないらしく、どちらの図面袋にも薄いボール紙越しに金属的な重みのあるものが指先に触れる。
アイリーンの前でデスクの上に袋の中味を空けると、A4の封書一通とともに真鍮製の金色の鍵が出てきた。鍵歯の形よりも柄の装飾の方が複雑なクラシックな様式のものである。
「鍵は男たちの部屋用のものよ」
候補者たちはそれぞれのゲストルームに居るが、部屋のドアは明日の朝まで内側からは開かない仕掛けになっていて事実上軟禁状態にあるのだった。
「秘密の扉?」
「そう、各部屋には普通の出入り口とは別に地下聖堂への入り口があるの。鍵はその扉を外から操作するためのもの。同じ仕掛けはこの部屋にもあるのよ」
アリシアは怪訝そうに部屋を見回してから小首を傾げた。窓のない部屋には重厚な木製扉の他、続き部屋へのドアがあるだけである。
「探してもそう簡単には見つからないわ。聖堂はとても神聖な場所だから不用意に人が寄りつかないように巧妙に隠されているの。立ち入りが許されているのはウンディーネになるものと、ウンディーネであったもの、そしてウンディーネに招かれたもの、それだけ。今夜はあなたとあなたが選んだ男以外は誰も入れないし近寄れもしない。もちろん私も。ひとたび閉じられた扉は鍵がなければ内側からしか開けられない……朝おつとめを終えたあなたが出てくるまで……」
つとめを終える、普段は何気なく使うその言葉も今はアリシアの心と体に重くのしかかってくる。
胸の奥で手なずけたはずの少女の部分がまた不安の芽となって、薄皮のようにたよりない大人の分別をつき破ろうとしていた。
アリシアは努めて口角をあげ笑顔になろうとしてするのだったが、かえって眉宇の翳りとのコントラストが愁いを際だたせることになっていた。
細面の頬にほつれた前髪のつくる淡い陰が落ちている。たよりなげな頤の線は甘く、少女のなごりをとどめて首筋のほの白い肌は無垢の輝きをはなっている。薄い肩、長い髪に隠れた背中の線がやさしい。
時々の心の揺れを映してくっきりとした素顔が豊かに表情を変える様は目を奪うほど愛くるしかった。
視線を感じて、アリシアは片手の指先で前髪を軽く払いながら俯いた顔をあげた。自分をじっと見つめているアイリーンと目が合う。
「あの、どうかされたんですか……?」
アイリーンがじっとおし黙っているのが不思議だった。何か訊かれていたかしらと案じる。
「いいえ、なんでもないわ」
不意をつかれたように一瞬無防備な貌をみせたアイリーンだったが、すぐに舞台女優らしいキリッと締まった表情にもどると、
「調査書を見てどちらの部屋の扉を開けるかお決めなさい。私にはファイルの中味について知る資格がないの。だからあなた一人で決めるのよ。見終わったあとのファイルの状態はチェックさせてもらうけど、いい?」
「はい、でもあの……」
「ただ条件があるの。あなたに許されているのはどちらか一方を選ぶことであって、どちらがいいかを選べるわけではないから」
言うより先にたたみかけられて、アリシアは一瞬、キョトンとなったが、すぐに意を察して応えた。
「開封できるのはひとつ、ということですね。でも……」
「賢い子ね、そういうことよ。あなたは二人のうちの一人だけプロフィールを見ることができるわ。納得できればその鍵を使えばいい。もしも気に入らなければ別の一人に期待してもうひとつの鍵を使う。でも二人目のプロフィールを見ることはできないの。この場合は相手がどんな男かは聖堂に入るまでわからない」
合点がいったようすでアリシアは首肯した。
「最後くらい女の子には二人のうちのどちらかを選択できる権利をあげてもいいと思うんだけど。これはルールだから」
「大丈夫です、もう決めてますから」
ニッコリ。
「決めてるって……」
「殿方のプロフィールを拝見するつもりはありません」
アリシアはきっぱりと自分の意志をつたえた。意外な提案にアイリーンは目をむく。
「どうして?」
「それは……きっと、ご縁だと思うから……」
「縁? わからないわ、あなたが何を言ってるのか」
「大丈夫です、きっと……」
「だって、とんでもないヤツの相手をすることになるかもしれないのよ。いくらAQUAはマンホームとは違うと言っても、有権者二千七百万人の中には頭のイカレタヤツだって居るわ。まかり間違ってそんな貧乏くじを引かないために女の側に許された、身を守るためのたった一度の機会なのに」
アリシアはゆっくりと頭を振る。
「そんなふうに思いたくないんです……だから、ご縁だと……」
子供じみたロマンティシズムで言葉にするのは躊躇われたが、もしも儀式が神聖なものだとしたらそこに自分の意志を紛れ込ませるのはかえって不純であるような気がするのだった。
それに何もかも神の御手にゆだねてしまう方が気持ちの整理もつきやすい。たとえどのような結末を迎えようと、それが自分の意志ではなくて大いなる御心というのなら堪えられそうに思える。
これって、もしかしたら責任逃れになるのかな……?
戦い、乗り越え、克服する、というよりも流れに身を任せ、あるがまま運命を受け容れる方が自分には合っているように思うのだ。いままでもずっとそうしてきたような気がする。
「いいの? 本当に……」
決意の固さを読みとったのかアイリーンはそれ以上アリシアの心模様に立ち入らなかった。
「どちらにするの?」
アリシアは片方の鍵を手に取った。最初に触れた時から決めていたのだった。理由はわからないが、こっちの方がいい、と、そんな気がしていた。今も手の中に馴染んであたたかい。
「じゃあ残りの書類と鍵を元の棚に戻していらっしゃい。これからその鍵を使ってゲストルームの扉を開くことにしましょう」