ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
第四節 鍵
「これがあなたの鍵よ。聖堂に入るための扉を開くマザーキー。替えはないから無くさないようにしてね」
渡された鍵はゲストルーム用のものと同じで長さ十五センチほどのずっしりと重い真鍮製。違いは相当な年代物らしいこと。金属光沢のいぶし加減がよい枯れ具合で作られてから数十年、百年以上は経ているかもしれない。それはそのまま儀式の長い歴史を物語っていた。
「その鍵ひとつでは扉は開かないの。マザーキー以外に必ずもう一本別の子鍵が要るから。今夜はそちらのゲストルームのキーがペアになるわね。ここでは保安上と安全の意味もあって鍵の管理を二系統にしているのよ。たとえ私たち侍女でも一人で勝手に聖堂に立ち入ることのないように、それと万がいち中に閉じ込められて出られなくなった場合の対応のために」
「どうしてそんな……?」
「むこうに行けばわかるわ。だからあっちで見た事は口外無用よ」
もとより聖堂の中で見聞きしたことを吹聴できるとも思えなかった。ずっと自分の胸に秘めて生き続けることをアリシアは覚悟している。
問題はこの鍵をどこで使うかだったが、ざっと室内をひとわたりした限りでは特別な鍵穴のある扉などどこにも見当たらない。
「まずはゲストルームを開けてあげましょう。今夜はいつもと違って午前二時を過ぎると鍵も使えなくなってしまうらしいから」
壁の柱時計を見ると二つの針が漏斗形を描いている。二時までにはもう幾らもなかった。
「ノームさんたちから連絡が入っていて、まもなくこのあたり一帯がルナツーの”触”に入るらしいの。午前二時三分から明け方五時四十七分までの約四時間」
「触、ですか……?」
扉の動作に衛星の動きが干渉するとすれば、鍵という言葉から連想されるよりも遥かに大掛かりな装置、仕掛けであるのが窺える。それと朝まで否応もなく閉じ込められてしまうことも初めて知らされたのだった。
アリシアの懸念に気づいたのか、
「いざとなったら緊急対応用の二次駆動系があるからそっちの心配はしなくてもいいわ。むこうにある水琴で知らせてくれればすぐに対応するから」
要するに聖堂に入ると外部とは通常の連絡さえも絶たれてしまうということだった。
「地表付近での重力石の使用は控えるようにとのお達しがあったらしくて、もっと前に伝えておくきだったかもしれないけど」
アイリーンはデスクの抽き出しを引いた。するとついいましがたまで書類やステーショナリーなどで満たされていたはずの中身がすっかり無くなっていて、代わりに十センチ角ほどの黒い金属製の箱のようなものが空っぽの抽き出しの真ん中あたりにこつ然と現れていた。
その上面に件のアンティークキーの差し口らしき鍵穴が口を開いているのが見える。
「これが聖堂へつづく扉を開ける鍵穴よ。この小さな箱ひとつでこの館にある全ての”扉”の開け閉めができるの。マンホーム流に言うなら中央制御システムね。ここではより優雅に”ウンディーネのオルゴール”って呼んでいるけど。さぁ鍵を差して。はじめに子鍵の方から。時計と反対方向にひと捻りするのよ」
言われるままにアリシアは鍵を差し込み、左にまわした。重い金属どうしが擦れ合う感触とともに、やがてガチャリ、と解錠される音がした。
「これで一つ目の鍵は外れたわ。ゲストルーム側の隠し扉の開く準備ができた。次はあなた用のマザーキーを差して、今度は時計方向に二回、反対方向に一回まわすの。終わったら鍵を抜かずにそのままにしていて」
やはり同じような手応えの解錠音があったが、ただそれだけで隠し扉が開く様子はない。
「後はちょっと時間があるから、そうね……いらっしゃい、こっちへ」
と、アイリーンに部屋の隅にまで連れてこられた。
そこには身長計やら体重計その他簡便な計測具があって、さらにその奥、つい立てに隠れるようにして一枚鏡の姿見が置かれている。その前に立たされたアリシアは否応も無く自分自身の姿と向き合わされるかたちになった。
いつもと同じアリアカンパニーの制服姿の、緊張を感じる顔つきで。
プリマの昇格試験のときもこんな顔をしていたのかしら、と思う。
アイリーンが背中に身を寄せてきて、鏡に映ったアリシアと交互に見やりながら「どう?」と訊く。
「あの……?」
「自分を綺麗だと思う?」
「それは……わかりません……」
いきなりの質問にアリシアはと胸をつかれて返す言葉に迷った。
「ほんと?」
「そんなこと……」
他人からは特別な目で見られがちなことは知っている。けれど自覚は薄いのだ。よくわからない、というのがアリシアの自己評価。ミッドスクールを出て四年、かけだしと言うと卑下しすぎかもしれないが、業界内ではそれなりに実績を重ねたとはいえ未だ若輩者の水先案内人の一人にすぎない。
特別というにはほど遠い十九歳の普通の女の子。
「自分がどんなに容姿に恵まれているか気づいていないとでも言うの?」
アリシアの長い編み髪を解きながらアイリーンの質問には少し棘があったかもしれない。
少なくともそれまでのときに本音を交えながら妹の身を案じる姉のような、あるいは淡々と手続きをすすめる事務吏然としていた雰囲気とは別の気配をまとっている。
アリシアはおずおずと鏡に映ったアイリーンに視線を向け、妖しい光をたたえた茶色の瞳が自分の体をなぞっているのがわかってドキリとするのだった。つい今しがたまでとは別人のアイリーンがそこに居たからだ。
まるで場面が切り替わり役柄が変ったような豹変ぶりで。
ナチュラルメークなのに隈取りをしたように陰影にとんだ美貌。
「なんて綺麗な髪、白い肌……」
ブロンズの指先がうなじをくすぐり、しなやかな腕が体に巻き付いてきてアリシアは焦った。
「綺麗よ、妬ましいくらい……ステキだわ……若いからだははずむようね……」
「あ、アイリーンっ、さん……」
アイリーンの手が体の前を這い上がってきて、アリシアはとっさに腕を胸の前で交差させて身をまもろうとした。が、耳元で「ダメよ」と諭される。意志を感じる低く乾いた声。
身をかたくするアリシアのこわばりをほぐすように、しー、と宥めながらアイリーンの手がケープの中に忍び入ると、ついに左右の肉の果実を両手で支えるようにした。厚手の肩掛けが隠しきれない豊満さで高々と盛り上がる。
「スゴい、ほっそりしているようで胸も巨きいのね……」
「ぁ……な、なにを……」
「このぐらいのことで驚いていてはダメよ。だってあなたはこれから”大好きな男の人”とセックスをするんだから。生まれて初めてのセックスを……言ったでしょ、下では女の側にノーという台詞はないってこと。求められたら応じなければならないのよ。どんなことでも」
どんなことでも――。
その言葉に断固とした響きがあって、アリシアは自分の体が肌の下できゅっと縮み上がるのを感じるのだった。
体のあちこちから一斉に抗議の声があがっている。
「神さまの前で真剣に愛し合う為の儀式……愛のもとに行われることにいけないことなんてなにも無いの。どんなに恥ずかしいことでも、どんなにイヤらしいことでも、求められれば従わなければならない」
ついに巧みな指先につぼみを探り当てられてしまった。たとえ厚布ごしでも頂を爪の先でくすぐるようにされると、はじめは鋭利だった刺戟がすぐに甘い感覚となってじんわりひろがっていくのだ。
「や、ヤメてください……アイリーンさん」
自らの肉体が奏でる官能の旋律に戸惑いながら、うっすらとした嫌悪を眉に宿らせてアリシアは訴えた。ふだん滅多に見せない顔色の乱れで。
「こういうことされるの、イヤ?」
「………」
「そうよね。でもこれはあなたが選んだことなの。わたしは何度も引き返す機会をあげたのにあなたはそれを望まなかった」
体を触れられること、それが自分にとってどれほど特別なことなのかアリシアは思い知らされていた。たとえ同性であっても他人に身をゆだねることにはどうしても根深い抵抗感が目覚めてしまう。
「この体が戻ってきたときにはすっかり男を知っているなんて、すこし妬けるわ……男の方に、ふふふ……さぁ脱ぎましょうか? 体をみせて……」
アリシアはすっかり赤らめた顔を細かくうち振って拒んだ。
「あら、あたしが裸なのにあなただけ服を着ているのなんて、ずるくはなくて? ここに来てる女の子たちはみんな裸でいるというのに。ウンディーネになる女の子はみんな一糸も纏わずに、すっぱだかになってここから下りていくというのに、どうしてあなただけ特別扱いされなくてはいけないの?」
「……わかりません、そんなこと……アイリーンさん……」
アイリーンの腕の中から逃れたアリシアの背中に、
「どう?」
また同じ問いかけが繰りかえされた。
「ふるえていたわよ、かわいそうに……」
問いは同じでも訊かれていることは別らしい。
「男に抱かれるのは怖い?」
「………」
アリシアの髪をていねいになでつけてくれるアイリーンの手つきには、もはや性的な雰囲気は消えている。鏡に映る彼女はやや哀しげなたおやかな微笑みを向けていた。
「セックスって不思議よね、好きな人とならどこまでも幸せな経験になるのに、そうではない相手とは辛くて哀しいばかりの辱めになるんだから」
「………」
「下で待っている人が、たとえ一刻でもあなたが心を開ける相手だといいわ……やさしい人だと」
アリシアはようやく自分が試されていたことを悟った。
「でもふるえてるだけじゃダメよ。イヤならイヤとはっきり言ってやらないと男はすぐにつけあがるから。調子にのらせちゃダメ」
意外にもアイリーンはそれまでとはまったく反対のことを口にする。
「さっきのはタテマエよ。下で何が起きてるかなんてこっちでは知りようがないんだから。イヤならイヤでいいの。それでもヘンなことしようとしたら、そのときは思いっきり相手の股間を蹴り上げてやりなさい」
「――!?」
「諾々としていてはダメ。あなたはとてもすなおだし、おとなしいから。でも男と女は対等よ。いつもやられっぱなしなんて不公平でしょ。やられたらやり返す、そのくらいの気持ちでいないと」
アリシアの肩を揺するようにして鏡の中で悪戯っぽく目尻を下げたアイリーンは、舞台でみたときと同じ顔をしていた。オクテの妹を案じて励ます闊達な姉の。
シェークスピアの古典を元にネオ・ヴェネツィアを舞台に現代的解釈を加えた『我ら、いついかなるときも』のヒロイン。性格の正反対な姉妹二役をアイリーン・デュボワはたったひとりで演じきっていた。終幕のあとの鳴り止まぬ喝采。 アリシアも観客席で感動のなか拍手を送りつづけた一人だった。
「カタリーナ姉さん……」
小芝居で返して、
「あら、バレてた?」と、アイリーンもニンマリ。鏡の中で微笑みが交わる。
「大丈夫?」
「はい――」
こっくり。
アイリーンがアリシアに施したのはごくごく初歩的な性のてほどきらしかった。ほんの僅かな時間をつかっての先輩から後輩への実地演習のようなもの。
「もう気持ちの整理はついてますから……」
そう言ってはみたものの半分本心で、残りの半分はアイリーンと自分自身に向けた嘘でもあった。実際そのときになって自分がどうなるか、どのようにふるまうか本当のところはわからないし自信もない。心をコントロールできるかどうかも。
ただ、たとえどんなに辛いことでもその中に価値と歓びを見いだそう、そう思って生きてきた。
だから、きっと乗りこえられる。
アリシアは心の中で言いきかせた。
「そう、じゃあお別れね、女の子のスノー・ホワイトとは……あなたも自分にお別れをなさい」
鏡の前に立たされたのにはそういう意味もあったらしい。
「この姿を忘れないで欲しいわ……できるなら今のままのあなたで戻ってきて欲しい……純白のスノー・ホワイトのままで」
「アイリーンさん……」
「あなたのこと、大好きよ……ご一緒させていただいたのはほんの僅かな間でしたけど……」
言葉選びをややフォーマルに変えて、アイリーンが背中から深く腕をまわしてくる。
抱かれながら同じ抱擁でも互いの心のあり方でひとつでこんなにも変ってしまうものかとアリシアはあらためて思った。
肩甲骨のあたりにアイリーンの胸のとがりを感じても、もう心は騒がない。出会ったときには見上げるようだった人生の先輩が、今はとても身近に親しく感じられる。
それならば自分から心を開くように努めれば……これからのことも……。
アリシアは鏡の中のアイリーンと、そして自分にニッコリ微笑みかけた。少し寂しげに見えて無理に歯並をのぞかせる。
笑顔……。
さようならアリシア……今のわたし……。
「ありがとうございますアイリーンさん。もう、大丈夫ですから……」
「そう……」
心配そうな顔のアイリーンの視線が気配を窺うように中空をさまよい、とどまった。
間――。
「そうね……着いたようだわ……」
アリシアは部屋全体がエレベーターのようにずっと下降しつづけていたことを察したのだった。