ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
第六節 アキト その1
遠目には祭壇の背障に見えたものは実際は祠のような奥行きのある石造りの建築物になっていて、内部は左右の壁に蝋燭がびっしりと幾重にも列をなして並んでいた。数百本はあろうかというキャンドルライトによって明々と照らし出された空間は小部屋ほどの広さがあり、アリシアは少年と、その扉の無い半間ほどの入り口から中を覗き込みながら互いに一言も発することなくただ立ちつくしていた。
小部屋の床に、ちょうど膝下あたりの高さにまで藁が厚く敷き詰められていて、ひと目見てそこが二人に用意された寝所なのだとわかったからだ。
なすべきことがにわかに現実味をおびて、アリシアはあらためて傍らの少年を強く意識するようになっている。
(……十四歳の、男の子となんて……)
そんなことがはたして自分にできるだろうかと問を重ねる。
ここへ来るまでのあいだずっと心を占めていたのは不安と畏れの二色模様でしかなかった。それは未経験の女ならば感じるであろう当然の反応といえるもの。年上の男性に身をまかせることになると思い込んでいたのだから。
自分よりもずっと力の強い、経験の豊富な男性に抱かれて大人の世界へ誘われるというのは、たとえどのような場合であろうと女にとって身もふるえる経験に違いなかった。
けれども相手が自分より年齢も体格も劣位にある男の子となると話は混みいってくる。
怖い、という生理的な感覚はなりをひそめ、代わりに自分がリードしなければいけないのかしら? とそんなふうに身構えてしまう自分が居たのだ。ある意味で大人の男性の情を受けるよりもアリシアにとってはさらにやっかいな状況だった。
自分だけでも精一杯なのに、その上に相手のことまで考えないといけないなんて!
(どうしよう……)
新米の教師がある朝突然、教務主任から呼び出され、かつて自分が一度たりとも学んだことの無い教科の担当をむりやり押しつけられたら?
アリシアの心境は、そんな未熟な教師のものにも似ていた。
性について持っている知識と言えばプライマリースクールとミッドスクールで学んだこと、それと女の子同士でささやかれる本当なのかどうかもよくわからない曖昧で不確かな情報だけ。
自分がどんなふうになるかもわからないのに、相手の男の子がどのように振る舞うかなんてわかろうはずもなく、ただ年上であるという事実だけがアリシアの生来の生真面目さを刺激している。
(困ったわ……)
実際にはそんなに堅苦しく考える必要など無く、少年と少女がめぐりあえば全ては自然の摂理に則って本能のままに事は成就するものであるが、今のアリシアはパートナーがはるかに年下の少年だったという予期せぬ事態に責任感が過剰に反応している状態といえるのかもしれなかった。
自分一人ではなく二人の問題として互いに傷を負うことなく、もしも叶うのならば良い思い出として後々までも振り返ることのできるような素敵な機会としたい、そのためにできることはしよう、そんなふうに考えてしまっていたのだ。
良い関係を得るには相手を好きになること。
少年のことをちょっと考えて、それは大丈夫、とアリシアは即座に自分を説き伏せた。
人を好ましく思うためには短所には目を瞑り、長所に意識を向ければいい。グランマの教えのひとつだ。
邂逅からわずか、まだ少年のことは殆ど何も知らないが、知らなくても判ること、感じられることはあった。穏やかな顔立ち、やさしげな黒い瞳、思慮深そうな表情……そのどれも、控えめに言っても好ましく感じている。
それに、傍らの少年からときに香る健康そうな日なたっぽい匂い、洗い髪の清潔な薫り……。
わからないのは男の子の心の内だった。五つも年の離れた女をはたして気に入ってくれるかしら、と。
もしも好きな女の子が居たりしたら、どうするのかしら?
それとももう、大切なガールフレンドが居たりするのかな?
とりとめもなく思考を空回りさせるアリシアを残して、先に沈黙を破ったのは少年の方だった。控えめな声がかけられる。
「あの……」
不意を衝かれたアリシアは弾かれたように肩をびくっとさせて、ひっ、と息をのむ。小さくため息。ドキドキドキ……胸を押えて、
「なあに?」
少年にお姉さんらしい笑顔を向けた。精一杯の背伸びをしていた。
「ボク……」
少年は何か言いたそうにしていたが目が合うと視線を泳がせてしまう。それはアリシアも同じだった。二人にとってあからさまなゴールを目の前にして気まずくなっていた。
本当の恋人同士なら長い時間をかけてゆっくりと辿り着くところ。けれども与えられた持ち時間は明け方までのほんの数時間しかなかった。壁の蝋燭の炎がひとつ残らず消えるまで。
既に長さの違う蝋燭の三分の一ほどが燃え尽きている。
(おちついて……アリシア……)
言い聞かせる。軽く目を閉じて音を立てないように気をつけながら長く息を吐いた。
思春期の少年の心はとてもアンバランス。大人になりかけの部分と子供らしさとがクルクルとめまぐるしく入れ替わる。
おまけにガラス細工のような脆さも併せ持っていて、うっかりつまらない物言いをしただけで頑なにしてしまうことだってあった。
(いまはこの子のことだけを考えよう……どうしたらうちとけられるか、心を開いてくれるか……)
また敬愛するグランマの声がよみがえった。
「人に自分を受け容れて欲しいと思うなら、まずは自分から先に心を開いて受け容れなさい――」
グランマの教えは幼い頃からアリシアにとっての人生の羅針盤、ウンディーネとしてばかりか生きていくための知恵にあふれたバイブルなのだ。
いつでも、どんなときでも、すとんと胸に落ちる言葉が見つかる。
(そうだった……私の方から心をひらけばいい……)
人は好きな相手、心をゆるした相手には自然な笑顔を向けるもの。
笑顔――。
それはウンディーネとして心がけていることでもあった。今は習い性となって身に付いている、と思う……。
ただ自然な笑顔になるにはアリシアの方にももう少し時間が必要だった。
作り笑顔は長続きしないものだから。
「ねぇ、アキトくん、少しお散歩、しませんか? せっかくこういうところへ来たんだから」
誘いかけると傍らの少年は顔を上げ固い表情を崩して白い歯並みをみせる。
「はいっ」
素直な反応にアリシアの顔も自然にほころんだ。