ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
第六節 アキト その2
木道は並んで歩くには巾が狭くアリシアは裸足のアキトに道を譲ると自分は路肩を歩くことにした。少年はロイヤリティーを発揮して固辞したが、そこはアリシアが意志を通すことにする。素足で歩くには自然のままの洞内は凹凸もあっていたって危険なのだった。それに板子の高さの分だけ目線が近づいて親密さも感じやすくなる。
ポツリポツリと間遠に置かれたランタンの光だけがたよりの暗い道。少年は足下の悪いアリシアに自然に手を差し出してきて、アリシアも自身の手をゆだねることにした。思いのほかしっかりとした手の感触にかすかなおののきを感じながら。それにアキトは掌を上にしてアリシアの指の付け根のあたりをやさしく支えるようにしていて、それはウンディーネが、客、とくに力の弱いお年寄りや女性に手を差し伸べるときにするやり方なのだった。
自分が相手の手を握るのではなく相手に自分の手を握らせるようにする。その方がバランスをとりやすくいざというときにもしっかりと手を握りやすいのだ。力まかせにする場合に比べて怪我もしにくい。
そればかりかヒールブーツのアリシアの歩みにあわせて、さりげなくバランスの先取りまでしてくれている。
この子……どうしてこんなことまで――?
気を配っているつもりが逆に自分の方が支えられていて、アリシアは傍らで自分と会話をつづける少年の横顔に見入ってしまった。まだ骨格が未完成の顔がやがて大人になる時を想像しながら。
いままでどんな生き方をしていたのかしら……?
一見すると線が細くて幼い印象だったが、どうやらみかけばかりではないらしいのだ。間合いがつまるにつれてもっと他の部分が見えてくる、感じられるようになる。
それがアリシアの興味と好奇心をくすぐっている。
道々アリシアは尋問にならないように言葉を選んでアキトのマンホームでのこと、AQUAでの生活について話をふってみた。
「ただの中学生という点ではあんまり違わないかもしれません。地球も、AQUAも……」
わかったのはアキトがマンホームのとりわけ賑やかな大都会出身者であること。七年生になってこの秋からAQUAの美術学校に編入してきたこと。そして暮れにはまた故郷に帰らなければならないことだった。
今は課題に追われるなかアルバイトをしながら休日にはネオ・ヴェネツィアにもスケッチをしにたびたび足を向けているという。
「アリシアさんは普段はどうされているんですか?」
「そうねぇ、アキトくんみたいに楽しいお話ができるといいんだけど、ここではなにもかもがのんびりしているから。娯楽といっても限られているし……マンホームの都会から来た男の子にはきっと退屈よ」
「そんなことありません」
「だといいけれど……」
アリシアは勧められるままにARIAカンパニーでの業務のあらましや友人とすごす休日の話などを聞かせた。
「みんなここで生まれてここで育って……私はスクールに通いながらウンディーネの見習いをしていたから、卒業と同時に会社の仕事の殆どをまかされるようになって。それから標準歴で四年近く、よそ見をする余裕も無くあっという間だったわ。お仕事以外のことは知識として学べても経験としてはないから……だから、話題も限られてしまうわね……」
にこやかに語るアリシアの言葉が不意に止まる。無意識に使った、経験、という言葉をにわかに意識して。
アキトもその言葉のもつ別の意味に気がついたようにまた微妙な空気がたちこめてくる。
(そうだった……この子、みんな知ってるんだ……)
アリシアはアキトが既に件の醜いアンケートを閲覧していることを思い出すと、体が急に熱くなってくるのだった。
女がどこまでも隠しとおしたいきわどい秘密、赤裸々なプライバシーをすっかり承知されているとしたら、どんなよそいきの態度も装いもただ空しいばかりだった。
(ああ、どうしよう……)
軽い酩酊感にも似たショックを受けながらかろうじて踏みとどまる。うす闇こそがアリシアの味方だった。
「アキトくんは……好きな女の子、いるんでしょ……?」
揺り戻しの勢いを借りて、いちばん尋ねたくてできなかったことを訊いてみた。
「ええ……います……」
胸がチクンとなる。やっぱり、と思うのと、それとは別の答えを期待していた自分に。なぜそんな風に感じるのかもわからないまま、
「ステキね……人を好きになるって……」
「でも、ボクの片思いですから」
「じゃあ相手の女の子にちゃんと気持ちを伝えないと……」
もしも自分に弟が居たならきっとそう言って励ましていたに違いない。
「そうですね……」
少年の横顔に、また葛藤がよぎったようだった。視線の動きがひどく大人びてみえた。
また沈黙。
屈折を抱えたまま、無言のままに歩いた。遠いせせらぎにカポン、カポンと鳴るブーツの足音だけが重たい。
「グランマ……素敵な人なんですね……」
今度も気まずくなるばかりの沈黙を先に切り開いたのはアキトの方。
「……えっ? ええ……」
「ボクもいつか会ってみたいな……」
「……わたしも、お会いしたいわ……退職されてからは、お目にかかれる機会も少なくなってしまって……」
祠のある小丘を出てから小半時ほど、ようやく洞窟の一方の端までたどりついた。けれどもそこから更に奥が見渡せるようになっている。
「どこまでひろがってるのかわかりませんね」
「あの先もまだ続いているのかしら、あんまり深入りすると迷子になりそう……」
アリシアは自分がめずらしく心細げな声を発していて少し驚いていた。誰かと居るときに、そんなふうに無防備な素を見せたことは無かったように思う。けっして装っていたつもりはないが幼なじみであり、いちばんの親友である晃と一緒の時でさえも、記憶にあるかぎりそんな自分を思い出せなかった。
(きっとここにいるせいね……)
外界から隔離された暗い地の底。心理的にさまざまな影響があったとしても不思議ではなかった。
ランタンの光が目印になるため洞窟から出られなくなることはなさそうだったが、木道はところどころに分かれ道となっていてうっかりすると道をまちがってあらぬ方へと彷徨いかねないのだ。
(もしも迷ったら……?)
「大丈夫です、ここまでの道は覚えてますから」
少年は懸念にすぐに応えて、アリシアは「うん」と、こっくりする。少年の手を握る手に少し力を入れると、アキトの手があやすように軽く握り返してくれるのだった。
「ありがとう……お散歩におつき合いしてくれて……」
「もう少し行ってみますか?」
アリシアはゆっくりと首を横にふった。
「もどりましょう……」
その言葉がどういう意味をもっているか良くわかっている。
「そうですね……」
アキトは神妙な面持ちで同意する。
けれども、自分をリードして先に立って歩くアキトの背中からは少年の心根までは読みとれなかった。