ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
第九節 スノー・ホワイト その1
「さっきのボクのおねがい、覚えてますか?」
おねがい――と言われても、そもそもノーという選択肢など自分には与えられていないのだった。だからアリシアはただ口を閉ざして無言で意思を示すしかない。
何を求められているのかは分かっている。
すごく恥ずかしいこと――。
幾度も女を歓びの淵へ誘った自信からかアキトは自分が何をしたいか、何故そのようにしたいのか理由も含めて少しもためらわずに口にしている。
恥ずかしくて女の口からはとても言えない、それ、を彼は欲しい、とはっきりと言う。
心を許せば女の弱みにどこまでも踏み込もうとする少年は、ただ汚穢で醜いだけの女の裏事情にまで手を伸ばしてくるのだ。
男性にそこまで立ち入られるのは女としての受容の限界をこえているように思うが、それでも抗えない。拒みきれない自分にアリシアの胸は妖しくざわめいていた。
「セックスをする前に、たった一度しかないことだから……」
「………」
「どうしてもイヤですか?」
「……もしも……もしも、イヤって、そう言ったら聞きいれてくれますか……?」
アキトはだまって頭をふった。ナイーブな十四歳のやわらかい笑顔で。でも見つめるまなざしは本気、男の目をしている。
褥をともにして寝乱れた女の姿を知っている恋人のもの。
「おとなになる前のアリシアさんの命のあかしとして、とても貴重なものだから……ボクのいちばん大切な宝物にしたくて……」
「………」
「キミのことが大好きで、だれよりも大切な女の人だから……」
「……ずるいわ……そう言えば許されると思って……」
「そうですね……」
アキトが手を伸ばして体に触れてきた。
汗ばむ肌はしっとりと吸いついて、すぐに少年の手の中になじんでしまう。
上気した体の感触を確かめるようにゆっくりとなぞられると、肌がまたすぐに熱をはらんでくるのだった。
すんなりとしなやかな背中、ひきしまった脇腹、ふっくら張りきったお尻……。
白磁に見まごうばかりの肌理こまやかな肌は、肉の柔らかさもあらわに少年の指をくっきりと受けとめている。
アキトの手が片方の乳房を包んだ。
重みのある下乳を支えながらグッと圧すと、蒼く静脈を透かした肌がはちきれんばかりにみごとにもりあがる。
「アリシアさんが躊躇うのも、恥ずかしがるのもわかります。アリシアさんみたいな身持ちのいい女のコにとっては、そういうことってとても抵抗のあることだと思うから……でも、もう少しだけおつき合いしてくれませんか? ボクのために。だってアリシアさんは少しも悪くないんだから。ただボクが狡くて、強引で、聞き分けがないのがイケナイんだから……」
「………」
「戻りましょうか、藁の敷いてあるところに。朝まではもうあまり時間も残ってないし、そろそろ本気でセックスをしないと時間切れになりそうですから」
アリシアの返事を待たずに背中に腕をまわして促される。
「大丈夫ですよ、アリシアさん……ここだけのことだから、恥ずかしいのも今だけですから」
仕方なく頷いてしまった。
ただ、流されて、というのとは少し違っている。
自分の意思でけじめをつける、覚悟を決めるという意味もあってのことだったのだ。それがせめてもの年上の、大人の女としての務めに思って。
「……でも、約束してくだい、ひとつだけ……」
「約束?……いいですよ、なんなりと」
「あれは私があなたに……アキトさんに贈るのよ……贈るものなの……他の誰でもなくあなただけに……あたしのことを何でも知ってるあなただから……」
「それで、ボクが誰かに見せびらかしたりするとでも思いますか?」
アキトはすぐにアリシアの懸念に気がついたように反応する。確かにそれもあったのかもしれないが、アリシアの思いは女の痛みを伝えたかったのだった。女の決意には理由が要ることを。それを彼にも分かち合って欲しかったのだ。
「みくびらないで下さいね、ボクは博愛主義者なんかじゃありませんから――」
少年は笑顔のままでつい、と一歩前に出てアリシアに相対すると背中に両腕を回してきた。胸の谷間に顔を寄せるようにしてしっかりと抱かれて、アリシアもためらいがちに少年の体に腕を回す。
抱き合ってあらためて思うのは、本当にまだ男の子だったんだ、という相手の体つき。
愛し合っている時には強さばかりを意識させられて、畏怖すら覚えることのある彼――が、実際に向き合うと、ここで初めて会った時の印象がまた蘇る。
十四歳の……男の子――。
「……誰にも見せたりなんかしませんよ……するはずがないです……だってボクは心の狭い、つまらない男だから……大切な女神さまの秘密は、ボクだけの宝物です、誰とも分かち合うつもりはありません……」
彼の腕に力がこめられて、ぎゅっと抱きすくめられて胸が熱く高鳴る。
たとえ互いの思いには男と女の差による微妙な違いはあったとしても、アキトの気持ちはいつでもまっすぐ自分に向けられていた。
だからそれに応えなければ、とアリシアは自らに言い聞かせるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「あの植え込みわきのパリーナに停めてちょうだい、これで最後よ、おつき合いしてくれてありがとうアリシア」
「はい」
ゴンドラを舟寄せにつけてグランマを送ると、一人になったアリシアは足下の植え込みにあったケイトウに視線を落とした。
真っ赤な花穂は今は見る影もなく朽ち果てている。
冬の訪れは、この日、裏の誕生日を迎えた十五歳の少女にも時の流れに思いを馳せさせる、物憂げな気持ちにさせるのだった。
万事においてゆったりとしているAQUAも、晩秋から初冬にかけては足早にうつろい過ぎていく。
秋の間、街のあちこちの軒先を色とりどりに飾って、水路を行き交う人々の目と心を和ませてくれた花々も、花期を終え茶色く枯れ落ちて冬備えに入っている。
鮮やかな紫のリンドウ、太陽のように誇らしげに咲くマリーゴールド、あたたかな色合いのガーベラ、いちばんのお気に入りの白く可憐なコスモス……。
これで七軒目――。
休業日だというのに、グランマはいつもお忙しいわ……。
朝から街のあちこちをゴンドラで巡りながら、グランマ――秋乃は、ときおり漕ぎ手のアリシアにゴンドラを停めさせると少しのあいだ中座する。
たいていはほんの五分ほどのことだったが、中には三十分近くも戻らないことがあって、立寄先も開店前のリストランテだったり、または普通の民家だったりといろいろなのだった。
はじめは、お買い物かしら? とグランマとの休日の散策を楽しんでいたアリシアも、オフィシャルな用向きらしいと察してからは、なるべく秋乃の障りにならないように訊かれたことにだけ要領よく答えるようにして、それ以外はただ黙々と指示に従ってゴンドラを操っていた。
「良かったわ、これで一件落着」
上首尾だったらしく、戻ってきたグランマが満足そうな笑顔で言い、アリシアも嬉しくなって笑顔で迎えた。ツインのお下げ髪もはつらつと家並みの間に兆した陽光にさんざめく。
「そうね、ここではアレだわね、どうしましょう、キャナルに出てから考えましょうか」
「はい……?」
「ちょっと遅くなるけどお昼はそれからにしましょう。いま美味しい懐石料理のお店を教えてもらったの。席を予約してもらったから御馳走するわ」
「あの……」
いまひとつグランマの話の流れについていけないままにアリシアは曖昧に返事を重ねている。
「あら、懐石なんて年寄りじみててイヤ? あなたはお肉があまり得意じゃなかったから、あっさりしたものの方がいいかと思ったのよ」
「いえ、そうではなくて……」
綺麗な畳のお部屋でのお食事、というのはミッドスクールの少女には敷居が高く、気後れを感じるのだった。お料理の味を楽しむというよりもセレモニー、神聖な儀式のように思えて所作ばかりが気になってしまう。
グランマにとって他愛のないことが自分には遠い、そう思う。
食事をするという行為を、美意識にこだわり精緻に磨き上げた人類の知恵に圧倒されてしまいそうなのだった。
「おばあちゃんになるとね、だんだん若い人たちの気持ちがわからなくなってくるの。でも今日はわたしのわがままにつき合って、お祝いだから」
「お祝い、ですか?」
いつも笑顔のたえないグランマが、いちだんと上機嫌なのにはやっぱりわけがあったのだ。グランマにとっての慶事はアリシアにとっても大きな喜びである。
「では、おことばに甘えてお相伴させていただきます」