ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
第十節 ピュアラヴ その2
左右の壁に並んでいた夥しい数の蝋燭の、いちばん長い最後の一本が燃え尽きて……。
藁の上で肌と肌を接して身を寄せ合っていたアリシアは、その時、相手の背中にまわしていた腕を強くしてしがみつくようにしていた。それに応えて少年も腕に力を込めて女の柔らかな体を抱きしめる。
「……ボク、行かないと……」
「……うん……」
頷いたがどちらも自分からは絡めた腕を解こうとはしなかった。
互いの瞳を見つめ合う。
アリシアは瞳孔をいっぱいに開いていて、碧というよりも少年の瞳の色にも似た黒瞳のようになっていた。また視界が潤んできて堪えきれなくなってつぶらな目を閉じる。涙が一筋、頬を伝って流れ落ちていった。
彼――が、自分の
そして……。
きっと、もう二度と逢うことはない……。
愛する人との別れが、こんなにも辛いものだったなんて……。
「……蝋燭の燃え方にはばらつきがあるし、正確でもないから……きっとまだ六時前よ……だから、もう少しだけ……」
アリシアは恋人の胸に顔を埋めて甘えた。
「そうですね……」
出逢ったときには子供だとばかり思っていたアキトの胸を、今は逞しく、とても大きく感じていた。
裸になって肌を接したとたんに年の差にはもう意味が無くなっていたのだった。たとえ相手がずっと年下でも女である自分は抱かれる側の性。
それをアリシアは少年からいやというほどしっかりと思い知らされたのだ。
男と女とはどこまで許し合うものなのか、許し合えるものなのかを肌で学びながら――。
接してはいけないはずの部分をしっかりと密着させて、他人には見せてはいけない場所にも深く探るようなキスを求められて。
摂理に背を向けるようないけないことばかり。そのはずが、烈しい羞恥の向こう側にはめくるめく陶酔が待っていた。その驚きと歓び。
惜しみなく愛情をそそがれて、いつしか自分も思いの全てを彼に向けていた。
愛してる――。
巡り逢ってから、ほんのわずかな時を共にしただけだったが、心と体が、魂が、彼を求めていた。
けれども今、それを言おうとして口をつぐむ。
もとより別れが定めの束の間の恋。
言葉にしたとたんに、胸の中から解き放たれた感情が移ろい去ってしまいそうで怖かったのだ。
今のこの瞬間を、かけがえのない時を、心の中の結晶として永遠にとどめておきたかった。
まるで愛し合ったままで石化したような、あの像の二人のように。
代わりに口づけを求めて心根を訴える。
それはお散歩の最中に彼と初めて唇を重ねた時の、若い恋人たちの拙いキスではなく、また体を求められて欲望を掻き立てる男と女のキスでもなかった。
睦み合い絆で結ばれた二人が別れを惜しむ、歓びと哀しみとがないまぜになった濃密な口づけ。
自分がこんなにもひとりの男の人を好きになれるなんて……。
恋とは、彼女がこれまで知っていたどんな形の愛とも違う、強い気持ちなのだった。
愛しい相手とずっと体をひとつにしていたいと願う女の本能、その前には理性は頼りなくも薄い膜のようなものでしかなく、感情さえも心の面に立つささやかな
心のもっと深くから湧き起こる熱、衝動――。
だから別れは身を切られるようで辛いのだ。
つい、どうして――?
と、恨んでしまう。
大好きな人と一緒にいてはいけないの――と。
「アリシアさん……」
「なあに……なんですか……?」
「地上に戻っても、またボクと逢っていただけますか……?」
少年の言葉はまっすぐに彼女の胸をうって強く揺さぶられている。もしもそれが叶うのならどんなに嬉しいことか。けれどもアリシアは小さく首を横に振った。
すると、少年は途端に悲しげな顔をして、彼女の心をかき乱すのだった。
また目頭が熱くなってきて視界が滲んでくる。
ウンディーネが人と睦むことが許されるのは、この場、この時に限られるからだった。
それが掟――。
夜の儀に関わる全ての人に秘密厳守の取り決めがなされている。
二人とて例外ではなかった。ここであったことの一切を外へと持ち出すことはできないのだ。
次の『夜の儀』がきて、新しいウンディーネが誕生するまでの一年間、ウンディーネになった女はここで
既に成人しているアリシアはともかくとしても、思春期まっただ中の少年にとってのAQUAでの一年、二十四ヶ月はあまりにも長くて遠い未来だ。
どんな約束も、誓いも、やがては少年にとって縛りとなってしまうだろう。
外での自分の振る舞いが、もしも彼の青春の冒涜になってしまうとしたら。
めぐり逢った歓びを現実の中で風化させてしまうなんて……。
それは嫌だ――。
だから、ちゃんとお別れしないと、と思う。
別れが辛いのは幸せな出逢いであったことの証なのだから……。
でも――。
「ボク、絶対にキミのこと、諦めたりなんかしませんから――」
キミ――と、親称で呼びかけられて、胸の琴線が甘い音色を立てていた。
きつく抱きすくめられて髪に沿って背中を優しく撫でられていると、また酩酊感が寄せてきて意識が遠のきそうになってくる。
このまま時が止まってしまえばいいのに……。
誰もが二人のことを忘れて、ここで一緒に暮らせたらどんなに素敵だろう……。
年上の女の未練がましさで彼を困らせたくはないと思っていたはずなのに、つい
「愛してるわ、アキトさん……大好きよ……」
本音が
「ボクだって……アリシアさんは誰よりも大切な女のコだから……ボクが大切にしたいから……ボクだけがキミを……」
年下の少年から女のコ、と言われると、ちょっとくすぐったい気持ちになるが、もちろん嫌ではなかった。
「……誰にも、渡したくない……」
少年の口づけのとりしきる範囲が、また首から豊かな胸へ、そして魅惑的な曲線を描く腹部から透きとおるように白くなめらかな下腹部へと這い下りていく。
脚を開かされて、飴色に濡れた草むらが輝いてアリシアは目を閉じた。
今宵、もう何度目になるかわからないほど求められたその愛撫に、また身を委ねることにする。
「ボク、大好き……アリシアさんのにおい……やさしいにおいがするから……」
口づけに気持ちを込められると、言葉にならないほどの甘い歓びに体が
「あたしだって……お別れしたくないわ……愛してるの、あなたのことを……」
アリシアも両手を伸ばして恋人の髪の毛の中に指を差し入れると、開いた股間に柔らかく閉じ込めようとしている。そのまま気をやるまで、懸命に少年の舌と唇の動きを追っていた。求められるもの全てを差し出すつもりで。
やがてぶるるっと腰をわななかせたかと思うと、アリシアらしい慎ましさで眩い尾根を一つ乗り越えていったのだった。
けれどもそれでお終いにはならなかったのだ。
はぁはぁと肩で息をして、女のつとめを終えた余韻にひたる
「もう一度、お尻の穴もよく見せて下さい……」
少年はまるでその夜のおさらいをしようとでもいうように、さらに大胆な体位を求めてくる。
アリシアは促されるままに四つん這いになると、両腕の間に首を垂れて屈従の体位になった。すぐにそこが指で広げられて顔を寄せられるのが気配で分かるのだ。
「……ああ、なんていいにおいがするんだろう……こんなに美しい姿をしたものを、二度と目にすることができないなんて……ボク、とても堪えられない……」
舌が貼り付いてきて、性器ばかりか肛門でも愛情を感じられるようになったアリシアの体は、また新たな高みを目指して、ひとりとぼとぼと上り始めていくのだった。
「かわいい人……ボクのアリシアさん……ボクだけの女神さま……」
二つの穴に指を
女をダメにする官能の刺戟に、気がついた時には弱みの全てさらけていて、彼の胸の上に腰をおろして大きく膝を割っていた。両腕を後ろについて大胆に股間をあらわにしたその恥ずかしい姿のままで、少年の顔をぐっしょり濡らししまうほどしとどに恥蜜を溢れさせている。
めくるめく陶酔に虚ろだった視界が次第に晴れてくるにつれて、まるで湯上がりのようになった少年の顔が映ってアリシアは真っ赤になった。
「恥ずかしい……あたし、なんてことを……」
両手で顔を覆って身を丸くする。すぐに慰めるつもりなのか少年が身を寄せてきて、自身の臭いを濃厚に纏っているのがわかるとまた情けなくなった。
「嬉しいな……アリシアさんにこんなに感じてもらえて……美味しいジュースをいっぱいふるまってもらえて……」
少年の腕に抱きとられてしがみついた。安らぎを覚える唯一の場所に逃げ込む。
「……愛してるわ……」
「……ボクも……だから、これでお別れだなんて哀しいこと、言わないでください……」
女を肉欲の淵へと突き落とした憎い指と手が、今度は神さまみたいに優しい慰撫を与えてくれるのだった。この人と別れるなんてことが、もう自分にはできる筈がないと思わせるような身も心もふるえる感動を。
「ボク、もう、行かないと……すっかり遅くなってしまったから……」
事後の
え、もうおしまい?
これでお別れなの?
こんなにされて、こんなに惨めで寂しい思いをしているのに、それなのにひとり行ってしまうのっ?
アリシアの胸の中に愛情と共に恨み、哀しみ、不満など、正と負のさまざまな感情が溢れ出して、もみくちゃになって膨れ上がっていく。
「イヤっ――!」
端然として静謐な美女、美少女が、そのとき心も乱して、わがままを通そうとしていた。が、すぐにそれに気づいて我に返ると
「ごめんなさい……」
すなおになった。代わりに涙が双眸から溢れてしまう。
ぎゅうっと抱きすくめられると、また気持ちが激しく揺さぶられて
「あたしだって、本当はお別れなんかしたくないんです……あなたと……アキトさんと……」
「ボクだって……だから、この続きは街に戻ってから……」
「戻ってから……!?」
「はい――」
あからさまにルール破りをもちかけられて、びっくりしたように少年の顔を見上げるアリシアは、大きな瞳をさらに大きくして
官能の罠に捕えられた時の憂いに沈む大人の女の顔からすると、十歳も時が巻き戻ってしまったようなのだった。
「だからお別れは、次のデートまでのほんの少しの間だけです」
「………」
アリシアにはまだ迷いがあったが、プロポーズには強く心が動かされていて、だから
「ね……」
と、念押しされると従順にこっくりする。
「帰ったらすぐに、アリアカンパニー宛に手紙を書きますね」
「……!?……」
「ファンレターの体裁をとっていたら、きっと灯里さんだって気がつかないでしょ?」
アリシア宛のファンレターは日に何十通も送られてきていた。多くは市内発だったが、中にはマンホームからのものもあって、それらの返事を書くのもウンディーネとしての日課になっている。
ただ最近は数が増えて、会社のハガキに一筆書きをするのだけでもひと仕事になっているのだ。
これ以上になると通信費を含めて本業にも障りとなる懸念から、やがてはデジタル化をしないと、とも考えていたのだが、それだと気持ちがこもっていないようにも思えてなかなか踏み切れずにいるのだった。
「まずは差出名を……そうですね……ケット・シーとでもしておきますので……いかがですか?」
「ケット・シー……!?」
「ボク、マンホームではどういうわけか、猫さん、ってあだ名で呼ばれることもあったので」
「あら、アキトさんが猫さんなの? おかしいっ」
真珠のような白い歯並みを覗かせる。
「いつも変なところでひとり絵を描いたりしてるので、野良猫みたいだねって言われてたから……」
「まぁ……でもそうねぇ、そういえばそうかもしれないわね。あたしも広場で猫さんたちに混じってお絵描きをしているあなたを何度か見かけたことがあるから……そう、アキトさんは猫さんだったのね……やっぱり……」
その話を聞いて、アリシアはなんだか嬉しくなってくる。
「でもボクは目が青くないから、社長にはなれそうもないですけど」
「そうね、もしもアキトさんが社長さんになったら、アリア社長を泣かせてしまいますね」
ネオ・ヴェネチアと猫、猫とウンディーネ、馴染みがあってとても相性が良くて……。
自分がアキトに会って早々、またたく間に心を許していたのも、そんなこともあったのかもしれないと独り納得している。
「じゃあ、あたしもお返事、書きますね。名前を……魔法使いのおばあさんっていうのはどうかしら?」
「えーっ、魔法使いのおばあさんですか? らしくないなぁ……でも、それなら絶対にバレないですよね……うーん、アリシアさんが魔法使いのおばあさんかぁ、ちょっと複雑ですけど……」
「あら、そうかしら、うふふっ」
二人だけの間で伝わる内緒の符牒を幾つか申し合わせていると、再び胸に希望が芽生えてくるようなのだった。
「だから今だけ、ちょっとお別れですけど、またすぐに逢えますから……きっと逢ってください」
アリシアは大きく頷いた。
「約束よ……お手紙、ちゃんとくださいね」
「ええ――」
長い口づけ。今度は惜別の中にも、見つめ合う眼差しには互いへの信をおく希望の灯が点っているようで、いつしか微笑も浮かんでいるのだった。
少年は女を慰めていた腕を解いて立ち上がると祠の隅に放り出してあった白い寛衣を纏う。
アリシアも身を庇う服を手にしながら立ち上がると、少年の元へと進み、再び唇を求めた。
今度こそ、お別れのキスにしようと。
疎ましいはずの自身の匂いを纏った少年を、どこまでも愛おしく感じながら。
「愛してるわ……柊アキトさん……」
初めてフルネームで呼びかける。恋人の名を胸にしっかりと刻みつけるつもりで。
「愛してます、アリシア・フローレンスさん……ボクの最愛の人……大切な大切な心のやさしいお姉さん……誰よりも尊敬できる女性……」
自分がひとつ言うと、たくさんの言葉が返ってきて、年下の恋人の中で自分があまりにも誇大に思われているようで気臆れを感じてしまうのだ。
「あたし……」
「ボク、アリシアさんと巡り逢えて本当に良かったです……AQUAに来て良かった……」
アリシアが大きく頷くと、少年は恋人から男の子の顔になっていて、彼女も儀式が終わったことを察するのだった。
「この後、アリシアさんはどうされるのですか?」
敬語になって、また見上げるような眼差しで彼女の顔を仰いでいる。幾ばくかの居心地の悪さを覚えつつもアリシアも合わせて大人の女の顔をつくろうとしていた。
「わたしは後始末をしてからお部屋に戻ることにするわ……あまり散らかし放題だと、恥ずかしいから」
声を甘くせずに、なるべく端然とした言葉遣いになるようにする。
石の祠の中はこの後、汚れた床敷きなどの一切が世話役の元ウンディーネたちによって火をかけられて、すっかり焼き尽くされることになっているというが、それでも、たとえ同性であったとしても他人に寝乱れた後の寝所を見られるのは、女として棄ておくことはできなかった。
「お手伝いしましょうか?」
「いいのよ、アキトさんは先に行って下さい、殿方たちの朝は早いそうですから――」
儀式に招かれた男性が戻るまで、残りの候補者だった者の誰一人として部屋から出ることができないのだった。全員が揃ってから後、一人ずつ密かに館から街へと戻されて、それで夜の儀を終えることとなる。
誰が光栄に浴したか知ることなく、互いを知ることもなく――。
「わかりました、ではそうさせていただきます――」
少年が腰を折って深々としたお辞儀をする。
「ありがとうございます――」
過去形を取らないことに、少年の思いを汲み取って
「こちらこそ、ありがとう……やさしくしてくれて……」
アリシアも精一杯の感謝をこめて、普段どおりの笑顔を作った。
祠の入り口に立って、こちらを時おり振り返っては挨拶をしながら小走りになって去っていく少年の背中を見送る。
出逢った時と同じ後ろ姿――。
あの時は、戻ってきて欲しいと思っていた自分の心の変わりように途惑いを覚えていたのだった。
ほんの数時間前のことだった。
その後、自分でも信じられないような経験を、あの子と重ねていくことになろうとは……。
男の人を愛することを知って、穏やかだった少女時代との訣別を遂げている。
身も心も彼の色に染められて、それまでとはすっかり違う自分自身との邂逅を果たしていた。
一方で彼の方は、まだ関係を結ぶ前に目にした姿と重ねても、違いはよくわからないのだ。
普通の、どこにでもいるような十四歳の男の子の子供らしさを残した後ろ姿。
少年と情熱的な一夜を過ごしたことが、まるで夢のようにも感じて、
「不思議ね、男の子って……うふふ」
アリシアらしい温和な笑顔になっている。白皙の美貌にはいっぺんの曇りもなく碧い瞳は清らかに輝いていた。
まだ体に何も纏っていないことを除けば、彼女もまた穢れを知らない白き妖精に戻っているのだった。
継続してご覧の皆さまに御礼申しあげます。
読み手があっての描き手であることを学ぶことができました。
さもなければとっくの昔に投げ出していたところだったので