ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
第十二節 ウンディーネたちの宴 その4
「アリシアさんは、もう大丈夫なんですか?」
肌に付けられた数えきれないほどのキスマークを案じたようにアトラが尋ねた。
「ええ……なんとか……」
頬を染めて俯きながら微笑みを泛かべる。
「アリシアさんって穏やかな見かけとは違って、とてもお
「毅いだなんてそんな……」
自分と同い年ということもあって、いきおいアトラと一緒にいる時間が長くなっていた。
「あたし、すごくイヤなことされて……戻ってからも悔しくて……どうしてこんな目にって、思うばっかりで……」
表情を曇らせる。
アリシアはアンナの腕に手を添えた。微かに震えが伝わってくるのがわかると身を寄せるのだった。
好ましく感じている相手と肌を接していると、温もりが伝わって人の心は安らぎを覚える。
「大丈夫です……なんだか逆になってますね……本当は私が慰めなければならない立場なのに……でも、やっぱりここに来ると思い出しちゃって……」
アトラは寂しげな微笑みを泛かべた。
「アリシアさんはどうしてそんなに平気でいられるんですか? ごめんなさい、平気だったかどうかなんてわからないのに……」
訊かれたアリシアは、どう伝えたらいいものか迷いはあったが偽らずに話すことにした。
「同じですよ、私も……すごく嫌でしたから……女なんかに生まれたばかりにこんなことになってって、とても恨めしかったです……ただ……」
アリシアはちらりとアイリーンの方を窺った。彼女はアスナと談笑をしていて、二人ともこちらを意識している様子はなかった。
「ただわたし、下に降りて一人になった時、たとえ相手がどんな方でも好きになろうって、心に決めていたんです……これも縁なんだと考えることにして……」
逃げ出したいと思う自分をそう言い聞かせて宥めていたのは本当のことだった。
アキトと巡り逢うまでは……。
「やっぱり違いますね……私にはそんな心の整理をつけられるようなゆとりはなかったから……ただ辛くて恥ずかしくて……」
「十六歳、だったんですよね……わたしもその歳なら、きっと同じだったと思います……セックスは……女の子にとって、とっても大切な……大切にしたいことだから……」
話が重たくなりかけたので気持ちを変えるつもりでアリシアは、立食テーブルを囲んで歓談に花を咲かせている先輩ウンディーネたちの様子をひとわたりする。
「みなさん、凄い方たちばかりなんですね……」
サンドイッチと果物ののった小皿を手に、オレンジジュースをひと口含むと感じいったような顔になって言った。
「凄いって、アリシアさん、あなたも十分に凄いと思いますけど……」
「わたしは町の小さな観光会社勤務で……アディリーさんやアイリーンさんみたいな有名な芸術家でもないですし、学者さんでもお医者さまでも、ましてや政府の要人でもない一介のサラリーマン、サラリーウーマンですから……」
「でも最年少でプリマになったウンディーネじゃないですか……あたしなんて……」
同業の
迂闊な物言いをすると、かえって相手を傷つけることになると思うからだった。
読書家のアトラは作家になることも夢であったらしく、もしもウンディーネとしての才能に恵まれていないのだとしたら見切りをつけるのも必要だと考えていたらしい。
「お好きな作家さんって居るんですか?」
淀みそうな話題になったので趣味へと向きを変えることにした。
「そうですね……えーと、今はアディソン・ビショップかな……」
「アディソン・ビショップ……たしか……ミステリー作家でしたっけ?」
「ご存知ですか?」
「まだ読んだことはないですけれど……マンホームでは有名な方だそうですね」
「ええ、出す作品が悉くベストセラーになるという、業界トップの作家です」
業界トップ、という点に力を込めて言うので、アトラの傾倒ぶりが窺えた。
「アトラさんはミステリーがお好きなんですね」
互いに敬語なのは、まだ近づきになって間もなく遠慮があるからだった。
心を許しあう、というところに至るには時間を重ねる必要があることを感じている。
「ミステリーが好き、というわけではないですけれど、アディソン・ビショップはストーリーテリングがとても巧みで、伏線の張り方や回収の手並みの良さなどを含めて学ぶところが多いので……」
ハイ・スクールの卒業資格を取っていることから、ゆくゆくは文学部への進学も考えているという。
アトラがきちんと自身の人生設計を思い描いていることは好ましく思えた。進学はアリシアも考えていることのひとつにあったからだ。
ウンディーネのキャリアを重ねるにつれて、実学を離れて体系的に学ぶことの必要を感じるようになっている。この先、仕事を続けるとしても、そうでなかったにしても、視点を広げて学ぶことの重要性を実感していた。
アリアカンパニーの経営にしても、見よう見まねでやってきたにすぎず、商学も経営学も財務も金融も経済も、そして法務まで、どれも深く知っているわけではなかったのだ。
アキトと話をしていて、十四歳の男の子なのに知識の豊富さには驚かされるばかりで――少年が物知りだったのはセックスについてばかりではなかった――つくづく自分は何も知らずにただ年を重ねているように思えて、このままではいけない、と感じている。
「作家になるのって、素敵な夢ですね……」
「ええ……次に……プリマの昇格試験に落ちたら、その時は……」
そう告げるアトラは辛そうに視線を伏せて、アリシアは彼女の本当の希望はやはりプリマ・ウンディーネになることだったのだと察したのだった。
するとそこへ、
「アトラ、そのことなんだけど――」
と、言いながら、二人の会話を小耳に挟んだらしいアンナがやってくると話に割り込んできた。
アンナはとても経産婦とは思えない、乳房の形も若い頃そのままの立派な肉の果実をゆっさりと実らせていた。淡い色の乳先の形もツンと慎ましげで、まだ経験の浅い若いアリシアやアトラのものに比べても美的という面での遜色はなかった。
白い肌にやや赤みがかったブラウンの髪、快活な笑顔が印象的な、そこに居るだけで場の空気を明るくさせる天性の明朗さで、この立食会でも忙しく動きまわっては他のウンディーネたちと会話の花を咲かせている。
「次はプリマに昇格するわよ……あ、これ言っちゃいけなかったかもしれないけど、まぁ、ここだけのことって話で聞き流しておいて」
聞き流せるはずもないことを言って、二人の美少女の目をまん丸にさせる。
そのまま通り過ぎようとするアンナを
「「あの、待ってくださいっ、アンナさんっ」」
思わず声が唱和していて、若い二人は顔を見合わせて微笑みを交わし合っていた。
「「どういうことですか」」
「うっ……うん……」
アンナは目線を泳がせた。
「いやぁ……やっぱりいけなかったかなぁ……ただアトラがあんまり深刻そうな顔をしてたから……私としたことがつい口を滑らせてしまったわ……グランマからはキッパリ口止めされていたのに……」
自身が蒔いた種に当惑するアンナだったが、アリシアとアトラの二人にまんじりとされてはお手上げで、降参しましたとばかりに、絶対に内緒であることを条件に事情の説明をするのだった。
「アトラ、あなたが前回の昇格試験に落ちたと聞いて、実はグランマがそんなはずはないって、オレンジプラネットの上層部に事情を聞きに行ったことがあったのよ。他社のことながら放ってはおけなかったんでしょうね、グランマはウンディーネっていう仕事をとても愛しているから。それでオレプラによると、その件は経営の都合で仕方なく、泣く泣く見送ったってことだったんだそうよ。試験官のアメリアだってそもそもあなたを合格させるつもりで二つ名まで用意していたらしいけど、会社からの指示には抗えずにとても残念がっていたと……」
思いがけない内部事情を聞かされて、二人は驚きを隠せない容子でいる。
「どうしてそんなことに……」
「そりゃ、アリシア、あなたたちの所為ってのもないわけじゃない……」
「あたしたち? あたしも関係してるんですか?!」
心外だとばかりにアリシアはキッパリとした顔をする。するとおっとりとした大人びた雰囲気が、ミドルティーンの少女のような頑なさを覗かせるようになっている。
華麗なキャリアを誇る目上の姉ぎみたちを相手に、灯里たちと居るときのような年長者としての気負いや背伸びをする必要がなくなっている所為なのかもしれなかった。
「いや、うーん、要するに、いわゆるオトナの事情ってこと……ほら、アリアカンパニーにはアリシアが居て、姫屋には晃が居て、オレンジプラネットにはアテナが居るでしょ……」
アリシアは瞬きもせずに大きな目をして、アトラはもどかしげにアンナの顔を見つめている。
だからね――と、言ってアンナが渋々語りだしたことは、以下のようなものだった。
三大妖精の一角として、社の顔としての
その最中にアトラを売り出すことは、むしろ価値を曖昧にさせてしまって本人のためにも会社のためにもならないだろうとの判断が働いた。
そして時期を見てしっかりプロデュースしたいから、アトラにはそれまでは待ってもらうが、状況は既に整いつつあって、本人からの要望があり次第、形式的な試験を行ってそこで昇格決定をする、と。
喋ってしまってからアンナは参ったな、と言わんばかりに頭を掻いている。
「まぁ、そういうことだからアトラ、次、昇格試験を受ける時は、誰が試験官になってもプリマ昇格は間違いないってことだから……ゴンドラを転覆でもさせない限りはね……」
横で聞いていたアリシアは嬉しそうに顔を綻ばせている。その傍でアトラはまだ話を受け止めきれずにいるのか曖昧な容子でいたが、理解がひろがっていくにつれて固いままだった表情が崩れていくのだった。
「もう二つ名も決まっているんですか――?」
アリシアが念を押して
「う、うん……そうね……」
後輩からの好奇心いっぱいの目で見つめられて、アンナの目がまた泳いだ。
「それまで喋らなければダメなのかしら……それはさすがにマズすぎない……?」
「アンナさん、ここまできておあずけだなんて、かえってひどいですよ、うふふっ……でもこれはアトラさん次第ですけど……」
「アリシア、性格変わったんじゃない? 以前のあなたって、そんなに容赦なかったかしら?」
「あら、あたしそんなに容赦ないですか?」
「下でよっぽどのことがあったのかしらね?」
するとたちまちアリシアは顔を赤くするのだった。
「ごめんなさい、今のはナシにして……」
謝るアンナに、アリシアは素直に頷きながら
「アトラさん、どうされますか? ご自身の、二つ名、お知りになりたいですか?」
傍で予想もしていなかった展開に直面し、当惑しているアトラに尋ねる。
「本当……なんですか……今のお話……アンナさん……あたしっ……あたしがプリマに……」
アトラは肩を慄わせていて、アリシアはひしっと身を寄せる。
「本当に……」
「ええ本当よ……あなたの二つ名、通り名は……ムーンライト……月の光の
アンナは自分の手でゲンコツを作って頭をコツンと叩いて見せたが、アリシアは、アンナが初めから全てアトラに伝えるつもりでいたのを感じていた。
ウンディーネを辞める、と耳にして放置するわけにはいかないと思い、グランマとの約束を反故にしても伝える決心をしたのだと。
そしてきっとグランマもその決断を支持するだろうとアリシアは思うのだった。
「あたし……あたしっ……それなのに……アメリアさんのこと、ひどく恨んだりして……ううっ……」
アトラが両手で顔を覆い、肩を振るわせて嗚咽し始める。
「……アトラさんの描いた作品を読むのは、ずっと先のことになってしまいましたね……」
「……ありがとう……アリシアさん……本当は……あたしの方があなたを慰めなければいけないのに……慰められてばかりで……」
「あたしは……大丈夫ですから……」
アリシアの瞳にも涙が滲んでいる。
美少女二人が身を寄せて慰め合っている中、アンナは困ったな、とばかりにまた頭を掻いた。
と、そこへ
「あ、アンナがアトラを泣かしてるぅ――」
テーブルの反対側に居たアディリーが、褐色の長い腕を伸ばして指さしていて、
「あたし、アトラにはなんにも酷いことなんてしてないわよっ」
アンナは首を横に細かく振って否定していたが、
「やっぱり喋っちゃったのね、アトラがプリマ・ウンディーネに昇格するってこと」
「――え!?――」
アルティアが危ない笑顔を向けていて、顔を蒼ざめさせた。
「あーあ、わたしの二十クレジットがお金持ちのアディリー姉さんのところに行っちゃったわ、学者の給料って毎月の給与明細を見て、あれ週払いだったのかしらって自分でもびっくりするくらい安いってのに」
アルキオナがわざとらしく天を仰いでいる。
「さすがに、まさか喋っちゃうとは思わないわよね、だって不味いでしょ、試験を受ける前に結果がわかってるのって」
大学の准教授が本職であるアザリーも秀でた額を悩ましげに手で摩っていた。
「姉さん方、アトラのこと、みんな知ってたの――!?」
自分だけとばかり思っていたアトラ昇格の件を、当人と新メンバーのアリシアの二人を除くと、そこに居合わせた他のウンディーネ全員が知っていたばかりか、それをネタにして、アンナがここでアトラに伝えるか否かで賭けまでしていたと知って仰天する。
「まぁね……蛇の道は蛇だから……七賢会には元プリマだった方も居られるし、グランマ秋乃と
アルティアがみなを代表して伝えていた。
「誰の目を欺けても、ゲージツ家の繊細な目まではゴマカせない」
アディリーはブロンズの肌の胸をそり返らせて豊満な乳房を誇らしげにする。
「ね、こういうところなのよ、ここは……」
アンナは半ば諦めのわけ知り顔で振り返るとアリシアを見遣った。
「あたしたちウンディーネとなったものは縦横の繋がり、絆がとても強いの……このネットワークはAQUAはもとより、今ではマンホームにまで広がりつつあって……あたしみたいな一介の主婦からアルティア姉さんみたいに行政の深奥部までね……そして今日、アリシア……あなたもその仲間に加わることになったのよ……だからって特別に何かしなければならないような定まりごとがあるわけじゃないけど……せいぜいが標準歴で二年に一度、この夜の儀のお手伝いをすることがあるくらいで……」
「アリシア、私は今回でこの会に出るのは最後になるけど……だからこうして直接、裸のお付き合いをするのは、これっきりになるかもしれないわね」
アルティアが言って
「でも、儀式から居なくなるわけじゃないのよ、アルティア姉さんは今後も“黒子”として参加することになるから」
アイリーンが引き継いだ。
「黒子……ですか?」
「ほら、バッロットに居たでしょ、黒い服を着た人たちが大勢」
傍にいたアトラが耳打ちする。
確かにバッロットでは黒装束の候補者たちが階段状の席に着いていたが――。
「あの方たちって……候補の殿方たちではなかったのですか?!」
「そもそもここは男子禁制なの」
「そう……だったんですか……」
男性が居ないとわかると、なんとなくホッと肩の荷が降りたようになるのは、やはり女ならではの心持ちなのかもしれなかった。
「……だって怖いじゃない、あたしらみたいなとびっきりのいい女たちが全裸で目の前をうろうろしていたら、急にムラムラッと発情して襲いかかってきたりする奴も現れかねないし……頭数だって男の方がずっと多いわけだから……」
アディリーが内幕を得意げに説明している。
「だからあそこに居た黒装束は全員が歴代のウンディーネで、男たちの代理で来ていたの。男専用のゲストハウスはこことは離れた別のところにあって、連中はそれぞれの部屋にある大昔のカラーテレビの小さい画面を通して、粗い画像に必死に目を凝らしてバッロットの様子を見ていたってわけ」
実はアリシアもその点が気になっていたのだ。女性たちが全裸で男たちの間を歩き回るのは尋常ではなかった。だが、その時は深く考える余裕もなく流していたのだった。
「今の話を前提に、あの場面には私たちウンディーネにとって、もっと重要な意味があったことに気がついて? アリシア――」
医師のアスナに問われて、その時の情景を脳裏に蘇らせたアリシアは、すぐに察しよく逆にアスナに問いを返した。
「あの……ウンディーネの最高齢の方って、今、お幾つになられるのですか?」
最前の顔見せの際にアルティアが口にしていたことも思い出されている。
「そう、そのことよ……あなたはこの後でアヤコさまに会うことになる……私たちウンディーネの生みの親とも言われている方に……」
「産みの親……?」
ここに居る自分を含めて九名のウンディーネの他に、六十名近くも黒子としてのウンディーネが居るのだとしたら、そしてさらにウンディーネには産みの親が居るとして、いったいいつからこの夜の儀というものが執り行われていたのか、俄かに疑問が膨らんでくるのだった。
「いろいろ聞きたいことがあるなら、その時に尋ねてみるといいわ」
アンナが言葉を添えて、その横でアトラも頷いている。
「ただ、応えてくれるかどうかまではわからないですけど……」
謎めいた老女との面会まで、あと少し。時刻はじきに九時になろうとしていた。
アリシアは先輩ウンディーネに丁寧に挨拶をすると会場を後にしかけて、はて着衣をどうしたものかと思案にくれる。
「服ならちゃんと用意してあるわよ、もうクリーニングが済んでるはずだからついていらっしゃい」
気づいたアイリーンがすぐに動いて先に立って歩き出して、
「でも……パンツとブラジャーの替えが、ここには用意がなくて……」
彼女がそう言うと、アリシアはまた白皙の顔を見事なまでに朱に染めあげるのだった。
Dパートになります
夜の儀もオーラスで意図せずに長くなってしまいました
この後は
引退式の前のエピソードになります