ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
「あなたがここへ来たのは、どうやら正解だったみたいね……」
台所から陶製のティーポットを持って戻ってきた秋乃が言った。
「……?……」
グランマの言葉の意味を測りかねて、アリシアは口をつぐんだまま小鳥のするように小首をかしげて不思議そうにしている。
「あらアリシア、膝をくずしてもっと楽になさい、いつまでも正座じゃ辛いでしょ、ちゃんとお座布団も使ってね」
「あの、でも……」
「いいのよ、気にしなくても、ここが自分の家だと思って」
畳に正座というのは、長くなるとさすがに少し足が痺れてきていた。
「では、お言葉に甘えて……」
制服のワンピースの切れ込みから長い脚を出して横座りになる。
「今、ラジオのニュースでも流れていたんだけど……テレビを、点けるわね」
秋乃が座卓の上に置かれたリモコンを押すと、いきなりサン・マルコ広場の前に立つリポーターの映像が現れた。広場は集まった人々で単に賑わうという以上に、騒然としている。
#……ご覧のとおり、サン・マルコ広場前は今朝のアリシアさん結婚の一報を知った大勢のファンが詰めかけており、大変なことになっておりますっ――#
別のチャンネルでは
#……えーと、速報です、今、AQUA発の緊急ニュースが飛び込んできました、アリシア・フローレンスさんご結婚です。AQUAで長らくトッププリマ・ウンディーネとして活躍されてきた……ウンディーネというのは水先案内人とも言うそうで、ゴンドラを漕いで観光案内をするものなのだそうですが、アリシア・フローレンスさんはその無類の美貌と愛らしさでこの地球でも大変ファンの多い方だそうです。うわっ、カワっお、お綺麗な方ですねぇ……アリシア・フローレンスさんはこの秋の現役引退を機に結婚されるとの発表が、つい先ほどアリシアさんが所属するゴンドラ協会よりなされました……くり返します、アリシア・フローレンスさんご結婚です――#
どのチャンネルに合わせても、大なり小なりアリシアの結婚について取り上げていて、騒ぎの大きさに当の本人は眩暈がしそうだった。いったい、どうしてこんなことになっているのか信じられずにいる。
昨日、協会で私事として伝えたことが、一夜明けた今、なぜこんな大事になっているのかさっぱり理解できなかったのだ。
「ね、やはり、あなたは今日の会議の出席を見合わせた方がいいわね」
「……!?……」
「だって、この様子だと大変なことになりそうでしょ」
テレビの画面には地面を転げ回って悶絶する男や、そんなことは絶対にあり得ない、なんらかの陰謀、フェイクニュースだと主張する過激な男性たちに混じって、涙を流して悲しみをあらわにしている幼い男の子の姿まで映し出されていて、自分はいったいどうしたらいいのかとアリシアは肩で大きくため息を吐いた。
軽率な振る舞いがみんなに迷惑をかけているようで途方に暮れる。
所在なげに肩をすくめて項垂れる姿は、十四歳の時のままだと秋乃は思った。自分の価値をいちばん知らないのが当の本人であること、その奇跡のような意味を改めて思い知らされている。
「あなたをウチに来るようにいったのも旦那さんになる方なんでしょ?」
アリシアは大きく頷いてから
「……ちゃんと、自分の口で直接、グランマにお伝えしないといけないと思って……昨日、お話できなかったので……」
「だって今日の午後の会議でもまた顔を合わせるのに、その前にわざわざ挨拶にやってくる必要なんてないでしょ?……あなたのだいじな方は、きっとこうなることを予想していたのね……早々にネオ・ヴェネチアからあなたを避難させて身の保全を図ったのよ……だから、あなたは今日の会議には出なくてもいいわ、暫くここでおとなしくしていなさい」
「でもグランマっ……あたしの所為で、皆さんにご迷惑をおかけしているのに……この上、グランマにまで……」
「言うことを聞いて、あなたが今日の会議に出ようと出まいと、会議はおそらく何も変わりはしないわ……男連中はみんな呆っとしたままよ……昨日、あの後ね、あなたが会議室を出た後、あそこにいた男たちは、みんな面白いくらいに上の空だったわ。あの厳ついビスマルク理事長ですら心ここに在らずって感じになっていたから、もうおかしくて……まぁ仕方ないわよね、そりゃあ男なら誰でもみんなあなたに恋をするものだもの……程度の違いこそあれ、年齢に関わらず……そして、あなたには無垢なままでいて欲しいっていう、手前勝手な願望を抱いたりしてる……でも私も、まさかここまで騒ぎが大きくなるとは思ってもいなかったからびっくりよ」
楽しげに言いながら、陶器のポットの中身をアリシアのティーカップに注ぎ入れている。
「美味しい……」
「そう、よかったわ」
視線を外へ転じると、縁側の窓が大きく開け放たれて、とうきび畑とその先の畑が広々と見えている。
静かな、片田舎の夏の朝の景色――。
ゆったりとした時間が流れていた。
こんなところでアキトさんと二人、静かに暮らせたら素敵だろうな……。
穏やかな眺めにアリシアはつい、そんなことを考えてしまうのだった。
「……あなたの旦那さんになる方は、私以上に、あなたのことを良く判っているようね……」
秋乃に話しかけられて、アリシアは顔を戻した。
「昨日、そのことに気付かされたわ……私、今は後悔しているの、あなたを理事に推したことを……確かに組合員全員による選挙で選ばれたのだけれど……そもそも推すような余計なことをしなければ、あなたは引退することもなかったわけだし……」
「そんな……わたしは、グランマにとても感謝しているんです……」
「ありがとう、そう言ってもらえると助かるわ……でも、あなたも気がついた筈よ……協会があなたを理事に推すことにしたのには、協会側にもいろいろな含みがあったことを……」
「………」
「中にはとても良くないことを考えている人だって居るのかもしれない……考えたくはないけど、そういったことまでちゃんと考慮して、話を進めるべきだったと思って反省しているの……あなたには協会なんていう、あの狭い世界は相応しくないわ……もっと広い世界で伸び伸びと羽ばたかせてあげたい……そうさせてあげるべきだった……ごめんなさい、私が浅はかだったわ……」
「そんな……グランマ……」
「でも、あなたの彼氏さん、まだ学生さんだそうだけど、そうしたことまでちゃんと判っていて、だから恋もあなたの成長の妨げになるのではなく、むしろより成長するように背中を押していたのね……とてもあなたを大切に思って気遣っているのがわかるわ、思慮の深い方だと……それで謎が解けたの、恋に臆病な女の子のあなたが、恋をしても自分を見失うことがなかった理由が……」
「……それは……」
「良かったわねアリシア、私も嬉しいのよ……あなたに相応しい素敵なパートナーと巡り逢えたことが……」
「グランマ……」
アリシアはつぶらな瞳を大きくしてコックリと頷いた。
「ありがとうございます……」
アリシアは、昨日の報告は、その殆どがアキトの考えで行われていたことを打ち明けることにした。
名前と年齢だけを伏せて。
「とても頭の良い方ね」
「はい、本当にびっくりするくらい……いろんなことを知っていて……」
「そう、そうなの……あの婚約の発表も、狙いすましたようないいタイミングだったわ、これであなたは協会の都合や思惑からも一定の距離を置くことができるし……女が家庭を持つことで得られる強みのひとつよ」
秋乃の口から言われて、改めてアキトの提案の全てが、ひとえに自分を守るためになされていたことが納得ができたのだった。まるで娘を案じる父親のような眼差しと視野の広さ、確かさに胸が熱くなる。
にもかかわらず彼は父親ではなかった。
体の関係を結ぶ、最愛の夫となる男の人なのだ。
それがアリシアをまた強い感情に揺り動かしていた。
「愛してます……彼のことを……」
「ええ、わかっているわ……だから、そのうちでいいわ、わたしにも、その素敵な彼氏を紹介してね」
「はい、かならず……」
「あら、お茶がすっかり冷めてしまったわね、いま煎れなおしてくるわね」
「グランマ、そういうことはあたくしが」
立ち上がりかけたアリシアを制して
「いいのよ、あなたはお客さまなんだから、そこに座っていて……まぁ、あっちはずいぶん大変なことになっているみたいね」
秋乃が音を消したままにしてあったテレビの前で立ち止まった。
アリシアも画面に目をやると、詰めかけたファンが群衆へと膨らみ、一部の観光客の間では揉め事にまで発展していて、平和なネオ・ヴェネチアについぞない光景が繰り広げられている。
「今日の定例会議、できるのかしら……」
そういうグランマの声は、むしろこの騒動を楽しんでいるようにも聞こえるのだった。
一ノ原曲利 さま
超能力猫 さま
どのようにお伝えするのが作法に則っているのかわかりませんが
高評価をいただいたお二方には、この場をお借りして御礼申し上げます
ありがとうございました