ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
午後二時過ぎ――。
行政庁舎二階の大広間では臨時の会見場が設置されていて、正面奥にゴンドラ協会の高齢の男性理事が一人座り、その周りを幾重にも取り囲むようにして簡易の椅子が並べられ、詰めかけた内外のメディア関係者によって一つの空席もなくびっしりと埋め尽くされていた。
会見場はどんよりとした重苦しい空気が囲繞していて、あたかもお通夜のようである。
誰もが落胆と失意に憔悴しきった顔をしていた。
「それで……アリシアさんからは、ご自身の結婚後のことについて何かコメントはあったのですか?」
記者の一人が、声を震わせて発言した。
高齢の理事はメガネの奥の目を潤ませながら
「……結婚後の自分は、まず第一に平和な家庭を築きたいと……だがそれはけして
ここで言葉に詰まり、メガネを外して指で目許を拭った。
「……わたしも夫になる方とともに、努力する、と……」
聞いていた記者席のあちこちから嗚咽が
その時、ちょうど外の回廊を通りかけた晃が、怪訝そうに中の様子を窺いながら、
「ナニやってんだ、あのオッサンたち?」
と、そばに居た姫屋のプリマの一人に訊いた。
「ほら、アリシアさんの結婚に驚いて集まってきた内外の記者さんたちですよ、二時からここで協会の広報の記者会見があるとかで」
「あいつら懲りずにまだやってんのかよ、いい加減、諦めたらいいのにな……よしっ、俺が行って、ひとつあいつの旦那は俺サマだってぶちかましてきてやろうかな――」
「よして下さい晃さんっ、せっかく落ち着き始めているんですから、ここでまぜっ返すようなことをしたら、まためんどくさいことになるじゃないですかっ、だいたいあなたが言うと、薔薇が百合だった、なんて笑えないネタをわざわざ提供してやるようなものでしょっ……そりゃアリシアさんとならあたしも、そういうことを考えたこと、ありますけど……」
「おい――」
「とにかく今はそっとしておくに限りますっ、こういうことは時間が解決するものなんです――」
強引に纏められて、晃は口にしかけた言葉を呑み込むしかなかった。
そこへ――、
「晃ちゃん、びっくりしたねー、アリシアちゃんが結婚するなんてっ」
声楽家らしいよく通る声が回廊の後ろから響いて、晃は渋い顔をして振り返ると、控えろよ、とばかりに人差し指を唇の前に立てると、親指をクイっとやって広間の中を差し示したのだった。
「なに、なに……」
事情を知らないアテナは小走りになって駆け寄ってくる。
セイレーンの声はたとえ小声でもよく通るのだ。晃のいるところまでくると大広間を覗き、中に居た中高年の男性記者たちが険しい顔で自分たちの方を振り返っているのに気づくと、たちまち凹んで蒼くなる。
だが、男たちは睨みつけた相手がアテナだと気がつくや、
「あーっ――!」
と、声をあげ指さしてきたので、ますます慌てることになった。
「ヤバい、逃げるぞ、アテナっ」
「逃げるって、どこへっ――?!」
駆け出した晃を追う形で
「何があったのぉ、あの怖い顔したオジサンたちは何してる人……?」
先を進む晃に従う形で、そそくさと回廊の先にあるゴンドラ協会の本部事務所へと足をむけるのだった。
中へ入って扉を閉めて、ホッと一息。
「さっきのアレ、マスコミだってサ、アリシアの結婚がどうにも納得いかねぇっていう連中が押しかけてきてるんだとよ……そんなことどうでもいいじゃないかって思うんだけどな、なんでアイツが結婚する時、いちいち連中の顔色見ないといけないんだ?」
「それでアリシアちゃんは?」
「目下のところ消息不明だそうだが……」
「えーっ、そっちの方が大変じゃない?」
「いや、アイツはこの騒ぎにただ雲隠れを決めこんでるだけだろ」
「じゃあ、晃ちゃんはどこに居るか知ってるの?」
「ああ、多分な……ただ、ここじゃな……どこで誰が聞き耳立ててるかわからないからな……」
晃は協会の本部事務所内を見回した。事務所にはスーツ姿の十数名の男女の事務員たちがパソコン画面と向き合っている。
「やっぱり……あの子のところかな……」
アテナが今度こそ小声で耳許で囁いた。
「さあな……ところで、おまえもなのか? ここにきたワケは」
「うん、灯里ちゃんが今日、お披露目することになったって聞いたから」
「俺もちょっと早かったが、灯里はもう本部に来てるっていうから、一発、この晃さまがアリシアに代わって檄を飛ばしてやろうと思ってな」
「お手やわらかにね、あんまりキツいこと言っちゃダメだよ」
「わかってるって――」
「そういや、藍華のヤツは……多分、あいつのところも今日はもう、仕事が上がったりだろうから来てるんだろうな」
「アリスちゃんがさっき電話で一緒だって言ってた」
「そっか……アリシアのやつが突然、あんな発表をしたもんだから……まぁ、誰でもいつかはあることなんだし仕方ないか……しかし、灯里のお披露目にも立ち会えないなんてなぁ」
「可哀想よね、アリシアちゃん……」
「周りが騒ぎすぎなんだよ……たかが女が一人、結婚するってぐらいで――」
「アリシアちゃんが一番、立ち合いたかったはずだよね、愛弟子の晴れ姿」
「そうだな……だから一応、記録に残してやろうと、こっちでもビデオで撮影できるように用意はさせてあるんだけどな」
晃が言うと、アテナが急に固まった。
「ああ、そうだっ……あたしもビデオを持ってくるつもりだったんだっ!」
急にソワソワしだすと手荷物を確かめて、やがて悄然となって
「忘れてきちゃった……」
「こっちで撮ったやつ、後でコピーしてやるから……」
「うん、ありがとう晃ちゃん……」
アテナは感謝に瞳をうるうるさせている。
晃が慰めの言葉をかけていると、
「どうせそんなことだろうと思ってましたよ、アテナ先輩っ、ビデオならわたしがしっかり持ってきてますのででっかいモーマンタイですっ」
アリスが然もありなん、という顔をして事務所脇の大会議室の扉を開いて待っていた。少女は会議に訪れた参加者を中へ招き入れる役を仰せつかっているようなのだった。
「アリスちゃん~、ありがとう~」
「アテナ先輩のフォローするまでがわたしの仕事ですから――」
毎度のこと、とばかりに宣言する。
「灯里のヤツは来てるのか?」
「裏の給湯室で藍華先輩を相手に最後の発表練習をしてる最中です」
「晃ちゃん、様子を見にいくつもりなら灯里ちゃんをいじめたらダメだよ、何か気になることがあっても今は黙って見守っていてあげないと」
発表前の不安な心理を心得ているアテナがやんわりと釘をさした。
直前に発表原稿に修正を迫られたりすると、たとえそれが当事者の為であったとしても結果に繋がらないばかりか、かえって混乱を招くものであることをアテナは自身の経験からもよく分かっていたのだ。
「そうだな……うん、たしかに今は余計なことを言わないように、口にチャックでもかけとくとするか」
二人はアリスの案内で会議室の中へと入って行った。
会議の正式メンバーとしてではなく、オブザーバーとして参加することになる晃たちの席は、会議室の下手奥に配置された折り畳み椅子席だった。そこには、今朝の騒動から開店休業になったからであろう、既に各社から数名のプリマ・ウンディーネたちが灯里の昇格のお披露目式を見物に来ていて、噂話のおしゃべりに花を咲かせていた。
晃たちが行くと、早速、その輪の中に無理やり混ぜこまれることになった。
「ねぇ晃さん、アリシアさんの彼氏ってどんな方なんですか?」
早速、その話かよ、と思いつつ、なるべく顔には出さないようにして
「どんな方って言われてもな……」
「ご存知なんでしょ?」
「うーんご存知っていうかな……なぁアテナ……俺らもよく知らないよな……」
「アリシアちゃんとは、あんまりそういう話をしたことないから……」
アテナも晃と上手く口裏を合わせている。
実際には既に今年の初めに、アリシアから二人には打ち明けられていた。
というよりも晃に言わせると、吐かせた――、に近かったかもしれない。
それは冬のある日、珍しく体調を崩したアリシアの見舞いに二人がアパートを訪れた時のことだった。
ベッドに臥していた彼女は意外に元気そうで表情も明るく、見ると左手の中指には“センサ”でもないのに指輪が嵌められていた。おまけに枕元には大事そうにされた濃紺のリングケースまで見つかって(なんとケースの中には男性用の避妊具まで一つ添えられてあった!)、
「いったい、どういうことなんだ?」
と優しく尋ねた――厳しく問い詰めた――のだった。
そして、動かぬ証拠を前にとうとう観念したアリシアからは自分には年下の恋人が居ること、彼はいまマンホームに一時、帰郷しているが、プロポーズをされていることなどを伝えられたのだった。
避妊具については、多分、結婚したら使おうという意味で、それまでは使わないという彼の意思から添えられていたものであって、実際にはまだ未経験であるということまで――。
プロポーズの指輪にコンドームを添えるような悪趣味なことをされて、それでいながらアリシアが幸せそうな顔をしていることからも、その時点で二人の間がソートー進展していることは深く詮索するまでもなく明らかだった。
「……ホントかウソか分からないんですけど、アリシアさんの彼氏って、ゴンドラ協会の理事の愛澤氏だっていう噂があるんですけど、どうなんでしょう? だから彼がアリシアさんを理事に引っ張って、それでアリシアさんも引退を決心したっていうんですが……」
「愛澤? 誰だ、ソイツ」
「ご存知ないんですか?」
「マンホーム最大手の大航宙会社、ネプチューン・スペース社の
「おまえ知ってるか?」
晃から振られてアテナは何のことやら、と首を傾げた。
「三十そこそこで本社の執行役員になったエリートだそうで、それに結構イケメンだし」
「おまけにご実家も外宙航路の大型客船を何隻も所有している企業のオーナーっていう、大変なお金持ちらしくて……」
「玉の輿ですよね、羨ましいなぁ、アリシアさん……」
次いで愛澤
華々しい経歴や実績、資産など――。
若いプリマたちにとってはどうにも気になる存在らしいが、晃にしてもアテナにしても、およそ興味を惹かれる話題ではなかった。
「へー、そんなもんかねぇ」
噂話の輪から抜け出すつもりで
「悪ぃ、俺、ちょっと灯里んとこ行って様子見てくるわ、やっぱり気になるからな」
「じゃ、あたしも行く――」
結局、晃とアテナは席を立つと会議室の裏手にある給湯室を覗くことにした。
歩きながら晃は
「気に入らんな……」
と、ポツリ。
「どうしたの?」
「今のオリンポスのプリマたちの話……いつのまにそんなことになってんだ? ゴンドラ協会はそもそもネオ・ヴェネチアに大小幾つもある水先案内業社の寄り合いだった筈だろ? それがマンホームの大企業の人間が乗り込んできて、ソイツがでかいツラしているんだとしたら……おまえそのこと知ってたか?」
「うん……だいぶ前にアリスちゃんから聞いたような気がする……去年の暮れに協会が、なんかどこかの大企業から大口の献金があったとかで……きっとその話じゃないかな?」
「金は汚いとまで言うつもりはないが、たくさんありゃいいってもんでもないだろ、俺たち、他所の金をあてにしなきゃならないくらい、そんなに困ってるのか? ウチもアテナのとこもしっかり黒字を出してるし、あの小さなアリアカンパニーだって……まぁ、あそこはアリシアが居たからな……」
アリシアが居なくなった後のことを思うと灯里一人では心許なく、確かに気がかりは気がかりだった。
「おう、邪魔するぞっ」
二人が狭い給湯室に入ると、灯里はカードを方手に藍華を相手にスピーチ練習をしているところだった。
「晃さん、アテナさん!」
「灯里、こっち気にしなくていいから続けてくれ、俺は何も言わんから――」
元よりダメ出しなどするつもりはなかったが、灯里のスピーチはしっかり纏まっていて、アテナと二人で拍手を贈る。
「急な話だったのにアリシア抜きで、よく頑張ったな、灯里」
「藍華ちゃんとアリスちゃんの二人に手伝ってもらったから、ほんとに助かりました」
「あとは本番で緊張しないようにね、灯里ちゃん」
「はえー、それができるかどうか……あがっちゃったらどうしよう……」
「ほう……そうか、実はな、本番であがらないための技が一つある……」
「技、ですか……」
「藍華にも教えてやったよな? 覚えてるか?」
「覚えてますって、いまそれを灯里に伝えようと思ってたところなんですから」
藍華は灯里の正面に立つと、励ますつもりで灯里の両手を取って握った。
「これ、あたしが発表の時に晃さんに教えてもらって、それでいうとおりにしたら上手くいってね、それからはずっと今もやってる方法なんだけど……」
「どうすればいいの、藍華ちゃん?」
「簡単よ、自分がいちばん好きな人に聞かせるつもりで話せばいいのよ、会場に誰が居ようと居まいと関係なく」
「いちばん好きな人に?!」
「そう、好きな人がすぐ目の前にいると思って、その人に向かって話をするの。ここであたしと話してるみたいに……あんた今、全然緊張してないでしょ?」
「うん……」
「それができれば、どんなに大勢の前に出たってへっちゃらよ」
「うん……やってみるよ……」
「それで慣れたら、今度は会場に居る人で話しやすそうな人を何人か見つけてサ、その人たちを中心に視線を振れば、なんだか会場全体を見晴らしているようになって、堂々と話しているっぽく見えるんだって……こっちはあたしも練習中っ」
藍華が愉快そうに笑って、灯里の緊張をほぐそうとしていた。相手の頬を両手で挟みつけて、じっと顔を覗き込むようにする。
「大丈夫だよ、灯里――」
「ありがとう藍華ちゃん、晃さん、アテナさん」
そこへアリスに案内されて秋乃も給湯室に現れたのだった。
「はひっ、グランマ……」
四人が顔を揃えていることに満足そうにして、
「あら、もう用意はすっかり整っているようね、灯里ちゃん」
居合わせた全員が恐縮していた。
「あなたたち、今日はアリシアの代わりに灯里ちゃんの応援に来てくれたのね、ありがとう」
「あの、アリシアさんは……?」
「大丈夫よ、心配要らないわ……ただ、あなたのお披露目に参加できないのをとても残念がっていたけど……でも、灯里ちゃんのことだからきっと大丈夫って言っていたわ……あたしもそう思うの、だって灯里ちゃんは、こんなにもみんなから愛されている……アリシアもそうよ……どんなに離れていても心は繋がっているの、だから思いも届くの……ねっ」
「はい」
「灯里ちゃん、アリシアからあなたに伝言があるわ……」
グランマは周りを見回し一呼吸をおいてから、
「“あなたは私のアクアマリン、蒼く輝くこのAQUAの申し子、水の精霊よ、だからなにも心配しなくても大丈夫――”って」
「アリシアさん……」
灯里のつぶらな双眸から涙が溢れて、狭い室内は静かな感動に包まれていた。