※この作品はR-18です。

ARIA A SECRET SCHOOL DAYS   作:真夜中のミネルヴァ

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AQUAのいちばん長い日 その8

 

 アリシアが自らの口で婚約報告を行って理事会を去ってから、残された理事たちの反応は男女でくっきりと色分けされていた。男性理事たちは程度には差こそあったもののなべて衝撃を受けて打ちのめされおり、言葉も失くしていたが、その一方で女性理事たちの関心は、専らアリシアのフィアンセについてに向けられていた。

 彼女が心惹かれた男性とは一体、どのようなものであるのかに興味津々で、誰か何かを知ってはいないものかとお互いの腹を探り合っているような案配になっていたのだ。

 重苦しくどんより沈痛な表情の男たちと、にわかにざわつきソワソワとしている女たちとの間は、そもそも全くの平行線で決して交わることはなく、まともな議論など不可能な状態で、およそ通常の議事運営が無理だと判断した理事たちは今日のところはひとまず散会にすることにして、議案の多くは明日の合同定例会議に持ち越すことにしたのだった。

 閉会前、理事長のビスマルクは、アリシアの婚約の件については、多方面への影響をも鑑みて当面、理事会の中だけに留めることとし、時期を見て公にするということで会議のメンバーたちからの同意を得ていた。

 しかし、この曖昧な合意、情報管理の不徹底さはすぐに問題を引き起こすことにつながった。

 自宅に戻った理事の何人かは、その様子がいつもとは違うことに驚いた妻らによって問い詰められ、つい、アリシア婚約の話を漏らしてしまったのだ。内々の情報だから口外無用と念を押したが、一旦、女性たちに放たれた好奇心の火は、SNSなどの社会インフラを意図的に制限する道を選んだAQUAにおいても、やがて静かに、しかし着実に燃え広がることになっていった。

 初めは小さな噂話の輪に過ぎなかったものが、翌朝にはネオ・ヴェネチアの裏、五千キロ離れたネオ・トウキョウにまで及んでいた。

 そしてアリシアの母、アナスタシア・愛・スターリングは、その一報を、ランチの後のティーブレークでの雑談で、自身の研究室の女子学生から伝え聞くことになったのだった。

 間近に迫る学会口演の準備も無く、依頼されていた原稿の締め切りもなく、その日の講義も終えていたアナスタシアにとって、それは目前に迫る夏休みと、ネオ南太平洋への海洋調査への期待に胸を踊らせて、まさにワクワク、ご機嫌でいる最中のことだった。

 

 

 十四日、午後一時、ネオ・トウキョウ、ネオ・トウキョウ女子大学理学部、微生物生態学講座、第二研究室――。

「そういえば先生、おめでとうございます――」

「あら、おめでとうって何のこと?」

「お嬢さまのアリシアさんがご結婚されるそうじゃないですか? あのとびっきりお美しいお嬢さまが……いったい、どんな殿方を選ばれたのかと、今朝からあたしたちの間でも噂で持ちきりになっているんですよ」

「は?!――」

「え? ご存知ではいらっしゃらなかったのですかっ?!」

 アナスタシアにとっては、まさに青天の霹靂、寝耳に水の話だった。

 すぐにでも親不孝者のバカ娘に電話をして叱りつけたいところだったが、その時、ネオ・ヴェネチアはまだ午前五時を過ぎたところ。

 八時間の時差にジリジリしながら、街が目覚めるのを待って三時になったらと考えていたところ、二時半を過ぎた頃、ついに待ちきれずにアリシアのアパートに電話をかけたのだった。

 

 

 

 十四日、午前七時前、アリアカンパニー――。

 母からの電話でお叱りを受けた後、アリシアはその日は朝食を取らずに早めにアパートを出て、徒歩にして五分もかからない場所にある愛すべき職場、アリアカンバニーに出社していた。

 この時、既に灯里も開業時間の二時間も前でありながら、すでに制服に着替えて仕事の準備に取り掛かっていて、その精勤ぶりが微笑ましく、好ましく感じていた。

 かつての自分がそうであったように、社の伝統はこのようにしてバトンが受け継がれていく。

 アリシアの目から見ても、このところの灯里の成長は著しく、後継を託すに足る十分な資質と意思とを備えているように思うのだ。

「あのね灯里ちゃん、あたし、今日これからグランマのところへご挨拶にお伺いしようと思うの……昨日、きちんとお話をすることができなかったから……午後には戻るつもりなんだけど、その間、会社のことをお任せしてもいいかしら?」

「はい、大丈夫です……あの……アリシアさんこそ大丈夫なんですか……?」

「あら、どうして?」

「あの……昨日、アリシアさんが理事会で婚約のお話をされたことが、女の子たちの間でも噂になっているようなので……」

「あらあら、もう伝わっちゃってるのね……でも、人の口には戸はたてられないから仕方がないわね……うふふっ」

 この時のアリシアは、自身の影響力の大きさについての自覚がまるで無く、ただ単に普通の女の子が職場の上司に婚約を伝えた程度の認識しか抱いていなかったのだ。

 内々のつもりでも、周辺には自然に噂が広がることは珍しくもない話で、灯里の懸念もさして気にも留めてはいなかった。

「灯里ちゃんの今日の予定は?」

「はえーっ、まだ一件も予約が入ってなくて、とりあえず当日のお客さん待ちで……でも、来週のお披露目の発表原稿を考えたり、帳簿の付け方を勉強したり、やることはいっぱいあるので……」

「あらあら、あたしもよ、今日は午前にも午後にも予約が入っていないの」

 正確には予約を入れなかったのだ。アキトからの懇望で仕方なくそうしていた。

「だから、ゆっくりグランマにご報告ができるわ」

 後のことを灯里に委ねてゴンドラを駆ってサンタルチア駅へと向かい、大陸側に渡ってメストレで乗り換えると、ほぼ貸切の始発列車に乗って城ヶ崎村へと向かったのだ。

 そうした移動の際も、また車内でも変わった様子はなく、時に親しげに微笑みかけてくる女性に笑顔で応えたりすることはあっても、特段の変化はなかったのだった。

 見慣れた日常の延長、いつもの夏の大陸側の風景――。

 市街を離れて支線の単線に入ってからは、登坂時のディーゼル機関の苦しげな発動音さえ一時の旅情を誘う。

 まだ朝も早く、気温が上がる前、動き始めたばかりの街の景色は瑞々しく、丘陵地帯を走る頃になると窓から、上る朝日に照らされたネオ・アドリア海に光の道が作られているのが見えていた。綿毛のように真っ白い夏雲が水平線を飾っている。

 遠く広がる蒼い海に金色に光り輝く希望の道――。

 奇跡のように美しい眺めだった。

「きれい……」

 碧い瞳、黄金色の髪に、白皙の清らで愛くるしい美貌が、心奪われたように窓の外の景色に魅入っていた。

 ゴンドラの上からのものとは違う、真っ青な空と海との広い視界が目に眩しい。

 感動に輝くアリシアの顔に影が差したのは、目的地が近づいてくるにつれて、昨日のゴンドラ協会での婚約の報告が、あらかじめグランマの了解を取り付けずに勝手に行っていたことを思い出したからだった。

 まずはそのお詫びと、言い訳がましくなるが、そうするに至った経緯についても語らなけらればならないと思う。

 しかし婚約を果たした相手が、まだ若干十五歳の美術学校に通う男子生徒であることは、さすがに打ち明けることには躊躇いがあって如何したものかと頭を悩ませていた。

 いっそのこと晃たちや灯里にしたように、グランマにも何もかも洗いざらい話してしまったら――。

 そう考えることもあったが、でもそれができないのは、彼との出逢いの事情がとても特殊だったことにもあるのだった。

 夜の儀――。

 晃たちには差し障りなく、たまたま迷子の男の子をゴンドラに載せたことをきっかけとして、と伝えていたのだが、彼らがそれを本当に信じてくれているとは思ってはいなかった。

 ましてやグランマに、面と向かってすぐに判る嘘を語るのはさらに心苦しいのだ。

 夜の儀については、これからも口外できないのが掟。察してもらうことはあっても、自身の言葉として伝えることは許されない。

 たとえグランマを相手にしても、話せることには限度があった。

 やはり今は先に母親に伝えたことと同様に、肝心な部分への回答は先送りにするしかないのだろうと思う。

 誠実に振る舞いたくても、それが叶わない心苦しさ。 

 異性を愛することを知って、どれほど嘘を重ね、自分を偽ってきたことだろうかと思うと胸が痛んだ。

 母親を、グランマを、友を、教え子を……。

 愚かな行為に及ぶ度に、アリシアは自己嫌悪に陥って自身を責めている。

 それでも……。

 彼のことを思うと心が揺れてしまうのだった。誘われればすぐに気持ちが靡(なび)いて、たまらないくらい嬉しくなって、何もかも忘れてのめりこんでいってしまう。

 身を寄せて温もりを伝え合うことの幸せと、肌と肌とを接して互いの気持ちをたしかめ合う時の歓びを知ってしまった今、それ以前の何も知らずにいた時の自分には戻れないのだった。

 本当はいつでも一緒に居たいのに……。

 お話だってしたいことがいっぱいあるのだ。

 

 逢いたいな……アキトさんに……。

 

 自分をあたたかく見つめる慈しみ深い父親のような黒い瞳、穏やかなやさしい笑顔……。

 怒ったり、不平をこぼしたりする彼の姿を一度として目にしたことがなかった。

 常に思いやりと気遣いに溢れた、とても思慮深い人なのに、一方でびっくりするくらい一途な情熱を秘めている。

 褥では易々とタブーを乗り越えて、性の冒険者となって彼女の身体に愛の在処を問い詰めてくるのだった。

 彼の顔を思い出すと股間がキュンと疼くのは、きっと条件反射なのだろう、体がしっかり覚えている彼とのいとなみの記憶、男と女の秘め事の数々。

 その時の口づけの感触が蘇ると女性特有の器官がまた潤んだように感じて、アリシアは慌てて視線を窓外に転じると、悩ましい気持ちを振り払おうと車窓を押し上げて外の風を身に浴びるのだった。

 金色の鬢の髪がなぶられて、ほっそりと青白い首筋をあらわにしている。

 面相筆で描いたような骨細の柔らかな顎(おとがい)の線は、未だ少女の名残をとどめているように無垢な香りを放っていて、ためらいがちに乱れ髪を整える仕草も、少年との恋に身をやつして濃厚な性を演じているとは思えない清潔感にあふれた所作と身のこなしだった。

 時刻は午前八時少し前――。

 それは事態を知ってネオ・ヴェネチアのみならず、この世が沸騰することになる、ほんの一時間あまり前のことなのだった。

 




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