ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
十四日、午後八時、ネオ・ヴェネチア市警察署、スターマイヤー警部のオフィス――。
「……えーと、何て読むんだ、この名前は……ハイーラギ……エイキット……でいいのか?」
デスクの椅子に踏ん反り返って調書のサインを見ながら、鼻下に茶色い髭を蓄えた五十歳ぐらいのガタイのいい警部が訊いた。
「ヒイラギ・アキトです」
「え? ハイラギ・アキト?」
「ヒイラギです」
「ヒーラギ・アキトくんか……で、キミはいまなぜここに来ているかわかっているのか?」
「ハイ、暴行と器物損壊、騒擾、騒乱……といったあたりでしょうか……?」
「違うな……」
「違うんですか?」
「キミがそうした危険行為に加担していないことは、すでに調べはついてる」
アキトはスターマイヤー警部のオフィスで、警部の大きな木製デスクを挟んで向かい合っていた。
彼の後ろにはまだ三十代の若いディッツ警部補、斜め右前にはもじゃもじゃ頭の五十前後の風采の上がらない男性が、左手には三十ぐらいのショートヘアのブロンドの女性が居て、周りを囲まれているような状態だった。
「キミは、連邦から来た留学生だそうだね……美術学校の……」
「はい、そうです……」
「なぜ今朝のデモなんかに参加したんだ?」
「それは、学校の男子は全員参加みたいだったので……」
「ふむ……義務感から仕方なく、みんなが行くから自分も、と?」
「ボクは同調圧力に弱いのかもしれません……」
特に悪びれた風でもなく言った。
「率直に言うと、我々にはキミを拘束する正当な理由はないんだ……キミはいますぐにここを立ち去ることができる」
「はぁ……そうなんですね……」
しかしアキトには椅子から立ちあがろうとする容子はなかった。
「では警部さんたちはどうして、ボクをここに――?」
それこそが問題だ、とばかりに警部は口を閉ざした。
「ねぇ坊や……ごめんなさい、坊やじゃ失礼だったわね、コーヒー飲む?」
沈黙を嫌ったのかブロンドの女性から勧められ
「あ、ではお言葉に甘えて」
「腕の怪我は大丈夫?」
「はい、警備隊の方に保護される際に、ちょっと擦りむいただけですから」
「そう……」
ブロンドの女性は警部のオフィスを出ると、少ししてから紙コップにカプチーノを持って戻ってきた。
「これでいい?」
「うわ、カプチーノですね」
アキトは笑顔になった。
「うちの自販機のだけどね」
ブロンド女性は、居合わせた大人四人の中でただひとり明るい表情をしていた。
「いい香り……いただきます……」
少年は紙コップのコーヒーに口をつけると満足げに頷いている。
「おい、プリースト、なんか言うことはないのか? この子の話が聞きたいって云ってたのはおまえなんだゾ」
スターマイヤー警部は焦れたように、傍に居たもじゃもじゃ頭の男に話を振った。
警部に言われて、もっそりと件の男が近寄ってきた。
黒い瞳、芒洋としていて捉えどころのない印象の人物だったが、ただ見かけ通りではないらしいことは、アキトには今の会話ですぐに分かったのだった。
「キミがデモに参加したのはみんなの声に流されて、と云っていたけど、そもそもデモには参加するつもりはなかったんですね?」
「朝、早くからでしたからね、できれば朝食まで寝ていたかったかもです……」
「今朝のアリシアさんの結婚の報道をどう思いましたか?」
「はぁ、そうなんだ、ぐらいかな……ボク、こっちに来てそんなに長いわけじゃないし、ゴンドラなんてボクみたいな貧乏な画学生には無縁のものだし……観光客相手のアトラクションのお姉さんが結婚するって言われても……ああ、そうですかになっちゃいますよね」
「ショックじゃなかった――?」
「よくわからない、っていうのがボクみたいな他所者の感覚かもしれません」
「しかしキミはデモに加わった。もしもキミみたいな立場で何かトラブルを起こすと、奨学金の支払いにも影響するのに……そうなったら留学生活もそこで終わってしまうリスクがあったのに……」
「ですからそれは本意ではなくて……」
「でもキミは、広場では何故か捕まるのを予想していたように動いている……多くの証言から、そうした情報が上がってきているんだ……どうしてそんなことをしたんだい?」
「何故って言われても……ただ、ドジだったってだけで……他の仲間たちが上手く逃げられるようにしていたら、ボクだけ捕まっちゃって……」
「もしも捕まると一番、影響が及ぶリスクの高いキミが、どうしてわざわざそんなことを? さっさと逃げれば良かったのに……そもそも関心のないデモに参加しただけのキミが……まるで事件が大事にならないように動いているようだったという証言まであるんだが……理由を聞かせてくれないか?」
「それは……ボクが学校ではまだ新参者だから……仲間内での信頼を得るにはそうする方がいいかなって思っただけで……逃げ足が速いと、かえって後で居心地が悪くなったりするのが嫌だったから……」
スターマイヤー警部は太い片眉を吊り上げて、もじゃもじゃ頭の男を見やる。
「おいプリースト、この子の言うことに、別におかしなところはないと思うが?」
「警部、この子は嘘をついています……」
「しかし、嘘っていっても今の話のどこに嘘があるっていうんだ? 仮に全部が口から出まかせの嘘だったとして、それがどうした? ミッドスクールの男の子の話だゾ」
「しかし僕には何かが引っかかるんです……よくわからないが……何かが……」
プリースト、と呼ばれた風采の上がらない男は、なお
「おいディッツ、そろそろこの子にお引き取り願え……俺も忙しいんだ……いいなプリースト、この件はこれで終わりだっ」
「ごめんね、変なおじさんたちばっかりで……あたしナタリアよ」
ブロンドの女性が手を差し出してきて、アキトは握手に応じた。
アキトは椅子から立ち上がると、ドアの方へと歩き出す。ドアノブを握ってから後ろを振り返ると、
「あの、みんなはどうなったんですか?」
警部に尋ねた。
「みんなってのは捕まった連中のことか?」
「はい――」
「補導されたミッドスクールの生徒はキミだけだよ、逮捕された残りの二十一名は全員大学生だ。扇動していた竹田以外の残りの二十名にはもうとっくにお帰りいただいたよ」
「そうだったんですか……でも、竹田先輩はどうなるんですか?」
「あいつには協会理事の襲撃とアリシア嬢誘拐を計画していた疑いがあるから、暫くはあずからせてもらうことになるが」
「でも共謀していたわけでも、実行されたわけでもないですよね?」
「なんだ、気にでもなるのか? あいつのことが」
「先輩ですから……」
「先輩って言っても、今朝まで顔さえ見たことなかったんだろ?」
「それはそうですけど……」
「まあ、身柄をあずかると言っても、そう長くはならんだろう……今夜ぐらいはゆっくりしていってもらうが……」
「それだけ……ですか……」
「実害はなかったから略式で穏便に済ませるつもりだよ」
「そうですか……良かった……」
あまり感情を表に出さずにいた少年の顔に、初めて安堵の表情が読み取れるようになった。
「ナタリアさん、カプチーノ、ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
「もう遅いから気をつけて帰るのよ」
「ドミトリーはすぐ近くなので大丈夫です。お世話になりました」
アキトがお辞儀をして部屋を出ていくのを見送ると
「なんか不思議な魅力のある男の子ね……見かけとは違ってずいぶん大人っぽいっていうか……」
「ナタリアさん、それ問題発言ですよぉ、彼はまだ十五歳なんですから」
ナタリアの呟きを、ディッツ警部補が面白そうに冷やかしてウインクをしていた。
「そんなんじゃないわよっ、ホントっ、バカなんだからっ」
「おいディッツ、馬鹿なこと言ってないでさっさと仕事にもどれっ、俺の……見てくれ、このデスクの上を……事務仕事が溜まってるんだっ」
スターマイヤー警部は憂鬱そうに大きな鼻の上に老眼鏡を載せると、デスクに積み上げられた書類に目をやりながら、忌々しげにペンを取り上げた。
「しかし、今日は朝から忙しかったな……散々な一日だった……」
太いため息をつく。
「あら、警部もアリシアの結婚にショックだったクチ?」
「よせやい、俺を幾つだと思ってる? とっくに五十を過ぎたおっさんだゾ、孫みたいな歳の娘が結婚するからどうしたっていうんだ?」
「そのワリには元気がなかったりして?」
「確かに、今日は朝のニュース以来、暑全体が半ばお通夜状態だったですからね」
ディッツも肩を落としていた。
「ショックだったところへ持ってきて、AQUAの歴史で始まって以来の学生たちの暴動があって、それから取り調べがあって……長い一日でした……正直、疲れましたよ……」
「しかしまぁ、それも終わりだ……そうだな、出前でチャーハンと冷えたビールでも取るとするか」
「あ、いいですねぇ、あたしもっ、エビチリに麻婆、プリーストさんは?」
「おい、まだ居座るつもりなのか?」
「いいじゃない、堅いこと言わなくても、失恋の傷心をお姉さんが癒してあげようって言うんだから」
ナタリアの軽口に警部は露骨に嫌な顔をする。しかし、仕方ないか、と苦い笑みを見せるのだった。
まだ得心がいかぬ様子のプリーストに、いい加減にしろ、というように、まとわりつくハエを追い払う要領で手を振り上げたが、その時、
「そうだ……彼なんだ……」
プリーストがようやく得心がいった様子になったのだ。
「警部、彼なんですよっ」
「彼? なんの話だ……」
「アリシアの結婚相手です」
真顔になって訴える。
「よせよ、バカなことを……まだ子供じゃないか」
「しかしそう考えると全てがしっくりくるんですっ、関心のない彼がデモに参加して、しかし騒ぎが大きくならないように動いていたことや、嘘をついていた理由もこれで繋がる。彼は自分が騒動を引き起こすきっかけを作ったことに責任を感じていたんです。だからなるべくそうはならないように動いていた。自分が補導されたり逮捕されたりするのを覚悟の上で……それに、彼はアリシアの結婚に少しもショックを受けた様子がなかった。当然です、本人なのですから……それに今さっきのナタリアが言っていたこと。あの子は魅力のある男の子って大人にも思わせる何かを備えている……全てが繋がる」
「プリーストさん、あたし、別にあの男の子に関心なんてないわよ、子供を相手にするなんてありえないわ。今度ばかりは名探偵の推理もハズレね」
「いや……そうなんだ……彼がアリシアの、結婚相手なんだ……」
「わかったわかった、今夜はそういうことにしとこう、俺も疲れてるんだ、もうこの話はうんざりなんだよ」
プリーストは胸のつかえが降りたようで、すっきりとした顔をしていたが他の三名はクタクタなのだった。
長い日だった、本当に長い一日だった、だがそれもやっと終わった。
後は嫌なことを忘れて冷えた生ビールで……。
しかし彼らのその考えは間違っていた。長い日は終わるどころではなく、まだやっとその半分が過ぎたところだったのである。
Eパート
あともう少しなのに時間切れ
今日はここまでにします
お付き合いいただきありがとうございました