ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
十四日、午後九時過ぎ、アリアカンパニー――。
藍華とアリスは、灯里が一人になることを心配して共にリビングで過ごしていた。
それというのも、アリアカンパニーには営業時間を終えてからもマスコミの取材依頼が断続的に続いていたからだった。結局、アリシアが帰社しなかったことを知ると、連中の関心は彼女がどこに居るのかに移り、会社の周辺や、自宅アパートの周りに張り付いて、暗くなってからも不穏な状態が続いているのだった。
シャッターを下ろしているにも関わらず、今もドアをノックするものが居て美少女三人を震え上がらせている。
「あの、なんでしょう……もう営業は終わっているので……」
灯里は恐る恐るドア越しに尋ねた。
「ちょっと開けていただけないですか?」
声が女だったので警戒は三段階ほど引き下げられたが、それでも
「「「お断りいたします――」」」
三人で声を唱和させて拒否する。だが、相手はお構いなしに
「別に怪しいものじゃないですよ、私、ウィークリー・トゥルーストーリーズの荒木って言いますが――」
ドアの下の隙間から名刺を差し入れてくるのだった。
灯里が拾うと、藍華とアリスの二人は横から額を寄せ合うようにして名刺を覗き込んでいた。
「ウィークリー・トゥルーストーリーズ東京本社、契約記者の荒木マユミ……さん……」
名刺からすると、どうやらマンホームからやってきたらしい。
「ほんの三分だけ……二、三、お聞きしたいことがあるだけで、すぐに帰りますから……居るのはあたし一人だけだし――」
「どうする、灯里?」
藍華に問われて
「本当に三分だけですね……」
「ええ、約束するわ」
灯里が鍵を開けてドアをそおっと薄めに開くと、そこにいかにもな営業スマイルで立っていたのは、まだ三十を幾つか過ぎたぐらいの女だった。小柄で太り
引っ詰めにしたボサボサの髪に狭い額、服装も着古したジーンズにトレーナー、パーカーといったラフな格好で、トレーナーの胸元には食いこぼしのあとなのか、ポツポツと変色した染みが幾つも残っていた。
無害そうではあったが、朴訥というよりは、単にだらしないという印象の方が強い。
「ごめんね、お休みのところ」
「はい……なんでしょうか……」
「私、こっちではネオ・トウキョウ支社に居て、さっきネオ・ヴェネチアに着いたばかりなの。あなたが水無……灯里さんよね……よろしく」
「よろしくお願いします――」
「アリシアさんのことを聞くには、ゴンドラカンパニーのあなたがイチバン弟子だから、彼女のことをよく知っているって言われたのよ」
「はひっ、あの、ゴンドラカンパニーじゃなくてアリアカンパニー、なんですが……」
「え、そうなの、間違ってメモしてしまったみたいだわ――」
女記者は三人の美少女が見ている目の前でメモ帳を書き直し始めた。
「で、そちらのお二人は……オレンジぷらねっとのアリスちゃんと、姫屋の藍華ちゃんでいいのかしら?」
アリアカンパニーを訪いながらも社名すら適当だった相手が、オレンジぷらねっとのアリスと姫屋の藍華のことはすぐに判るほどそれなりに知識があるというのも奇妙だった。
「二人ともプリマウンディーネなんですってね……若いのにスゴぉいのねぇ」
スゴい――と、いう云い方に何か含みを感じ、胸がざわざわしてきて、灯里はドアを開けてしまったことに既に後悔を感じ始めている。
「灯里先輩もプリマですよ――」
アリスが相手への拒否感を声に乗せて指摘していた。
「そうですってね……でもあらためてこうして近くで見ると結構、ウンディーネの制服って薄着なのねぇ……」
「今は、夏ですから……」
「でも白って透けやすいし、濡れると更に透けちゃったりするでしょ――」
「あの……何がおっしゃりたいんですか?」
「別に、気にしないで、なんでもないから……それで、アリシアさんって、こんなふうによく外泊されたりするのかしら?」
「いいえ、アリシアさんはそんなことはされません――」
「でも、ここに住んでたら彼女がアパートに帰ってから後のことはわからないでしょ?」
「アリシアさんは夜、一人で街をうろついたりされるような方じゃないので――」
「そう……じゃあ、今、彼女が居るとしたら、どこだと思う?」
「さぁ……それは……」
「やっぱり彼氏のところ?」
「わかりません……」
「それじゃあ質問を変えるわね。あなたが、アリシアさんが誰かと付き合ってることに気がついたのはいつごろから?」
「それは……」
灯里は言葉を濁そうとして、記者が自分をじっと見つめているのに気づいて、急にどぎまぎする。
「あたし、わかりません――」
「あら、そばにいれば気がつくこともあるでしょ……彼から電話が来るようになったり、彼女の有給休暇が増えたとか、早退する頻度が増したりとか……そうした微妙な変化があったはずなのよ。それっていつ頃からだったの? 半年ぐらい前から? それとももっと前? やっぱり一年以上も前からだったりする?」
「あの……そういうことはわかりません……」
女が自分を凝視しているのを感じたが、灯里は俯いたままでやり過ごすことにした。嘘をついてもすぐ顔に出てしまうという自覚のある灯里は、安易に質問に応じてしまったことを今やはっきり悔やんでいた。
「そう、いいわ……じゃあ、もう一つ、アリシアさんの彼氏さんってどんな感じの人? 年はいくつぐらい?」
「それも……わかりません……」
「本当に?」
「だって……会ったこともないから……」
「そうかしら? だって仮にも結婚を考えるとなると、昨日今日のハナシじゃないと思うのよ。相手の男の人とはきっとかなり以前から関係があったはずなの。恋をして特定の相手とセックスをするようになるとね、女は変わるわ……近くに居れば、同性の目を欺くのは至難のこと。ましてやこんな小さな会社で、いつも二人っきりで居るとなるとね、あなたが気づかないはずはないのよ」
「………」
セックス――という露骨な表現を使われて当惑する。それはアリシアのような女性が纏うべき言葉ではなかったが、図星をさされて言葉を奪われていた灯里には言い返すこともできないまま、ただ俯いているしかなかったのだった。
「もう三分経ちましたけど――」
見かねた藍華が助け舟を出したが、相手はそれには構わずに
「ねぇ、あなたたちはヴェネチアってどんな街だったか知ってる?」
質問を投げかけてきた。
「は――?!」
「ここにもおっぱい橋、ってあるの? ネオ・ヴェネチアってヴェネチアの正確なコピーで、一部はヴェネチアから移築したとも聞くから――」
「ありますけど……それがどうしたって云うんですか……?」
アリスが口を挟んだ。
「あそこって、あなたたちウンディーネの観光ルートになってるのかな?」
「いいえ、あのあたりは水路が狭いので普通は行きません。お客さまからご要望があれば別ですけど……」
「アリスちゃんは、あの橋のことをなぜおっぱい橋っていうか知ってる?」
女記者は事務所の奥を指さして言った。おっぱい橋のあるサン・ポーロ地区は、このアリアカンパニーからほんの一キロほどのところにあった。
三人とも、もちろん知ってはいるが、あまり訪れたくはない場所でもあったのだ。
「今から七百年ぐらい前の本当のヴェネチアはね……このイミテーションじゃない本当のヴェネチアの話よ。街に暮らす女の実に五、六人に一人が娼婦だったの。あのおっぱい橋に限らず、女たちは夜になると窓から裸のおっぱいを出して男を誘っていたのよ……ただあのあたりの女は庶民相手の低級な娼婦だったけどね」
「それがどうしたって言うんですか――?」
「あなたたちウンディーネを見ていると、まるでコルティジャーナのように思えてくるのよ」
「………」
「その様子だと、知ってるのよね?」
コルティジャーナというのは高級娼婦のことだった。
知識も教養もある美貌の女性たちで、金持ちや貴族を相手に、体だけではなく恋――を
「灯里ちゃんは名前からすると、もしかしてあたしと同郷かもしれないから、花魁のことを知ってるかもしれないわよね? あれと同じよ」
相手から灯里ちゃん――と、馴れ馴れしく呼ばれることには抵抗があったが、灯里にはただ黙認することしかできなかった。
「オ・イラン?」
藍華もアリスも聞き覚えのない言葉に、会話の主導権を取り戻すこともできないままに鸚鵡返しになっている。
「花魁もよく似ていて、高いお金を取ってかりそめの恋を売るのよ。江戸の吉原はね、金や地位のある男たちが、歌や技芸に通じた教養のある美女と恋を楽しむためのテーマパークだったの。同じ頃のヴェネチアとそっくりでしょ……洋の東西を問わず、人間、思うことは一緒なのね。ま、男と女がやることも一緒だから――」
「それがなんだって云うんですか? わたしたちと何の関係があるっていうんですか?」
藍華が女記者への嫌忌の意思をはっきりと示して訊き返したが、女は取り合わずに話し続けた。
「吉原で生きる女たちには、花魁を筆頭に、一番下に花魁の見習いや付き人をする
「どこがですっ、あなたは私たちが娼婦だって言いたいんですかっ?! さっきから聞いてりゃ勝手なことばっかり言って!」
藍華が柳眉を逆立てて
「そこまでは言わないけど、でも……あなたたちのその格好……いったい、どれほど男たちの目を楽しませていることかしらね」
美少女たちは女から言われたことがすぐには判らずに、互いに身に纏う制服に訝しげな目をやりあう。
「ずいぶんキワドイと思わない? だって袖丈は短いのに袖口がぱっくり大きく開いていて腋の下がチラチラ見えそうだし、ワンピのサイドスリットなんか深く裂けてて、ちょっと風にまくられたらパンツが見えるようにしてあるみたいじゃないの? あなたたちみたいな綺麗な可愛らしい女の子がそんな格好をしてると、そりゃ男たちは大喜びよ」
「おかしな目で見ないで下さいっ。あたしたちの制服のデザインはセーラー服を基調にしたもので、スリットはいざという時のために動きやすくする必要があってそうしているんですからっ」
「そうよね、そう言われてるのよね。でも、理由なんてなんとでもなるの。要は、あなたたちが無自覚に自然なセックスアピールを振り撒いて、それを楽しむ男たちが居るってこと。あなたたちは気がついていないだけで、毎日毎日、あなたたちの性は商品として消費されているのよ」
女から露骨な言葉を浴びせられて、少女たちはショックを受けていた。
自分たちが思ってもいなかった辱め。
「あなたたちの大切な、あのお綺麗なお姉さまも今頃、夜のお勤めでオジサマたちを相手に一生懸命に体を使ってるんじゃないかしら? 大きく股を開いて腰振って、あんあん啼いてたりしてね」
「アリシアさんはそんなことしませんっ」
「あら、違うのね? 相手はおじさんじゃないのか……そう、相手の男はもっと若いってことか――」
「………」
「なるほど、あなたはやっぱり知ってるのね、アリシアの相手がどんな男か――」
相手の投げかけた言葉の罠に、自分が見事に嵌っていたことに気づいて灯里は唇を咬んだ。
「まぁ相手が誰かなんてどうでもいいわ、大事なのはアリシアが今、しっかり夜のプリマとしてのお勤めをしているってことの方」
「なんですって――!」
「だって夜のヴェネチアは娼婦の街……このネオ・ヴェネチアはヴェネチアを模して居るんでしょ? ちっとも不思議じゃないわ」
藍華が今にも食ってかかろうとするのを灯里は制して
「おっしゃりたいことはそれだけですか――?」
見た目だけで無害そうな相手と看做していた迂闊さが自分のことながら腹立たしかった。が、それ以上に他人に悪意を向けることを躊躇わずにできる相手を少し気の毒にも思うのだった。
「何よ、その目――」
「もう遅いですから、帰ってくださいっ」
「いいわ、じゃあ帰るけど、最後に一つ、教えておいてあげるわ」
「もう結構です――」
灯里は拒んだが
「いいの? 知らなくて? 明日になってからびっくりすることになるわよ」
相手は思わせぶりなことを言って、また揺さぶりをかけてくる。
「今、私たちがやっていること――」
「あんたらマスコミが何をしようと、あたしたちには関係ないでしょ! どうでもいいわよ、そんなハナシっ、灯里、聞いちゃダメよ」
「マイクロエクスプレッションって聞いたことあるかしら?」
女はまたも耳慣れないことを口にして、少女たちの心のベクトルに干渉してくるのだった。
「ここでの会話もそうなるし、今日これまでのあなたの全ての質疑応答から得られた映像の解析もされているわ。この手法は誰にでも使えるわけじゃないけど、でも灯里ちゃんはとてもわかりやすいから……こちらの質問に対するあなたの答えと、あなたの微妙な表情や体の動きを突き合わせていくと、心の中がかなりの程度に読み取れるようになるのよ。アリシアの交際期間、相手の男のプロフィール、今どこに居るかなど、あなたが知っていることの多くがね――」
女記者は表情を一変させていた。それまでの作り笑顔が消えて、敵意とも受け取れる鋭い眼光を放って少女たちを見据えていた。
「あまりオトナを舐めないことね……さっき最初に会った時、あんたら、あたしのことを与し易いと思ったでしょ? ちょっと容姿に恵まれていて、いつでもみんなからチヤホヤされているから、自分がいま対峙している相手が何者なのかを嗅ぎ分ける嗅覚が鈍っている……要するに鈍臭いのよっ、あたしはね、そんなあんたらみたいなカモから情報を引き出すプロなの。明日の朝が楽しみだわ、あの聖女みたいにお綺麗なアリシア・フローレンスのセックススキャンダルは、さぞや大きく報じられることになるでしょうね」
「アリシアさんはあなたたちの思うような方じゃないってこと、みんなが良く知ってますから――」
萎えそうになる心を奮い立たせて、灯里も言い返していた。
「あんたらがどんなに汚い手を伸ばしても、アリシアさんに届くはずがないわっ」
「人を貶めようとすると、でっかい天罰が下されますっ――」
「まぁ、楽しみにしてるのね、明日のニュースをっ、あの女がどこにいるかも、こっちは大体、見当がついてるんだからっ」
女は捨て台詞を吐くとようやく去っていった。
相手は対峙していた自分たちばかりか、アリシアにまで憎悪のような感情を向けていることが信じられなかった。
こんなことを、記者――という人種が日常的に行なっているとは思いたくなかったが、一部では取材を言い訳にして傍若無人な振る舞いがあることも、マンホームにいた頃、噂話として聞いたことがあったのを思い出す。
ただ誰よりも大切な人と、そしてウンディーネという仕事を汚されたように感じて悲しかった。
それは藍華もアリスも同じだった。
「あんな汚い言葉を使うなんて、心が貧しいからよ……気の毒な人だわ。わたしたちは、ああならないようにすればいいだけのことよ」
「でっかい同意見です、藍華先輩、灯里先輩」
「うん……そうだよね……うん……あの人、きっと何か辛いことでもあったんだよ……」
灯里は窓の外の様子を窺いながら
「今、外にはああいう人たちがいっぱい来ているんだよね……」
「鎖国するワケにはいかないけど、でも誰もが自由に出入りできるってことは、良い人ばかりじゃなくて、そうではない人もたくさん入ってきちゃうってことよね」
「悪貨は良貨を駆逐するって、学校で習いました……でっかい迷惑です」
「あたし、さっき協会の会議の後にグランマが言っていたことが、ちょっと判ったような気がするわ……ネオ・ヴェネチアは今が大事な時なのかもね。ただお客さんが増えればいい、会社が大きくなればいい、っていう状況を見直さないといけないのかもしれないわ……」
そう言う藍華の顔は美少女から若い経営者のものになっているのだった。