ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
十五日、午前九時過ぎ、アリアカンパニー、二階リビング――。
#――私が今おりますこちらは、アリシアさんと彼女のフィアンセと思われる方が泊っているとされている宿泊施設の前です。昨夜遅くアリシアさんと男性がチェックインをされたという目撃情報を受けて、今、ホテルの周りには内外からの非常にたくさんの報道陣が詰めかけており、ある種、騒然とした空気に包まれております。このあたりはメストレ郊外の普段は非常に閑静な……メストレと申しますのはネオ・ヴェネチアの対岸、大陸側にあるマルコ・ポーロ宇宙港に隣接する街でありまして、ネオ・ヴェネチア本島を含めたこの一帯をネオ・ヴェネチア地区というのだそうですが、宇宙港や鉄道の駅のある中心部のビジネスエリアを離れますと大変静かな、落ち着いた雰囲気の緑豊かな田園風景が広がっております。観光地からも離れていることから、ご覧の通り日中でもひと通りは殆どありませんので、アリシアさんたちがお忍びでデートを重ねるには都合のいいエリアだと言えるのかもしれません。このホテルの敷地内には目の前に見えます本館の十五階建ての建物の周りに幾つかの別荘風の独立した離れがありまして、そのうちのひとつにアリシアさんたちが居るとのことですが、その部屋がどこであるかはまだはっきりしておりません。しかしアリシアさんは本日正午にみなさんの前でご自身の言葉でお話になるとの発表が、先ほどゴンドラ協会の方からなされており、おそらくもう間も無くこちらに現れるだろうと思われます――#
リビングの大画面テレビには、レポーターの女がしたり顔でスタジオとやり取りをしている場面が映し出されていて、灯里、藍華、アリスの三人はリビングのテーブルに座り、鬱々とした気分でそれを眺めているのだった。
#……昨夜はこのメストレを含めましてネオ・ヴェネチアの大陸側はほぼ夜通し緊急車両のサイレンが鳴り響いておりましたが、彼女はそれをいったいどのように感じて聞いていたのでしょうか? といいますのも、昨日のアリシアさんの衝撃の婚約の発表を受けて世界は大変な驚きに包まれましたが、反応はけして賛意ばかりではなく否定的な声も少なくありませんでした。とりわけネットの中では彼女に対して非常に侮蔑的な言葉を投げかける意見も数多くみられ、その評価は人によって実に様々なものでした。そしてそれはここネオ・ヴェネチアに於いても同様で、それが昨日の若い方を中心としたAQUAでは建国以来という暴動事件に発展したり、また昨夜も大勢の思い詰めた人々が自殺未遂を行っていたとの情報もあって、こうした騒ぎの発端を作ったことに対して彼女がどのような思いで男性と過ごされていたのか大変気になるところです――#
「ナニが気になるところよっ、あんたらが騒いでるだけでしょ、勝手に騒いで自分たちで火をつけておいて、その責任を押しつけるなんて、なんてイヤな連中っ」
藍華は憤然とした面持ちで女性レポーターに毒づいている。灯里は半ばベそをかきそうな顔をして画面を見つめていた。アリスも唇を一文字に結んで怒りを抑えている様子でいる。
結局、藍華とアリスの二人は灯里をひとりにすることができずにアリアカンパニーで一夜を過ごしていたのだった。
幸い、昨晩はマンホームの女性記者が現れて以降マスメディアの急襲を受けることはなかったが、彼女が去り際に言い残していたように、夜が明けてからは各局ともにアリシアの婚約についての報道で持ちきりとなり、前日よりもさらに過熱していたのだ。そこでは繰り返し灯里のインタビュー映像とその詳細な解析とがなされて、灯里の心理に深く分け入ってアリシアのフィアンセである男の人物像や、交際期間などが執拗に伝えられていた。
表のメディアの姿勢は露骨ではなかったもののアリシアに対して批判的な立ち位置であることは明らかで、少女たちのフラストレーションを高めていたのだ。
またネットメディアではそれよりもさらに過激な、報道に名を借りた劣情の放出、ともいうべき
「大丈夫だよ、灯里」
「うん……」
「でっかいファイトです、灯里先輩っ」
「……でも、あたしの所為でアリシアさんも……みんなも……」
自らの無力さが情けなく、哀しさと悔しさに項垂れる。
「灯里は何も悪くないよ、ちゃんと応対していただけでサ、それをあんなふうに悪意に満ちたやり方で利用するなんて、ホント許せないっ」
「だけど……あたしがもっとしっかりしていれば……ごめんなさい、藍華ちゃん、アリスちゃん」
「誰がやっても同じよ、あたしでも後輩ちゃんでも。だってあの人たちは人を貶めるための道具が欲しかったんだから。ただアリシアさんを辱めたくてやってるのよ。あんなにステキな人にどうしてそんな酷いことがしたいのかさっぱり理解できないけど、昨日のあの女記者と一緒だと思えばナットクよ……きっと心の貧しい哀れな人たちなんだわ」
#あ、奥で何か動きがあるようですっ! みなが一斉に走り出しましたっ。アリシアさんたちが現れたのでしょうかっ? 私も早速、後を追うことにいたしますっ――#
女性レポーターが駆け出し、従えたカメラマンによる揺れる画面の中、青々とした樹々の植え込みの間を抜けてホテルの内庭の方へと入っていくのがわかった。画面奥にアリアカンパニーの制服を着た金髪の女性と、それに寄り添うようにしている日焼けした肌の男性の姿が映って少女たちは目を凝らす。
俯く二人は立ち止まり、すぐにその周りを記者たちが取り囲むようにしてマイクを向けていた。レポーターの女性も人垣をかき分けるようにして前へと進もうとしているが苦労しているようで、見ている側をヤキモキさせている。
その時、チリリン――。
階下から受付カウンターの呼び鈴を鳴らす音が響いてきて三人はギョッとして顔を見合わせた。
「お客さん――?」
藍華に聞かれて灯里は首を横に降った。
「今日は予約、入ってないから……それにお休みの標識も出してるのに……」
殆ど全てのマスコミはアリシアたちの居るホテルへと吸い寄せられていて、もうネオ・ヴェネチア市内には誰も居ないとばかり思っていたので、臨時休業のサインを無視してコールをされるとやはり緊張させられる。
灯里を先頭に、藍華、アリスの三人は、恐る恐る階段を降りていくと、
「あの……今日は臨時休業なので……」
灯里はカウンターの向こう側へと声を掛けながら相手の様子を窺うのだった。
ボルサリーノ・パナマを目深に、鼻下の黒い髭が目を惹く男性が一人、カウンターの向こう側に居た。痩身にクリーム色のスリーピーススーツをシックに着こなしたイケメン風の若い男。
「あの……」
相手から反応がないので、警戒をしてカウンターから少し距離を取ってもう一度同じことを告げる。
「今日は臨時休業で……」
三人は怯える小動物のように身を寄せ合って相手と対峙していた。
が、足元に居たアリア社長が不意に“ぷいっ”とひと鳴きするや、突然、走り出し、カウンターをよじ登ると男に向かって飛びかかっていったのだ。
騎士道精神を発揮して不審者を追い払うつもりなのかと思いきや、
“ぷいにゅうっ!”
いきなり男の胸に抱きついて、少女たちは呆気にとられて目を丸くする。
“ぷいにゅうっ、ぷい、ぷいっ、ぷいぷいにゅうっ”
アリア社長は喜びを全身に、相手に最大級の親愛を示している。
「あらあら、誰の目をごまかせても、アリア社長の目を欺くことはできませんでしたねっ、うふふっ」
思いがけず親しみのある声が聞こえてきて
「「「ア、アリシアさんっ――!?」」」
三人娘は唱和して絶句した。
しかし確かに声はアリシアのものだったが、視覚情報が拒絶していた。
唖然としたまま固まっている灯里たちの見ている前で、相手は鼻下の黒い髭を剥ぎ取ると俯いていた面差しを上げるのだった。帽子の庇から碧いつぶらな瞳が見えて、そのやさしい眼差しが紛れもなくアリシアのものだと判ると、少女たちは警戒と緊張から解放されて安堵すると共に、驚きと好奇に表情を一変させている。
灯里はすぐに入り口の扉の鍵を開けて男装をしているアリシアを室内へと招き入れた。
「驚かせてごめんなさいね」
「はひーっ、びっくりしました、アリシアさんが、まさかそんな格好をしているなんて……」
「でっかい衝撃です、でっかいハンサムな男の人にしか見えません」
「最初、ナニこのイケメンって思ってましたけどっ……やっぱり男装してもアリシアさんはサイコーにカッコよくてっ」
「そうかしら? でもおかげで駅からここまで歩いてきたんだけど、誰からも怪しまれることはなかったわ、うふふっ」
感激している二人とは違って、灯里はまだ昏い表情のままでいる。
「ごめんなさい、アリシアさん……」
「灯里ちゃんには、すっかり面倒をかけてしまったわね……本当に、みんなには迷惑ばかりかけて……」
アリシアは三人に深々と頭を下げた。
「そんな、アリシアさんっ、ウチらはなにも……」
「灯里先輩と藍華先輩とお泊まりして、でっかい女子会を満喫していただけです」
「でも灯里ちゃんを守ってくれていたのね……ありがとう……」
「あたし……あたしがしっかりしていないから……アリシアさんにも、みんなにも迷惑をかけて……」
灯里は大きな眸から涙を溢れさせながらアリシアに抱きついた。
「灯里ちゃん……あたしは大丈夫よ……」
アリシアが灯里の背中に腕を回して慰める。
「それよりもグランマからお聞きしたわ、立派なお披露目ができたそうでとても嬉しいわ……立ち会えなかったことが残念で……」
アリシアも少し涙ぐんでいる。
「藍華ちゃんやアリスちゃんがいっぱい助けてくれて、晃さんやアテナさんからもたくさんご指導をいただきました。みんなのお陰でなんとか……それなのに……アリシアさんが……あんな酷いことを言われて……みんなわたしが……」
灯里は自分自身よりも、アリシアのことの方がずっと気がかりなのだった。
ネットでアリシアがどんなに酷い言葉で侮辱され、貶められているかを知って、哀しくて悔しくてならなかったのだ。全てが悪意による誤解と意図的な歪曲によるものだったが、そのきっかけを作ったのは自分だったということが情けなくて責任を感じていた。
「灯里ちゃんがあたしを庇おうとしてくれていたことは判ってるわ……ありがとう……あれは仕方のないことよ……でも、大丈夫……何も心配はいらないわ……」
「アリシアさん……」
「婚約のことについては、今日の正午にみなさんの前で私自身の言葉でちゃんとお話をするつもりよ……きっと解っていただけると思うわ……それとね、あともう少ししたらグランマがお見えになるから……一緒だと目立つかもしれないからって、駅からは別々に歩いてきたの……」
「グランマが?」
「うん……灯里ちゃんに相談したいことがあるのよ……このアリアカンパニーについてとても大切なことを……」
会社の件で会議をすると聞いて、藍華は
「グランマと重要なお話をされるんですか? じゃあ、ウチら、そろそろ引き上げます」
「待って、もし時間が許すのであれば、会議には二人にも同席して欲しいの……藍華ちゃんには先輩経営者の一人として、アリスちゃんには先輩プリマとして、アドバイスがもらえたらとても助かるから」
「同席してもいいんですか? アリアカンパニーの会議に外の人間が――」
「この仕事をしていて外も内もないわ、みんな仲間よ、家族みたいなものでしょ?」
「仲間……」
「家族……」
他ならぬアリシアからの言葉は少女たちには重く響く。
所属する会社は違っても、互いをかけがえのない存在として意識している。それは友人であり仲間だからだ。あるいはもっと近しい関係。
「そうですね……」
藍華は灯里とアリスの背中に腕を回して抱き寄せると笑顔になる。灯里ははにかんだ笑顔になり、アリスもきまりの悪そうな笑顔でそれに応えていた。
仲の良さそうな三人にアリシアも微笑みを送ると、
「あたし、制服に着替えてくるわね」
手にしていたスーツケースを示して、ロッカーのある奥の更衣室へと足を向けるのだった。
「でも、アリシアさんが二人も居るって……なんで?」
不意に、思い出したように藍華が独りごちると、
「はえー、どういうことなんだろう……?」
「でっかいナゾですっ――」
残りの二人もさっきまで見ていたテレビの映像が甦って、もどかしげな顔をする。
「あら、あたしが二人居るの?!」
アリシアも驚いた顔をして足を止めた。
「ええ、たった今、テレビで……アリシアさんと男の人がホテルから出てくるところを見ていたので……」
「そうよ、テレビよっ――!」
藍華の一声で、三人はテレビのその後が気になって慌てて階段を上がっていく。
しかし、少女たちから超常現象のような話をされてもアリシアには特に慌てた容子は見られなかった。
「あたしのドッペルゲンガーでも現れたのかしら? 不思議ね、うふふっ」
ややあって、階上から少女たちの悲鳴とも歓声ともつかない声が聞こえてくると、
「あらあら……」
アリシアはひとり苦笑しながら更衣室で身につけていた男物の衣類を脱いで、豊満な胸を目立たなくしていたベストを脱ぐのだった。
たちまち乳房の膨らみが解き放たれてワイシャツのボタンが撥ね飛びそうになるほどピッチピチになっている。リネンのストライプタイを取り、ワイシャツを脱ぎ、スラックスを脱いで下着姿になると、着崩れていたブラカップの位置を整えた。誇らしげに盛りあがる胸の合間に見事に深い谷が作られて目にも綾な柔らかな曲線を描いていた。
透きとおるような白い肌に蒼い静脈を浮かせていて、骨細の体に痛々しくも楚々とした趣を添えている。にもかかわらず、すっきりとした腰のくびれとふっくらと張った腰のラインはグラマラスで、長くしなやかな四肢との対比がアリシアならではの清潔感のある上質なエロティシズムを喚起しているようだった。
スーツケースの中から白いインナーの上下を取り出すと、ちょっと匂いを嗅いでため息をひとつ。仕方なくそれを身につけることにする。自宅に寄ることができなかったために下着も肌着も替えられずにいるのだった。清潔であることを好む彼女にしては珍しいが、今朝は通常とは何もかもが違っていて致し方なかったのだ。
それから制服のワンピース、セーラーブラウスを着ると、帽子を取って黒いウィッグを外し、纏めていた長い金髪を下ろして両手で空気をはらませた。ロングストレートのブロンドが豊かに背中に流れている。
迷ったが今日は髪は編まずにそのままにすることにした。
スケジュール表には午前に二件と午後に三件、予約が入っている筈だったが、自分が原因で騒ぎを起こした結果、アリアカンパニーは本日、臨時の休業となり、予約は全てキャンセルとなってしまっている。
お客様にも会社にも迷惑をかけていて、どこかで埋め合わせをしなければいけないと思うのだ。
もしも可能であれば明日の定休日も自分だけは仕事を入れなければ、と。
そのためにも、このトラブルは今日で決着をつけなければならなかった。
アリシアは気持ちも新たに男物の革靴をロッカーにあったブーツに履き替えて、こうしていつものウンディーネの姿になるのだった。