ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
十五日、午前十一時過ぎ、アリアカンパニー、一階オフィス――。
「用意はできて? アリシア――」
「はい」
グランマの言葉に、珍しく緊張した面持ちになってアリシアはこっくりと深く頷いた。
「灯里ちゃん、申し訳ないけれど、あなたのゴンドラをお借りしてもいいかしら……」
「そんなこと……もちろんかまいません……」
「あたしのゴンドラは駅前に置きっぱなしにしてあるから……プリマなのにだらしないわね、本当に情けないわ……」
アリア・カンパニーが所有する三艘しかないゴンドラのうちプリマ用の白いゴンドラは二艘で、灯里がプリマに昇格するまでは一艘を予備として使えたのだが、今はアリシアと灯里にそれぞれ一艘ずつがあてがわれていた。
アリシアは昨日の朝、秋乃の家を
「そのことなんだけど、アリシア、外をご覧なさい」
グランマからカウンターの外を見るように促されたが、普段通りの水面が見えるばかりでなんのことか分からずに小首を傾げる。
「もっと身を乗り出して、じゃないと見えないわ」
言われるままにカウンターに手をついて半身をのりだすようにした。すると、外廊下の床の陰になって、白いゴンドラの舳の部分が二つ並んで見えたのだ。
一つは灯里のものだが、もう一つは……。
「――!?――」
「あなたにゴンドラの手ほどきをしたのは私よ……うふふ……人を乗せることはできなくても、自分で漕ぐことぐらいは今でもできるわ」
「グランマが……あたしのゴンドラを……」
「実はあなたと駅で別れてから、もしやと思って近くの水路をのぞいてみたら、ポーロに繋がれていたあなたのゴンドラを見つけたの、それで誰かのゴンドラに乗せてもらう代わりに自分で漕いで来たのよ……久しぶりだったからちょっと勝手が違うところもあったけど……心配しないで、どこにもぶつけたり擦ったりなんかしていないわ」
「グランマ……」
「あなたには、きっと必要になると思ったから」
「ありがとうございます……」
師からの温かな配慮に、アリシアは深く首を垂れた。
「それなのにあたし……グランマにも、みんなにも迷惑をかけて、心配ばかりさせてしまって……」
「アリシアさん、私……迷惑だなんて……迷惑をかけているのは私ですから……」
「あたしたち、今度のことで迷惑だなんて思ったこと、一度もありません……アッタマにきてるのは勝手なことばっかり言ってるマスコミの連中で」
「アリシアさんのご婚約というのは、でっかいショックだったですけど……」
「ごめんなさい……みんな……」
アリシアは三人の美少女の一人一人としっかりとハグして感謝の思いを伝える。
愛弟子たちを柔和な笑顔で見守っていたグランマは、水面に目を転じて、そこに遠方からこちらに向かって近づいてくる二艘の白いゴンドラがあるのに気づくと、
「アリシア、どうやらお迎えが来たみたいよ」
満足げに告げるのだった。
「お迎え!?」
誰とも約束があったわけではなかったので、アリシアも怪訝な面持ちで秋乃の視線の先に目をやった。
すると、男性的な力強いオール捌きの気持ちのよい伸び足で水面をグイグイと、見る間に迫ってくるゴンドラが目に入ったのだ。その少し背後には教本通りのストロークの正確なリズムを刻んで滑るように進むゴンドラも見えている。
「はひ、あれって、もしかすると晃さんとアテナさん?」
「もしかしなくても、それ以外に無いっしょっ」
「あの機械のように隙のない動きは、それ以外のことではでっかい隙だらけのアテナ先輩です――」
ほどなくして、まず晃が舟寄せにゴンドラを付けると、タッタッタっと軽快なステップで階段を駆け上がってくる。すぐ後でアテナもオフィスにやってくると、こじんまりとしたアリアカンパニーの一階は、三大妖精とそれぞれの愛弟子、そしてかつての大妖精の七名が勢揃いする形になっていた。
互いに和やかな中にも折目正しい交歓の挨拶を終えると、晃がいつも以上に生真面目な顔になってアリシアと向き合った。
「いろいろと大変だったみたいだな、アリシア……」
ネット上では、自分に関してとても口にできないようなひどい言葉が投げかけられていることをアリシアも知っていた。ただそれ以上に、自分とは関係のない人々に対してまで貶められていることに心を痛めていたのだった。
「晃ちゃんたちにもずいぶん迷惑をかけてしまったわね、ごめんなさい……でも、あたしがここに居ることによく気がついたわね」
「そりゃたとえ遠目でも、いつも見慣れたおまえのゴンドラを見間違うことはないさ。さっきこの前を通った時に目に入ったから、それでアリカンに戻ったんだと分かってな……上手く隠されていて陸側からは見つからないようにしているようだったが……」
ゴンドラを隠すように係留したのはグランマに他ならない。
「スピーチは海の上でやるつもりなんだろ?」
問われてアリシアは頷くが、
「そのことは……まだ協会にも話していないのに……どうして……?」
不思議そうにする。
アリシアが釈明のスピーチを海上で行うと決めたのは、戻りの車中でグランマと窓の外に広がる海を見ていた時だったのだ。昨日とは違って分厚い雲に覆われた灰色の空と海を眺めながら、今の自分の心模様がそのまま映されているように感じて、それで決心したのだった。
「そりゃ私もウンディーネだからだろうな……私たちのホームはやっぱり水の上だ、会議室じゃない……それでアテナにそのことを話したら、二人で露払いをしてやろうということになって……こうして迎えに来たってワケだ」
「アテナちゃんも……」
「アリシアちゃん、内々にウチのみんなにも声をかけていて、みんなであなたのスピーチを見守るつもりでいるわ」
「……!……」
「ウチらだけじゃない、他の会社の仲間にもお触れを出してるから、今日の昼休みは海の上が賑やかになるだろうな……おまえがスピーチをしている間、ゴンドラは全部沖に出しておかないとな、またうるさいハエどもに集られると鬱陶しいし」
二人が仲間内に通達したのにはそういう意味もあったのだった。
海でスピーチをするとなればマスコミ連中のこと、アリシアを取り囲もうとして我先にと水上に乗り出そうとしてくるのは火を見るよりも明らかだった。
その際に、舟の数からも輸送力からも、一番、手っ取り早いのは空いたゴンドラに違いない。殺気立ったマスコミの対応の矢面に若いウンディーネの女子たちを立たせるわけにはいかなかった。
至らない自分を先回りして、実に多くの人たちが支えようと気配り、思いやりを示してくれているのを知って、アリシアは胸を熱くさせている。
「しかしそれはそれとして、どうやってやるつもりなんだ? 声を届けるって言ってもな、海からとなると……」
すると藍華が「ハイハーイ!」と、元気よく手を上げると、
「放送はあたしたちがやりますっ!」
「放送――?」
「ハイっ、ウチらが撮った映像をウェブサイトから独占放送するんですっ」
晃が訝しげに傍のアテナを窺うが、アテナも頭を傾げるばかり。
むろん動画配信サービスがあることは知っているが、ネットのヘビーユーザーというわけでもなく関心も薄かったことから所詮は他人事で、よもや自分たちの後輩がそうしたものに通じているとは思ってもいなかったのだった。
「スマホで撮影するのが灯里でぇ、レフ板とマイクがあたし、そして機器と配信担当が後輩ちゃんの三人でバックアップすることになっていますので――」
そう云って藍華は胸を張る。
「あとは放送の直前にメールを一斉発信して動画サイトへの誘導を図れば、でっかい問題なしです」
「そうか……おまえたちがマスコミの真似事をするのか……」
晃は小さくため息を吐いた。
「あ、晃さん、いま露骨にコイツらで大丈夫なのか? って顔をされましたよね?」
「う、うん……まぁな……」
「任せてください、あたしら、これでもネット配信にはそれなりに経験があるので――」
「そう……なのか……?」
「後輩ちゃんは自分で動画サイト持ってて結構な数のビュワーが居るみたいだし、あたしもウチの支店で動画配信をしてますしぃ」
「へー、アリスちゃん、そんなことまでやってたんだぁ……」
初耳、とばかりにアテナが目を丸くしている。
「えっ!? アテナ先輩には随分前にお話しして、でっかい了解とってますよね?」
「あれ、そうだっけぇ……」
「あたしがやってるのは、でっかい、でっかいアテナさんサイトなんですけど……“セイレーン・アテナの今日のやらかし” っていうサイト名で日々の先輩のお茶目な失敗を綴った……」
「えーっ、そんなことやってたのぉ、ひどぉーい……」
アテナはショックに目をうるうるさせている。
「大丈夫です、視聴者は殆ど、アテナ先輩のでっかいラブリーな失敗をこよなく愛されてる方たちばっかりですから――」
「そんなぁ……」
「まぁ、しょうがねぇな、近頃の若い連中にはかなわねぇ……」
晃はしょげかえっているアテナの背中を労うように叩いていたが、ふと気づいたように、
「……藍華、おまえまで、まさか、この晃サマをネタにはしてねぇよなっ!?」
「え、してませんよ、そんなことっ――」
そう云う藍華の目は泳いでいる。
「本当か――?」
「本当ですってばっ……」
実のところ、動画サイト名の“クリムゾン・ローズの伝説”は晃の“武勇伝”の紹介に多くが割かれていたのだ。
「どうだかな……後でおまえンとこのホームページをチェックして、もしもおかしなものが上がってたらタダじゃおかないからなっ!」
脅されて藍華は、事が済んだら事務所に戻って多くの動画を、とりあえず当面の間はご新規さんの視聴不可に設定しなおさなければ、と決意する。消去しないでおこうと思うのは、視聴者には熱烈な女性ファンが多いからだった。
動画での晃は、女である自分の目で見ても、カッコイーっ! と、感じいる部分が少なくなくて消してしまうのが惜しかったのだ。
実際、配信するようになって以降、晃の予約申込み客の数は明らかに増加していて、女性客数だけで言えばアリシアを凌ぐ人気ぶりなのである。
「あらあら、まさか、灯里ちゃんまで、そんなことしてないわよねっ?」
「はへっ、あたし、まだ動画サイトのアカウントも持ってないので……」
「良かった、みんなダメよ、先輩をおもちゃにして遊んだりしては、うふふっ」
こうした気のおけない仲間内ならではのやり取りもあってか、アリアカンパニーのオフィス内は出陣前とは思えない日常の空気感に包まれていて、アリシアの緊張も自然にほぐれていく。
「さて、そろそろ出ないとな……マスコミどもがこっちの動きに気が付く前に――」
「うん……」
「グランマは、誰のゴンドラにお乗りになられますか?」
「あたしはここでお留守番をしているからいいのよ、お気遣いありがとう晃さん、でも、もう年寄りの出る幕じゃないわ……」
「そうおっしゃらずに、藍華たちが撮影でゴンドラを使うと云うのであれば、わたしやアテナのゴンドラで……」
「私にはここでやることがあるから……あなたたちが出かけるのを見届けてから、協会に電話をして話を通すっていう仕事があるのよ。今頃、協会には大勢のマスコミの人たちが詰めかけているはずよ、きっと会議室が溢れるほどになっていると思うわ。協会のみなさんにご迷惑をおかけてしている以上、放ってはおけないでしょ? せめて時間になる前には、アリシアが海の上で所信を伝える旨、連絡をしておかないとね」
確かにそれは道理だった。
諸般の事情から、これまで協会にも会見場所を伏せて居たが、このまま頭ごしに進めてしまうとやはり角が立つだろう。マスコミに伝達されるとしたらやはり協会を通すべきなのだった。
秋乃の言葉に、居合わせた美女、美少女たちが納得した容子になっている。
「わかりました――」
「さぁ、お行きなさい、もうお昼まであまり時間がないわよ」
「グランマ……何から何まで、お心遣い、ありがとうございます……」
「あなたは大丈夫、あたし、少しも心配してなんかいないわ」
師から労いと励ましの言葉をもらい、アリシアも気持ちの整理のついたきっぱりとした表情になる。
「行ってらっしゃい、そして今の自分の気持ちを正直に、みなさんに伝えていらっしゃい」
「はい……」
「みんな、アリシアのことをお願いね……」
「「「はいっ」」」
秋乃の言葉に全員が心を一つにして大きく頷いていた。
Aパートです
ちょっと前の節に挿絵を一つ入れました