ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
「さぁ行くぞ、みんな――」
晃の号令一下、五名が粛々と準備に取り掛かった。
アテナはひと足さきにゴンドラに移ると残りのゴンドラの妨げにならないように水路を開けている。
アリシアはグランマと抱擁をしていて、その容子はどこか競技に入る直前のスター選手と名伯楽のようにも見えるのかも知れなかった。少女三人はそれぞれ手荷物となる撮影機材をまとめている。
そして晃は、アリア・カンパニーのオフィスを出て自身のゴンドラのポッパに足をかけた時、広場の方から送られてくる視線に気がついたのだ。
見るとそこには数名の、一見して地元の住人ではないとわかる風体の男たちが居て、訝しげにこちらの様子を窺っていた。
「まずいな……」
素知らぬ顔でゴンドラを離岸させるが、先を行くアテナに
「アテナ、広場の方を見るなよ、連中が居るみたいだから……」
言い終わらないうちに
「あっ、あそこにさっきの記者さんたちが居るうっ!」
と、よく通る声をあげて指差していて、たちまち相手方もそれに反応していた。
#アテナと晃がアリカンに居るってことは……アリシアもきっとあそこにいるゾっ――!#
叫び声が聞こえてきた。
「もう敬称もナシかっ……犯罪者かよ、俺たちはっ」
晃は苦い顔でぼやいたが、男たちは足元に置かれた夥しい数の撮影機材を慌てて担ぐや、いっさんにこちらを目指して駆け出し、場面は一気に急を告げていて、アテナの不注意を咎める間も無く
「アテナっ、おまえは先に行けっ」
と命じる。
「おいっ、急げっ、気付かれたゾっ」
まだカウンターの前に居る四人に腕を回して手招きした。
「アリシア、おまえからだっ」
天性の現場リーダーの資質を発揮して適切な指示を送っていた。
晃はアリシアのゴンドラをデッキへと寄せると二艘のゴンドラに足をかけ、仁王立ちになってアリシアを招いた。さながら王女を守護する騎士のような凛々しさで手を取るとアリシアを沖へと送り出し、次いで灯里、アリスの順番で手際よくゴンドラを離岸させ、最後に藍華の手を取ってポッパに上がらせると自身のゴンドラも海へと押しやった。
ちょうどその時、男たちがアリアカンパニーのデッキになだれ込んできて、一瞬、早く全員が海へと逃れることができたのだった。
その頃には異変を察知して「アリシアが居たぞっ!」「アリシアだっ」「アリシアを見つけたゾっ!」と喚きながらズカズカ押しかけるマスコミの数は既に十数名にもなっていた。
「おい、そこのゴンドラっ、何やってる! 客が来たんだぞ、乗せろっ!」
「バカヤローっ、戻ってこいっ!」
「俺たちのジャマばかりしやがって、クソいまいましい中卒ビッチどもがっ!」
皆が口々に欄干から乗り出すようにして怒声をあげていた。
「すみませーん、あたし、アリアカンパニーの社員じゃないんでぇー」
最後尾の藍華のゴンドラが男たちを挑発するように満面の笑顔の明るい声で応じていた。
「やれやれ――」
晃はほっと一息ついて後ろを振り返る。見るとアリアカンパニーのデッキの上に佇立するグランマの小柄な姿があって、ポッパの上から遥拝するのだった。
するとそれに応えてグランマが深く首を垂れたのが見え、晃は胸うたれていた。
それは、託された――と、感じたからだった。
既に今度のことはアリシア一人の問題ではなくなっていた。
すべてのウンディーネの名誉が傷つき、業界だけにとどまらずネオ・ヴェネチア全体、ひいてはAQUAの品位と国格にも影響を及ぼすような地球圏に拡がる大きな関心事になっている。
長らく業界を牽引してきた秋乃にとって、自分の愛弟子がきっかけとなって、このような事態に至ったことをどれほど胸痛めていたことであろうか。
もちろんアリシアにはいかなる責任もない。彼女はこの件における最大の被害者だ。
その一方で、協会側はなんら有効な手立てを講じることなく、対応は常に後手後手にまわり、火は燃え広がる一方だった。とどのつまりはただ徒に事態を傍観することしかできなかったのだ。
こうした外部からの
これを間近にして現場に居るウンディーネたちの失望感は大きい。旧態依然とした体質ではもはや乗り切れない、と感じているものも少なくなかった。ただの業者団体の寄り合いとしての理事会ではなく、時代に合わせた形での再構成が必要だと肌で感じさせられている。
業界はこれを奇禍とせず、自身のありようを今一度見直すことを迫られているようだった。
しかし、今の理事会のメンバーではそれを為すには歳をとり過ぎている……。
昨日、グランマ――秋乃が、会議の後で愛弟子たちを前に、いみじくも胸中を吐露したことが、いよいよ現実のものとなって、晃も自身の身の振り方に思いをめぐらせていた。
その後、グランマからは晃とアテナの二人にも、密かに理事就任の意思を探られていたのだった。
昨日――。
「……それは私たちにアリシアのお
「そんな失礼なことをお願いするつもりはないわ……でも、何もかもあの子一人に押し付けてしまうのは、やはり可哀想だったってことに漸く気がついたの。あの子は私のいうことには素直に従うけれど、でもそれがあの子にとって本当に望ましいことであるかどうかは、わからない……」
「アリシアは……あいつはゴンドラを漕ぎたいと思っていると思いますよ……たとえ結婚して以降も……だから引退するって話を聞いた時は悪い冗談だろうって思ってました」
「アリシアちゃんは本当にゴンドラが大好きだから……」
「そうよね……わたしも耄碌してるわね……気がついていたのに、それなのに目先にことばかりに囚われていて目を瞑っていたみたいよ……」
伝説の大妖精が、一人の疲れた老女になっていた。
「グランマ……」
「でも、今の話、すぐにとは言わないけど、考えておいて欲しいの……」
「理事なんて、私のガラじゃないし……アテナ、おまえはどう思う?」
アテナは突然の話にどう答えたものかと呆然としていた。
「ねぇ、気がついていて? あなたたち二人には、アリシアにないものがあることを……」
「私たちに在って、アイツの抽出しに入ってないものがあるなんて……なぁ?」
晃は傍のアテナに同意を求めた。
「世間ではミス・パーフェクトなんて言われているけれど、あの子はけっして完璧なんかじゃないわ、欠けているものがたくさんあるのよ、だって当たり前でしょ、素顔は二十歳の女の子なんだから」
「まぁ、そういう意味では……そうですけど……」
「晃さん、あなたの卓越したリーダーシップは、アリシアのような子には望むべくもないことよ、そしてアテナさん、あなたの教育者としての能力の高さはアリスちゃんで実証済みだわ」
「アリシアだって灯里をちゃんと育てたじゃないですか」
「それは灯里ちゃんだったから……アリシアのやり方が誰でも上手くいくわけではないと思うの……あの二人はウンディーネとして、本当の意味での天才よ、わたしたちとは違う……」
わたしたち――と云って、大妖精であるグランマ秋乃が自分たちと同じ目線に立っていることに驚きながら、晃には言わんとしていることが判るような気がしていた。
「アリスちゃんも天才ですよ」
「ええ、あなたの見立てを疑ったりはしないわ、アテナさん。でも意味が少し違うの。私、最初に灯里ちゃんを紹介された時、すぐにあの子が特別であることに気がついたのよ。アリシアと出会った時に感じていたものととてもよく似ていたものをあの子からも感じたから。二人はともに技術を磨き上げて高みを目指すというよりも、天性の才能で突然一足飛びにするような、そんな常人には窺い知れない能力を備えている……ただそのきっかけがいつ現れるかはわからない。これはどちらが優れているかという意味ではなくて、個性の違いね」
アテナも合点が入ったようで頷いていた。
「……だから灯里ちゃんをアリシアが育てることになって、一つだけ心配していたのは二人のうちのどちらかが、あるいは二人ともにダメになってしまわないかということ……もしも二人のケミストリーが合わなかったりしたら、灯里ちゃんがプリマになれない恐れだってあった……その時、アリシアが自分をどう責めるか……才能を伸ばせなかった指導者としての自分を許せるかどうか……幸い、その懸念は杞憂で現実にはならなかったけれど……」
灯里がプリマに昇格した今だからこそ語られるアリアカンパニーの楽屋裏話はとても興味深いものだったが、晃はこうしたこみいった事情を打ち明けてまで秋乃が自分たちを理事へと誘おうとする本意が知りたかったのだった。
単に理事会で若い女子として孤立することになるアリシアをサポートする、というので無いのだとしたらいったい――。
「グランマは私たちに何をお望みなのですか?」
「協会には改革が必要よ、いつまでもケーキの切り分けを巡って綱引きをしているわけにはいかないわ」
秋乃からは、老舗の姫屋と新興のオレンジぷらねっとの二大勢力による競争がいい意味での緊張感を生み、業界全体の発展に寄与してきたことは事実であるが、それも制度疲労を迎えていて、理事会では従来通りの申し合わせによる現状維持を望む守旧派勢力と、より自由に競争原理を働かせたいという思惑の改革開放勢力とが対立して、業界全体として身動きが取れない状態になっていること、ともすれば現場にいるウンディーネたちの思いが蔑ろにされがちであることを伝えられたのだった。
その上で、理事会にはウンディーネの声をもっと届くようにしなければならないというのが、元ウンディーネであった秋乃たちの考えで、各会社任せにしてきた昇格基準の統一や、アリシアの件で明確になったが、今後ますます増加する恐れのあるメディアへの対応、ウンディーネの保護といった課題に対しても助力を求められていた。
「会社の垣根を越えて、ウンディーネとして横断的に顔の利く人物、横串を刺すことができるリーダーシップの取れる人材が必要なの」
「言ってみれば私にウンディーネ労組の委員長をやれ、とおっしゃるのですか?」
「とんだ貧乏籤よね――」
難しい仕事を持ちかけられて、晃の目が中空を彷徨う。
「でもウンディーネ全体を統括できるような人材は、あなた以外には見当たらないの、もちろん、あなた一人に任せはしないわ、アリシアにも動いてもらわないといけないし、できればアテナさん、あなたにも……そう、あなたには技術指導、教育内容の一元化の面でも協力していただきたいわ」
「どうしよう晃ちゃん、あたし、なんてお返事したらいいのか……」
プリマウンディーネとしてのハードなルーティンに加えて、理事としてのタフなオブリゲーションがのしかかるのだ。
重層的な人間関係の調整、それに付随する膨大な事務処理。
考えるだけで二の足を踏む。
「急がないわ……でも、胸のどこかに留めておいては下さらない?」
グランマに詰め寄られては無碍にするわけにもいかずに、
「持ち帰って検討します――」
こう応えるのが精一杯だった。
Bパートです
秘密の診察室の節に
クンニリングスに勤しむ二人の挿絵を入れました