ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
アリシアの海上からのスピーチは、まず騒ぎの発端となった自らの軽率な言動への謝罪に始まる。
だが、それを見守る聴衆、テレビの前に居た無数の人々は彼女が深く腰を折って
彼女はどうして謝っているのか――?
いったい、この子が何をしたという――?
自分たちはアリシアに何を求めていたのだろう――?
続く自身の婚約とそれに至るまでの心情、初めて人を好きになったこと、自分にも人を愛することができると判った時の嬉しさを切々と語られて、アリシアに批判的な目を向けられるものは、詰めかけた住人たちの中にはもうどこにも見当たらなくなっていったのだった。
年頃の女の子が、長らく心を通わせていたという恋人との結婚を決意したことに、一体全体どんな問題があるのか――?
「……わかってるよ、わかってる、みんなわかってるんだ……ただ、ちょっと寂しかったりするだけさ。じゃがわしらはただ、あんたが幸せで、幸せそうな微笑みをほんのちょっぴり分けてくれるだけで十分なんじゃよ、それが何より嬉しいんじゃから……」
誰かの独白は、聴衆の思いを代弁していた。
「そうじゃ、アリシアさんが哀しそうな顔をされてると、わしらまで気持ちが落ち込んでしまうからのう」
「アリシアさんが結婚されるとは実にめでたいことじゃないか、みんなで祝ってあげんと」
彼女がスピーチを始める前にあった喧騒はやがて静寂に、そして喝采へと変わっていくのだった。
「……私はこの街が好きです、ネオ・ヴェネチアが大好きです、ここに暮らす人たちが、この水の惑星に暮らす人たちが……そしてゴンドラが好きです、ゴンドラを漕ぐのが大好きです……だから……もし、お許しが得られるのなら、私は、これからもウンディーネとしてゴンドラを漕ぎたい……この身に新しい命を宿すことになるその日まで……でもそれまでは……私は……ゴンドラを漕ぎたいです……」
前日報道とは異なる引退の否定でもあったが、願いのこめられた言葉は盛大な歓声と拍手によって迎えられて、アリシアは再び深く頭を下げるのだった。
今度の礼は、自分が人々から再び受け容れられたことへの感謝となっていた。
自身にまとわりつく粘っこくて重たい
そして、その後の約十分間のスピーチはさらに圧巻だった。
アリシアはウンディーネたちに向けても自身の気持ちを伝えていたのだ。
それは今回の事件で少なからず名誉と誇りとを損なわれることになった仲間への謝罪であり、同時に汚名の返上、復権へ向けての強いメッセージとなっていた。
彼女はこのAQUAの地にウンディーネが生まれた経緯を国家創生の歴史を交えて振り返り、自分たちが常日頃、どのような意識で仕事に臨んでいるかについてを一分ほどに纏めて、標準語以外になんと八つの地域言語をほぼ完璧に操って紹介してみせたのだ。
もちろんプロンプターなどなく、原稿もなく、メモさえもない、自分自身の言葉で――。
それはメディアによって作られた、ウンディーネに対する誤解と偏見とを一掃するにはあまりあるものなのだった。
十五日、十二時二十分、ネオ・ヴェネチア――。
アリシアは海上を埋め尽くす仲間のウンディーネたちからの拍手によって、自身の言葉が受け容れられたことを感じて胸を熱くしていた。
「お疲れさん、よく頑張ったな……」
「晃ちゃん……アテナちゃん……」
すぐ背後に晃とアテナのゴンドラが近づいてきていた。
極度の緊張から解放されて、ぐっと胸に込み上げてくる感情に乱れそうになるアリシアを
「まだ終わっちゃいないぞ、最後までしっかり締めないと」
晃が窘める。
「……あたし、まだ何か……?」
「どうやらお偉いさんがおまえを待ってるみたいだからな」
「お偉い、さん……?」
晃が指し示した先、ドゥカーレ宮殿を背に、小山のように大柄な人影が見えた。
「あれって……まさか……」
「わかったか?」
新聞やニュースの映像などで見た記憶はあったが、実際に目にするのは初めてだった。
彼女の名は、アルセニア・エーデルソン――。
AQUA行政府のトップ、
「行ってやれ、この暑い中、目上のご婦人をあまり長いこと立ちん坊にさせといちゃ気の毒だろ?」
「でも、どうして総督が?」
「そんなの、おまえを心配してに決まってるだろ――」
「だって……あたしなんて……」
「まぁいいから行ってこいっ、ああやっておまえが来るのを待ってるんだから」
晃は前に出ると周囲のゴンドラに指示を送って水路を開けさせている。その間、晃に代わってアテナがゴンドラを寄せて笑顔を向けてきていた。
「おつかれさま、アリシアちゃん、すごく素敵なスピーチだったよぉ」
「ありがとう、アテナちゃん……」
「おかげであたしたちも胸のつかえが降りてスッキリしたぁ」
「良かったわ、そう言ってもらえて」
「あともうひとガンバリね」
「うん……」
目の前には、百数十艘にもなるゴンドラが左右にきちんと整列をして、アリシアのために本島、ドゥカーレ宮殿までのまっすぐで壮麗な海上のメインストリートを描いていた。
「さぁ、おまえのためにみんなが作ってくれた路だ……堂々と渡ってやれ」
「ありがとう……晃ちゃん、アテナちゃん……」
「これが済んだら、今夜は久しぶりにみんなで寄ってバーベキューでもやろうぜっ、キンキンに冷えた生ビールでなっ」
「うんっ」
「あいつ、アラビア語やヒンディー語なんていつの間に勉強してたんだ? 日本語とイタリア語が完璧なのは知ってたが……」
「アリシアちゃんは努力家だから、ヒンディー語もネイティブと見分けがつかないくらいだったよ」
「そうか……俺たちもうかうかしてられないな……」
「でもグランマが言われていたように、アリシアちゃんはアリシアちゃんだから、それぞれができることをしっかりやればいいって……」
「おまえにはカンツォーネがあるからな……」
晃が屈折を覗かせると、
「これ内緒だったんだけど、アリシアちゃん、いつも言ってるんだよ、晃ちゃんはいつでもスっゴくカッコいいからって……あたしもそう思う……今日の晃ちゃんはいつも以上にカッコよかった」
「よせよ……」
友からの時ならぬリップサービスはこそばゆく、晃は
「おい……なんだよアレ……」
呆れ顔でため息をついていた。
アテナも晃に倣うと、雲間から差し込む日差しにキラキラと輝くものを見つけて愉快そうに顔を綻ばせる。
「雪だぁ――!」
「こんな真夏に雪かよっ、ったく非常識なヤツだなぁ……あいつ、天気にまで気を遣わせるとはな……」
アリシアがゴンドラを漕ぎ進めていくと、左右のゴンドラのウンディーネたちはポッパの上で次々に姿勢を正してオールを胸の前に抱えて敬意を示していた。
今回のアリシアの一件は彼女たちにとってもけして他人事ではありえず、程度の違いこそあれ自らの問題として共有していたのだった。
突如降りかかった重い課題をたった独りで、かくも鮮やかに乗り切ってみせたアリシアに対しては
それぞれにとっての友であり同僚でありライバルであり、また目標でもあり憧れでもあったアリシアは、同時に仲間であって、皆がウンディーネという同じ大きな家族の一員でもあったことを改めて認識させられている。
アリシアも皆からの温かな眼差しに迎えられて、感謝の思いに心をふるわせながら一人一人に目を合わせて丁寧に答礼していった。
天空を厚く覆っていた暗い雲の切れ間から陽が差してきて、さながらアリシアのゴンドラの動きに合わせるように前へ前へと明るく照らしていく。
その時、先の方に居たウンディーネたちの間に小さなどよめきが起こったかと思うと、それはドミノのように伝播して拡がっていったのだ。
皆が空を仰いで歓声を上げ、再びアリシアへ向けられる時には賞賛の
アリシアには何が起きているのか分からないままに、当惑の笑顔で応えつつゴンドラを岸へと寄せると、総督アルセニア・エーデルソンが待つ臨時に設営された演台の上へと桟橋の階段を上がっていくのだった。
二人の邂逅は、もしかするとアルセニアの方がより強い印象を抱いていたのかもしれない。
百九十センチにもならんとする上背と百五十キロを超える偉大な体格をした、この惑星国家の指導者は、パッと見の印象では細身のアリシアの十倍――実際にはせいぜい三倍程度だったのだろうが――も質量がありそうだった。
分厚い胸板と雄大な胴回りをした女傑が、逞しい両腕を大きく広げてアリシアをハグして迎えようとしていて、圧倒的な量の肉の壁を前にためらいを感じながらもアリシアは一歩前に進み出ると、素直に抱かれるままになっていた。
「初めまして、アリシア――」
ぎゅっ、と抱きすくめられて華奢な背中をしならせる。
見かねた側近の一人、アルティア・ワイスラーが
「アル、あまり強くして彼女を壊さないでくださいね」
と、耳打ちするほどだった。
アルセニアはかつては五輪レスリングのフリースタイル百キロ超級のシルバーメダリストだったが、現在は恐らく既知の二本足動物としては史上最強だろうと、アルティアからは揶揄されていた。
「あら、ごめんなさい、大丈夫よね?」
「はい、総督……」
同性から息ができなくなるほど強く抱かれて、アリシアは驚きに目を
「アルでいいわよ」
「そんなことは……」
国家の最高指導者である総督に対して、名前を
「おつかれさま、アリシア、とても立派なスピーチだったわ。わたしはもう何も言う必要がなくなってしまったわね」
「……わたしは……」
「今日はみんなに、あなたたちウンディーネに国としての保護を与える約束を伝えるつもりでいたんだけど、あなたがせっかく作ってくれたこんなに素敵な奇跡をいくつも目の当たりにさせられて、私がこれ以上何かを言うのは野暮というものね……」
アルセニアは空を見上げながら
「すごいわね、これもあなたが起こしたの?」
「――!?――」
「なんの……こと、ですか?」
「後ろを見てごらんなさい」
振り返ると、海上に横二列のラインフォーメーションで見事に整列するプリマウンディーネたちの白いゴンドラが見えた。その左右には、シングルやペアのゴンドラが左右に二列ずつ縦隊を作って花を添えている。
美女、美少女たちは、みな気をつけの姿勢でオールをやや傾けて胸の前で掲げ、
晃の適切な指示もあったが、彼女たちはそれぞれが自発的に美しい動きで規律と協調性とを示していたのだ。
ウンディーネたちはただ優雅であるばかりではなく、一人一人が高い意識と能力を持ち合わせていることを、格調高いスピーチを終えたばかりのアリシアに応える形で、彼女たちも行動で訴えていた。
だが、アルセニアが奇跡と称えたのはそのことではなかったようである。
すでに居合わせた皆が空を仰いで、まさに仰天していて、やがてアリシアの目の前にも純白の粉雪がひとひら落ちてくると、掌に受け止める寸前に儚く消えていく。
顔を上げると、差し込む光の帯の中にさながら金粉を撒いたかのように、キラキラと瞬いて空を飾る雪が舞い降りてくるのが見えるのだった。
この季節に、どうして――?
と、思うが、きっとこれもAQUAの神々の計らいとして納得する。この日、幾度も経験することになった多くの不思議の一つなのだろう、と。
「あなたはこの星からとても愛されているようね……」
アリシアを腰抱きにして、
「私もそのお仲間に加えていただこうかしら」
大きな口の左右の口角を上げてアルセニアが満面の笑顔を寄せて言った。
「アル、それはいくらあなたでもセクハラ、パワハラになります。愛情の押し売りですから」
アリシアに心配そうな顔を向けながら、アルティアが窘めた。
「そんなカタイこと言わないでよ、アルティ、あなたはいつでも直角三角定規みたいに頭がカチカチなんだから」
「あなたみたいに頭の中がすっかり筋肉の人にはそう見えるだけで、私が普通なんですっ」
「すっかりって失礼ね、筋肉なのはほんの少しだけよ」
アリシアは、アルティアが総督を気安く愛称で呼んでいることもビックリだったが、
「アリシアさん、すみません、総督はいつもはもう少し普通の人間側に寄ってるんですけれど、今日はあなたと会えたのがとても嬉しいらしくて、つい常識の枠からはみ出してしまいがちで」
「とても光栄に思います……エーデルソン総督には身に余るお気遣いをしていただいて……アルティアさん……」
「あら、あなたたち面識があったの?」
「以前にアリシアさんのゴンドラに乗せてもらったことがあったので」
たとえ相手が総督であったとしても、夜の儀――については触れるわけにはいかなかった。
しかし、公の場に姉――が、居るのは心丈夫なのだ。
「それはいいわね……私も、今度、乗せていただこうかしら」
「いつでも喜んで、ご案内させていただきます」
アリシアはその日初めて重圧から解放されて、いつもの笑顔に戻ることができたのだった。
その日、世界はアリシア・フローレンスと出逢った――。
それまで一部のファンの間にしか知られることのなかった彼女を全世界が知ったのだった。
こんなにも美しい女性がいることを、その気品ある愛らしさを。
そして素直な心根の優しさと賢さを。
AQUAの国営放送局は、国内だけでなく全ての人類圏に対してライブ放送を行なっていた。
国営放送は当日朝から資料映像の撮影や取材のために、それぞれ別件でサン・ジョルジョ・マッジョーレ島、サルーテ聖堂の二カ所にクルーを送り込んでいたが、当日正午近くになってにわかに海上の容子が慌ただしくなっていることに気がつき、その中心にアリシアの姿を認めて、急遽予定を変えて海上の彼女へ望遠カメラと遠距離用マイクを向けたのだった。
総督付きの撮影班とも合わせて、都合三箇所の絶妙な場所からとり囲む形でアリシアを捉えることとなり、以降、アリシアのスピーチの鮮明な映像と音声とを伝える唯一のメディアとして、その一部始終を全世界に向けて送り出していた。
それはまさに神話の実況放送だった。
まるで天の声のように遥か遠くにまで届くアリシアの言葉は、耳を傾ける人々の心を清め祓い、一糸乱れぬ見事な動きで海上を舞うゴンドラの群れは、まるで降臨した女神を讃える数多の天使たちのようなのだった。
天もまた時ならぬ奇跡を演出して、そこにいる誰もが敬虔な気持ちにさせられていたのだ。
この子がアリシア・フローレンス?!
これがウンディーネっ?!
それは従前、各種のメディアによって歪められて伝えられていた彼女たちのイメージをものの見事に一新するものだった。たとえ画面の中からではあっても、アリシアが特別なヒロインであることはもはや誰の目にも明らかだったのだ。
輝くばかりの美貌でありながら、控えめな表情、物腰。
高い知性と豊かな教養を感じさせる温和で真摯な語り口は、けして俄か仕立ての作り物には為しえないものだった。
その彼女が、ビッグA――アルセニア・エーデルソン――との会見の最後に、感情を乱し表情を崩して円らな瞳から涙を溢れさせたとき、それまで完成された美女だとばかり思っていたアリシアが、実はまだ二十歳になったばかりの脆さを抱えた一人のうら若き女の子であることに、人々は漸く気がついたのだ。
スノーホワイトの流す清らかな涙は多くの共感を呼び、そして世界は彼女に恋をした。
一部のメディアからは、アリシアの海上からのスピーチを、質疑に応えずにただ一方的に話をしただけで、こんなものは会見ではない、受け入れられない、との批判もあったが、圧倒的多数の支持の前には口をつぐむしかなかった。
そもそも犯罪を犯したわけでもなく、芸能人でもタレントでもない一介の水先案内人、職業婦人である彼女を、問い質して吊し上げる権限などメディアには与えられてはいないのだ。
当然のことながら市民一人一人のプライバシーは、メディアの知る権利の及ぶところではなかった。
たとえアリシアの比類なき美貌が人々の目を惹きつけるものであったとしても――。
午後一時――。
ネオ・ヴェネチアはシエスタを迎えて、街の賑わいは潮が引く如く静寂に置き換わっていった。
話を聞こうと詰めかけていた人々も、それぞれの家へと帰り遅い昼食の用意に取り掛かり始めている。
アリシアも総督からの昼食の招待を謹んで辞退して、友たちの待つ海上へとゴンドラのポッパに上がっていた。
「まぁ、今日は大変だったからあたしも諦めるけど、次は是非、総督府での食事会にお招きしたいわ、お友達も連れて一緒にいらっしゃい」
アリシアはすっかり恐縮していたが、アルティアから、
「この人は言い出したら聞かないの、だから勘弁してあげて」
と、取りなされては快諾するしかなかったのだった。
オフィシャルなセレモニーを終えて、海の上はまたいつもの朗らかな雰囲気になっていた。
ウンディーネたちの誰もがアリシアに労いと感謝の言葉をかけようと集まってきている。
空を覆っていた厚い雲は西の空に流れて、ネオ・ヴェネチアの夏らしい青空が戻ってきていた。
こうして、AQUAのいちばん長い日、は漸くここにその終焉を迎えたのだった。
ARIA版 バスケが……バスケがしたいですっ!
みたいなオチになってしまいました
*このエピソードは岡本喜八版 傑作の誉高い『にっぽんのいちばん長い日』
より多くのインスパイアを受けていることを明記します
ついでに本文中に出てくる荒木マユミも吉本キャップも、田崎潤よろしく悶絶しながら今も徹底抗戦の構えです
新鋭メカに一発逆転を期して策謀中
そのお話は次回
少しも18禁っぽくない話が続いたので
明日は18禁の挿絵のみをアップします
エロ担当のアリシアさんにはしっかり頑張っていただきます