「おーい、そろそろ行けるかー?」
先に帰り支度を終えた俺は、妹のいる洗面所へ呼びかける。ドライヤーの音がうるさいので少し大きめの声だ。
「んー」
洗面所から急いでるんだかのんびりしてるんだか分からない声が返ってきた。
俺たちは露天風呂のシャワーでささっと汗やら何やらを洗い流すと、妹は髪を乾かしに、俺は髪をあきらめ自分の荷物をしまい——ついでに妹の荷物もしまって早々に着替えも終えていた。
テーブルの上のポーチは夕月が洗面所に持っていった。あの中にはアフターピルが入っているのだろうか。
少し気になるが、だからといって飲む飲まないは妹に任せているので聞くことはしない。
あらためて、俺は一生夕月と暮らしていくつもりなのだと実感する。
「お兄ちゃんお待たせー」
なぜか落ち着き払った様子で妹が和室に戻ってくる。さっきと同じ浴衣姿だ。なのにシャワーを浴びたせいか妙に全身が火照っている感じで、つまりは色香を放っている。
「お前って浴衣とか和室が妙に似合うよな」
「なにそれ、和風な感じってこと?」
「そう、すげー和風な感じ」
「なにそれ」
夕月が小首をかしげて片眉を上げる。茶色がかった髪はシンプルなポニーテールにまとめられていて、その尻尾が嬉しそうに揺れた。あらわになったうなじが艶っぽい。
……なんて妹に見惚れてる場合じゃなかった。
「急げ、あと5分もないぞ。荷物はキャリーの中に入れといてやったから」
「着替えもキャリーの中なんだけど。もー、私のはいいって言ったのに」
「言ったか?」
「言ってないっけ?」
夕月が適当な返答をしながらキャリーバッグを開く。
おもむろに浴衣の帯を
「お兄ちゃんのえっち」
「それ言いたいだけだろ」
背後から聞こえてくる衣擦れの音と独特な鼻歌に耳をすませながら、俺はスマホで京都駅までの道のりをチェックした。
時間ギリギリを過ぎてチェックアウトを済ませた俺たちは、ゆったりとした足取りで車に乗り込んだ。
助手席から甘くて落ち着く香りが漂ってくる。
もう時間を気にする必要はない。悠々と、兄妹二人の帰り旅を満喫するだけだ。
車を走らせていると、暇を持て余した妹がこっちを向いた。多分なにかゲームでも仕掛けてくるのだろう。
「お兄ちゃんゲームしよ」
「いいぞ、なにする?」
「じゃーカタカナ言ったらダメなやつ」
「それ昨日やっただろ。そんでお前ボロ負けしたろ」
「えー、じゃあなにする?」
「あー、なら早口ゲームとか。すんなり言えたほうが勝ちな」
「ん、それたぶん私得意」
「マジか」
すると夕月は表情をすんとさせて、私からねとつぶやいた。
「隣の客はよく柿食う客だ」
「おおっ……」
流れるような早口だ。ついでに感情まで込める余裕まであるときた。さすが俺に似ず器用な妹。
というか舌遣いが器用というのが妙にエロい。事実、夕月とのディープキスもフェラも毎度骨抜きにされそうなほど気持ちいいわけで……。
「はい、お兄ちゃんの番」
「隣の客はよく柿きゅうきゃ……あっ」
ぶふ、と夕月がふきだす。
「お兄ちゃん弱すぎじゃない?」
「運転中だからな」
「坊主がじょーずに屏風に坊主の絵を描いた」
「坊主が上手に屏風にびょっ、あ~……」
「ふふ、じゃー次はお兄ちゃんが上ね」
「罰ゲームあったんか」
「あるでしょ」
次セックスするときは俺が上。相変わらずご褒美でしかない罰ゲームだ。
しかし運転中にさらっと煽ってくるのは勘弁してほしい。股間が中途半端に硬くなってしまう。
その後も早口ゲームで連敗記録を更新しながら、あっという間にレンタカーショップへ到着した。
ここから徒歩で京都駅に向かう。切符を買って新幹線に乗ったら、この観光客でごった返す街ともおさらばだ。
碁盤の目のようになっている街並みを歩く。
ちらりと後ろを振り返れば、夕月が当たり前のように目を合わせてくる。
見知らぬ場所に来ると、妹は必ず一歩か二歩後ろを歩く。子どもの頃からの癖になっているのだろう。
彼女が視界に入らないので俺もちゃんと付いてきているかが気になり、ついつい頻繁に後ろを振り返る。そして必ず目が合う。そのたびに夕月はなぜかキョトンとした顔をするから面白い。
結局一度もはぐれたことはない。それでも俺は心配で、昔はよく手をつなぐようにしていたっけ。
何度目かに振り向いたとき、無表情で眉を上げた妹の後ろで、若い外国人観光客の男たちがこちらをじっと見ているのに気づいた。こちらというか、視線の
彼女は青っぽい半袖ボタンシャツに、中は白いTシャツ、下は膝丈のデニムというラフな格好をしている。
ボタンシャツはオーバーサイズのたぼっとしたものだし、デニムも膝から下しか露出していない。
修学旅行なので気取らず、角が立たず、露出も控えた服装を持ってきたのだろう。どれも本人曰く格安量販店で買ったものだ。無駄に男の視線を集めてしまう夕月の、無意識の処世術といえる。
だというのに、ばっちり街ゆく人の目を引いてしまっている。
背はそこまで高くないがモデルのように長い脚。
すらりと細いが出るとこは出ている見事なプロポーション。
兄ですら息をのみそうになる美人顔。そしてなんといっても全身から醸し出される謎の色香。
シンプルだと思っていたポニーテールも、よく見ればオシャレな結び方をしている。
夕月の奮い立つような魅力は、服装をいくらラフにしたところで覆い隠せるものではなかった。困ったことに。
しかし当の本人は、そのことにまったく思い至っていない様子だ。なに見てるのとでも言いたげなキョトン顔で、俺だけを見つめている。
「人多いな。手つないどくか」
涼しげな無表情が、ちょっぴり驚いたように眉を上げた。
「あ……うん」
「ほら」
「ん」
後ろ手を差し出すと、妹が控えめに手を伸ばしてくる。その小さい手を握り、再び歩き出した。
前を向いてスタスタ歩く。
うん……これは恥ずいぞ。
兄妹で中出しセックスまでしているというのに、家の外で手をつなぐのがこんなに恥ずかしいとは。なんだか笑える。
「これ、けっこう恥ずかしいね」
夕月も同じだったらしい。
「そうか? 兄妹なんだしそこまで気にすることないだろ」
「でも家じゃなくて外だし」
「まあ、今は兄妹に見えないだろ俺たち」
顔もあんまり似てないらしいしな。悲しいことに。
「見えないかー」
夕月が手をぎゅっと握り返してきた。よく手をつないでいた子ども時代を思い出す。その頃から手の大きさもあまり変わっていない気もするし。うん、これは懐かしい感じだ。
「って、お兄ちゃん手汗すご」
「……別に普通だろ」
「ううん、いつもより汗多い。ぬるぬる」
「お前のだろ」
「私のじゃないし」
「うぇ」と可愛いアヒルみたいな声を漏らし、そのくせさらに強く握ってくる。まったく思春期の妹の情緒はわからない。
つないでいる手を通して、夕月が安心していくのが伝わってくる。
俺も妹がちゃんとそこにいるという安心感で、見知らぬ街への警戒心は薄れていった。
京都駅の広大な駅ビルをさまよい、切符を購入し、新幹線の座席に座っても俺たちは手を握ったままだった。
ふんふーん、と妹は明らかに上機嫌な鼻歌を奏でている。それだけで迎えに来てよかったと思える。昨日から何度そう思ったことだろう。つまりは俺にとってもこの旅は楽しかった。
新幹線が静かに動き出す。
窓の外の風景があっという間に山と木々に変わった。
妹が修学旅行へ出発したのが、ずいぶん昔のことのように感じる。なのに一瞬しか経っていない気もする。
一緒にいるといつもこうだ。時間の感覚が狂う。きっと夕月と過ごす時間が濃いせいだ。
「あ、お兄ちゃんあれ見て」
窓際に座っていた妹がしばらくぶりに口を開く。
多分30分くらいお互い無言でぼーっとしていた。なのに全然退屈しないし気まずくもないのは兄妹だからだろう。
「……看板?」
「そ」
夕月の指差す先を見れば、田んぼの真ん中に大きな看板が立っていた。地元の不動産屋さんらしく『地域密着!』と書かれてある。
「あの看板がどうかしたのか?」
「あれって新幹線の乗客向けだよね」
「看板の向き的にそうだな」
「でも次の駅までまだまだ先だよね」
「まあ、そうな」
「高速で通り過ぎる人に、この場所の不動産屋さんを宣伝しても意味ないんじゃない?」
真剣な顔でそう分析する妹に感心する。以前から家計を1円単位で管理しているせいか、夕月にはビジネス的な勘が備わっているらしい。
できればそっち方面の大学に進学してそのセンスを磨いてほしいと、兄としては願うばかりだ。……進学費用、バイトで貯めないとな。
「お兄ちゃん、話聞いてる?」
「あーすまん、ちょっと考えてた」
「マーケティング的な?」
「マーケティング?」
そんな言葉どこで覚えたんだ。……いや、そういえば大学で経営を学び始めた俺が最近ことあるごとに口走っていた気もする。
「ああ、あの看板にマーケティング的なあれはないんじゃないか」
「え、ないの」
「いや知らんけど、ただ単に、看板立てたかっただけじゃね。自慢になるし」
「なにそれ」
夕月が妙に小馬鹿にした感じで苦笑する。
いや、看板を立てる理由なんて結局当事者に聞いてみないとわからんし。
ビジネスに限らず、どんな世界も合理性だけで動いているわけじゃない。人の心なんて理屈や常識では測れない。
そうでなければ、俺と夕月の関係はこの世界に存在できなくなる。
思ってた回答と違う、みたいな顔を浮かべている妹に、俺はリュックの中からスティック菓子を取り出して見せた。
「夕月も食うか?」
「それどこで買ったの」
「ん、家の近くのコンビニで買っておいた。夕月ほしがるだろと思って」
「お兄ちゃんの中の私、小学生?」
「別に大人だってスティック菓子食うだろ」
「まあ、私も食うけど」
食うなんていう夕月らしくない言い方に、ちょっと吹き出しそうになる。
「これ今日の昼メシな」
「ん、いいけどお兄ちゃんお腹すかないの?」
「夕月もだろ。まーでも駅に着いて食べたとして、昼メシには中途半端な時間だしな」
「じゃー、夕飯まで我慢だね」
「夕月なに食いたい? 夕飯」
「あ、今日お兄ちゃんが当番だっけ」
「今日はもともと俺一人の予定だったからな」
「そっか」
「で、なに食う?」
「んー、その前に、お兄ちゃん唇貸して」
「は……まあいいけど」
これまたずいぶんと唐突なお願いだ。でも別に今に始まったことじゃない。俺たちの家では普通のことだ。
ふとあたりを見れば、さっきまで近くにいたはずの乗客がいなくなっていた。なるほど、これを見計らっていたのか。
無表情に近い顔で見つめてくる夕月に、顔を近づける。
「んっ……ん、ちゅ……」
唇全体が密着し、互いの口内で舌が絡まる。
「んッ……ぇぁ、れ……ぁっ、ン、んむっ……」
あいさつ代わりじゃない、音の出るディープキスだ。まるで俺の舌を愛撫するような舌遣いに、頭の後ろがぼうっとしてくる。本当に器用な妹だ。
新幹線でするにしては濃厚すぎるキスが続く。
すでに二分、三分と時間が経っている気がする。ここ最近は、こうして唇を貸すと止め時が見つからなくなるから困る。
ピンポーンと、次の停車駅を告げるアナウンスが流れ、俺たちはやっと止め時を見つけた。
「……誰かに見られたらどうすんだよ」
「べつにいいでしょ。私たち、今は兄妹に見えないし?」
「そうかー?」
「顔あんま似てないらしいし」
「ああ、らしいな」
非常に残念なことに。
「お兄ちゃんって意外性すごいし」
「意外性? なんじゃそりゃ」
「こっちの話」
「……にしても、カップル同士でも新幹線でするようなキスじゃないだろ」
「そ? 愛してるのキスならこんなもんじゃない」
「……へいへい」
平然と言ってのける夕月に、俺はそう返すのがやっとだった。
どうしてこの妹はさらりと兄を堕とすのだろう。
今日は日曜日。
明日は月曜だが、夕月の学年は修学旅行の最終日だ。さらに火曜日は振り替え休日となる。
つまり帰っても丸2日以上は、二人だけの時間を謳歌できるということだ。
多分そのほとんどを、俺たちはセックスか、セックスのインターバルに使う。妹がそれを望めばだが。
いや、俺に望んでほしいと夕月は思っている。そんな気がする。
「お兄ちゃん見て」
「ん?」
「あの山、すごいとんがってる」
「ああ、とんがってるな」
子どもみたいに外を見つめる横顔が微笑ましい。
妹としてとか、女としてとかじゃなく、ただ単に夕月を愛してるんだなと実感する。
結局そのあとも、俺たちはとりとめのない無駄話をしながら帰路を楽しんだ。