マユちゃんが泊まった翌日、火曜日。
廊下を歩く妹の足音で目が覚めた。
スマホの時計を見るとまだ6時。早朝だ。
『お兄ちゃん起きてる?』
ドアの外から夕月が小声で話しかけてくる。
俺が起きていたらそれでよし、起きていなかったらそのまま寝かせておこうという配慮を感じる声量だ。
「うーい」
『あ、起きてた。お兄ちゃんおはよう。私たちもう出るね』
「おはよう夕月……ってもう出るのか」
慌てて起き上がり、ドアに向かう。開けるとそこには制服姿の妹が立っていた。
茶色髪もポニーテールにしっかり結ばれ、まさにこれから通学するという格好だ。
「早いな」
「お兄ちゃん声がらがら。うん、マユいったん家帰って制服に着替えるから。私も送るついでに学校行っちゃおうと思って」
「そっか。早いな」
「文化祭準備あるし。私、実行委員だから」
「ああ、クラスのか」
「クラスのもそうだし、全体の実行委員会にも入ったよ」
「……マジか」
相変わらずのハードワークだ。
夕月は国立大の推薦を勝ち取るために、行事があれば実行委員に立候補し、部活の助っ人を依頼されれば快く協力している。内申点はおそらく学内トップクラスだ。
今から張り切らなくても大学受験はまだまだ先だし、この妹なら多少セーブしても楽勝で推薦枠に選ばれると思うのだが、彼女としては確実にしておきたいのだろう。
すべては学費の安い国立大に行くため。
二人暮らしの家計に負担をかけないようにするため。
ただ兄としては無理をしてほしくない。夕月の体調がなにより大事だし、うちには私立に行かせるくらいの貯蓄はある。
だけど頑固な妹はそれをよしとしない。なんなら大学の学費もバイトで稼ぐなんて言い出しそうだ。兄としては……ちょっと複雑な気分だ。
「お兄ちゃん寝てる?」
「寝てないよ」
「今ぜったい目開けて寝てたよ」
「考えごとしてた」
「えーうそくさ」
夕月が勝ち気そうな眉を寄せ、ジト目を向けてくる。
いつもだったらおはようのキスをする流れだ。
だけどマユちゃんがいるから、俺たちは一歩分の距離を縮めようとしない。多分これが本来の、兄妹の距離感なのだろう。
「夕月、いいよー!」
洗面所のほうからマユちゃんの元気な声が響く。身だしなみが整ったらしい。
「うん、じゃー行こっか」
俺も妹のあとを追って廊下へ出る。洗面所から出てきたマユちゃんと挨拶を交わし、玄関で二人を見送ることにした。
「お兄さんいろいろお世話になりました!」
「また来てね」
「はいぜひっ! あ、朝ごはん用意してあります! 目玉焼きは私作りました!」
玄関に明るい声が響きわたる。マユちゃんは夕月と違って朝からハイテンションなタイプらしい。
「マジか、ありがとね。美味しく食べるよ」
「わぁい! 美味しく召し上がってください!」
「じゃ、行くね」
「ああ」
対照的な二人が玄関を出ていく。
一気に玄関が——家の中がシンと静まり返る。
俺は鍵を閉めず、しばらく玄関に残ることにした。なんとなく妹が戻ってくる気がしたからだ。いってきますの挨拶も中途半端だったし。
十秒ほどして、案の定ドアが開いて夕月が戻ってきた。
「おかえり夕月」
「ただいま」
「マユちゃんは?」
「エレベーターのとこ。忘れ物したって言ってきた」
「忘れ物か」
「お兄ちゃん」
「へいへい」
妹が近づいてきて、さも当然のように唇を差し出してくる。
整った目鼻立ちの美少女に、一気に眠気が消え去る。いつもの無表情は、言葉を発しなくても何を求めてるのかが伝わってくる。
ちゅ、と軽めのキスを落とす。
普段どおりの、いってきますのキスだ。
だけど息をのむほど綺麗な夕月の顔は、どこか腑に落ちてなさそうだった。
「……まだするか?」
「うん、もっかい。もっと唇くっつけるやつ」
「いいよ」
キスのおかわりをする妹が可愛くて自然と微笑んでしまう。彼女の小さい顎を上向かせ、今度はやや押し付けるように唇を重ねる。
「んっ……」
夕月が気持ちいいときに漏らす吐息が、早朝の股間にクる。昨日キッチンでした濃厚なディープキスが脳裏によみがえってしまう。
舌を入れたい衝動にかられるが、今はマユちゃんを待たせている状況だ。それを妹も分かっているようで、舌先を触れ合わせることなく俺たちは同時に唇を離した。
すごく名残惜しいが仕方ない。
「じゃ、お兄ちゃんいってきます」
「いってらっしゃい夕月」
ドアノブに手をかけた妹が、はぁと思い悩むようなため息をついた。
「あぁ、お兄ちゃん」
「ん?」
「文化祭まで一人で寝るね」
「ああ……そうか。忙しくなるしな」
「うん」
聞いたこともない低い声で夕月が返事をする。いつもの澄まし顔だが、少しイライラしているのが分かる。本当は一緒に寝たいのに、と雰囲気が訴えていた。
だけど文化祭まで一緒に寝ないこと——セックスを控えることは、大事なことだ。
今の俺たちは、一度始めてしまうとタガが外れて下手をしたら一晩中ヤりまくってしまう。夕月にしてみたら実行委員の仕事が滞ること間違いなしだ。
「よし、文化祭までは俺が家事全部やるわ」
「え、あ……うん、ありがとうお兄ちゃん」
「おう」
安堵するように微笑んだ夕月が、雑に手を振って今度こそ家を出ていった。
「……ふう」
一人玄関で、決意をこめる。
(またしばらく禁欲日か)
でも、いいタイミングだったかもしれない。俺たちは元から
俺は下心の塊だが、夕月を爛れた妹にするわけにはいかない。お互いクールダウンすることで、ちょっとは節度ある兄妹に戻れるだろう。少なくともキッチンでおっぱじめない程度には。いやそもそも回数だってもっと控えたほうが——。
などと考えつつも、俺はついスマホで学校のウェブサイトを開き、残りの禁欲日数を確認していた。
「日曜と月曜、か」
文化祭は二日間にわたって開催される。
今日が火曜日だから、今日を合わせて来週月曜までの6日間……いや最終日は夕月も疲れているだろうし、翌日までの一週間が禁欲期間だ。
妹はそれくらい平気かもだが、俺は夕月とするようになってからオナニーを控えている。正確に言えば夕月とのセックスを知ってしまって以来、自慰をする気になれない。なのでこの7日間は健全な男子にとっては辛いものになる。
なるが、可愛い妹のためなら問題ない。
「よし」
ここからは良き兄として全力で妹をサポートしよう。
俺は両頬をパチンと叩き、さっそく洗濯をするため洗面所へ向かった。
◇
そうして俺たちの、禁欲の二人暮らしが始まった。
妹は19時過ぎに帰ってきて、さっさと夕食を済ませてシャワーを浴び、そこから休む間もなく実行委員の仕事をする。
「お兄ちゃんごめん、大学で使ってるノートパソコンって借りれる?」
「そう言うと思って夕月用のブラウザ準備してあるぞ」
「え……ありがと」
「しばらく借りてていいからな。俺は親父のパソコン使うし」
「学校持ってってもいい?」
「壊すなよ」
「壊さないよ。お兄ちゃんじゃないし」
俺も物を雑に扱うほうではないが、確かに物持ちのよすぎる妹に比べれば壊すほうかもしれない。
夕月は風呂上がりのロングヘアーを適当に結ぶと、学校から借りてきたらしいUSBを差し込んでさっそく作業を始めた。
家事をしながら眺めていると、やはりというべきか、妹は椅子の上で膝を立てていた。これでは姿勢が悪くなるし目も悪くなる。
注意しようと思ったが、一生懸命な小さい背中を見てぐっとこらえる。
(今日くらいはいいか)
ひたすらノートパソコンに向かう夕月が、まるで何かを必死に我慢しているように見えたから。
俺も同じだ。いつもなら一緒にベッドへ向かう時間なので、パブロフの犬みたいに、夜の時間帯というだけで股間が勝手に勃ってしまう。
「お兄ちゃん先寝ちゃっていいからね」
「ああ、おやすみ夕月。あんま無理し過ぎんなよ」
「ん、おやすみお兄ちゃん」
おやすみのキスはない。
俺は妹の頭を撫でたい衝動をこらえ、一人寝室へ向かった。
◇
明けて水曜日。
夕月は昨日と同じく早朝に家を出て、遅い時間に帰宅し、リビングで作業を始めた。
「夕月、膝立てるのは行儀悪いぞ」
「んー」
「背骨曲がるし視力も落ちる」
「んー、わかった」
注意をすると素直に姿勢を正すが、しばらくすると再び膝を立てる。こりゃ無駄だと悟り、俺は注意するのをやめた。
(文化祭までは大目に見るか)
我ながら妹に甘いと思うが、頑張っている背中を見るとつい甘やかしたくなってしまう。
「夜食作っとこうか?」
「んー、だいじょーぶ。深夜に食べると太る」
「つっても腹減るだろ」
「いい。太ったらエッチのときお兄ちゃんにからかわれそうだし」
「そうか」
「ん」
……なんでこの妹はそういうセリフを不意にぶっこんでくるのか。
意識はパソコンに向いてるっぽいから、考えなしに放った言葉だろう。
無意識に言った。その事実が余計に股間を熱くしてしまう。
「
「ん。おやすみお兄ちゃん」
「ああ、おやすみ夕月」
俺は無駄に悶々としながらベッドに潜るのだった。
◇
木曜日。
欲情の峠を越えたのか、3日目ともなると夕月と一緒に夜リビングに居ても、不意にぶっこまれても平静でいられるようになった。
そもそも妹を性的に意識するのがおかしいのだ。そんなふうに自分をいさめることができるようになった。
「あ、お兄ちゃん」
「……風邪ひくぞ」
風呂から上がると、廊下で妹と出くわした。半袖の白Tシャツ一枚に、下は水色のパンツ一丁の妹と。
「
なるほど作務衣を脱いでTシャツ一枚になり、どうせこのまま風呂に入るからとそのまま廊下に出てきたのか。
まあ別に、兄妹二人暮らしの家で妹が無防備な格好をしてるのも、おかしなことではない。いちいち意識してしまう兄がおかしいのだ。
俺は水色のパンツと瑞々しい太ももが目に入らないよう、白Tシャツのほうを凝視した。ちなみに中はブラをつけていないっぽいが、あられもない下半身よりは凶悪ではない。
「てかそのTシャツ、文化祭のか?」
「そだよ。どう?」
シャツにはでかでかと太陽っぽいカラフルな絵がプリントされ、そこに筆文字で『太陽よりも輝け!』と書かれていた。
「相変わらずダサ……微妙なスローガンだな」
「今ダサいって言ったでしょ」
「いや無難でいいと思うぞ」
「実行委員みんなの投票で決めたんだ」
「へー」
まずった。もしこのスローガンが夕月の考案したものだったら傷付けてしまう。
「私は気に入ってるよ。委員長が考えたんだけどね」
「ならよかった。うん、俺もいいと思う」
「ほんとに?」
夕月が眉間にシワを寄せ、俺の顔を覗き込んでくる。
早く風呂へ行ってほしい。ノーブラTシャツにパンツ一枚の妹は今の俺に劇薬すぎる。
「ちなみに夕月はどんなスローガン考えたんだ?」
「私は考えてないよ。じゃーお風呂入るね」
夕月が逃げるように洗面所へ引っ込んだ。
小さいため息をつく。
不意打ちだったが、なんとか……いやめっちゃ余裕で理性を維持できた。
まあ性欲が抑えられなくなったとしても、夕月が望まない限り俺から手を出すことはないんだが。
もう一度ため息をつき、俺は白湯を作りにキッチンへ向かった。
◇
金曜日。
禁欲4日目ともなると、俺は以前の兄ムーブを完全に取り戻していた。
挨拶のキスをしなくても、気まぐれにキスやハグをしなくても、一緒に風呂に入らなくても、一緒のベッドで体を重ねなくても、心も股間も乱れることがない。
俺たちは爛れる前の、仲のいい兄妹に戻っていた。意外なほどに。
思えばこういう健全な関係で何年も過ごしてきたのだ。長い二人暮らしを振り返ればこちらのほうが通常モードなのだから、戻るのだってたやすい。
そんなことを思いながら、テーブルの上で膝を立てる妹を眺める。
「あ、お兄ちゃん、これからリモート会議するから静かにしててね」
「おあ!? お、おう了解」
キッチンからパソコンに目を凝らせば、画面が6分割され、実行委員らしき男女の姿が映っていた。
夕月の姿はまだ表示されていない。設定でまごついているようだ。
「お兄ちゃん、ごめん」
「はいよ」
妹のもとへ行き、代わりに設定を操作する。まずはカメラをオンにした。
「あ、ちょっと」
俺たちの顔が画面に映り、夕月が変な声を上げる。他の6人が「おっ」という顔をしたのが分かった。
「あーすまん」
「映す前に言ってよ」
「スピーカーとマイクも設定するぞー」
「ちょっ——」
妹が珍しく焦った様子で髪を手ぐしで整え始める。画面に映った自分を確認しながら。
焦るあまり鏡だと錯覚しているのだろう。
そんな様子を女子二人は微笑ましものを見るような顔で、男子四人はあえての無表情でじっと見守っているようだった。
夕月がTシャツのシワを直し、姿勢を伸ばす。椅子に膝立ちもしていない。
よく見れば画面の向こうの6人も夕月も同じ文化祭Tシャツを着ていた。
(なんかいいな、こういうの)
全員が文化祭に向けて一丸となっている感じだ。妹の学校生活を垣間見たようで、俺も胸が熱くなる。
「ん?」
男子の中に見覚えのある顔があった。ネーム欄に「高梨」と表示されている。
高梨……夕月のバスケの試合に来ていた一人で、確か修学旅行で夕月に告白できなかった子だ。
これは兄としての勘だが、実行委員になったのも妹目当てだろう。画面に映る男子たちの中でひときわ真顔で正面を——つまりは夕月を見ている。
「ん、お兄ちゃんありがと」
身だしなみを整え終えた夕月が不意に俺のほうを向く。
お互いパソコンを覗き込んでいたせいで、振り向いた瞬間に鼻先が触れた。
至近距離で、夕月と見つめ合う。
(やば……)
ひさびさに間近で見る妹が、可愛すぎる。
まつ毛の長い、アーモンド型の目。目頭には二重の線が入っていて、ちょっと茶色がかった大きな瞳には、目を見開いた俺の顔が映っていた。
当たり前のようなキスのできる距離。
視線が交差し、時間が溶けていく。数分……実際には数秒にも満たない瞬間が過ぎ、形のいい唇が薄く開いた。
「お兄ちゃん、いいよ」
「ああ、スピーカーとマイク入れるぞ」
画面のほうを向き、設定をオンにする。
ペコリと頭を下げると、画面の6人もぎこちなく頭を下げた。面倒見のいい兄の顔を作り、すっとフェードアウトする。
「遅れてすみません、設定手こずってしまって」
妹が普段より1オクターブほど高い声を上げる。画面からは『いいよいいよー』『お兄さんと仲いいんだねー』などと声が聞こえてきた。
俺はキッチンへ戻ると、まだ冷めていない白湯をぐびと飲んだ。
……危なかった。
夕月の瞳に吸い込まれるかと思った。
吸い込まれたら、俺たちは画面の向こうに兄妹キスをさらすところだった。
まあ危なかったのは一瞬だし、そうなる前に兄として、常識ある人間としての理性が働いたわけだが……とはいえ危なかった。
禁欲中にあの距離で見る夕月は心臓に悪すぎる。
スピーカーから流れてくる会話をぼーっと聞きながら、熱情を落ち着かせる。
『——明日でアーチも完成するねー』
『スローガン書き終わったし、あともうちょいだ』
『あのスローガンさ、やっぱ微妙かな。太陽よりも輝けって、なんか普通じゃねって言われてるの聞いちゃったんだよね』
おそらく考案した委員長らしき男子が苦笑する。すると夕月が身を乗り出した。
「私好きです、あのスローガン」
委員長らしき男子が『ああ、ありがとう』と照れ笑いをする。
まったく。愛想がいいのは結構なのだが、こうやって無自覚に男子を堕とすのはどうかと思う。兄のくせに堕ちきっている俺が言うなという話だが、妹はもっと自分の魅力を自覚したほうがいい。
『浅川さんの考えたスローガンもよかったよ』
『あー私もあれ好きだったな~』
『忘れられない熱を、だっけ』
『いいんだけど文化祭ってより体育祭っぽいって理由でボツになったんだよね』
『でも浅川さんらしくて——』
夕月がスピーカーの音量を下げ、イヤホンを差し込んだ。
「……」
ピンと伸びた背中から無言の圧を感じる。
俺は何も聞いてないぞーといわんばかりに、大きな音で皿洗いを始めた。
「——はい、お疲れさまです」
夕月が妙にかしこまった口調でパソコンに手を振った。
画面の中の6人も手を振り、次々に姿が消えていく。ミーティングが終わったらしい。
見れば、高梨くんの顔が画面の大半を占めていた。
「え、うん……あー打ち上げ、後夜祭のあとだっけ?」
どうやら一人残った高梨くんが話しかけてきているらしい。
俺の兄センサーが反応する。多分高梨くんは妹にアプローチ的なものを仕掛けている。
「……ごめん、私家のことがあるから……うん、不参加の予定」
高梨くんが中途半端に爽やかな笑みを浮かべる。どうやら何かを誘ってみたものの夕月に断られたようだ。
「え、最終日? 実行委員の仕事は多分空くけど……」
不意に夕月がイヤホンを耳から外し、俺のほうを振り返った。
「お兄ちゃーん」
「どした?」
「最終日ってお兄ちゃん来る日だよね?」
二日間のうちどちらの日に行くかは決めていないし、どっちに行くかを夕月と話してもいない。だが俺の妹お助けセンサーが敏感に反応する。おそらく最終日一緒に回ろうと誘われて、断る理由に俺を使いたいのだ。
ならば当然兄としても男としても、全力で乗っかる。
「最終日、夕月が案内してくれるんだろ」
「だよね」
ふっと嬉しそうに頬をゆるめた夕月がパソコンに向き直る。
「ごめん、お兄ちゃんに案内頼まれてるから。……うん、その時間はマユも合流するから……」
しばらくして、ぎこちなく手を振った高梨くんがミーティングから退出する。
画面には、どこぞのアイドルかと思うような美少女だけがポツンと残った。ふぅとため息をついている。
「夕月、おつかれ」
「お兄ちゃん、切ってー」
「へいへい」
それくらい一人で出来るだろうに、妹は少し甘えん坊モードらしい。
仕方ねーなという顔を作ってから夕月のもとへ行く。パソコンを覗き込んで退出ボタンを押そうとすると、妹がコツンと頭をぶつけてきた。
「いてっ」
「いて」
「石頭か」
「脳みそは柔らかいよ」
「かもな」
夕月もパソコンを覗き込みながら、今度は俺のほっぺたにほっぺたを当ててくる。少し火照った肌がびっくりするほど柔らかい。
画面には片方の頬が潰れた兄妹が映っていた。
俺は当然のごとく不細工顔になっているのに、夕月はほっぺたが潰れてもテレビ越しのアイドルみたいに可愛い。……解せない。あらためて顔が似ていないのを実感する。
「お兄ちゃん変な顔」
「言うなよ」
「私も変な顔だ」
「お前は可愛いくていいよなぁ……」
画面の中の妹が目を見開き、やがて怪訝そうに眉間のシワを濃くする。
ほっぺたを離すと、無言で椅子から立ち上がった。
くっついたり離れたり、やはり年頃の妹の情緒は難しいなと思う。
「今日は早めに寝るね」
「おー……ってパソコン開きっぱ」
「お兄ちゃん閉じてー」
「ったく」
パソコンを閉じると、夕月がキッチンで白湯をコップに入れていた。
「それ、まだぬるくなってないぞ」
「そ? ぬるいよ」
「マジか」
「お兄ちゃん」
「ん?」
「ありがと…………白湯」
「おー」
「文化祭、楽しみだね」
「だな。今年は盛り上がりそうでよかったな」
「ふふ、そうだね」
「頑張った甲斐がありそうだな」
「かもね」
「かもって、他人事か?」
「お兄ちゃん」
「ん?」
「やっぱり白湯、ぬるいよ」
妙に甘ったるい声色の夕月がコップを置き、色っぽい吐息を漏らす。
彼女にしては珍しくおやすみの挨拶をせず、そのままキッチンをあとにした。
「……確かにぬるいな」
まだ冷めきっていないはずなのに、なぜかぬるく感じる。
きっと体の内側が火照っているせいだ。
俺は口直しに水を飲むと、意味もなくスマホを眺めた。
文化祭最終日まで——禁欲の日々が終わるまで残り2日。
再びコップに水を汲み、今度は一気に飲み干した。