「おお~、盛況だな」
ひさびさの母校は活気に満ちていた。月曜日だから人も少ないだろうと思っていたが、近所の人らしい夫婦やら、大学生風の若者の姿もある。
正門から校舎までの短いアーケードには屋台が立ち並び、たこ焼きやアップルパイの匂いが漂っていた。
俺が在学時の文化祭よりも数倍は賑やかな気がする。
きっと、夕月の文化祭だからそう感じるのだろう。
正門に建てられたアーチには『太陽よりも輝け!』の文字がでかでかと描かれていた。これにも妹の手が入っていると思うと、歴代で一番いいアーチに見えてくる。
それをパシャリとスマホで撮り、夕月に送った。
『着いたぞー』
メッセージはすぐ既読になったが返信がない。かなり忙しいのだろう。
ここは兄として売上に貢献しなければと、俺は一直線に妹のクラスの『和風カフェ』へ向かった。
夕月の教室は校舎二階の一番奥だ。階段を上って廊下を歩いていると、すでに人でごった返していた。
そういえば文化祭ってこんな感じだったなと懐かしんでいると、『和風カフェ 餅っこ』と書かれた立て看板が見えてきた。
看板を先頭にけっこうな行列ができている。
まさかこの全員が和風カフェ目当てなのかと驚いていると、ちょうど教室から出てきた長身イケメンと目が合った。
あれは……俺の数少ない友人、真名取 丈——ジョーだ。
高校三年間同じクラスで大学も同じという腐れ縁。真ん中分けにウェーブがかった茶髪でチャラそうな感じ。なのに清潔感があるという反則イケメンが、片手を上げて近づいてくる。
「お~アサイチ!」
俺の名前、浅川太一をシンプルに略したあだ名を大声で呼ばれる。
「夕月ちゃん最高だったぞ!」
「……お前、開口一番でそれかよ」
ちなみにジョーは俺の観測史上、夕月に告白して振られた回数の最多記録保持者だ。
ていうか、振られまくった相手の出し物に一人で行くのって気まずくないか? いや、もはや四回も振られていると逆に気まずくないのか。
「いやさ、去年の夕月ちゃんもヤバかったけど、今年はもっとヤバいんだって」
「語彙力消えてんな。あと声でけーよ」
「きっぱり諦めたのになんかさ、もうなんかさ~!」
「だから声でかいって。……てかおい、五回目の告白とかやめろよ」
「しないって。さすがに脈ないって前回で懲りたしさ。それよりアサイチさん」
「あん?」
「今度学部の子たちと遊ぶんだけど、アサイチも来る?」
「無理。家のことあるし」
「だよなぁ~……あ、つーかアサイチも今日一人?」
「一人だけど、ジョーもか?」
「おう。バスケ部OBとして後輩の屋台を邪魔しにきただけだし。ってことで後で一緒に回らん?」
「すまん、このあとは妹に案内してもらう約束してるから」
「ほんとアサイチと夕月ちゃんて仲いいよなぁ」
「普通だろ」
「いやいや仲良すぎだろ。アサイチも過保護っていうかさぁ、あんまりべったりだと夕月ちゃんも窮屈なんじゃん?」
「……かもな」
「あーいやごめん冗談! 兄妹仲いいのは良いことだと俺は思う」
「別に気にしてないぞ」
「ならよかった! んじゃまた大学でな」
「おう、ジョーもあんま後輩たちイジめんなよ」
にかっと爽やかに笑ったジョーが去っていく。相変わらずまっすぐだけど騒がしい奴だ。
(窮屈、か)
初めて言われた気がする。
窮屈。
そうかもしれない。
俺はかなり口うるさいし、夕月のことを縛っている面があるかもしれない。
日がな一日俺といるのではなく、休日はマユちゃんと遊びに出かけたり、同級生と文化祭を謳歌したり、そういう健全で開かれた世界にもっと送り出したほうがいいのかもしれない。妹を思う普通の兄なら、そう願うところなのだろう。
だけど、俺たちは二人暮らしだ。
昔から俺は妹しか見ていなくて。妹には俺しかいなくて。
たとえ窮屈なのだとしても、ずっと二人で生きていく。それが俺たちの当たり前だ。
だからちっともジョーの言葉が心に刺さらない。本当にちっとも。
(……まあ、小言はもうちょい控えるか)
窮屈でも俺に嫌気がさすことはないだろうが、鬱陶しい兄と思われたくはない。
「あ、やば」
ジョーに構っていたせいで行列がさらに伸びてしまった。
俺は慌てて最後尾に並ぶと、妹に『行列すごいな』とメッセージを送った。
既読が付いたのを確認し、順番を待つ。
去年の和風カフェも行列はできていたが、今年はそれ以上だ。もしかして夕月目当てだろうか。
……いやそれは兄バカが過ぎるな。行列には女性も並んでるし。
実際ジョーの言うように、
だけど、だからこそ耐性はついている。妹にぼーっと見惚れてしまう兄なんていう醜態をさらすことにはならないはずだ。多分。
そんなことを思いながら教室の入口を見つめていると、タイミングを見計らったように、見慣れた美少女がひょこっと顔を出した。
「あ、お兄ちゃん」
目が合い、夕月が教室から出てくる。
呼吸が止まってしまった。
後ろに並んだカップルの女性が「え、かわっ」と俺の心を代弁する。
夕月は紺色の作務衣を見事に着こなしていた。
前開きの上衣に、下は同色の長ズボン。
腰には紫色のエプロンがきゅっと巻かれ、そのせいで胸のふくらみが強調され、腰の高さや細いくびれも目立っている。だぼっとした衣装なのに妹のスタイルの良さが分かってしまう。
確か去年はエプロンなんて付けていなかった。
夕月はこの一年で体つきがさらに女の子らしくなったし、顔も美少女から美人になりつつあるし色香だって増している。それでこのボディラインの目立つ格好はヤバすぎる。完全に油断していた。
映画の世界から抜け出してきたような和風美少女が、すぐに俺のところへ来るのではなく、先頭から行列に並ぶ人を数え始める。
胸のところまで手を上げて控えめに数える姿がなんとも可愛いくてヤバい。ただカウントしているだけなのに絵になる。
行列に並んでいる男も女も夕月のことを目で追い、真顔になったりニヤけたりと三者三葉の表情で見惚れていた。
「ごー、ろく、なな……」
妹が俺のところで立ち止まり、後ろをその場で数える。
「マユー、お待ち十五組ー」
夕月が教室のほうへ声を張ると、入口から「はーい!」とマユちゃんがひょっこり顔を出した。
俺を見つけると軽く会釈をしてくれたが、反応できない。申し訳ないが意識は目の前の妹に釘付けだった。
「お兄ちゃん七組目ね」
「いや、組って」
「あ、お一人様?」
「悪いか」
「ぜんぜん」
夕月が頭を振り、茶色がかったポニーテールが揺れる。少しテンション高めな感じがこれまた妹ながら可愛い。
ふと、ポニーテールの結び目のところに見慣れない物体がくっついているのに気づく。
四角と丸、おそらく膨らんだお餅をかたどったプレートで、そこに『餅っこ』と書かれていた。
「その頭についてるのオシャレだな」
「これ? いいでしょ」
少しからかったつもりなのに、夕月は自慢げにプレートを見せつけてくる。
「てか店の名前どうして『餅っこ』なんだ?」
「磯辺焼きが売りだからだよ」
「教室でお餅焼いてんのか?」
「レンチンだけどね。でも砂糖醤油だし甘くて美味しいよ。お兄ちゃんも食べて」
こんな可愛い格好をした妹にお願いされたら財布の限界まで頼みたくなるのが兄というものだ。
「十個オーダーするわ」
「一人二個までだよ。キッチンがパンクしちゃうから」
「冗談だよ。てか昼前なのに混んでるな」
「ね、よかった。昨日はもっと多かったんだよ」
得意げに片眉を上げる妹に、またも呼吸が止まりそうになる。
学校、それも文化祭という浮ついたシチュエーションのせいか、それともひたむきな頑張りが伝わってくるせいなのか、夕月がいつもより数倍輝いて見える。
これはマズい。このままでは大勢の前で、妹にぼーっと見惚れる兄になってしまう。
「夕月」
「ん?」
「作務衣、いい感じだな。紺色も似合う」
「
夕月が恥ずかしそうに小首をかしげて微笑む。
照れさせるつもりだったが、こうも素直に照れられるとこっちが照れてしまう。さっきから、素直に嬉しがる妹が可愛すぎる。
正直こんな妹が働く店があったら俺は毎日通うことになるだろう。これ頼んでーなんていわれたら無限に財布の紐をゆるめる自信がある。
「じゃ、もうちょっとだけ待っててね」
手を振って教室へ戻っていく夕月を、列に並んだ人たちと一緒に見送る。
周囲から、あれが妹とかどんな役得だよとか、あんな妹がいてうらやましいといった視線が向けられている気がした。
夕月が教室に入ると、入れ替わるようにピンク色の作務衣を着たマユちゃんが現れる。
「お並びの方すみませーん! もうちょっとだけ壁側に寄ってくださーい! はい、ありがとうございますっ!」
元気よく頭を下げるマユちゃんに、前に並んだ大学生っぽい三人組が「あの子もやばくね」「胸でっか」と囁き合うのが聞こえた。
文化祭だからこういう外部の輩が来るのは仕方ないが、兄として、妹とその親友にちょっかいを出さないよう見張らなければと心に決める。
まあ妹の作務衣姿に一瞬で虜になってしまった俺が何をえらそうにという話だが。
それはともかく、俺は確信していた。
この行列の理由は間違いなくあの二人——主に夕月だ。
そう本気で思ってしまうほどに、俺の心臓は早鐘を打ち続けていた。
やっとこさ教室に入り、接客係のマユちゃんに案内されて窓際のテーブルにつく。
ここは二人席のようで、教室の机を縦に二つ並べ深緑色の布が被さっている。これだけで和風カフェっぽさが出ている。
手書きのメニューから磯辺焼きと五目おにぎり、和風カップケーキにほうじ茶をオーダーした。
「まいどありです!」と明るい笑顔を浮かべたマユちゃんを見送ってから、教室内を見渡す。
数人の接客係の中から一瞬で妹を見つけた。というか視線が吸い寄せられた。
「あ、おねーさん! 注文いっすか?」
「はい」
さっきの大学生っぽい三人組に、夕月が彼女なりに声を張って応えている。
外行きの透き通った声だ。どこか甘くて色っぽい響きがあり、三人組の一人が「声もやべー」とつぶやくのが分かった。
ナンパでもするんじゃないかと警戒するも、彼らはチャラそうなだけで特に変なことをするつもりはないようだった。
「ご注文を繰り返しますね」
夕月がよどみなく注文を読み上げ、その様子を彼らがニヤニヤしながら見上げている。これくらいの反応は許容範囲だ。俺だって気を抜いたらああなりそうだし。
というか妹の対応がうまい。フレンドリーに接しつつ、丁寧な言葉と雰囲気で絶妙な距離感を保っている。慣れている感じだ。
「あ、ねぇねぇここの他におすすめの店ってある?」
ん?
「他のお店なら、外のたこ焼き屋さんが美味しいですよ」
「たこ焼き屋さんって言い方可愛くていいじゃん」
「俺もこれからたこ焼き屋さんて言おっかなー」
ちょっと馴れ馴れしくないか。
ここは俺がなんでもない用事で妹を呼ぶべきだろう。そう思って口を開きかけたとき、他の接客の女子が声を上げた。
「8卓さんそろそろお料理上がりまーす」
「はーい。では失礼します。ごゆっくりおくつろぎください」
人当たりのいい愛想笑いを浮かべ、夕月がキッチンスペースのほうへ去っていく。
(おお……!)
見事なコンビネーションだ。きっと初日にもこういうことがあり、対応策を練ったのだろう。……昨日も来ればよかった。
夕月はといえば、料理を乗せたトレーを持ってこちらへ歩いてくる。
8卓は俺のテーブルだったらしい。
「お料理お持ちしましたー」
「おい、接客態度すいぶん違うな」
「そ? だってお兄ちゃんだし」
家にいるときみたいな気の抜けた声だ。照れ隠しなのだろうけど、そうなるとからかいたくなるのが兄というもの。
「身内でも接客は丁寧にしないとだぞ」
「へいへい。こちら餅っこ特製磯辺焼きと五目おにぎりと和風カップケーキいろいろと、あとほうじ茶になります」
丁寧な口調なのにちょっと投げやりな感じが面白い。
「はい、どうも」
「お兄ちゃんうざ……」
「悪い。てか、さっきから見てたけどいい接客だと思うぞ」
「ん。ありがと」
トレーをぎゅっと抱えた妹が嬉しそうに微笑む。
だからそういう素直な反応は勘弁してほしい。ただでさえ今も作務衣姿にドキドキしっぱなしだというのに、兄の心臓を破裂させるつもりだろうか。
「あー、そういえばこのあと文化祭を案内してくれるんだよな」
「うん、あと30分くらいしたら休憩入る。お兄ちゃん待てそ?」
「これ完食したらそのくらいになりそう」
「だね」
「そろそろ接客戻ったほうがいいんじゃないか」
「うん。あ、案内するのマユも一緒だけどいい? 休憩時間ズレてるから途中までだけど」
「おーいいぞ。てか俺いないほうがいいんじゃないか?」
「それじゃ意味ないじゃん。マユとは昨日いっぱい回ったし」
「そうか」
「うん。じゃ、おくつろぎください」
小首をかしげられ再び心臓が跳ねる。外行きと身内感の混ざった態度がいろんな意味で可愛い。ヤバい。
(俺もジョーのこと言えないな)
すっかり脳内の語彙力が消失していることに、俺は心の中で苦笑した。
◇
「お兄ちゃん、たこ焼き買うでしょ?」
「夕月が食いたいだけだろ。てか俺もう満腹に近い……」
「なら三人で分けっこしましょっ!」
「おー、それは助かる」
いえーいと浮足立つマユちゃんに、夕月も楽しそうな笑みを浮かべる。
俺は今、作務衣姿の美少女二人と校内を練り歩いていた。
周囲の視線が半端ない。もちろん注目を集めているのは俺ではなく隣を歩く夕月とマユちゃんだ。
俺にも視線は飛んでくるが、彼女たちへのものとは種類が違う。好奇心やら嫉妬や羨みの視線だ。はたから見たら今の俺はさぞかし両手に花なのだろう。
だが彼女たちは妹とその親友。なんらやましいことはない。
……いや妹とはさんざんやらしいことをしているから、やましくはあるのだが。
とはいえ今の俺は二人の保護者だ。
長年夕月の兄として生きてきたおかげで、この手の視線にはかなり慣れている。
俺は表情をデレデレの兄から妹たちを見守る父親モードに切り替え、たこ焼き屋を目指す二人のあとを付いていった。
「夕月、バスケ部の屋台寄っていい?」
「練乳ジュース屋さんだっけ?」
「そうそう、可愛いよね~。私もあとで手伝うんだー」
8個入りのたこ焼きを3個ずつ食べ終えた二人が、アーケードの端にある屋台を見つめる。
「ああ、マユちゃんはバスケ部だったよね」
「ですですっ、うちのバスケ部って今仲いいんですよ! 屋台も男バスと女バスで一緒にやろうって話になって」
「いいね。じゃーそれも奢るよ」
「やったー!」
練乳ジュースの屋台へ行くと、確かに男子と女子が仲良さそうに呼び込みやら提供をしていた。
「やっほ~夕月連れてきたよー!」
マユちゃんが元気よく手を振ると、屋台の中から男女の歓声が上がる。
女バスのチームメイトらしき女子たちが夕月に駆け寄ってきた。
「浅川さんこの前は助っ人ありがとねっ、ほんとに助かったよ~!」
「ねー、もしよければバスケ部入っちゃいなよ!」
ごめんなさい、と申し訳なさそうな顔を浮かべる妹を見て、学校生活をうまくやれているっぽいことに安堵する。
「浅川さん」
腹に響くような低い声の男子が、夕月に歩み寄ってきた。刈り上げの金髪頭で、無表情だが目鼻の整ったイケメンだ。
(てか背高っ……)
多分俺より10センチくらい高い。在学中にこんな高身長の後輩は見たことなかったから、俺が卒業したこの一年で伸びたのだろう。
若い子は成長早いよなーと驚いていると、その金髪くんが夕月にふっと笑いかける。
「この前は助っ人ありがとう」
「はい、えっと」
「黒田。男バスの部長やってる」
「あぁ、黒田先輩。はい、助っ人頼んでくれてありがとうございます」
「ありがとうなんだ。こちらこそなのに。試合緊張した?」
「緊張しました。けど、楽しかったです」
愛想よく微笑む夕月に、金髪くん——黒田くんが優しげに目を細めた。
長年妹を見守ってきた兄のセンサーが反応する。彼も夕月に好意を寄せている一人だ。
静かで熱いまなざしを向ける高身長イケメンと、フレンドリーながらどこかミステリアスな愛想笑いを返す美少女。なんだかすごく青春の一ページっぽい光景だ。
そして俺は完全に蚊帳の外だ。
ふと黒田くんが俺のほうをちらりと見た。誰この人と彫りの深い目元が
「あ、うちのお兄……
「え、あ、どうもっす」
すかさず妹が俺のことを紹介し、一瞬驚いた黒田くんがペコリと頭を下げる。体育会系らしく礼儀が板についている。俺も慌てて頭を下げた。
顔を上げた黒田くんの耳が赤い。それもそうだろう。遠回しにアプローチをしている姿を、よりにもよって相手の兄に目撃されてしまったのだから。
ちょっとだけ気まずい空気が流れるが、マユちゃんの大きな声が打ち消した。
「うぇ~、むずいー!」
「はいマユ失敗~」
悲しそうなマユちゃんがベロを出し、その上にさくらんぼのヘタらしきものが乗っかっている。
見れば看板のところに『さくらんぼのヘタチャレンジ! 口の中で結べたら一杯無料』と書かれていた。
「……浅川さんも挑戦する?」
「あ~、難しそうなんで私はいいです」
黒田くんの問いかけに、夕月が恥ずかしそうな苦笑いを浮かべた。
マユちゃんの分のさくらんぼ練乳ジュースの代金を払い、同じ物を二つ買ってぶらぶらと外を歩く。
ふとマユちゃんがため息をついた。
「こっそり家で練習したんだけどさ~、やっぱダメだったか~」
まださくらんぼチャレンジの失敗を悔しがっているらしい。
すると夕月がなんでもないことのように言った。
「私それ得意かも」
「え、うそっ」
夕月は立ち止まると、無表情のまま斜め上に視線を向けた。数秒もしないうちにマユちゃんのほうへ向き直ると、口を開けて小さい舌を控えめに差し出す。
「うわ、夕月めっちゃ器用!」
ピンク色の舌の上で結ばれたヘタを見て、本能的に股間が硬くなる。
本当にこの妹は器用だ。
キスをするたびにその舌遣いには驚かされるし、この前キッチンでフェラをされたときなんて、舌の動きが想像できないほどのテクニックで気持ちいいところを刺激され、たやすく射精してしまった。
ついあの快感がリフレインされぼーっとしていると、夕月がいたずらっぽい目で俺を見上げていた。
「お兄ちゃんもやってみる?」
「おお」
妹の不敵な挑戦に、俺もさくらんぼのヘタを取って口に入れる。
兄の威信を賭けたチャレンジはあえなく失敗に終わった。
「やっぱり体育館裏はすいてますね~」
三人掛けのベンチに俺、夕月、マユちゃんの順で座る。
ここは休憩所みたいなスペースで、文化祭の間だけカラフルな木製ベンチが何個か設置される。
休憩所というよりカップルなんかがまったりする場所で、つまりは在学中の俺には縁遠い空間だった。
ご多分に漏れず、俺たちの他にはカップルらしき男女が二組、小さい子ども連れが一組座っている。
「お兄さん、今日はありがとうございました」
マユちゃんが夕月の陰からひょいと顔を出して笑顔を向けてくる。
「ああ、奢ったことなら気にしなくていいよ。マユちゃんたちのクラスの売上に貢献しようとお金多めに持ってきたし」
「あ、それもありがとうなんですけどっ、お兄さんのおかげで変に声掛けられなくて済みました」
「あー、昨日は声掛けられたんだ」
「そーなんですよ……昨日も夕月と回ったんですけど、廊下でも外でもやたら声掛けられて、一緒に写真撮ってくださいーとか」
「それはまあ、その格好だったらね」
なまじコスプレっぽい作務衣姿のせいで、記念写真のノリで声を掛けやすかったのだろう。
「ごめんなさいって断ったら、なんかナンパみたいのが始まって、連絡先交換しようとか言われて、ほんとまいりました」
「夕月、マジか?」
「うん、声かけられた」
妹が手元のスマホに視線を向けながら、どうでもいいことのように返事をする。
そんな夕月にマユちゃんが呆れたようなため息をついた。きっと夕月と一緒に歩いていたからナンパされまくったと思っているのだろう。
それは確かに事実だと思うが、夕月が一人で歩いていたら逆にそこまで声は掛けられなかっただろう。
うちの妹は話すと意外に気さくだが、一人のときは近づきがたいオーラを纏っているのだと、以前ジョーが言っていた。
だけど、いい意味で気安い雰囲気のあるマユちゃんが一緒にいると、途端に話しかけやすい雰囲気になる。二人で街歩きなんてさせたらナンパやスカウトの格好の的だろう。
やっぱり昨日も来ればよかった。
兄として後悔していると、夕月が「あーごめん」とマユちゃんのほうを向いた。
「え、どしたどした?」
「実行委員のヘルプで呼ばれちゃった。A組のお店で届け出漏れのメニュー出してるっぽくて。私予算管理の担当だから、ちょっと確認してこないと」
妹が言いながら立ち上がる。
マユちゃんも腰を浮かせるが、夕月はそれを手で制した。
「マユとお兄ちゃんはそこで休んでて。10分くらいで戻るから」
「あ、うんっ、わかった」
「お兄ちゃんマユのことお願いね」
「任せろ」
「ちょっとー私子どもじゃないよ~っ」
「マユ一人だとまた声掛けられちゃうでしょ」
「いってらっしゃい夕月」
「うん、いってきますお兄ちゃん」
微妙に勘違いをしているっぽい妹が、小走りで去っていく。
「……」
またしても、妹の友だちと二人になってしまった。
途端に場が静まり返る。
もともと静かな場所なので木々のざわめきがうるさく聞こえる。
葉の隙間から差し込む木漏れ日があたたかい。
他のベンチでは家族連れやカップルがくつろいでいる。
……うん、微妙に気まずい。
マユちゃんが空になったプラスチックカップの氷をカラと回した。
賑やかな子だと思っていたけど今はなぜか氷をじっと見つめている。
退屈なのだろうか。ここは親友の兄として、なにか共通の話題——妹や学校のこととかを話して場を和ませないと。
そんなふうに決心したとき、マユちゃんのほうが口火を切ってくれた。
「あ! すみません! 私そろそろバスケ部の屋台手伝わないとでしたっ」
「え、そうなんだ。なんかごめん」
「いやなんでお兄さんが謝るんですかっ! あー夕月にメッセしとかなきゃ~」
マユちゃんがスマホを高速でタップする。あっという間に打ち終えると、ふーとそよ風に負けないくらいのため息をついた。
「あの私、もう行かなきゃなんですけど、ちょっとだけいいですか?」
「ん? うん」
訳も分からず返事をすると、マユちゃんが俺のほうを向いた。
一人分が空いた距離から、じっと見つめられる。
「あのっ、お兄さ……じゃなくてえっと、太一さん」
「はぇ⁉」
不意に下の名前を呼ばれて変な声が出る。押し殺したようなマユちゃんの声よりも、俺の素っ頓狂な返事のほうが響いてしまった。
「私と! ……付き合ってほしいです」
「え、俺?」
「はい……好きなので……この前お家に泊まらせてもらったときに、もっと好きになりまして……メールとかで告白しようと思ったんですけどアドレス知らないし、それに振られるなら面と向かってのほうがいいなって思って」
「……そうなんだ」
「私、きっぱり振られないと次に進めないタイプなんです。ごめんなさい」
「……」
小さく頭を下げるマユちゃんを見て、やっと俺も状況に追いついてきた。
どうやら俺は妹の親友に告白されたらしい。それも俺に断られる前提で。
(告白か……)
俺が誰かに告白されるなんて、今の今まで思ってもみなかった。そうだったことに今気づいた。
きっと夕月しか見ていなかったからだろう。いざ告白されて、誰かと付き合うことなど微塵も考えていなかったことに、改めて思い至る。
マユちゃんと付き合う。……俺と夕月が普通の兄妹だったら、そんな世界線もあったのかもしれない。
だけど、想像できない。
妹以外の誰かとショッピングをしたりラーメンを食べたり一緒に住んだりするのが、想像すらできない。
やっぱりずいぶん昔から、俺は夕月に堕ちていたらしい。まったくどうしようもない兄だ。
「……ごめん、マユちゃんとは付き合えない」
「はい、知ってますっ。ありがとうございます」
「なんかごめん」
「大丈夫です! お兄さんに彼女さんいるの知ってますし、私こそすいませんっ」
「彼女というか……まあそうだね」
「うん……私こういうのさっぱりしてるほうなんで、だから今までみたいに夕月の友だちとして接してもらえると……。夕月にも心配かけたくないし」
「ああ、もちろんだよ」
「もちろんですか……はぁ」
マユちゃんが諦めたように微笑みながら、肩を落とす。
チクリと胸が痛む。告白を断る罪悪感というものを初めて知った。夕月は、何度もこれを味わってきたのだろうか。
「ちなみにお兄さんにとって彼女さんて、どんな人なんですか?」
気を取り直した、いやそういう振る舞いをしようと決めたらしいマユちゃんが、無邪気な口調で聞いてくる。
「うーん、べつに……一生隣にいたいし、いてほしいと思ってる存在って感じかな。まあ普通だよ」
「え、それって普通なんですか」
「大事な人なら当たり前だと思うけど」
なぜか目を見開いて口を半開きにしていたマユちゃんが、またしてもため息をつく。
「……かもですね。やっぱりお兄さんいい感じです」
「え」
「あっ、そういう意味じゃなくて、人としてっ!」
「ありがとう」
人としてはかなり踏み外していると思うが。
「私屋台を手伝いにいきますね!」
「ああ、じゃあまた」
「はい、ぜひまた!」
大きく手を振るマユちゃんに手を振り返し、一人ベンチに寄りかかる。
マユちゃんの好意は素直に嬉しい……と思う。振ってしまったことに罪悪感もある。多分これは人並みな感情だ。だけど、それ以上に妹のことを考えてしまう。
夕月がこのことを知ったらどう思うだろうか。
というかマユちゃんが俺にそういう気持ちを向けていたことを、夕月は知っていたのだろうか。
知っていたとして、どう思っていたのだろうか。
なぜか、小さい頃の妹を思い出す。
俺が小学校の修学旅行に行くと言ったとき、夕月は口をへの字にして「おいてかないで」と泣いた。幼いながらそれが無理なわがままだと分かっていたのだろう。それでも我慢できないとばかりに涙を流し、控えめに俺の服の端っこをつかんで。
そんな妹を、俺はどうしようもなく抱き締めたくなって——。
「A組って言ってたよな」
ベンチから立ち上がり、妹がいるだろう場所へ向かう。
校舎裏の角を曲がると、「あ」と口を開けた夕月が立っていた。
「おわっ、夕月」
「え、お兄ちゃんどこ行くの?」
「いや、A組に迎えに行こうと思って」
「ふーん」
妹が口を尖らせる。なんだか意味深だ。もしかしたら俺がマユちゃんに告白されるところを目撃したのかもしれない。
「あー、マユちゃんはバスケ部の屋台手伝いに行ったぞ」
「知ってる。マユからメッセもらったし」
「そうか」
「ん」
「……まだ休憩時間残ってるだろ? もうちょい一緒に見て回るか」
「うん」
夕月がいいよと眉を上げる。
いつもの何も考えてなさそうな表情に胸を撫で下ろす。どうやら告白は見られていなかったみたいだ。
あらためて、妹と一緒に校舎へ入る。
マユちゃんがいたときとは違って、お互いの肩が何度も当たり服がこすれる。俺たちが二人でいるときの、兄妹の距離感だ。それが無性に安心する。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「さっきマユに告られてたね」
「……見てたのか」
やっぱり目撃されていたらしい。
だけど夕月にショックを受けている様子はなく、むしろ兄をおちょくる妹という感じだ。またも内心でほっと胸を撫で下ろす。
「あーあ、お兄ちゃん振られちゃった」
「俺が振られたのか」
「ちがうけど。でももったいな~」
いつもの、仲のいい兄妹の気安いやり取り。
だけどなんとなく夕月が無理をしているような気がした。
彼女の小さい頃の姿を思い出したせいだろうか。
さっきから、家の外にしては体も近い気がする。妹が甘えてくるときの、今にもしがみついてきそうな距離感だ。
ほのかに心配していると、夕月が「あ」と何かを思い出したように立ち止まった。
「どした?」
「お兄ちゃん、資料室寄ってもいい?」
「資料室って校舎の一階にある部屋だっけ」
「うん、奥にあるとこ。実行委員会の部屋に使ってるんだけど、さっきのA組の件をパソコンに打ち込んどかないと」
そんなの事後報告でもいいだろうに、相変わらず生真面目な妹だ。
一階の職員室の前を通り過ぎると、途端に人の姿が少なくなる。展示や出し物は上階に集中しているので、このあたりは今校舎の中で最も静かな一角だ。
資料室の前まで来ると、俺はわずかに身を引いた。
「じゃー外で待ってるわ」
「入んないの?」
「いやさすがに部外者だし、実行委員の子たちも気まずいだろ」
「誰もいないよ、ほら」
夕月がポケットから鍵を取り出し、慣れた手つきでドアを開ける。
在学中は一回も入ったことのない資料室は、文字どおり壁棚に資料や本が詰め込まれ、紙独特の匂いがただよっていた。部屋の真ん中には長机が置かれ、それを囲むように椅子がいくつも置かれている。
「ほんとだ」
「文化祭始まったらミーティングとかしないし。予算管理の私くらいしか用ないんだ」
「そうなのか」
中に入ってという空気を夕月からひしひしと感じる。
わかってる。
妹は人のいないところで俺に甘えたいのだろう。
兄として素直に部屋へ入る。
俺の背後でカチャリとドアの閉まる音がした。
ふっと部屋が薄暗くなる。資料室は光源が正面の窓しかなく、そこもカーテンで覆われていた。
夕月はその窓際の、おそらく委員長が使っているパソコンの前に座ると、よどみなくキーを打ち始める。
体感で三分もしないうちに、タイプ音が鳴り止んだ。
「うー……」
妹が頭だけを机に突っ伏し、くたびれたーという声を上げる。まるで家にいるときのような姿に、兄としての庇護欲がうずく。
「おつかれ、夕月」
近づき、小さい後頭部に手を置く。『餅っこ』と書かれたプレートが外れないよう優しく頭を撫でると、妹がおでこでぐりぐりと机をこすった。
「つかれた」
一緒に寝ているときみたいに弱音をこぼす夕月を、さらに撫でる。
体感で三分かそれ以上か分からないくらい撫でていると、妹が「ん」と言って立ち上がった。
「お兄ちゃん、励まして」
瞳を潤ませた夕月が、両腕を控えめに広げた。
彼女の求めるものは分かりきっている。
さっきドアを閉めたときに鍵を掛けたのはそういうことだ。ただの兄妹のハグだけでは済まない。その先のキスを夕月は望んでいる。もしかしたらその先も。
でもここは妹が通っている学校で俺の母校でもある。さすがにセックスをおっぱじめるほど、俺たちは常識から外れていない。だからキスまで。そう夕月とアイコンタクトをする。
「へいへい」
仕方ないなという感じで返事をする。
だけどズボンを突き破りそうなほどに勃起した股間に、妹はとっくに気づいているだろう。
でもそこをチラリとも見ないのは、彼女もキスで終わらせるつもりだからだ。
なら、何も問題はない。
俺は半歩の距離を詰めると、今にも泣き出しそうな妹を抱き締めた。