実行委員のみんなと一緒に、体育館で後夜祭の準備をすすめる。
MCが使うマイクをチェックし、来場者用に並べていたパイプ椅子を全部片づける。後夜祭は全員スタンディングで開催されるから。
最後のパイプ椅子をステージ下に格納し、涼しい空気を吸おうと外へ出る。
「浅川さん」
「あ、はい」
声を掛けてきたのは男バスの部長さんだった。
金髪で、お兄ちゃんよりも10センチくらい背が高い人。黒田先輩。声もお兄ちゃんより低い。
「ごめん、準備中に」
「いえ、もう終わりました」
「そっか」
「はい」
「まだその格好してるんだ。作務衣だっけ」
「はい。後夜祭で人気店の発表あるので」
「暑くないの」
「暑くないですよ。通気性いいし」
「暑そうだよ、汗かいてる」
「そうですか?」
「うん」
「……」
「浅川さん、後夜祭のあと予定ある?」
「後夜祭のあとですか?」
「そう。浅川さんに話したいことあって」
「ごめんなさい。すぐ帰らないとなので」
「あぁ、ならSNS教えてもらってもいい?」
「どうしてですか?」
「いや、ごめん。いきなり教えてとか嫌だよな」
「必要ならいいですよ」
「大丈夫。面と向かって言ったほうが伝わるし」
「はい」
「ちょっと場所移動できる?」
「場所?」
「俺ら、めっちゃ見られてる。実行委員の子たちに」
「見てますね」
「……浅川さんて、意外に面白いんだね」
「意外にですか?」
「ふ、ごめん。練習と試合で真面目な印象あったから」
「そうなんですか」
「浅川さん、自分がどう見られてるかとか、気にしなそうだね」
「けっこう気にしますよ」
「そっか」
「はい」
「……ここだと、ちょっときついな」
「なにがですか?」
「こんなに注目されてると、どうもな……部室棟とか難しい?」
「もうすぐ開場なので、5分くらいなら大丈夫です」
「行って戻るだけで過ぎちゃうな」
「ですね」
「やっぱり浅川さん面白いよ」
「言われたことないです」
「ふっ、くく……それはないって」
「……」
「ごめん、話は今度にする。また話かけていい?」
「はい」
「ほんと、不思議な人だね」
「そうなんですか」
「……俺のことって、どう見える? 浅川さんから見て」
「真面目な先輩だと思います」
「それだけ?」
「バスケうまいですよね」
「そっか……ありがとう」
「……」
「俺、行くわ。また」
「はい。また」
黒田先輩が去っていく。
「……」
体が熱い。ずっと熱いまま。
体育館の壁によりかかる。
今も乳首がジンジンする。お兄ちゃんに触られたところが全部熱い。
資料室でお兄ちゃんにぎゅってしてもらった。あの体が締め付けられる感じがまだ残ってる。気持ちよくてドキドキして、安心できて、お兄ちゃんの匂いしかしなくて。
久しぶりのハグだったから、すごく嬉しくて。ずっとそうしていてほしくて。お兄ちゃんのキスが——。
「っ、……」
唇に触れてみる。まだお兄ちゃんの唇がくっついてる気がする。お腹の奥が熱くなる。あんなキス、知らなかった。体が震えて、泣きそうになって。もっとほしいのに、頭がヘンになるくらい気持ちよくて。服の上からお兄ちゃんが背中を撫でてくれて、胸を、さわられて……それだけで何度も、何度もイっちゃって。今も、思い出すだけでアソコが濡れて……。
きっと、いっぱい我慢したから。
さっきマユが、お兄ちゃんに告白したから。
『お兄さんに告白してみる!』
テンパってるようなスタンプと一緒に送られてきたメッセージを見て、すぐに校舎裏へ向かって、急いでるのに足が重くて、校舎の陰から覗いたらお兄ちゃんとマユが向かい合って話してて……私は咄嗟に壁に隠れて。
あのときは一瞬、地面が崩れる音がした。お兄ちゃんとマユがすごく遠くにいるように見えた。
誰かに告白されている——好意を寄せられるお兄ちゃんを初めて見てしまった。
ちょっとしたらマユが一人でこっちに来て、私を見つけて「振られた~!」って抱きついてきて、私も抱き締め返して、でもマユに掛ける言葉が出てこなかった。
マユがバスケ部の屋台を手伝いに行っても、私はしばらくその場を動けなくて。ただ心臓の音だけがうるさくて……ほっと胸を撫で下ろしたいのに、お腹の底が冷たくなっていく感じがした。
お兄ちゃんがどこかに行ってしまう恐さと、どこにも行かなかった嬉しさで、お兄ちゃんがマユを振ったことを、私はどう感じたらいいのかわからなくなって。
涙が出そうになって、すぐにでもお兄ちゃんと体をくっつけないと、おかしくなってしまう気がした。
だから資料室に来てってお願いして、学校で……あんな恋人みたいなキス、してもらって。
付き合うって……なんなんだろう。
私にはよくわからない。
お兄ちゃんとそういう関係になったとして、今と何が違うんだろう。結婚は……想像できるのに。多分今と変わらないから。一緒に起きて、ご飯食べて、お風呂入って、いっぱいエッチして。
「ん……」
アソコが、また。
他のこと……考えなきゃ。
『後夜祭そろそろ。終わったらまた連絡するー』
気分を変えたくてお兄ちゃんにいらないメールを送る。
片づけを終えた生徒たちがぞろぞろと体育館に向かってくる。みんな楽しそう。私も、こんなに楽しい文化祭は初めてだった。きっとお兄ちゃんと回ったから。
兄と妹としてだったけど、人目を気にしないで、学校で堂々とデートができた。初めてのライブもすごくよかった。ずっと隣にお兄ちゃんがいて、お兄ちゃんの体温と匂いを感じていたせいだ。私は、初めては全部お兄ちゃんとがいい。
――あんまりべったりだと夕月ちゃんも窮屈なんじゃん?
お兄ちゃんが来る前、教室の外からジョーさんの大きな声が聞こえてびっくりした。
お兄ちゃんはあのとき、なんて答えたんだろう。
私は、ぜんぜん窮屈じゃない。
ぜんぜん足りない。
本当はもっと構ってほしいし、見てほしい。もっとしゃべりたいし、ただそばにいてくれるだけでもいい。小言でもいい。どういう形でもいいから、もっと一緒にいてほしい。お兄ちゃんにくっついていたい。いくらでも私を窮屈にしてくれていい。お兄ちゃんになら、なんでも——。
「お、浅川さんだ」
「夕月おつかれ~」
校舎のほうからクラスメイトたちが歩いてきた。それぞれ色違いの作務衣を着ていて、みんな似合ってる。
「みんなもお疲れさま」
「浅川さん、もう体育館入っていいの?」
「うん。前のほう詰めちゃって、先着順だから」
「よっしゃっ、出し物の人気発表、最前列で見届けるか!」
「あ、そ~だ夕月、さっき男バスのキャプテン先輩に告られてた?」
クラスの女の子の言葉に、他の子たちが黙って私のほうを見る。
「え、黒田先輩?」
「そうそう。さっき他のクラスの子が見たって言ってたんだけど」
「うん、普通に話してた」
「あーそなんだ~。じゃー勘違いかな。連絡先とか交換したの?」
「ううん、してない」
「え~」
納得いかないみたいな顔をした女の子が、他の子に押されて体育館へ入っていく。
やっぱり、男女のアレコレはいまいち分からない。
「浅川さん」
クラスメイトたちとすれ違うようにやってきた高梨くんに声を掛けられる。
「高梨くん……あ、実行委員の仕事ってまだあるんだっけ?」
「いんや、もう仕事ないから後夜祭楽しんで~って、委員長から言われた」
「そうなんだ。じゃあ、お互いお疲れさま」
「ああ、うん。それでさ、浅川さんて後夜祭のあとの実行委員の打ち上げ、出ないんだっけ」
「うん」
「やっぱ出ない? ほら、委員長たち今年で最後だし」
「ごめん、家に帰らないとだから」
「あ~、だよな。そういえば今日ってお兄さんと回ってた? あの二人で暮らしてるっていう」
「うん」
「やっぱり。前にリモート会議で見たときと雰囲気違ったから、服装とか。彼氏かなとか思っちゃったわ」
「お兄ちゃんだよ」
「っ……」
彼氏だと思われたことがなんだかくすぐったくて、つい顔がほころんでしまう。
今日のお兄ちゃんは珍しくジャケットを着ていた。黒の襟付きのやつ。三者面談に来てくれたときと同じ格好だったから、ちょっと笑ってしまった。
やっぱりお兄ちゃんは面白い。
ジャケット似合うから、もっと着ればいいのに。
「浅川さんさ、後夜祭って人気店の発表やるじゃん? 来場者投票で決めるやつ」
「うん」
「さっき委員長にこっそり聞いたんだけど、1位は今年も和風カフェだって」
「そうなんだ……やったね」
「浅川さん効果だよ」
「え、どうして私?」
「いやほら、だって、作務衣……似合ってるし。
「…………ありがと。でも1位はみんなで頑張ったからだよ。内装も凝ったし、みんな作務衣似合ってたし、高梨くんも調理担当頑張ってたよ」
「あ、うんそれなっ、みんなで頑張った」
お兄ちゃん以外の人にほめられて、なんでか体が固まってしまった。
今はお兄ちゃんに、作務衣をほめてほしい。もっと——。
——お前は可愛いくていいよなぁ。
リモート会議をしたあと、お兄ちゃんに言われた言葉がずっと頭から離れない。
ちゃんと言われたのは初めてだった。下着とか胸じゃなくて、もっと。私のことを妹としてじゃなくて……ううん、お兄ちゃんになら妹としてでも、なんでもいい。
だからまた可愛いって、言ってほしい。
「ごめん、高梨くん」
スマホを見る。お兄ちゃんの既読は付いてるけど返信はない。きっと寝てるんだ。
「後夜祭、出れない」
「え!? あ、家の用事?」
「……うん、そんな感じ。ごめん」
「あー……おっけ。俺からみんなに言っとくわ」
「うん、ほんとにごめん」
「いい、だいじょぶ! じゃーまたね」
「ありがとう」
申し訳なさを噛み殺して、体育館をあとにした。
校舎へ入り、教室に行ってカバンを取る。
また廊下を走って校舎を出て、アーチをくぐる。
駅までの道を駆けていると息が切れてくる。でも足が止まらない。
今は早く、お兄ちゃんに会いたい。
改札に滑り込んで、電車に飛び乗る。
一息ついてスマホを見ると、やっぱりお兄ちゃんからの返信はなかった。
きっと、絶対寝てる。
さっき後夜祭に出るってメールしたから、今ごろ安心して、私が帰ってくるまで仮眠をとってる。
お兄ちゃんはこの一週間、すごく寝不足だったから。
私の分も家事をして、私より早く起きて朝ごはんを作ってくれていた。実は定期テストがあったのを知ってる。大学の課題がたくさん出されていたのも知ってる。私が寝たあと、自分の部屋で深夜まで勉強してた。この前トイレに起きたときお兄ちゃんの部屋からパソコンの音が聞こえてて、私がトイレから出たら静かになってた。きっと私が心配しないように寝ているふりをして、それで朝にはたっぷり寝たみたいな顔しておはようって言ってくれて……。
やっぱりこんなお兄ちゃん、誰かに知られたくない。
優しいのも、私だけにしてほしい。
気づいたら最寄り駅だった。
慌ててホームに降りる。
ちょっとだけ足取りが重くなる。
こんな時間に帰ったらお兄ちゃんは絶対びっくりする。修学旅行のときの私みたいに。
ううん、きっと残念がる。後夜祭を楽しんできてほしいって、お兄ちゃんは思ってるはずだから。
お兄ちゃんとセックスしたくて早く帰ってきたなんて言ったら、ぜったい怒られる。
怒られても、許してくれなくてもいい。
いっぱいエッチして、いっぱいお兄ちゃんに気持ちいいことしたい。ちゃんと謝って、それで……可愛いって言ってほしいってお願いしたら、きっとお兄ちゃんはうんざりした顔で言ってくれる。私はそれだけでいい。
勝手な自分に罪悪感を覚えながら、改札を通る。
早く会いたい。
「おー、おかえり夕月」
呼吸が止まった。
目の前に、ジャケットを着たお兄ちゃんが立っていた。
「え……お兄ちゃん……」
うまく声が出せない。
当たり前のような顔でお兄ちゃんが近づいてくる。
どうして?
やっぱりお兄ちゃんは意外性のかたまりだ。
※次話からえちち回です