夕月と別れ、階段状になっている観客席へ向かった。
妙に男子の数が多い気がする。普段着だが、おそらく妹と同じ学校の生徒たちだろう。その証拠に、一人遅れてストレッチを再開した夕月を見て、何やら話し込んでいた。
「ジャージ脱いだんだ」とか「ユニフォーム姿やば」なんて下世話な言葉が聞こえてくる。もうちょっと聞き耳を立てようと彼らに近づくと、背後から声を掛けられた。
「アサイチ、よーっす」
振り返ると、俺の数少ない友人――
真ん中分けにウェーブがかった茶髪。だけど清潔感があり、目元は細く顔立ちが整っている。高校ではイケメンに分類されていて、気さくな性格のせいか男女ともにモテまくっていた。
「ジョーか、お前まだそのあだ名で呼ぶのかよ」
「浅川太一だからアサイチ、いいネーミングだと思ったんだけどなぁ」
「結局ジョーしかそう呼ぶ奴いなかったよな」
「アサイチが交友関係広げようとしなかったからだろ~」
人懐っこい笑みは昔から変わらない。大学は学部が違うので接する機会はほとんどなく、こうやって話すのも久々だ。
「てかジョーもこういうの観に来るんだな……夕月目当てか?」
「いやいや俺、バスケ部OBだし! ……まあ、それもあるけど」
何を隠そうジョーは、夕月相手に玉砕していった男の一人だ。昔家へ遊びに来たときに一目惚れし、以来三度告白し、三度とも見事に振られている。そのたび俺に玉砕メールを送ってきて、そういう律儀なところは好感が持てたりする。
俺がジョーと友だち付き合いをやめなかった理由の一つだ。以前は彼女をとっかえひっかえだったらしいが、夕月に惚れてからは女付き合いを絶ち、一途な態度を取り続けている。
まあ夕月に配慮して、うちを出禁にはしているが。
「なあアサイチさん、改めて夕月ちゃん紹介してもらえんかな……」
「いやお前、普通兄貴に妹紹介してとかいう奴いるか?」
現に高校時代は一度も、そういうことを頼んでくる奴はいなかった。ジョー以外は。
「別にそんなん普通だろ」
「普通……なのか?」
「いや分かるよ、妹の色恋とかってうえ~ってなるよな。でもそれを承知で頼むくらいマジなんだって」
「……妹のどこがいいんだ?」
前にクールなところもミステリアスでいいとは聞いたことがある。
「そりゃあ、兄からしてみりゃ妹なんてそんなもんだよな。でもさ、俺からするとめっちゃ可愛いんだよ……テンションがいつも一緒っていうか、誰とでも分け隔てなく話すのに常に一線引いてるっていうか、隙がありそうで無いっていうかさ、どっか達観してるっつーか。なのに学校行事とかはすげぇ真剣に取り組んだりするじゃん? そういうギャップもたまんないっていうか、頼まれるとああやって助っ人引き受けちゃうくらいお人よしなところも天然でいいっていうか……まあ、あと顔もめちゃくちゃ好みです」
ここぞとばかりに夕月の魅力をアピールしてくるジョーに、若干引く。
まあでも。
「お前、よく見てんな……」
少なくとも俺の次くらいに夕月のことをしっかり見ているのではないだろうか。
本来なら妹は、こういう爽やかで一途で性格のいい高身長イケメンがお似合いなのだろう。兄としても、こいつになら任せてもいいと思える要素を兼ね備えているし、きっとそれが正しい。
でも、今の俺はそういう気持ちに全然なれなかった。
「夕月が行事とか助っ人とか頑張るのは内申のためだぞ。推薦で学費の安い国立行きたいんだと。それに家じゃ隙だらけっつーかのほほんとしてるし、天然っていうよりあれはド天然だ。忘れ物もよくするし、朝とか寝ぐせもすごいぞ」
つらつらと妹の悪口を羅列してしまう。
「いやアサイチ……それ全部可愛いしかないんだが」
「……そうか?」
「はぁ、前から思ってたけどアサイチってほんと妹大事よなぁ……シスコン?」
「いや普通だろ」
「まぁあんな可愛い妹だったら無理もないかー、いいなぁ、俺も夕月ちゃんの兄貴になりてー」
「お前、妹になったら付き合えないぞ」
「そんなん当たり前だろ」
何をそんな常識をという感じで言われ、ドクンと心臓が波打つ。
それは確かに、当たり前だ。
なんとなく夕月のほうを見つめていると、ジョーが「あそこに座ろうぜ」と指差す。そこはさっき夕月の話で盛り上がっていた男子たちの真後ろの席だった。
席に座ると、隣にどっかりと腰を下ろしたジョーがニンマリと口角を上げる。コイツらの話を盗み聞きしようぜ、とその意地の悪い顔が語っていた。
俺もそのつもりだったので、男子たちの会話に聞き耳を立てる。
「――浅川さん、やっぱいいわ~」
「俺この前連絡先交換したぜ? グループメッセだけど」
「マジかよ、なんで!?」
「いやほら、修学旅行の班一緒だからさ。先にグループ作っとこーぜって話になって、流れで?」
「あーそっかー! 素直にうらやましいわ……!」
どうやら彼らは夕月と同じクラスらしい。
「お前そんなに浅川のこと狙ってたっけ」
「この前調理実習で一緒になってさ、そしたらめっちゃてきぱき料理してくれんの。ザ・いいお嫁さんて感じで……ガチで萌えたわ」
「あー確かに浅川のエプロン姿はやばかったな」
「だよな。普通に可愛いし」
「可愛いってか美人系じゃね」
「料理までできるのは盲点だった」
「そいや前、2組のヤツが告ったって聞いたな」
「げ、誰!?」
「忘れたけど、確かほら、イケメンの……ほら」
「ああ松下か。あいつ前から浅川さん狙ってたよな。んで、どーせ振られたんだろ」
「いや結果までは聞いてない」
「浅川って恋愛とか興味ないんだろ? 絶対振られてるよそいつも」
「もう十人くらいに告られてんじゃね。無駄なのによーやるよな」
ふとジョーのほうを見ると、目を閉じて苦々しい顔をしていた。過去に何度も振られたときのことを思い出しているのだろう。
「でもさ、浅川さんて話してみると意外に話せるっていうか、フレンドリーだよな」
「あーそれな。そのギャップにみんなやられるんだよ」
「でもいざ距離詰めようとするとさっと離れてくんだよな。その感じが絶妙っつーか、クセになるっつーか」
「うわ……経験者は語るみたいなやつだ」
「うっせー、浅川に惚れないやつなんて基本いないだろ」
「男子は一度必ず浅川を通るってやつ? そんでみんな身の程を知るっていうね」
ジョーが眉間を押さえて下を向く。もうHPはゼロという感じだ。
そのときビーとうるさい電子音が体育館に響いた。夕月を含めた女子部員と、相手チームが向き合って並ぶ。いつの間にか、試合開始の時間になっていたらしい。
一礼して各ポジションに散らばると、再び電子音が鳴った。高く上げられたバスケットボールを、相手チームの女子が奪い取る。
「お、始まった」
「浅川頑張れー」
「おぉ、パスカットめっちゃ上手いな」
相手チームからボールを奪取した夕月が、数歩ドリブルをしたあと味方チームの女子にパスをした。バスケはあまり詳しくないが、夕月のポジションは中盤でボールを回す役らしい。
ポニーテールの髪を揺らしながら、相手チームを見事に翻弄している。
(すごいな)
更衣室であんなに緊張していたのが嘘のようだ。なんだか誇らしい気持ちになり、気づけば一心に夕月のプレイに見惚れていた。
しばらくすると夕月のパスを警戒したのか、彼女へのマークがきつくなる。すると彼女はパスをする振りをしてフェイントをかけ、そのまま相手をドリブルで抜き去りひゅっとボールを投げた。
ストンと音もなくゴールを通過したボールが、床にバウンドする。おぉ、と観客席からも歓声が漏れた。
彼女はチームメイトとにこやかに両手を叩き合うと、また凛とした表情に戻る。
格好いいなと素直に思った。隣のジョーも、まるで熱狂的ファンのような視線を送っている。
「――なぁ浅川のブラ、見た?」
唐突に前の席から空気の読めない言葉が上がる。苛立ちながら聞き耳を立てると、彼らは試合を見ながら会話を続けた。
「は、お前何言ってんの?」
「いやほら、シュート打つときさ、脇のとこから黒いブラジャーが」
「インナーだろ」
「つーか浅川の色気やばくね」
「あー、分かる」
「前からやばかったけど、最近は特に増してるよな」
「大人の色気っつーの? なんか仕草とか全部がエロいっつーか」
「だよな……あ、ほら浅川またシュート打つぜ――」
彼らの視線が夕月の一点に集中したのが分かった。
次の瞬間、俺は彼らの意識を刈り取るような大声を上げていた。
「夕月、いけっ!」
ビクンと震えた男子たちが振り返り、ぎょっとする。そのうちの一人がジョーを見て「あ、ジョー先輩」とつぶやいたのが分かった。もう一人が俺に視線を移し、さっと逸らす。
俺はこう見えて高校では有名人だった。もちろんあの夕月の兄としてだ。それから男子たちは気まずそうに肩を縮こませ、行儀よく試合観戦を始めた。
溜飲が下がるというよりも、後ろめたさのような気持ちがジワリと広がっていく。
夕月で盛り上がるこの男子たちも、隣で一心に彼女を応援するジョーも差し置いて、兄である俺が彼らの想像も及ばないようなエロいことを夕月としているのだ。彼女の色気が目に見えて増してしまうほどに。
それは申し訳なさと――わずかな優越感の入り混じった、仄暗い感情だった。
ビーと電子音が鳴り、再び選手たちが一列に並ぶ。
夕月たちは僅差で勝利をもぎ取った。その立役者が彼女であることは誰の目にも明らかだ。
挨拶を交わし、選手たちがベンチへと戻ってくる。
夕月が立ち止まり、観客席を見上げた。さまよっていた視線が俺を捉えると、途端にドヤ顔を浮かべてみせる。
汗だくになり、前髪をおでこに張り付かせて得意げな表情で見つめてくる夕月が、妙にエロい。全身から色気を放っている。
俺が努めて邪気のない笑顔を送ると、ふんわりと彼女が微笑む。だが、はっと何かに気づいたように後ろを振り返った。そこには同じく汗だくでふにゃりとした笑顔を浮かべるマユちゃんがいた。
夕月はもう一度俺のほうを見上げると、今度はいたずらっぽく微笑んだ。
(エロ
彼女の口がそう動いたのが分かった。
いや、見惚れてたのはマユちゃんじゃなくてお前なんだが。
視線でツッコミを送っていると、隣のジョーがなんともいえないため息を漏らした。
「やっば、今の顔なに……」
思わずジョーのほうを向くと、二重の細目と視線がぶつかる。
「なぁアサイチ」
「お?」
「俺さ、あとで夕月ちゃんにまた告ってみるわ」
「……マジか」
「ああ、それでもし振られたら、もうきっぱり諦めるよ。四度目だし」
「そっか」
目の前の男子たちがとても気まずそうに硬直している。だがジョーは気にすることなく言葉を続けた。
「告ったら、またメールで報告する」
「わかった」
「できれば健闘を祈っててくれ」
「邪魔になるかもだから、俺先に帰るわ」
「お、おお、了解」
席を立ち、体育館の出口へと向かう。
健闘を祈ってほしいと言われ俺は返事ができなかった。妹はジョーをまた振る。なんとなくそれが分かっていたからだ。
――振られたら、もうきっぱり諦めるよ。
その言葉に安堵してしまった顔を、俺はジョーに見せたくなかった。
体育館を出て、最寄り駅近くにあるカフェで時間を潰すことにした。
夕月たちの試合が終わっても、今度は男子部員の試合がある。その応援もあるから夕月が帰路につくのは一時間後くらいだろう。
ぼうっと、人が改札に吸い込まれていく様子を眺める。
ジョーはこれまでさまざまな理由で夕月に振られていた。一度目は「ごめんなさい」と謝られ、二度目は「タイプじゃないです」ときっぱり告げられ、三度目は「年上は無理です」と適当なものだったらしい。
不意にスマホが震える。
ジョーからの報告だ。気づけばもう一時間以上経っていたらしい。
『振られました。おとなしく大学で彼女作ります』
短い文面には、ジョーの悲壮感と諦めが込められていた。
『理由は?』
今度はどんな断り文句だったのかと興味が湧き、悪いと思いながらも傷口に塩を塗り込む返信を送る。
少しして、ジョーからの返事がきた。
『好きな人がいる』
ドクンと心臓が跳ね、口を付けていなかったアイスティーを一気に飲み干す。
夕月は多分、それが誰なのかは告げなかっただろう。だが俺はジョーにこれ以上何かを聞く気になれず、そのままお会計をしてカフェを出た。
駅前でぼんやり突っ立っていると、通りの先から制服姿の美少女が歩いてくるのが見えた。
改札付近まで来ると、またきょろきょろと周囲を見渡して誰かを探している。
俺はふっと頬をゆるめると、妹のもとへ向かった。
昔から、俺のほうが夕月を先に見つける。
妹を見つけるのは、俺が誰よりも早かった。
「夕月、おつかれ」
「あ、お兄ちゃんも今帰り?」
「ああ、そこのカフェで時間潰してた」
「へー、もしかして待っててくれた?」
「まあ、たまには一緒に帰ろうかと思って」
「へー」
夕月がまんざらでもなさそうな笑顔を浮かべる。珍しく兄が素直に待ってたと言うのが、嬉しいのだろう。
「てか、お前わざわざ制服で試合に来たの?」
「ん? 朝練のときも制服で登校してたよ」
「今日は土曜なんだしジャージでよくないか。そっちのほうが着替えとかいろいろ楽だろ」
「やだよ、なるべく制服着たいもん」
「なんで」
「だってこの制服、せっかくお兄ちゃんが汗水垂らして買ってくれたんだし。着ないと損でしょ」
「損……か?」
「うん、損だよ」
――好きな人がいる。
それが誰なのか。
小首をかしげて微笑む夕月の瞳が、それを雄弁に語っている気がした。