天才外科医だった前世を生かし医師となった彼女はある日、近隣国からの要請で皇太子の治療へ赴くことに。
相手国──皇国にて世話係として付けられたのは、身分を偽り仇国のメイドとなった王女、モリナ(マリ)。
互いにどこか通じ合うものを感じた二人は、次第に惹かれ合い、やがて禁断の恋に落ち、求めあう。
※Skebにてリクエストいただいたものです
「私を医師として皇国へ派遣、ですか……!?」
「……うむ。もちろん、断っても構わない。行けばしばらく滞在することになるし、危険もないとは言えない」
「断ったら、リゼ? 無理に受ける必要もないだろう?」
「……いいえ。せっかくのお申し出ですし、お受けします」
一度目の人生は皆から嫌われた皇后。
二度目の人生は日本人の凄腕女性外科医。
三度目の人生で、一度目と同じ自分──結婚し皇后となる前の侯爵令嬢に戻った少女、エリーゼ・ド・クロレンス。
一度目とは違う道、医者として人を救う決意をした彼女は苦難の末、皇帝から医者を志す許可を得た。
一方で、皇太子との婚約については解消することができていない状況。
皇室から友好国への訪問要請があったのは、そんな折のことだった。
なんでも、かの国の皇太子が負傷──折り悪くそこに病気による体調悪化が重なってしまったという。
エリーゼたちの住むブリチア帝国は医療先進国。
皇国としては帝国の優れた医療技術を借りたい。加えて、下手に国内から医者を呼ぶと敵対派閥の間者を招く可能性もある。
帝国としても下手な者を送れば皇国への妨害工作と受け取られかねず──協議の末、次期皇后に最も近いエリーゼを『医者として』派遣することにした。
皇室入りが半ば内定しているエリーゼになにかあれば両国の関係悪化は必至。
皇国への釘刺しも兼ねた人選にはエリーゼも納得した。
「私なら他の先生より動かしやすいでしょうし……」
帝国の皇太子はこの人選に反対したそうだが、エリーゼとしては特に心配していない。
一度目の人生で帝国と皇国の仲は悪化していなかったし、皇太子が不慮の死を遂げた話も耳にしていない。
そもそも差し迫った事態なら他国から医者を呼んでいる暇もないだろう。
「マリ、一緒に来てくれる?」
「お嬢様のご希望であれば喜んで」
エリーゼはクロレンス侯爵家に仕えるメイドのマリ、それから数名のサポートスタッフ、皇室が選抜した護衛や世話係と共に出発した。
滞在においては向こうの用意したメイドもつくという。
「……仲良くなれる人だといいけれど」
待ち受ける出会いが彼女にとって運命的なものになることを、エリーゼはまだ知らなかった。
◆ ◆ ◆
滅亡したクローヤン王国唯一の生き残り──王女モリナ。
『マリ』と名前を変えて皇国のメイドとなった彼女は、なにをやっても人より鈍臭いのが悩みの種だったが、ある時期から様々な才人の『夢』を見るようになった。
以来、彼ら彼女らの才を受け継いだように成果を挙げるようになり──。
期せずして評価を上げ始めた彼女はある日、上司から新しい指示を受けた。
「ブリチア帝国の次期皇太子妃様のお世話係、ですか……?」
「ええ。次期皇太子妃様と言っても、今回は医師としての訪問です。それほど気負う必要はありません」
マリが選ばれた理由は患者となる皇太子にもブリチア帝国にも恨みを持つような繋がりがない(実際はかの皇太子がモリナの仇なのだが、それは知られていない)こと。
『夢』のお陰で「メイドとして十分な能力がある」と認識されるようになったこと。
エリーゼと歳が近く、彼女を警戒させないで済むと判断されたこと。
「でも、本当に私でいいのでしょうか……?」
「手厚い歓迎をしすぎては逆に失礼となります。あなたはいつものようにメイドとしての仕事を全うすればいいのです」
どちらにしろ、よほどの理由がない限り断れる仕事ではない。
マリはエリーゼの世話を引き受け、それに伴って一時的な配置換えを受けることになった。
外国の侯爵令嬢を迎え入れる部屋を整え、あれこれと必要なものを手配し、それから──。
「侯爵令嬢──レディ・クロレンスはお菓子が好きらしいから、なにか作ってみようかな?」
そうして彼女が出迎えたのは、とても凄腕の医師とは思えない、ふわふわとした金髪を持つ美しい少女だった。
◆ ◆ ◆
(……綺麗)
皇国が用意した世話係はマリという名の若いメイドだった。
エリーゼとそう歳は変わらないだろう。
彼女のメイドと同じマリという名前にも親近感を覚えずにはいられない。
それから、マリは一見地味ながら整った顔立ちをしている。
実はどこかの令嬢、王族と言われても驚かないだろうとエリーゼは思った。
恭しく、美しい所作で一礼した彼女はエリーゼにお菓子を勧めてきた。
「よろしければお召し上がりください」
良い香りの紅茶と共に供されたお菓子は、エリーゼお気に入りのパティスリーに勝るとも劣らない出来栄えで。
どこに行けば買えるのか、と、勢い込んで尋ねてしまうと、
「そちらは私の手作りなんです。お気に召していただけたならよかったです」
一流のパティシエと同等の腕を持つ、メイドの『マリ』。
エリーゼが彼女に興味を惹かれたのはとても自然なことだった。
◆ ◆ ◆
エリーゼの世話をするにあたっては『夢』で教わったお菓子作りの技術が役に立った。
どこで買えるのかと尋ねてきた彼女の目は「もっと食べたい」と如実に訴えており、また、マリの手作りお菓子に目を輝かせた姿はとても可愛らしかった。
人を幸せにしたい。
それを信条としているマリにとってエリーゼの反応はとても嬉しいもので。
「では、皇太子殿下のところへ案内していただけますか?」
出迎えの歓待もそこそこに告げ、席を立ったエリーゼの姿にも──自分ではない誰かのために尽力する姿勢を見て、どこか親近感を覚えた。
幸い、皇太子の容態は重篤なものではなかった。
怪我も病気も特別なものではなく、経過を見ながら適切に処置していけば問題ないと言う。
専属医師としてしばらく皇国に滞在することになったエリーゼは皇太子の部屋と充てがわれた自分の部屋を行き来する生活になり。
「あの、マリさん。一緒に頑張ってお嬢様をお世話しましょう……!」
「はい、マリさん。こちらこそよろしくお願いします」
エリーゼの連れてきたメイドのマリとは職務上、すぐに仲良くなった。
屈託なく人と接する彼女と二人三脚で仕事をする日々。
メイドであるマリたちにできるのは誰かの世話をすることくらいなのだ。
精力的に仕事に励むエリーゼを見守るうち、マリも彼女が自分の主人であるかのように思うようになって──。
◆ ◆ ◆
「ありがとう。マリさんのお陰でとても快適に生活できています」
「とんでもありません。私の仕事なんてほんのお手伝いですから……」
皇太子の容態は重篤なものではなかったが、友好国からの依頼である以上、治療には十分な気を配らなければならない。
エリーゼはできるだけ皇太子の傍についていなければならなかったし、その合間、彼女を「ブリチア帝国の次期皇太子妃」として扱おうとする者たちの相手もしなければならなかった。
さらに枕の違い、食生活の違い、水の違いなども地味にダメージを蓄積してくれて。
「いいえ、本当に。このお菓子がなかったら私、倒れていたかもしれません」
マリの作るお菓子はどれも絶品だった。
レパートリーも豊富で、一度として全く同じお菓子が出てきたことがない。
そのうえで一つ一つ趣向が凝らされており、仕事の合間に食べるこのお菓子が毎日の楽しみになっていた。
マリ同士、メイド同士、マリとも仲良くなったらしいマリはエリーゼとも徐々に打ち解けて。
今ではくすり、と、自然な笑みを見せてくれるまでになった。
「レディ・クロレンスは本当にお菓子がお好きなのですね」
「はい。お菓子は私にとって元気の源です」
放っておくとお菓子ばかり食べる、と、周りから怒られることも少なくないほどだ。
するとマリは小さく首を傾げて、
「他にお好きなものはないのですか?」
「ありますよ。お嬢様はお酒にも目がありません。お仕事が忙しいのでなかなかお飲みになりませんが、飲む時はそれはもう……」
「もう、マリ。どうしてそんなことまで話しちゃうの!」
けれどそれは確かに事実。
酒と甘いお菓子はエリーゼの二大好物だ。
侯爵家付きで付き合いが長いほうのマリによってそれを教えられた皇国付きのマリは「でしたら」と少し思案して、
「今度、ウイスキーボンボンを作りましょうか? お仕事も落ち着いてきたようですし」
「ウイスキーボンボン! はい、是非お願いします!」
皇太子は怪我もほぼ治り、体力も戻って公務に復帰できるようになっている。
病床に控えている必要ももうないし、細かい食事指導をしなくともじきに全快するだろう。
念の為、毎日診察する必要はあるものの、夜にお酒入りの菓子を楽しむくらいの余裕は十分ある。
目をキラキラさせながら、エリーゼは一も二もなく頷いた。
◆ ◆ ◆
心を込めて手作りしたウイスキーボンボン。
夜の静かな部屋の中、女三人だけになった気兼ねのない空間にて。
上等な皿に乗せたその菓子を供すると──エリーゼはまさに至福、といった表情を浮かべた。
「ああ、幸せです……♡」
食べる前からこれとは。
マリと顔を見合わせ苦笑したマリは「どうぞお召し上がりください」と一礼した。
「それから、こちらに合わせるのに良いお酒もいくつかご用意しております」
「こんなに至れり尽くせりでいいんでしょうか……?」
甘いチョコレートの中にウイスキーを閉じ込めた菓子。
ウイスキーが合わないわけはないし、ワインなんかを合わせても良い。
エリーゼは「さすがにそれは」と欲求を堪えるような素振りをしたものの、飲みたいと顔に書いてある。マリはそっとグラスとお酒をテーブルに用意した。
お菓子はたっぷりと用意してある。
食べきれないくらい提供するのが貴人へのおもてなしというものだ。
飽きないよういくつかの種類を交ぜたウイスキーボンボンを、エリーゼはひとつひとつ味わうようにゆっくりと口にしていく。
時にはお酒を飲まずにそのまま。
時には少量のお酒と共に。
時にはお菓子の後、しっかりとお酒を味わって。
「そうだ。二人も一緒にどうですか?」
そんなふうに水を向けられると、侯爵家付きのマリは「そんな、私は」と首を振ったものの、その顔には興味があると書いてあって。
マリはくすりと笑って「少しだけでしたら」と答えた。
新たに用意された二つのグラスに酒が注がれ、こつんと乾杯。
口に流し込んだ液体は、なんだかとても甘く感じた。
◆ ◆ ◆
「マリ、先に休んでいいわよ。マリさんもいてくれるし」
「そうですかぁ……? それじゃあ、お言葉に甘えて……」
最初に潰れたのはエリーゼ付きのメイドのマリで。
限界だったのだろう、必死に眠気を堪えていた彼女は主人の勧めに素直に甘えて自分の部屋へと戻っていった。
本当なら、外部の人間と二人きりになるべきではないのだろうけれど。
皇国にはもちろんエリーゼを害する気はないし──マリとしては信用されているのが素直に嬉しい。
「もう一杯どうですか?」
「……それでは、お言葉に甘えて」
もう一度、二人でグラスを合わせて。
お喋りの得意なマリがいなくなると急に静かになったような気がする。
それでいて気まずくはない、不思議な時間。
「レディ・クロレンスは将来、皇太子殿下と結婚なさるのですか?」
だからだろうか、そんなことを尋ねてしまったのは。
どこか自分に似たところのあるエリーゼ。
彼女の行く末が、想いが気になった。
「……そうですね。そうするしかないのかもしれません」
果たして、返答は遠い眼差しを伴っていて。
「嫌、なのですか?」
答えられるわけがない。
他国とはいえ言質を取られれば政治に利用されかねない。
エリーゼは困ったような顔をして──しかし、そっと小さく、
「できるなら医者の仕事を続けたい。私は、そう思っています」
「……そう、ですか」
人は、必ずしも望んだ道を歩めるとは限らない。
むしろ高貴な身の上ほど制約は多い。
──マリは、母親の死と同時に王女として拾い上げられた子だ。
ある日突然王女にされて、また突然に国を滅ぼされて。
望んだ人生を歩むことはできなかった。
「レディ・クロレンスはとてもすごい方だと思います。自分の力で自分の道を切り開こうとしていらっしゃって……」
「マリさんだって、お菓子作りの才能があるじゃないですか」
「いいえ。……私は、物真似でお菓子を作っているだけですから」
不思議な『夢』にマリは様々な技術を教わった。
メイド。音楽。お菓子作り。
人に評価され、必要とされるのは嬉しかったし、幸せだった。
けれど、自分の力以外で称賛されることに負い目が全くないわけではない。
説明してもわかってはもらえないだろう。
思い、ただ微笑みを浮かべると。
──指が。
エリーゼの指が、マリの手に触れた。
幾多の難手術をこなしてきたとされる彼女の指は、けれど柔らかくしなやかで。
真っ直ぐな瞳に心の奥底までも射抜かれる。
「自信を持ってください。……ただの人真似で、こんなに美味しいお菓子が作れるはずがありません」
「……ありがとう、ございます」
少しだけ心が軽くなった。
あの『夢』は単なるきっかけで、マリの中にも才能が眠っていた。
そんな、都合のいい考えを持ってもいいのだろうか。
と、ウイスキーボンボンがひとつ、マリの口に放り込まれて。
口内のチョコレートが溶けていくと、中の酒がとろりと口に広がっていく。
お互いに、少し酔い過ぎたのかもしれない。
ふわふわして、心地いい。
言ってはいけないことまで言ってしまう。
「お互いに、もっと自由に──羽ばたけたら良かったですね」
自由な、鳥のように。
◆ ◆ ◆
自由に。
それは、考えたこともない話だった。
エリーゼは一度目の人生で、ブリチア帝国をめちゃくちゃにした。
二度目の人生で医者を志したのは罪滅ぼしのためでもあった。
贖罪はまだ終わっていない。
奇跡のように訪れた三度目の人生──もしこれが一度目のやり直しだとするのなら、一人でも多くの人を助けなければ、自分は決して許されない。
他の誰でもない、エリーゼ自身が自分を許せない。
けれど。
「……自由を、夢見てもいいのでしょうか」
「……夢見るだけなら、自由だと思います」
寂しげに微笑むマリの姿が、エリーゼにはとても儚く見えた。
彼女にもなにか事情があるのかもしれない。
誰にも言えない秘密。
エリーゼにも生まれ変わりという秘密があるように、マリにも胸に抱えた重荷があってもおかしくはない。
エリーゼとマリは、どこか似ている。
彼女たちは自分にできることを求めている。
同時に、心の奥底では自由を、平穏を望んでいるのかもしれない。
例えば、もし、二人でどこか知らない国へ飛び出せたら。
「……少し、飲みすぎたかもしれません」
あまりにも脈絡のない想像だ。
グラスに残ったウイスキーを飲み干して、エリーゼは笑った。
立ち上がろうとすると、ふらっと身体が傾いた。
やはり飲み過ぎだったか。
それでも、慌ててマリが抱きとめてくれたおかげで倒れずに済んだ。
「ベッドにお連れいたしますか?」
「……お願い、してもいいですか?」
「かしこまりました」
頬が熱い。
きっと自分は今、だらしのない顔をしているだろう。
でもまあ、男性に見られるのならともかくマリになら構わない。
肩を貸してもらって、ベッドに腰掛けて。
見上げたマリの顔には後悔と心配の色があった。
彼女にも、彼女のお菓子にも否はないというのに。
「そんなに、気負わないでください」
慰めるつもりで口にしたのに、何故かその言葉はエリーゼ自身の胸に刺さって。
「レディ・クロレンス」
「マリ、さん」
涙を浮かべたエリーゼ。
覗き込むように近づいてくるマリ。
同じくして、エリーゼは彼女を制止するつもりで手を伸ばして。
マリが動いたせいでその手がメイド服のエプロンを引っ張って。
「………あっ」
ベッドの上に重なる形で倒れた二人。
気づけば、マリのまん丸になった瞳がすぐ近くにあって。
柔らかい。
言葉を紡ごうとすると、その柔らかな感触ごと唇が動いて。
互いの吐息がぶつかって、くすぐったい気持ちで。
胸が、お互いに高鳴っているのを服越しに感じて。
「も、申し訳ありません!」
「い、いえ。私の方こそ……!」
慌てて身を引いた二人は、暗黙のうちに今の接触を「なかったこと」にすることにして。
ベッドに入るエリーゼ。
てきぱきとグラス、皿を片付け始めるマリ。
けれど、エリーゼはその夜、いつまで経っても寝付くことができなかった。
マリの唇の柔らかさも、その綺麗な瞳の色も、いつまでも経っても頭から消えてくれなかった。
◆ ◆ ◆
「あの、マリさん? お嬢様となにかあったんですか?」
「い、いえ。なにもありません」
「? そうですか? なんだかぎこちないっていうか、恥ずかしがってるっていうか……?」
もう一人のマリは幸い「あ! もしかしてお嬢様、飲み過ぎで粗相を……?」と見当違いの連想をしてくれたものの。
マリはあの夜以降、エリーゼとまともに目を合わせられなくなってしまった。
結婚相手以外、近づくことの許されない距離。
彼女の甘い匂いと肌の柔らかさ。
同性でさえ見惚れてしまうような美しさに、仕事を続けながらも胸の鼓動を抑えられなかった。
給仕のたび、一緒に酒を飲んだあの時のことを思い出して。
「私、どうしちゃったんだろう……?」
これでは、まるで恋をしているようだ。
あれは単なる事故なのに。
……なら、もし、事故じゃなかったら?
エリーゼと抱きしめあい、唇を触れ合わせる自分を想像して──苦しいほどに胸が高鳴ることに信じられない気持ちを抱いた。
好き?
そんなわけがない。
否定しようとしても気持ちはまるで収まらなくて。
「ありえない。……そう、あの方はもうすぐ帰国するんだから」
早ければあと数日だろう。
準備を含めてもそう猶予はない。
それだけ待てば自然に、この気持ちはなかったことになる。
逆に言えば、確かめるのなら今のうちしかない。
──悩んだ末、マリはまたお菓子を作った。
上等なブランデーをたっぷり使ったブランデーケーキ。
エリーゼはこれを食べないかもしれない。
それならそれでいい。
あの日のことは迷惑だったと、彼女にとって忘れたい出来事なのだと納得できる。
そう思って、その夜、エリーゼをそっと夜の『お楽しみ』に誘って。
その時のエリーゼがどこか決心したような、ほんのりと赤い表情をしていたのは気のせいだろうか。
「それじゃあ、また三人でいただきましょうか?」
言いながら、エリーゼがフォークを持つ手はこの前の夜よりもずっとゆっくりで。
まるで、自身のメイドが眠気の限界を迎えるのを待っているかのようだった。
◆ ◆ ◆
どうしてだろう。
あの日のことはなかったことにしないといけないのに。
「お嬢様。またお先にお休みをいただいてもいいですか……?」
「ええ、もちろん。ゆっくり休んでね」
「はぁい、ありがとうございます」
エリーゼはマリの誘いを断らなかった。
それどころか、二人きりになれる時間を心待ちにするような態度を取ってしまった。
もう一人のマリが部屋を出て、気配が消えるのを待ってから。
誤魔化すように微笑んで、芳醇な香りのブランデーケーキを今度こそしっかりと頬張って。
「〜〜〜っ♡」
甘い幸せと同時に、あの時に似た酩酊感が心に広がった。
もう少し。
自分に素直になるには、もう少し酔った状態でないといけない。
ケーキと合わせてお酒を口にして。
「……一週間以内に、帝国へ出発するつもりです」
「……そう、ですか」
感情を表に出さない声で、マリが答える。
「寂しくなりますね」
「っ」
続けられた何気ない呟きに、胸がとくん、と高鳴った。
彼女も同じ気持ちなのだろうか。
あの時の出来事を繰り返しているのは「そういう意味」なのだろうか。
「マリさん。……良かったら、こっちに座りませんか?」
エリーゼは勇気を振り絞ってそう告げて。
「レディ・クロレンスのご希望であれば」
答えた彼女が隣の椅子に腰掛ける。
互いのグラスにお酒を注いで乾杯をすると、肩が触れ合いそうになった。
どきどきする。
このときめきを、エリーゼは前にも体験したことがあった。
一度目の人生で皇太子に抱いていた想い。
今回の人生で、『ロン』という謎の青年に抱いた淡い想い。
それらと同じ──恋のときめき。
マリは、ある意味彼らよりも遠い存在だ。
異国の人間で、しかも女同士。
それこそ、手に手を取って外国にでも飛び出さなければ共にいることはできないかもしれない。
けれど、身分や政治的なしがらみは一切ない。
「私のことは『エリーゼ』と呼んでくれませんか?」
身体の向きを変え、思い切ってそう切り出した。
マリは少しだけ驚いたような顔をしたあと、しっかりと頷いて。
「……かしこまりました、エリーゼ様」
名前を呼ばれた、それだけのことで至上の幸福を感じる。
ああ、そうか。
自分は「男女の恋愛」に臆病になっていたのかもしれない。
男に嫁げば、一回目のように失敗するかもしれない。
あるいは二回目のように仕事にかまけて恋愛を二の次、三の次にしてしまうかもしれない。
マリに、同性に惹かれたのは──そういう理由も、もしかしたらあるのかもしれない。
エリーゼは敢えて普通の話題を振り、マリもそれに応じてくれた。
そうして、ボトルが一本空いて。
ケーキも十分に楽しんだところで、最後の一杯の入ったグラスを手に、立ち上がる。
「こっちで、話しましょう?」
ベッドへ。
マリは逆らわず、二人は柔らかなベッドの端へ腰掛けた。
◆ ◆ ◆
心臓がうるさいくらいに騒いでいる。
簡単に肩が触れ合うような距離にエリーゼがいる。
彼女がどう思っているのか、恐ろしい一方で、この距離感に幸せを感じている自分がいて。
思い切ってグラスの中の液体を飲み干すと、エリーゼは反対にゆっくりとグラスに口をつけて。
「───っ!?」
不意に抱き寄せられたかと思うと、唇をそっと重ねられた。
こじ開けられた舌から酒が流れ込んでくる。
手の中からこぼれたグラスは幸いにもベッドのうえに転がり、マリはそれに意識を向ける間もなく甘い唾液の味に胸をときめかせた。
いけないと思いながら、自分からも舌を差し出して。
ぎこちないキス。
探るような、確かめ合うような、しばしの交歓の後、唇を離したエリーゼは頬を真っ赤に染めたままで、
「酔って、しまいました」
すっ、と、彼女の腕が開かれる。
「楽な格好にしていただけますか?」
「……かしこまりました」
ああ、このままではいけない。
いけないけれど、お酒の勢いならば。
このまま二人だけの秘密で終わるというのならば。
少しくらい甘い夢を見ても許されるだろうか。
エリーゼの寝間着を脱がせると、下着姿になった彼女をベッドに寝かせる。
皇太子妃に選ばれるのも納得の美貌。
可憐で清楚なその少女を独り占めしている幸福に身を震わせながら、
「お水をお持ちいたしますか?」
「そうですね、お願いできますか?」
「はい、エリーゼ様」
酒の入っていたグラスを安全な場所に移し、代わりに水差しを用意して。
エリーゼの口に運びかけてから、先程のお返しを思いついた。
自身の口に含んだ水を直接、彼女の口に運ぶ。
口移しされた水を、エリーゼはこくん、と飲み干して。
「マリさんは、マッサージは得意ですか?」
「あまり経験はありませんが……」
「身体を解すことは健康にも良いんですよ。少し、やってみてください」
それが方便であることは察しながら、マリは黙ってそれに従った。
両手、両足、二の腕、ふくらはぎ……。
指が触れるたび、エリーゼは小さな息を漏らす。
その吐息にどきどきしながら、少しずつ指を中央へと近づけていって。
「下着を」
ショーツ一枚きりの、染みひとつない裸身。
脇腹を、へそを撫で──形のいい胸を丁寧にマッサージする。
もはや血行を良くすることなど関係ないようなエリーゼの指示。
ついにそれは、ぴんと勃った乳首を口に含むところまで到達して。
「あ、んっ……♡」
乳首を舌で転がされたエリーゼは小さく甘い声を漏らした。
はっとして動きを止めると「やめないで」と声。
「続けてください。大丈夫、ですからっ♡」
「……はい、エリーゼ様♡」
マリ自身、もっと彼女の身体に触れたいと思っていた。
指や舌には自然と気持ちが入り、それがエリーゼへの刺激にも影響したのかもしれない。
お互いがこれ以上ないほどどきどきしているのを感じながら、とうとうショーツの奥に指を潜り込ませて。
「はっ、ああっ……!♡」
マリも年頃の女だ。
回数は多くないものの、自分で自分を慰めたことはある。
どうすれば同性の身体を優しく、的確に責められるかある程度は理解できた。
秘所に湛えられた愛液を指に絡めながら、仕事柄、短く丸く爪を切り揃た指で内壁をなぞって。
同時に、小さく敏感な突起を指の先で軽くなぞってやると、エリーゼは大きめの声と共にぴくんっ♡ と身体を跳ねさせた。
令嬢の手が自身の口を抑え、潤んだ瞳が「もっと」と訴えてくる。
マリは、ここまできたら最後までと、エリーゼの首に口づけをして。
右手で乳房と乳首を、左手で秘所を責めながら、唇でエリーゼの白い肌を吸って。
「んっ、んんんっ、んっーーーーっ!♡♡」
限界まで声を押し殺しながら。
絶頂の頂きに達し、身をのけぞらせるエリーゼ。
何度も身体を揺らし、快感の波に身を任せ、やがて現実へと戻ってきた彼女は、うっとりとした瞳でマリを見上げて。
「……ありがとうございました、マリさん♡」
「……とんでもございません、エリーゼ様♡」
翌日のエリーゼは、首につけられたキスの痕を隠すようにチョーカーを身に着けていた。
◆ ◆ ◆
酔っていたとはいえ、やりすぎてしまった。
素面に戻ったエリーゼは後悔したが──その一方で、気持ちには全くの偽りがないことを自覚した。
後悔しているのは、後先を考えなかったことだけ。
そして、踏み出してしまった以上は戻ることなんて考えられない。
マリと一緒にいられる時間は、あと僅か。
メイドであるマリと、複数の人に守られるのが当然のエリーゼ。
二人きりになる機会なんてそうそうありはしない。
何度も夜に酒を飲んで長々と粘っていればマリ(気心のしれた侯爵家付きのほう)もさすがに怪しむだろう。
それに、帝国の次期皇太子妃を傷物にした、なんていう汚名をマリに着せるわけにはいかない。
(……主導権を握るのは、私のほう)
それでいて他の誰にも気づかせてはいけない。
決意したエリーゼは大胆に、けれど慎重にマリを求めた。
護衛や使用人の目が離れた僅かな隙にマリの唇へキスをして、移ってしまった口紅を指でそっと拭い取ったり。
着替えを手伝ってもらいながら、マリの落ち着いた、けれど品のある香り匂いを胸いっぱいに吸い込んだり。
渡された菓子やカトラリーを受け取る際、ほんの少しだけ指を触れさせたり。
そのどれをも、マリは決して嫌だとは言わなくて。
むしろ、熱のこもった視線を──あるいはなにかを秘めるような笑顔を向けてくれて。
気持ちは確かに通じ合っている。
ほのかな、それでいて確かな幸せで満たされた時間が続いて。
けれど、時間はどんどん過ぎ去って。
「明日、私たちは帝国に向けて出発します」
別れの時はあっという間に訪れてしまった。
◆ ◆ ◆
二人の気持ちは通じ合っている。
言葉にはしないままに確信したマリだったが、行動に起こす勇気はないまま別れを明日に控えて。
「……エリーゼ様」
このまま、明日を迎えるべきなのかもしれない。
悩みながらも身体は動いて。
誰もが寝静まった夜、そっとエリーゼの寝室を尋ねた。
担当のメイドであるマリでなければ警備の者に止められただろう。
何事もなく、マリは部屋にたどり着いて。
「いらっしゃい、マリさん」
エリーゼは、まるで予期していたかのようにマリを待っていた。
下着の上に薄い夜着一枚。
月明かりに照らされて透けた素肌が目に眩しい。
──胸が締め付けられる。
女神のような、妖精のような美しい微笑に、すべての想いが弾けて。
気づけば、足早に彼女の元へ向かっていた。
広げられた両腕に飛び込むように抱きついて。
「行かないでください」
絶対に叶うわけのない望みを口にした。
「好きです。あなたを愛しています。……道ならぬ想いだとわかっていても、私は」
続きは、キスで唇を塞がれたことで紡ぐことができなかった。
三度目のキス。
何度経験しても慣れる気がしない。
ときめきを胸に抱きながら夢中で唇を押し付けて、唾液を混ざり合わせて。
糸の橋を築きながら至近距離で見つめ合った。
「私も、マリさんを愛しています。あなたと共に歩んでいけたらどんなにいいかわかりません」
「だったら」
きっかけは些細なことだった。
偶然の出会い。
運命ではないのかもしれない。
それでも。
すっ、と。
人差し指がマリの唇に押し当てられて。
「今の私には自由がありません。このまま私が戻らなければ両国は大騒ぎになるでしょう」
「それは」
「だから、私は精一杯努力します。私に手に入れられる最大限の自由を手に入れるために」
エリーゼの薄紫色の瞳は真っ直ぐに前を見据えていた。
その強さ、気高さが無性に羨ましくなる。
彼女のようになれたら。
これからも、彼女の傍にいることができたら。
マリは、ぎゅっと手を握って。
「……わかりました。それなら、私も頑張ります」
幸い、マリの本当の素性は知られていない。
手順を踏めばメイドを辞めて国を出ることもできるだろう。
行くあてのなかった今まではそんなこと考えもしなかったけれど、今は違う。
「必ず、あなたの元へ参ります。待っていてくださいますか、エリーゼ様」
「はい、待っています。約束ですよ、マリさん。……いいえ、マリ」
ふわりと微笑んだエリーゼは「マリが二人になったら大変かもしれませんけど」と冗談めかして口にして──。
ふと、彼女はマリの手にした箱を見留めた。
「それは……」
「チョコレートです。よろしければ、いかがですか?」
「……はい、いただきます」
箱には、とっておきのチョコレートが二つだけ。
マリは、片方をエリーゼの口に差し出すと、もう片方を自身の口に入れた。
噛まずとも口内の温度で溶け、甘みがじわりと広がっていく。
その甘さを共有するように、二人はゆっくりと唇を合わせて。
「服が、皺にならないように」
「……はい」
お互いに下着だけの姿になると、ベッドの上で静かに抱きしめあった。
◆ ◆ ◆
性行為が愛の交歓だと、思えば初めて知ったかもしれない。
令嬢として育ったエリーゼにとって行為は「男性に身を任せるもの」あるいは「男性を喜ばせ、子を孕むためのもの」で。
愛する男を振り向かせることにしか興味のなかったかつての自分は、互いに愛を注ぎ合う喜びを知らなかった。
指で、唇で、互いの身体に優しく触れて。
少しずつ身体が敏感になっていく中で、甘い吐息を漏らして。
恥ずかしい姿を見せあいながら、真っ直ぐに視線を交わして。
そうするうちに、とろり、と愛が溢れ出してくる。
女性であるマリの手つきは優しかった。
これなら怖くない。
不思議と鼓動はだんだん落ち着いてきて。
彼女の首に腕を回し、胸と胸を触れ合わせると、それがマリにも伝わった。
頬を染めたまま微笑みあって。
つん、と、舌を突き出し互いを求めながら、下着越しに胸を擦り合わせる。
もどかしい快感。
時折乳首同士が触れ合って、はっきりとした刺激が身体を痺れさせて。
恋の高揚、好きな人といる安心感、そして行為の興奮。
再び早くなり始めた鼓動に衝き動かされるように、
「こういう時、どうしたらいいのか……私も、よくわからないのですけれど」
マリの手を取って──自分のショーツの奥へと導いていく。
代わりに自分の右手をマリの大事なところに向かわせて。
「あなたと一緒なら、どんな形だって……エリーゼ様」
「んっ……♡」
手術を担当することも多いエリーゼはマリ同様、爪の手入れには気を遣っている。
整えられた指はマリの腟内を傷つけることはなく──エリーゼ同様、興奮の高まりから潤いを持ったそこを自由に動いて。
自慰の経験、ということになると実はけっこう経験豊富だったりする。
二度目の人生の外科医時代、欲求不満の解消に一人ですることはよくあった。
気楽な一人暮らしならではの経験。
それを思い出しながら指を動かせば、マリが驚いたようにぴくんっ♡ と身を震わせた。
小さく、形のいい唇から息がこぼれて。
エリーゼの動きにシンクロするようにマリの指が正確さを増した。
今度は自分の身体が跳ねるのを感じながら、エリーゼもさらに手つきを変えて。
「マリ……っ♡」
「エリーゼ様……っ♡」
ほとんど同時に絶頂を迎えた二人は、互いの身体に体重を預けるようにして快楽の波に打ち震えた。
蕩けた表情。
自分もこんな顔をしているのかと思うと恥ずかしい反面、さらに興奮が湧き上がってきて。
女の身体は男と異なり、興奮を持続させやすい。
射精を伴わないために強制的に打ち止めになることもなく、お互いが満足するまで行為を継続することができる。
「次は、もっと刺激的なことをしましょうか……?♡」
今日しかない、という想いが二人の身体を動かして、
「エリーゼ様、その、恥ずかしいです……♡」
「大丈夫、マリのここ、とっても綺麗ですから」
互いにショーツを脱いで。
恥ずかしいところを相手に晒すような格好。
日本にいた頃の経験で言うシックスナインの体勢になると、マリはさすがに羞恥で身を震わせた。
けれど、その目はエリーゼの秘所に釘付けになっていて。
エリーゼが割れ目にキスをすると、彼女もまたおずおずとそれに倣った。
「っ♡」
指でするのとはまた違う甘い快感。
自分もまた同じものを持っているからこそ、こうすることの恥ずかしさがわかる。
だからこそ愛しい相手にしかこんなことはできない。
舌を割れ目の奥へと送り込み、内側をなぞりながら愛液を舐め取って。
経験を元に感じやすいポイントを探しながら、指でクリトリスを同時に刺激する。
「〜〜〜っ♡」
マリの愛撫によって送られてくる快感に思考が蕩けるのを感じながら。
快感を愛しさに変換し、舌と指をさらに動かす。
快感が頂へと上っていくほどに責めもエスカレートして、絶頂へのカウントダウンは急速に進んで、
「あっ、あああああっ♡」
二人はびくびくと腰を浮かせながら同時に絶頂に達した。
足りない。
これ以上ないくらいに愛を与えあいたい。
言葉ではなく心でそう伝えあいながら、二人が選んだのは再び身体を密着させることだった。
指を絡めて手をつないで。
胸と胸を押し付けあいながら膣の入り口同士をもぴったりとくっつける。
同性での行為に疎い二人が想像する終着点としては自然で。
同時に、クリトリスをも触れさせることになるこの体勢はある意味で合理的でもあった。
愛撫による刺激でかすかに開いた割れ目が愛液同士をも触れあわせて。
何度目か、唇をも重ね合わせながら、不自由さをも楽しむように全身を擦り合わせる。
温かい。
柔らかさと滑らかさが二人の境界を曖昧にして、擦れた乳首やクリトリスから甘い快感が流れ込んで。
部屋の外の、自分たち以外のすべてが遠い存在のように思えるようになって。
うっとりと見つめ合いながら、残り少ない時間を惜しむように、エリーゼはマリと繋がりあって。
「大好きよ、マリ」
「はい。私も、エリーゼ様をお慕いしております」
夜が明けた時にはもう、他でもないマリの手によって行為の証拠はすべて取り除かれていた。
そして──。
◆ ◆ ◆
「本当にありがとうございました、レディ・クロレンス。道中のご無事をお祈りしております」
「こちらこそ、なにからなにまでお世話になりました。皆様のご健康を心よりお祈りいたします」
各所へ挨拶を済ませたエリーゼを、マリは馬車の停車場まで見送った。
餞別代わりの焼き菓子を手渡して。
最後の確認に追われるもう一人のマリに代わって令嬢を馬車の中までエスコートして。
開かれた馬車の扉、その影になる位置で──最愛の女性の頬に唇を触れさせる。
「約束、必ず守ります」
「──ええ、私も」
二人だけの密かな約束。
閉じる扉。遠ざかっていく蹄の音。
知らずこぼれ落ちた涙をそっと指で拭いながら、マリはこれからすべきことをひとつひとつ考え始めていた。
いつかまた、彼女と再会するその日のために。