働くというのは大変だ、学生とは違う。
もちろん学生にだって学生なりの大変さはあるが、夜斗の場合は学校に行って授業中は寝て、決まった時間に休みがあって学校が終わればすぐに帰れる。
退屈だと感じたことはあっても、大変だと感じたことは一度もなかった。
ただ、夜斗が働くことを大変だと感じたのは、別に忙しかったからというわけではない。
「……あの歩行型嘘吐きロボ! なんで約束したくせに来ないのさ!」
初日で思い知ったのは、無能な上司の下で働くことへの大変さだった。
今は朝の8時で、海水浴場の客はまだ来ていなかった。
この海水浴場のオープンは9時からで、混み始めるのはだいたい10時頃からだそうだ。
なので、この辺にある海の家のオープンも10時から始まる。
他の海の家はまだ開店準備すらしていなかったが、夜斗たちの海の家は今日が初日。
何より手伝いとはいえ高校生三人だ。
予定よりも早く来て準備した方がいいだろう。
そう考え、おじいさんの言伝に書かれていた時間よりも1時間早く来て準備することを決めた。
これを提案したのはサヤで、雇い主の渚は「いいね!」とあっさり承諾した。
だが、時間になっても渚の姿はなかった。
「まあ、元から適当な奴だったろ」
「だけどさー」
「それに、いてもいなくても準備には影響ないんじゃないか?」
どうせ食材の仕込みなんかは夜斗たちと同じく彼も素人だ。であれば、営業が始まって、何か問題が起きたときの”大人”の対処役としていてくれればそれでいい。
もちろん会って間もない夜斗ですら思うとこがあるんだ、このバイトを兄伝いで夜斗と雨奈を紹介したサヤが腹を立てるのは当然だ。
「それより、今できる準備しとこうぜ」
そう言うと、サヤと雨奈は頷く。
夜斗たちが手伝うことになった海の家は『波の宿り樹』という名前で、外観はよくある開放的な海の家といった感じだった。
店の奥に二枚の大きな鉄板があって、その前に丸いテーブルが四席。
外にもビーチパラソルの下に数席あるが、使い捨ての器なので持って帰って各々のシートの側で食べることも可能だ。
「どれぐらい混むんだろうな」
これまで海水浴場へ遊びに来たのなんて数回ほどしかなく、海の家でご飯を食べた記憶は一度も無い。
というより、海水浴場に着て海の家に注意が向いたことすらない気がする。
「んー、どうだろ。昨日ちらっと他のお店を見た感じお昼時はやばそうだったよね」
「うんうん、お店の外まで列できててすっごい人だった」
「でもそれ、人気店はって感じだろ? 全部の店がそうって感じでもなかったんじゃないか?」
「あー、んー、まあ。どうなんだろ。やっぱ、実際に始まってみないとわからないね」
その店が一番人気のお店だったから混むのか、それともお昼時は全てのお店がそうなのか。
あと混むのは昼だけなのか、それとも昼を過ぎて混むのか。
疑問はどんどん出てくるが、結局の結論は「やってみないとわからない」だった。
それからも雑談しながら三人は準備を進めた。
食材の搬入は8時30分頃で、おじいさんが親しくしている業者が運んでくれるらしい。
今できることといえば掃除ぐらいだろう。
「そういえば、着替えとかしなくていいのか?」
掃除中、夜斗はサヤと雨奈に聞く。
「ん、大丈夫。このままするから」
「このまま?」
例のスポンサーの意向で作られた水着とは違い、無地のTシャツにデニムのショートパンツという格好の二人。
「あんなの着て働くとか無理。恥ずいじゃん!」
「まあ、そうだが。いいのか?」
「いいよ、別に。他の海の家もこんな感じの格好だし。そもそも、うちらの店だけ水着で接客とか絶対に浮くでしょ」
どうやら二人は……というか、サヤは雇い主の意向に背く覚悟らしい。
「それにさ、雨奈のたぷんたぷんおっぱい晒して接客してたら、盛った男たちにちょっかい出されまくって仕事どころじゃないよ」
「そんなこと……まあ、ないとは言えねえか」
「そ、そうかな……? それなら、サヤちゃんの綺麗な形したおっぱいも危ないよ?」
「え、綺麗? まあ、そうかな!」
二人が褒め合い納得する。
まあ、他の海の家の従業員がTシャツにジーパンとかで接客しているのに、ここだけ水着姿で接客していたら注目は浴びるだろう。
もちろん水着美女に連れられて売り上げが伸びるというのはいいこと。というより、運営側としてはそれが狙いでもあるだろう。
「一日中ずーっと知らない男の、それもいやらしい視線を受けながら働きたくないよ」
「えへへ、まあそうだね」
ただ、あくまでもこれはバイトなので。
迷惑かけない程度におじいさんの為に頑張る。
それがこのバイトでの三人の目標だ。
「それに、売れたら売れただけあの歩行型嘘吐きロボの利益になるの、なんかムカつくし」
それもそうだな、と夜斗は納得する。
それから、掃除をしていると食材が時間通りに届いた。
業者と聞いていたので、てっきりトラックか何かで運ばれてくるのかと思ったが違った。
車は軽トラで、乗っていたのは優しそうな雰囲気のお母さんだった。
話を聞くと、普段はすぐ近くの商店街で八百屋を営んでいるそうだ。
もし食材が足りなくなったら買いに来てと帰り際に言われた。
素人目にもそれなりの量の食材が届いたので足りなくなることはないと思ったが、これもやってみないとなんとも言えない。
夜斗と雨奈が食材の準備を、サヤは料理に関しては戦力外通告を受けたのでしょんぼりしながら掃除の続きをしていた。
ただ9時頃に渚が「ごめんごめん、昨日さあ、呑み過ぎちゃって!」と笑いながら来たので、それからは彼への説教へ移行していた。
「いやー、二人もごめんね。あっ、これ飲み物。良かったら飲んで!」
「どうも」
「ありがとうございます!」
まだまだ言い足りない様子のサヤを放っておいて、渚が夜斗と雨奈に声をかける。
相変わらず全体的に軽い感じだが、こうして営業開始の1時間前には来てくれたのでサヤほどの怒りはない。
お詫びの冷たい飲み物を持参してきたのは、少しズルいなと呆れて笑ったが。
「おっ、二人とも仕込みの手際いいね! なんかバイトとかしてたの?」
「俺はないっすね」
「わたしもないです。家で料理はよくするので」
「へえ、それなのにこんなに手際よくできるんだ! 俺なんか、学生の頃とか包丁持ったことすらなかったよ。二人とも凄いよ! あっ、ここ借りていい?」
「え、ああ、はい」
「自炊経験はそこそこあるから俺も手伝うよ! 何を切ったらいいかな?」
まな板と包丁の空きがあったので渚も二人の隣で仕込みを始める。
てっきり営業開始までタバコ吸って、年上マウントを取りながら話しかけてくるかと思ったが、意外にも自分から手伝ってくれた。
話口調なんかは相変わらず軽いが、それでも手際は夜斗より上手だった。
「……っと、そろそろ開店の時間か。残りは営業してからかな」
おじいさんの言伝に記されていた食材の準備はまだ残っていたが、時間は営業開始10分前。
仕込み途中の食材を袋やザルにしまい、夜斗たちは初めての海の家の営業を開始した。