前回のあらすじ
ミチコ「パルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパルパル」
文字通り一跳びであった。外に出てからアンネローゼの居たところまで一回の跳躍で到着できた。
男の目の前には揺らめく乳白色の高い壁が揺らぎながらそびえ立っている。男はそれを見てすぐに理解した。これは世界だ。未熟なれど、この壁の先には世界が構築されている。次元を幾度となく飛び越えた男の経験がそれを教えてくれた。
「おお………!」
思わず感嘆の吐息を漏らした。その壁に触れると僅かな拒絶の波紋が男へと発せられる。
なんという。なんという力だ。アミダハラそのものを依代にしているとはいえ、この壁の先にあるものはアミダハラとは似ても似つかぬ世界が広がっているのが見える。この力を発現させている、大本となる存在は………流石に近くにはいない。だが、たった二人の力でこれほどのモノを造り出すとは。
「この力………欲しいな」
男の魔族としての本性が疼いた。アンネローゼの安否が心配だが、同時にこの力を使った人間に会いたくなった。男が左の袖右手を差し入れる。
「アンネローゼを助け出して終わりかと思ったが………中々どうして、興じさせてくれるではないか」
取り出したのは黄金の片刃の剣。その切っ先をゆっくりと壁に近づける。
「ククク」
分かっていたかのように男が笑みを零す。黄金の剣は壁になんの苦も無く素通りしていた。否、この壁はあらゆるものを拒絶し、入って来させないための防壁だった。世界そのものをずらすことで物理的に入れない様にするためのもの。
つまり、ここを通るためには正確な座標への転移とそこに存在する曖昧そのものである次元への移動を同時に行わなければならない。ブラックといえどもそんな危険は冒さない。何故なら、一歩間違えれば次元の狭間の海をどこまでもどこまでも永遠に彷徨わなければならないのだから。
―――だが、この男は数ある例外の一つ―――
まるでケーキのようだ。男の腕の動きに合わせて、まるで自分から分離していくかのように揺らぎの壁は黄金の剣によって斬られていく。
そして、切れ込みの入った壁に手を差し入れ、割り開いた。
「OPEN SESAME」
男の眼前に広がるのは真夜中の廃墟。そして
闇夜の中に蠢く大群大群大群。魔獣たちの大群。世界に侵入してきた異物に対しての明確な攻撃の意思。
「ふ、ふっはっはっはっ………出迎えご苦労」
低く、唸るように男は笑う。割り開かれた壁を指を振るだけで隙間なく閉じ、まるで散歩のように魔獣たちの大群の方へと歩き出す。
「魔獣ども、今日の俺は機嫌が良い。一度のみ吠えることを許そう。だが、それなりに礼は失するな?」
グルルルル、と全ての魔獣たちが臨戦態勢に入った。それでもなお、男の歩みは止まらない。
「分からん畜生どもだ。ならば分かりやすくお前たちに教えてやろう。“伏せ”だ」
ズンッ!
まるで犬を躾ける主人のような、いやまさしくそれだ。ただ、それを周囲に響かせただけで、その場に居合わせた全ての魔獣たちが、ひれ“伏”した。
「良い子だ。聞き分けの良い犬は好きだぞ?」
クックックッ、と笑いながら、魔獣たちを通り過ぎる男、その間、魔獣たちは雪崩のように押し寄せてくる恐怖と、疑問、驚愕に包まれていた。
自分達はその生存を脅かされる敵と相対するために来たはずだったのに、有無を言わさずにそれを文字通り組み“伏せ”られた。支配された。
同時に、血に飢えた魔獣たちの遠い遠い原始の記憶が叫び声を上げた。
“絶対王者現るッッッ!!”
と。
魔獣たちは理解した。王は本当に上機嫌で、戯れで我らを生かしてくれたのだと。問答無用で組み伏せることで攻撃の機会を与えさせず、王が応戦する大義名分を与えさせないよう御自らがしてくださったのだと。
この場に居た魔獣たちは思った。目を合わさずとも、全員が知らず知らずのうちに団結した。
―――今日一日、おとなしくしていよう―――
◆◆◆
「はてさて、あいつは何処へ行った?」
廃墟の中を歩き回りながら、キョロキョロとあたりを見渡す。この世界は気配がかなり澱んでいる。その所為か、アンネローゼの正確な場所を掴めずにいた。出来るとしたら、アンネローゼが通ったであろう気配の筋を辿っていくこと。
「しかし、なんだこの弱弱しい気配は?」
魔女の持つ魔力、覇気、共にアンネローゼは極上に位置する存在。だが、今男の足元にある気配の筋は、まるで老婆のように頼りなく、辛うじて感じられる程度。
「どこかで力を使いすぎたのか?………ふぅむ?らしくない。魔力のペース配分を間違えるような奴ではないのだがな」
そんな可愛らしいミスがあるようならばもっと構ってやるべきだったか。と今更ながらに後悔。だが、それも一瞬のこと。男の索敵範囲内に見知った気配を感知した。
「お?いたい、た?」
見知った気配だが、それの持つ力は余りにも弱弱しい。どうやら、男の考えは杞憂で終わりそうにはなかった。アンネローゼを襲っている気配は二つ。しかも追いかけられている。このままでは直に追いつかれるだろう。
「やれやれ、勝手に死んでくれるなよ」
男の足に力がこもる。筋肉をバネにして、一機に跳躍を見せた。陥没した地面がそのすさまじさを物語らせる。一気に流れる景色を今は楽しむ暇はない。男はアンネローゼの元へと降りたった。
「っ!?何者だ!?どうやってここに!?」
「なに、そこの魔女の知り合いだ」
ローブ姿の二人が身構えるのを尻目に男は背後に居るアンネローゼの方を振り向いた。
「さて、怪我はないか?アンネロー、ゼ?」
「馬鹿者!遅いではないか!危うく死ぬところであったぞ!」
「………」
さて、この状況をどう説明すればよいものか。目の前で尻もちをついているアンネローゼ。姿は確かにアンネローゼではあるのだが、体つきはそのまま小さくしてしまったようになっている。見様によっては子供そのもの。口調もどこか尊大で、気安さが無い。
「なにをジッと見ておる?」
「む………ぅ………アンネローゼ………か?」
「妾以外に誰が居るというのだ?」
全然口調が違うんだが………。寧ろ別人だ。そんな呟きが響くことは無かった。
「貴様!この私を無視するな!」
魔法使いの怒号と共に配下の対魔忍が手裏剣を二つ投げる。風のような速さで男の背中に突き刺さらんとしていたそれは
「なに!?」
手裏剣の中心にある穴に指を通されたことで呆気なくキャッチされた。
「悪くないスピードだ。だが、俺に不意打ちをしたければ最低でも対物ライフルでも持ってくることだ」
「くっ………!」
魔法使いは歯噛みする。もう少しだったところで邪魔が入ったことに激昂しかけながらも、冷静に状況を把握する。この男の放っている威圧感。実力は相当なものだということが分かる。ここで戦闘を行っても勝てる可能性は低い。
「やれ!」
魔法使いの命令に武器を手に男に肉薄する対魔忍。必殺の突きの一撃が男の胸部をとらえるが、それは男の剣が受け止めた。
「っ」
「ふむ」
払い、斜め上からの大袈裟の斬撃は距離をとることで避ける。男が悠々と歩みながら距離を詰めると、再び対魔忍が手裏剣を放ちながら斬りかかってきた。
手裏剣は見えない何かが弾き、斬撃は男の剣が受け止めた。
「土塊壁!」
対魔忍と男を囲むようにいくつもの円盤状の岩壁が出現する。同時に対魔忍は跳躍、浮遊する円盤を足場にして幾度となく交差しながら男に斬撃を加えていく。そのスピードは常人では捉えることは出来ない。
「ほう、ほうほうほう」
だが男は違う。嵐のように襲いくる銀閃を捌き、避け、受け、逸らし、半歩身を引くなど最小限の動きで避けていく。すると、対魔忍が土塊壁を消し、高く跳躍した。
ほとんど男の真上の位置となったが、男はそれを見上げつつ、バックステップで距離をとった。
ジャギギインッ!
同時に男の足元から生えたのは鉄製の槍!対魔忍が作ったこの世界ではすべてが彼女の意のままとなる。土遁忍術最上位に位置する一帯を手中に収める術はたとえ操られていてもその精度は損なわれていない。
「土遁忍術だけでなく、金遁にも心得があったか」
先の奇襲で用いた術は金属を操る術、金遁によるもの。男と相対する少女が、並の対魔忍ではないことをうかがわせる。
「能力もある。実力もある。強く美しいとは、これほどの逸材を見逃さん手はない」
男の唇がく、と吊り上り、笑った。
「ますます気に入ったぞ。貴様は何があっても俺が手に入れる」
握る剣に力がこもる。男の黄金の瞳に妖しい輝きが宿った。
「っ!?」
洗脳された身でありながら、対魔忍の少女がびくりと身を竦ませ、己の身の危険を敏感に感じ取らせた。
―――これは決定事項だ―――
静かに、虚空に溶けてしまいそうな小さな声だった。だが、まるで大音量のスピーカーで鳴らしたかのようにそれは痛いほど鼓膜を震わせた。
「ひっ!?な、何をしている!さっさと殺せ!」
「っ!」
素早く印を組み、術を完成させた対魔忍。両手を地面にたたきつけると、大地が波打ち、津波のように男へと押し寄せていく。
「ククク」
獰猛な笑みを浮かべた男が、半歩後ろに下がり、剣を腰だめにして構え―――
「悪いな魔法使い。そいつは俺がもらうぞ」
薙ぎ払った。
―――轟ッッッッ!!―――
「~~~~~~~ッッッ!?」
突風と呼ぶべきか、それとも嵐の発生か、もしたとえるとしたら、それは何もかも吹き飛ばし薙ぎ払う台風そのもの。風にあおられた土の大津波はもろくも崩れ去り、魔法使い、そして対魔忍もろとも吹き飛ばした。
「おっと、お前はこっちだ」
見えない何かが吹き飛ばされた対魔忍を引き寄せ、優しく抱き留める。
「少々やりすぎたか、まぁ、傷はないのだ。許せよ」
と男は内心で嘆息しながら対魔忍のフードをとる。露わになったショートカットの金髪、童顔だが美少女と言って相違ない貌。やや大きいメガネが特徴的な蒼い目をした少女だった。
「ふむ、見えずらかったが思った通り顔も悪くない。このフィールドを作っていたのもこの対魔忍か。ますます気に入ったぞ」
「く、く………そ……ぅ。おのれ………化け物が」
魔法使いが呻きながらも悪態をつく。
「うん?まだいたのか?」
意外や意外、と男がつぶやく。それを侮辱と受け取ったのか、魔法使いが激昂する。
「まだ、だと?ふざ……けるな!ようやくだったのだぞ!ようやくあの半魔を殺せるところだった!それを、よくも邪魔してくれたな……。よくも邪魔してくれたなこの化け物め!!」
「化け物か、クク、よく言われる。それで?貴様はどうする?お前が操っていた対魔忍はもう俺のものだ」
「ちっ!役立たずが!」
状況の不利さを悟り、魔法使いが瞬時に詠唱すると、対魔忍から流れ出るなにかを手のひらへ集約していった後。
「貴様はもう用済みだ!」
代わりに別の何かを対魔忍の体へと侵入させた。同時に、対魔忍に変化が現れた。
「っ!?が――あ―――あああああああああ!?」
「………体内の魔力が暴れまわっている?なるほど、簡易的な人間爆弾か」
「半魔の小娘!次こそ貴様を殺す!首を洗って待っていろ!」
フェードアウトするように消えていく敵にかまわず、男は対魔忍の少女をその場に寝かせる。
「あぐううううう!ぐあああああああああああああ!」
「まったく、面倒なことをしてくれる」
悲鳴を上げ、苦痛にのた打ち回る少女の手をつかんだ。
「時間がないから手短に済ますぞ。少々刺激的だが、まぁ許せ」
そういって男は手を手刀のようにまっすぐ指を伸ばし、
「はっ!」
少女の下腹部へ一思いに突き入れた!
「こふっ!?」
ぞぶり、と苦も無く突き刺さったそれは以外にも抵抗らしい抵抗もなく手の侵入を許した。男の手はまるで少女の体内と溶け合うように同化し、少女の体内にあるものを探し始めた。
「おっ、おほっぉ!?」
「さて、どこだ?」
洗脳され、何もうつさぬ瞳の端から涙があふれ出始める。男が手を動かすたびに、ビクンビクンと体が痙攣する。
「あっ、あっあっ、ああ!」
「ふむ、これか」
熱に浮かされた吐息を漏らしながら幾度となく震える少女にかまわず男は目的の場所を探し当て、ゆっくりとそれを引き抜いた。
「んはああああああああああああああああ!?」
あられもない悲鳴を上げて限界まで背がのけ反った少女にかまわず、男は少女から引き抜いた魔力の塊を握り潰し、霧散させた。
「よし、こんなものか」
「ぁっ、ぁっ、あぅうぅぅぅうぅぅぅ………」
ガクガクと震える足が全身を巡った感覚の強さをうかがわせる。まぁ、こればっかりはしょうがないので、男は特に気にかけてはいない。これで一命は取り留めたのだ。そう考えれば御の字だ。
「そういえば、洗脳も受けていたな」
続いて、気絶した対魔忍と額を合わせることで洗脳術式を解くことにする。
「ふぅむ、魂そのものに刻み付けているのか。自爆へのプロセスを容易にしたのはこのためか。なんとも無茶なことをしてくれる」
目を閉じながら男がつぶやく。魂とは宿った肉体と精神を支配する重要な役割を持った霊的な臓器と言って良い。それに無茶な術式で存在を上書きすると、バランスが崩れ魔へと変貌する恐れがある。そのリスクを知っている故、魔法使いならばそんな無茶なことはしないのだが、どうやら例外というのはどこにでもいるらしい。
いずれにせよ洗脳を解くことは可能だ。男は早速行動に移した。男の体が淡く発光すると、その光は対魔忍の身体、心臓のあたりへと流れ込んでゆく。
「………」
しばし、無言が続く。男の表情は変わらぬが、男の魂が少女の魂を通してしみこませるように刻み込まれた術式を取り払っているのだ。それにはスーパーコンピューター並みの繊細さを要した。
ご存じのとおり、男はそのすべてがこの世界にとって規格外そのもの。そんな男の魂は、果たしてその霊格は如何ほどのものか。一言でいうならば、一歩間違えれば対魔忍の魂は一瞬にしてその存在を男に吸収されることとなるだろう。
意識のない状態ならばなおのこと。その心も魂もすべてが無防備だと余計にその危険の度合はさらに跳ね上がる。
じんわりと男の顔に汗の玉が浮かび上がる。せっかく手に入れたのだ。それを無駄にしてしまうのは避けたい。
「………はぁ」
やがて男は何かを確信したかのように息を吐き、額を話す。
「成功……か?」
刻まれた術式はきれいに消えている。魂のバランスが崩れる兆候はない。成功はしたようだ。
「アンネローゼ。怪我はないか?」
一仕事終え、ようやく男はアンネローゼのほうを向く。見れば見るほどに彼女の姿は色んな意味で見違えている。
「いったい何があった?」
簡潔に男は問いかける。無論、その姿についての説明だ。
「知らん、この世界に入ってから魔力が身体から出ていっている。恐らくあの魔法使いの仕業じゃな。もはや金剛夜叉すら出せぬ。まったく新月でもないというのに」
「新月?」
「左様、妾のような魔法使いは月に一度、新月には魔力を失うのじゃ。妾の場合はこうなる」
「なるほど。つまり、俺は、良いタイミングでお前を助けたというわけだ」
「………ふん、礼は言わんぞ」
「言え。でなければ助けん」
「そこは無償で助けろ!貴様それでも男か!?」
「この大戯けが!この俺がそんな安っぽい男ではないと分からぬか!貴様が招いたことであろう。その尻拭いをしてやっているのだ。感謝されこそすれ、貴様にとやかく言われる筋合いなどあるわけがなかろう!そも!この俺の秘蔵の泡盛を盗んだ女をだ!お前こそ、小物みたいなことをしおってからに!ノイに言いつけるぞ!?」
「のあああああ!?それだけはやめぬか!妾が死ぬ!死んでしまう!」
「むしろ死ね!」
「何じゃと!?」
「死んだら生き返らせてやる。そしたら名実ともに俺のものだ!恨みも晴れる、お前も手に入れられる!一石二鳥だ!」
「この外道が!」
「今更気づいたかこのヴァカめ!」
それから不毛な争いをすること十数分、お互い言いたいことは言い合ったので、ここらで締めくくるとする。
◆◆◆
それから、少しの時が流れた。合流してから紆余曲折はあったものの、現状の確認をするには十分な時間を確保するのは容易だった。いまだ救助した少女は眠っている。着ていたローブの下は元々着ていた対魔忍の装備と同じで、特に命に別状は無い。
「なるほど、大体わかった。この世界を作っているのはこの対魔忍、さしずめあの魔法使いはその補助と改良か。だからお前の魔力が枯渇し、戦うにも戦えない状態になっていたわけだ」
交換しあった情報をまとめるようにして男が言う。相違ないとアンネローゼが頷いた。
「その通りだ。あやつらも暇なやつらよ。妾が半魔なだけで目の色を変えおる」
「まったくだ。今の世の中、混ざりものなぞ、少し探せば直ぐに見つかるというのに。ノイも大変だな。頭の堅い連中を配下に持つと苦労をする」
嘲笑する彼女に男も同意する。
「貴様はどう思っておるのじゃ?わ、半魔を?」
「今更どうということはない。どのような種族であろうとも、人と人ならざるものが世間に隠しきれないくらい交わった時点で結果はわかりきったこと。もはや半魔もこの世の一部だ。寧ろいまだ理解の範疇を超えている人間どもの気が知れん」
「お主はそう思うのか?」
「俺は事実を言ったまでだ」
「そ、そうか」
「貴様らしくない。今更何を気にしている?」
「ば、バカを言うでないぞ貴様?!べ、べべ別に妾は気にしてなどいないぞ!?」
「戯けが。貴様とこの俺に、そんなくだらんものが必要ないとわからぬか?」
男が有無を言わさずアンネローゼを引き寄せる。
「何をする?!ち、近いではないか!」
「俺を見ろアンネローゼ」
「っ」
「この俺がお前を前にして偽ると思うか?」
まっすぐ。二人の視線が交わった。確固たる自信に満ちた黄金の瞳、曇りないその眼はアンネローゼとはまた違った力強い輝きがあった。
「そうじゃったな。お前は、そういう奴じゃった」
ため息を吐くアンネローゼを見て、男はようやく彼女から手を放した。
「これからどうする?」
「無論、奪われた魔力を取り戻す!それから、あの魔法使いには妾が直々に借りを返す!妾を半魔呼ばわりしたことを後悔させてくれる」
「どうやって取り戻すつもりだ?」
「お主がいるではないか」
「………」
人、それを他力本願という。とりあえず見た目に反して無駄に大きい胸を張ってドヤ顔をするアンネローゼの額に
ビコンッ!
「あうっ………」
デコピンをしておく。
「何をする!?痛いではないか!」
「やかましい。………一つ聞くが、魔法使いの場所に心当たりはあるか?」
「そんなものあるわけなかろう」
そういう貴様はどうしてそんなに偉そうなのだ。デコピンをもう一回。
「いたいぃ………ぅぅ」
「まぁ、決まってそういう奴は奥にいるものだろうな」
なにはともあれ、探索の方針が決まった。男の感じる気配がずっと奥へ奥へと移動しているのがわかる。この廃墟ばかりしかない世界、どのようなものかは見当がつかぬが、それでも人外魔境である事実は変わりない。対し、アンネローゼは魔力のない子供と変わらない。
さしずめ子連れのピクニックか。こういったユーモラスな冗談を言える程度には気楽でいたいものだが………。
こういうのは大抵良いことは起こらない。経験が経験だけに、先が思いやられた。いまだ眠っている少女を抱き上げ、男は立ち上がる。
「いくぞ、アンネローゼ。方向は決まった」
「うむ。それにしても、お前はそやつをお姫様抱っこで連れて行くのか?その状態で襲われて平気なのか?」
「くく、俺を誰だと思っている。俺からすればどんな状態であろうと変わらん。そも、この俺がここの魔獣程度で後れを取るとでも?」
「………確かに」
否定できる要素がほしいのぅ。アンネローゼのつぶやきはどこにも届くことはなかった。
◆◆◆
奥へ奥へと進んでいくと、開けた場所に出た。円形状の平地で、中央にはぼろぼろになってかろうじて原形をとどめている噴水らしきものが設置されている。
「のう、お前は様々な異界を支配したんじゃろぅ?ここはいったいなんじゃ?見覚えはあるのか?」
「いや、ない。奪われはしたが、もともとこれは対魔忍が作った空間だ。どこかの世界とつながっているわけじゃない。魔獣が出てくるのはおそらく際限なく魔法使いが召喚しているだろう。見ろ」
そういって顎で指す方向を見ると、囲むようにそびえたつ建物の屋上からおびただしい数の魔獣たちが三人を見下ろしていた。
「これは、また何ともすごい数じゃのう」
「無駄に多いだけだ。力の差を見せつけてやれば闘いを仕掛けては来ないだろう。奴らとて生物だ。自分の命は惜しい」
男の目に力がこもる。同時に、魔獣たちは姿を消した。
「まぁ、こんなところだ」
「改めて思うが、お前はいったいどこでこんな力を?」
「さてな」
そういって煙に巻く男にアンネローゼはやれやれ、と嘆息する。こういうやり取りもいつものことなため、とくに気にはしていない。
「ぅ………ぅん」
「む、この対魔忍、起きるぞ?」
「意外と早かったな」
「はぁ………んぇ?」
「気が付いたようだな。気分はどうだ?」
「……………」
「ん?どうした?」
「ふわ~…………かっこいいですぅ………」
「………は?」
◆◆◆
何者かに襲われ、自由を奪われた対魔忍の少女、篠原まりの意識は、深い深い闇の底で囚われていた。前後も不覚で、意識もぼんやりとしている。微睡の中にいるような、温かいお湯に包まれているかのような、心地よさの反面、早く起きなければならないという理性が訴えかけてくる。
だが、抜け出そうにもその方法は分からない。微睡む意識の中、睡眠と覚醒を繰り返しながらただぼーっと闇の世界を遊泳するだけだったが、その闇の世界に、透き通るような、凛とした声が響いた。
若い男の声。何と言っているのかわからないが、その声はやけに自分の耳に残った。
(だれですかぁ~?)
うっすらと瞳を開ける。ぼやけた輪郭だが、金髪の男。その男が自分に手を差し伸べている。まるでこっちに来いと、言っているかのようだ。再び声が聞こえた。
じ~ん、と全身に心地よい感覚が流れた。
(あったかくて、気持ちいいですぅ………)
ふわふわと体が浮かぶような感覚、いや、持ち上げられていく感覚はまるで肉体を捨て去って天へと昇るようないい気分だ。
すると、次第に自身の感覚がはっきりとしたものへと変わっていく。なんと、自分の手が男の手と重なり合っているではないか。腹部を触れる暖かな感触は押し寄せてくるように心が多幸感で満たされた。まるで、自分が恋人のように愛されていると錯覚するくらいに。
(だ、だめですよぉ………)
理由もなくむず痒い気持ちがこみあげてくる。なんだこれは。雪崩のような戸惑いと幸福。そして、そんな気持ちにさせる男が一体どのような存在なのか。気になって仕方がなかった。
(ふああぁ………しあわせぇ………)
知りたい。知りたい。知りたくて仕方がない。もっとそこへ、そっち側へ行きたい。
無意識下の中で篠原まりの魂は、自覚せずして男の魔力、そしてその根源に近いものに触れた。触れてしまった。人を魅了し畏れさせてやまぬその男の全てが記録された膨大なる情報。その一部に手が触れてしまったのだ。
「ぅ………ぅん」
「む、この対魔忍、起きるぞ?」
「意外と早かったな」
「はぁ………んぇ?」
「気が付いたようだな。気分はどうだ?」
もし彼女が事前に男のことを知っていたとしたら?敵対していたとしたら?まだ話は違っていたのかもしれない。男に気に入られた以上、たとえそれが気休めだとしてもだ。篠原まりは見た。この魔性の男の素顔を―――魔族の魅了への対策はあるが、その無防備な魂までは及ぶことはできない。そして、その無垢な聖域は、一瞬にして男の色に染まった。
「……………」
「ん?どうした?」
「ふわ~…………かっこいいですぅ………」
「は?」
端的にいうと、篠原まりは男に魂で、その次に外見で一目惚れした。これが男と篠原まりのファーストコンタクト。彼女の初恋であり、後に対魔忍としての使命の間で板挟みとなって苦しむこととなる最初の一ページだった。
いまだ魑魅魍魎蠢く迷宮からの脱出口は見つかっていない。
○月×日
まったくあの男にはいつも驚かされる。男が移動した先には空間と空間をずらして出来た異界があった。力の波形から対魔忍のものであると推測できるが、それだけじゃない。魔術、魔法使いの手が加わっている、淀んだ世界の先にはおそらく得体のしれない世界が広がっていることだろう。
といっても、私が驚いたのはそこじゃない。その次だ。男がなんと剣で壁をケーキのように切り裂き、素手で割り開いたのだ。一歩間違えれば空間と空間の間に取り込まれ、永久にすり潰される危険だってあるのだ。
とてもではないが、私は真似はしたくないな。
そして世界を割り開いた先に待っていたのは魔獣たちの群れ。実に100は下らないが、それを男は言葉だけで跪かせた。
思わず笑いが止まらなかった。これほどの意味不明な存在、どう説明しろというのだろうか。今はわからない。そう、この天才の私がだ。何かよくわからないものと判断するしかできないこの状況に、私はどうしようもないくらい性的興奮を覚えている。
特殊嗜好を持っていることは理解しているつもりだが、これは今までで極上のものだ。この存在を知りつくし、組み伏せ、私のものにしたらどれほどの興奮に包まれるだろうか。その顔を無様に地べたに這いつくばらせ、服従を誓わせたら?
想像するだけで絶頂してしまう。
ああ、楽しみだ。お前のすべてを知ったその時、黄金の男、それがお前の敗北だ!