存在しない秤の、唯一の一等星
からん、からん
電車の到達を告げるその音が、駅構内に響き渡った。
人混みの中色が抜け落ちたように俯く少年は点字ブロックより前に立っていた。
からん、からん
やけにうるさいその音が、少年の耳をつんざいた。
頭に音の衝撃がガンガン響く。それのせいで、また吐き気がする。
からん、からん
うるさい、うるさい
そう思いながらも少年は微動だにしない。
何か目的を持って外に出てきたとは思えないその表情の暗さに、道行く通行人達は一瞬訝しみながらも他人としてその少年を脳内処理する。
顔色の悪い少年は頭の痛みのあまり気を紛らわそうと左ポケットからスマートフォンを取り出す。
黒色の、至ってシンプルな高性能モデル。
逆に言えばなんの趣向も意思もない唯々に淡白なそのモノトーンカラーは、少年の心をさらに暗く荒ませる。
昨日、インストールしたゲームがあったはずだ。
ストーリー性が高いゲームらしい。これなら移動中も飽きることはないだろう。
『ブルーアーカイブ』
耳元のイヤフォンから流れ出す音楽と落ち着いた少女の声。
いきなりのタイトルコールに少年は驚くが、公衆の面前ということもあり、その体の震えを止めた。
胃が気持ち悪すぎて今にも倒れそうだが、今彼を支えてくれる人間はいない。
そう再確認して少年は吸引式の薬を摂取する。
少し頭がスッキリして、スマホの画面に集中できる。
内容は、学園青春もの。
だが、主人公は学生ではなく教師の側らしい。
少し驚いたのは登場人物達が銃を携帯していることだ。
「.........」
ストーリーが始まった瞬間、少年はそのスマホの画面を暗転させた。
どうやら、性に合うようなゲームではなかったらしい。
オタク文化には確かに興味はあるし、フィギュアや玩具は腐るほど買っては棚に積み上げている。
だが、よく考えれば今は何かゲームを始めるような気分ではない。
また、吐き気が出てきた。
頭がぐらぐらする。
「けほっ、げほっ」
咳まででてきやがった。
ごおおおお___と、線路の向こう側から電車の先頭が見えてきた。
『点字ブロック________________お気をつけください』
アナウンスが駅構内に響き渡るが、耳が遠くなって聞こえない。
目眩が。
吐き気が
喪失感が
少年は一歩踏み出す。
一瞬の浮遊感が心地よくて、その虚空に全体重を預けてみる。
天地が逆さまになる感覚を覚えながら、少年の体がまるで舞うように線路上に落下していく。
ああ
そうか
少年は背中を押された。
ギィィィィィィィっ!!
列車が少年に衝突しまいと全力で叫び声を上げる。
だが、その叫びすら少年には届かない。
みしっ
冷たい。
なんだろう。
ああ、鉄か
少年は背中を押された。
思考がまとまらない
少年の着ていたコートのポケットから物が散乱する。
『3回忌 墓参り』
『薬 飲むこと!』
『昼飯 うどん』
数ある物品の中から、小さなメモがその瞳に映った。
『3回忌 墓参り』
少年は背中を押された。
『3回忌 墓参り』
誰に?
『姉さんの』
ああ、そうだった。
そういえば、花を買うのを忘れていた気がする。
少年は背中を押された。
モノクロに染まっていく視界の中、駅のホームを見据える。
少年は背中を押された。
ああ、そうだ
誰もいない
少年の後ろには誰もいない。
少年は背中を押された。
少年は確かに背中を押され、宙を舞っている。
少年は背中を押された。
だから、誰に?
点字ブロックの向こう側に立ち、一歩踏み出した。
少年は背中を押された。
バキバキバキバキバキバキバキ
軋む
視界が
体が
記憶が
スマホが
少年は背中を押した。
少年は背中を押された。
少年は崩れた。
少年は飛んだ
誰が
誰に
ああ、そうか
自分だ
ユメ
大丈夫
今の君には、そんな汚いものはないから