あれはまだ私が幼かった頃。
初めて父に連れられ、山の中にある村に草鞋を売りに行った時だった。
村に行く途中で猪に遭遇してしまい、恐怖のあまり我先に逃げ出してしまった。
案の定、父とはぐれてしまい、途方に暮れていた。
「どうしよう……このままだと夜になってしまう。父上は大丈夫だろうか」
父上は山に詳しいから、村の方向はすぐに分かるはずだから、私よりも先に村に着いている可能性がある
問題は私だ。
夜の山は獣が出やすいとよく聞く。
再び、猪に鉢合わせなんかしてしまったらたまったもんじゃない。
何とかして村に辿り着きたいのに、疲労のせいで脚が重たい。
しかも、腹が空いてこのまま倒れてしまいそうな状態だ。
「駄目だ……頭がクラクラ……す…」
視界がぼやけ、身体がフラつき倒れそうになった瞬間だった。
「危ない!!」
ふと声が聞こえ、気が付けば私の腕は掴まれていた。
ぼやける視界に入るのは、急斜面だ。
「うわっ!?」
目の前の光景に、思わず目を見開いてしまった。
「大丈夫か?」
声の主は驚く私を優しく引き寄せた。
私を助けたのは私と歳が変わらない少女だった。
彼女の冷静な表情に、安堵し次第に涙が溢れ出た。
「ど、どうした!?だ、大丈夫か?」
泣き出す私の背中を優しく撫で、落ち着かせてくれた。
「もう……だ、大丈夫……助けてくれてありがとう」
「なら、いいけど。お前、よく村に来る草鞋売りの息子だろ?」
少女は、涙を拭いている私に確認するように質問してきた。
「そうだよ…君は……?」
「私は、猫師村の猫煌だ。お前は?」
猫煌と名乗ったその子どもは、一つに結ってある長髪の赤髪と翡翠色の瞳が特徴的だ。
状況のせいもあるが、初めて見た特徴を好奇心がそそられ、我を忘れ見入ってしまった。
「おい、聞いてるのか?」
猫煌の呼びかけに我に返り、恥ずかしさからか自身の頬が紅潮してしまった。
「いや、ごめん……私は……劉玄徳」
「おじさんが言ってた名と一緒だな。玄徳、とりあえず村まであと少しだ。帰るぞ」
猫煌はふらつく私の身体を支え、ゆっくりと歩き出した。
山道は薄暗く、危険な道を私の肩を抱えて歩く彼女は私よりも疲弊してるはずだ。
しかし、彼女は辛い表情を一切見せず、私を気絶させまいと声がけまでしてくれた。
「ほら、見ろ!玄徳!灯りが見えるだろ!あれが村だ!!おーい!!!」
「猫煌の声がしたぞ!あそこだ!」
猫煌が指差す方向を見れば、数本の松明の灯りが見え、同時に大人達の声が聞こえてきた。
「猫煌!!!」
「父さん、草鞋売りの息子見つけた」
1人の男が私と猫煌に駆け寄ってきた。
恐らく、猫煌の父親なのだろう。
父親は駆け寄るやいなや、眉をひそめ、猫煌の頬をパァンと平手打ちした。
「お前って奴は身の程知らずにも程がある!!夜の森が危険な事は知っているだろ!!」
「知っているよ!!でも、父上が困った人は助けろって言ったじゃないか!!!」
「それは、できる範囲でだ!!」
「それでもだよ!!」
猫煌は泣くことも無く、父親の目を見据え反発していた。
2人を仲裁しようと村の人が落ち着かせる。
「まぁまぁ!猫煌のおかげで子どもも見つかったから、今日はその辺にしとけ!」
「そうよ、猫煌ちゃんも落ち着いて!」
「確かに……次は絶対に無茶はするな。いいな?」
「はい。ほら、お前も父親の所に…」
猫煌は私の父上がいる方向に指を指した。
父上は私に気付いて、今でも泣きそうな表情で駆け寄って抱きしめてきた。
「玄徳…良かった、良かった…君…ありがとう」
「御礼など…私は当たり前のことをしただけだ」
当たり前のことをしただけ…普通の子どもの口から出る言葉ではない。
私は猪と暗い山道の恐怖で自分の事で精一杯だった。
それなのに彼女はただ「困った人を助ける」と言う感情で、初めて会う私を助けたのだ。
幼い頃の私はこの時初めて、彼女に憧れを抱いてしまった。
それは、私にとってこの先続く物語の始まりでもあった。