城を抜け出した私と猫煌は、腹ごしらえのために近くの川で魚を取ることにしたのだが……。
「何故、私が魚を獲らなければならないんだ!」
「ほら、何事も経験だよ~!毎日おちびちゃんが食べている魚がどうやって獲るのか、体験しないと」
そう言って猫煌は私に籠を渡してきた。
「これは?」
「魚を獲る罠だよ。こうやって餌を入れて水中に置くだけ。餌につられてやってきた魚が入れば、抜け出せない仕組みになっている」
猫煌は私に分かりやすく罠の説明をした。
こんな籠で本当に魚が獲れるのだろうか?と半信半疑で彼女の言うとおりに罠を設置した。
「さて、あとは駄弁りながら待つだけだ」
そう言って猫煌は、川のすぐそばにあった岩に上り、胡坐をかいて私を手招きした。私が猫煌の隣にゆっくり座ると、彼女は川を指さして言った。
「これはっ!?」
私の目に映ったのは川の上を沢山の光が浮かんでいる光景だった。
それはゆらゆらと動いては消えの繰り返しで、このような状況は書簡で読んだ怖い話に出てくる状況にそっくりで、思わず声を上げてしまった。
「お、おい猫煌!これって、人魂じゃないのか!?」
私の言葉に猫煌は腹を抱えて笑った。
「はは!人魂って……やっぱりおちびちゃんは面白いな。これは蛍という虫だ」
「虫?虫が光るのか?」
「あぁ、番を見つけて次の子孫を残すためにな」
「子孫を残すため……」
子孫を残す……それは生き物にとってかけがえのないこと、勿論それは人間も同じだ。
だが、人間は生き物とは違い、自分の欲と野望のためなら、簡単に子供を利用する。
父もその一人だ。父は私以外にも兄上や姉上がいたが、全員死んでしまった。
優しかった母も二年前に亡くなったのに、父は葬式にすら来なかった。
「なんで、生き物は自分の子が生まれたらちゃんと見るのに、人間は何故見ないのか……」
「…私で良ければ、おちびちゃんの話を聞くよ」
私は再び猫煌の言葉を聞くうちに、次第に口から自然と言葉が出てきた。それは幼い私にとっての拙い言葉だったが、猫煌は私の言葉を真剣に聞いて答えてくれた。
そんなやり取りをしているうちに、次第に瞳から溢れていた涙が無くなり、気づけば猫煌との会話で笑い合うほどになった。
「さて、そろそろ罠を引き上げてみるか」
私も川に入ろうとしたが、さすがに夜の川は子供には危険だと言われ、そこで待っていることにした。猫煌は暗い川の中から無事に罠を引き上げ、笑顔で戻ってきた。
「おー!子桓、沢山獲れ……子桓、伏せろ!」
猫煌の叫びを聞いた私は瞬時に伏せた。その瞬間、私の頭上を数本の矢が通り過ぎ、そして矢は川の反対側の木に突き刺さった。
「なっ!?」
私は矢が放たれた方向を見ると、少しずつだが松明の明かりが見え、同時に複数の男たちが現れた。猫煌はすぐに私の元へ戻り、私を庇うように後ろの方に行かせた。
「おいおい、まさかこんな子供が女と一緒にいるなんて聞いてねぇぞ」
「頭、なんせあの子供は……あの曹操の子だ。曹操も大層な女好きだから、子が父親みたいになるのもおかしくはないぜ」
「それもそうか……なぁ、そこのお姉ちゃん」
男は剣を取り出し、猫煌に切っ先を向けた。
「その子供を渡したら、命はとらねぇ……」
男の言葉に猫煌は先ほどの優しい表情から一変し、鋭い表情になった。
そして、腰に装備していた二つの剣を取り出し、剣の持ち手の部分を合わせた。
「はぁ……そう言われて易々と、はいどうぞって渡すかよ!」
猫煌は言葉と同時に男たちに弓を放った。
「なっ!?投牙弓だと!?」
男たちは矢を避け、私たちの距離ができた瞬間、猫煌は私を背中に背負わせ、すぐにその場から逃げ出した。
「ここ最近噂で聞いていたけど、まさか本当に曹操に恨みを持つ者がいるとはな……」
「じゃ、奴らは暗殺者なのか!」
「暗殺者にしては攻撃が単純すぎる。恐らくは、そこら辺の賊でも雇った可能性があるな」
背後から男たちが次々と私と猫煌に目がけて弓を放ってくるが、猫煌が上手くかわしては打ち落としていく。
そんな彼女の邪魔にならないようにと、私は必死で彼女の背中にしがみつくが、彼女が動くたびに何故か桜のようないい匂いがした。
今考えると、母以外の女性にこうして触れたことがなかった。
状況は最悪なのに、何故か私は彼女の背中の温もりを感じて、ふつふつと感じたことがない感情が込み上げてきた。自分でもこの感情は分からないが、恐らくは彼女じゃないと感じられない感情なのだろう。
「はぁ……矢を放つにしても、もう少し狙いを定めろよ」
猫煌は最後の賊を弓で仕留めると、そのまま私を背負って目的地の高台に行けば、そこには父の姿があった。
「父……」
私の言葉を聞いた猫煌はゆっくりと私を下した。
父は私たちに気付いたのか、こちらを振り返った。
「ほら、話したいことがあるんだろ?行っておいで」
猫煌に背中を押され、私は父の元へ駆け寄った。
「……父……その……」
私が言いかけたその瞬間、父は優しく私の頭を撫でた。
「っつ!?」
「……楽しかったか?」
怒られると思っていたのに、父の口から出た言葉は意外だった。しかし、なぜか私の心には疑問が浮かんだ。
「なんで、父がここにいるのですか?遠征は?」
「どこかの猫が私にここに来いと文を送ってきたからな。まさかここに呼び出すとは思わなかった」
父は猫煌の方向を見たが、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
「猫煌……猫煌!」
「よせ、子桓。あの者は猫のような存在だ。気が向いたらまた現れるだろう」
猫煌の姿が見えないのは少し寂しいが、父の言う通り、彼女は猫のようにひょっこり現れることがある。
「さて、子桓よ。お前から見てあの者はどう映る?」
「…どういう意味ですか?」
父の突然の問いに少し戸惑うが、私はゆっくりと答えを考えた。
「私の目には猫煌は、戦闘能力も人間性も含めて…」
「子桓よ、私が聞いているのはそういうことではない。お前の本心で答えろ」
私は父の言葉に少し動揺し、一呼吸置いてから言った。
「私から見て、猫煌……彼女は優しくて、勇ましい存在です。ここに来るまでに賊の襲撃を受けましたが、彼女のおかげで無事でした」
「そうか……」
その時の父の表情は普段とは異なり、何かを考えているような印象を受けた。
父は女好きだと部下に言われているが、実際には才能のある者から詩などを教わっている。
決してその人たちを妻に迎えることはなく、その時も今のような表情は見せなかった。
それなのに、今の父は……。
「父よ、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「父は猫煌のことをどう思っているのですか?」
私の質問を受けた父は真剣な表情に戻り、答えてくれた。
「私は、あの者を妻として迎えたいと考えている」
「!?」
父の言葉にほんの一瞬、自分の胸が刃に刺されたような痛みが走った。
今思えば、私は彼女に惚れていた……だが、同時に父も彼女を好いていた。
……いや、好いているというより、愛でているような感じだった。
もし、本当に彼女が私の母になったら幸せに違いない。
しかし、私は彼女を……猫煌を……母として見ることができなくなっていた。
猫煌がせっかく父との時間を作ってくれたのに、その後の会話の内容は頭の中に入ってこなかった。
一方で今回の騒ぎを聞きつけた劉備達は。
「猫煌が子桓殿を!?」
「はい、一応子桓殿の身は無事で、曹操様に引き渡され、今回の件は目を瞑ると」
「はぁ……そうか……猫煌は?」
「猫煌殿なら、今は自室にいると思います……」
私はその言葉を聞いて急いで彼女の元へ向かった。猫煌のことだから、意味もなく子桓殿を連れ出すことはないだろう。しかし、何よりも私は彼女の身を案じていた。あの曹操のことだから、彼女を好いているあの男なら目を瞑ってくれたのだろう。しかし、それは今後のことを考えると、何かしてくる可能性もある。
彼女への心配が私の足を速め、廊下を早足で歩くが、途中で立ち止まってしまった。
「猫煌……」
「お、玄徳!やっと帰ってきたのか」
私の心配とは裏腹に、猫煌は普段と変わらない様子を見せていた。思わず彼女に駆け寄り、今回のことを詳しく聞いた。すると、彼女は少し溜息をついてから話し始めた。
「子桓が昔の私に似ていてね、実の父に言いたいことも言えず、父の言いなりで、まるで鳥籠の中の小鳥みたいだったから、助けてあげたくなったの」
「だからって、子桓殿を攫うような……」
「じゃなきゃ、私と子桓、この城の中の鳥になってしまう……ただでさえ、お前たちと一緒にいられないのに……」
猫煌の言葉に、少し胸が締め付けられた。確かに曹操に保護された恩はあるが、今のままだと猫煌を縛ってしまっているように感じた。ましてや、私と彼女は夫婦なのだから、今後のことを考えればそろそろ曹操の元を離れた方が良いと考えた。
「猫煌」
「なに?」
「三日後、曹操殿と私たちで呂布殿を討ちに行く。その時、お前も来て、すぐにこの城から出よう」
私の言葉に、猫煌は嬉しそうな表情を見せた。
「なら、それまでに私も準備をしておくよ」
「くれぐれも、今回のようなことは起こさないでくれ……命がいくつあっても足りない」
「分かってるって」
そう言って、猫煌はその場を離れ、自室へと向かった。