猫煌と交わってから三日後、私たちは無事に洛陽にたどり着いた。
「いやぁ、さすが大きな都だ。活気に満ち溢れているな」
「うむ。さて、兄者。この後はどうするつもりで?」
雲長の問いに私は少し考え込んだ。洛陽までの道のりは数日かかった。ここでは身体を休めるのが最良だろう。
「お前たちも旅の疲れが溜まっているだろうから、宿を探して身体を休めるのはどうだろうか?」
私が雲長に休息を提案すると、雲長と翼徳は何故か少し残念そうな表情を浮かべた。そして、猫煌から少し離れたところで、三人で耳打ちを始めた。
「兄者、せっかくこんな大きな都に来たんだから!」
「ここは、猫煌殿と一緒に観光するのがいいんじゃないか?」
「な、なぜ……猫煌と?」
私は二人の提案に戸惑いを隠せなかった。
「兄者~俺たちは猫煌との進展を知っているんだぜ?」
「少し心配していたが、兄者もなかなか…」
「なんでお前たちが……知っているんだ!?」
「知っているも何も兄者と猫煌殿の様子が明らかに変わっているのを、拙者たちは気づいていますぞ」
まさか、雲長と翼徳に猫煌との関係が知られてしまうとは……。勘づかれても仕方がないといえば、確かにそうだ。彼女と交わった後、無意識のうちに彼女に目を向けることが増えたのだから、その様子を見れば二人が気づくのも頷ける。
「ほら!さっさと猫煌と行ってこいよ!」
雲長と翼徳は、嬉しそうにニヤニヤしながら、私に猫煌との観光を勧め、私の背中を押した。すると、猫煌が私たちを呼びかけた。
「玄徳!雲長!翼徳、早く宿探しに行こう!」
「猫煌!俺たちはちょっと金稼ぎに行くから、兄者と二人で周ってきてくれ!」
「そうなのか?」
「だから、兄者と猫煌殿はのんびりと散策してきてください。ここは大きな都だから、良い宿も見つかるはずです」
二人は猫煌に嘘の理由を告げて、その場を立ち去った。
「…どうする、玄徳?」
「ふぅ……とりあえず、二人の気遣いに甘えて散策することにしようか」
私と猫煌は洛陽を観光することに決めた。
洛陽は貿易や文化が盛んな都市で、街を歩けば異国の商人たちが露店を開いており、通りは賑やかな雰囲気に包まれている。
「いやぁ、さすが洛陽。美味しいものが沢山ある」
猫煌は露店で買った肉まんを嬉しそうに頬張る。彼女の両手にはたくさんの肉まんがあり、驚くほどの速さでそれを食べる姿は相変わらず愛らしい。
「美味しいか?」
「うん、美味い!玄徳も食べてみるか?」
「本当にいいのか?じゃあ、一つもらお……」
猫煌から肉まんを受け取ろうとしたその瞬間だった。
「すみません!」
背後で誰かが老人の手を引きながら、勢いよく駆け抜けていった。一人は黒の布で顔を隠していたため、よく見えなかった。
「な、なんだ?」
「どうやら急いで逃げているみたい……うわぁ!?」
その後を追うように、盗賊らしき者たちが後を追いかけていた。
「玄徳、あれは……」
「とにかく、助けに行こう!」
私と猫煌は、あの二人が盗賊に追われていることに気づき、急いで彼らの後を追いかけることにした。
「はぁはぁ……」
「はぁはぁ…」
息を乱しながら人通りの少ない場所へと逃げ込む二人。しかし、その道を遮るように一本の矢が地面に突き刺さった。
「つっ……お義父さま」
彼は義父を守るため、自らの背後に身を隠した。すると、武器を持った複数の盗賊たちが不敵な笑みを浮かべながら姿を現した。
「よく逃げたもんだけど、ここまでだな」
「つっ……」
二人は周囲の盗賊たちを警戒しながら身構える。
「金目のものは残さずいただくぜ」
近づいてくる盗賊たちの中で、一人の男が何かを見つけたように、マントを羽織った者に声をかけた。
「おい、かなりの美人だな。俺の妻になってくれないか?」
「おい、そういうのは後だ。まずは爺さんを始末するぞ」
男が背後の老人に矢を向けたその瞬間。
ドス!
何かに襲われたのか、矢を構えていた男が突然意識を失った。男の周囲には、マントを羽織った者の姿は見当たらず、ただそのマントだけが風に揺れていた。その瞬間、場に現れたのは一人の女性だった。
「なっ!?お前!!」
男の叫びに応じて、周囲の者たちは一斉に剣を振りかざして攻撃しようとしたが、女は素早くその攻撃をかわし、反撃に転じた。
「ぬわぁ!」
次々と攻撃を仕掛けようとしたその時。
「止まれ!!武器を下ろせ!」
盗賊の一人が老人を人質に取ると、女性は悔しそうな表情を浮かべ、ゆっくりと武器を下ろした瞬間だった。
「はぁぁぁぁぁぁ!!」
私と猫煌は女と老人を助けるべく、背後から素早く盗賊を斬った。
「あなたたちは……」
「話は盗賊を倒してからだ!」
猫煌と女性は息を合わせ、次々と盗賊を倒していった。
「二人とも無事か?」
「私は大丈夫だけど……玄徳、危ない!!」
「なっ!?」
ヒュン!と何かが私の頬をかすめ、飛んでいった先を見ると、倒れた盗賊の姿が目に入った。
「大丈夫ですか?」
女は一瞬、冷静な表情を浮かべたが、すぐに柔らかな微笑みに戻った。
「私は大丈夫です。助けていただき、感謝します」
「いえ、こちらこそです。私と義父を救っていただき、本当にありがとうございます」
女性は安心した様子で、私と猫煌に感謝の言葉を述べた。そして、詳しい事情を二人から聞くことになった。
「わしは王允という。この者は養女の貂蝉だ。礼を言うぞ、劉備殿と猫煌殿」
王允の口から、教えてもいないのに私と猫煌の名前が出てきたことに、一瞬驚きを覚えた。
「なぜ、王允殿が私たちの名前を知っているのです?」
「おお、やはりそうだったか」
王允殿は私たちを知っていたかのように、話し出した。
「まだ、黄巾賊が騒がしかった頃、誰ぞがその名を口にしておったのでな。緑の装束と二つの剣を持つ男、髪に翡翠色の瞳を持つ女。二人の姿が一致する故、あるいはと思ったのよ」
「先の乱でご活躍した御方たちでしたか。あの見事なお手並みも頷けるというもの」
貂蝉は私と猫煌を見つめ、納得した様子を見せた。しかし、猫煌は貂蝉の独特な戦い方に興味を抱き始めた。
「いや、それはこっちの台詞だ。お前、なかなかの腕だった。武芸でも教わったのか?」
「ほんの手習いでございます」
「手習いねぇ…。で、あんたたちはなんで、盗賊なんかに追われていたんだ?」
猫煌は二人に詳しい事情を尋ねた。すると、王允は一呼吸置いて、冷静に私たちに語り始めた。
「私は豫洲の刺史として黄巾賊討伐に参加していたが、その最中、黄巾と結びついた宦官の讒言によって刺史の座を追われてしまった。あくまで側仕えに過ぎぬ宦官によって、罷免されるとは……不覚も不覚よ。それ以来、宦官による世の腐敗を断ち、心ある協力者を求めて各地を渡り歩いているのだ。」
「心ある協力者とは?」
「そうです。義父が刺史の座を失った今、私たちは無力な親子に過ぎません。だからこそ、誰かの力を頼るしかないのです。」
二人の話を聞く限り、彼らは誰かの助けを必要としている状態だった。
「宦官たちは、今や皇帝の象徴である伝国の玉璽まで手中に収めようとする専横ぶり。このまま何もせずにいれば、再び天下は乱れるだろう。劉備殿と猫煌殿、君たち二人に一つお願いがある。まだ主を持たぬ身であるならば、しばらく私たちの食客になってはくれぬか?」
王允の言葉に、猫煌は少し困惑した表情を浮かべた。
「貂蝉がいるだろう?」
「私たちは、先のような者たちだけでなく、宦官が差し向けた刺客にも命を狙われている。貂蝉が奴らに劣るとは言わないが、一人では負担が大きかろうと思っていた。」
確かにその通りだ。先ほどの盗賊も含め、貂蝉一人で高齢の王允を守りながら戦うのは厳しい。
猫煌もそれを理解しているのか、困った様子で私に尋ねてきた。
「…どうする、玄徳?」
「黄巾賊を討伐したとはいえ、天下はまだ安定していない。宦官を放置すれば、再び乱世が訪れる。それに巻き込まれる民のことを考えれば、ここは王允殿に手を差し伸べるべきだ」
「はぁ、お前は本当にお人好しだな…。まぁ、お前がそこまで言うなら、私は付き合うよ」
猫煌は溜息をつき、私に呆れた様子だ。
「すまんな猫煌。私は困っている人を助けたいのだ。王允殿、そのお願い、私と猫煌で引き受けた」
「おぉ!有難い。お前たちに二つの借りを作ってしまったな。それなりの報酬を用意しよう。今は協力者の便りを待っているため、二人はこの町でとどまっていてほしい。詳しいことはまた貂蝉を迎えに行かせる。その時、協力者を含め話そう」
そう言うと、二人は静かに身を隠すようにその場を離れていった。
私と猫煌は、後日のために体を休めるべく宿を取ることにした。
雲長と翼徳にも同じ宿を勧めたが、私に気を使わせたくのか、二人は他の宿に泊まった。
後日、王允殿の言葉通り貂蝉殿が宿まで迎えに来てくれた。
そして、貂蝉殿に連れられ私と猫煌は王允殿の隠れ屋敷に向かった。
屋敷に到着すると、貂蝉殿から「王允殿を呼びますので、少々お待ちください」と告げられ、私たちは庭先で待機することになった。
待機してから数分も経たないうちに、背後から声をかけられた。
「失礼いたします。この屋敷の者とお見受けいたしますが、王允殿は今どちらにいらっしゃいますか?」
王允殿の客人かもしれない。服装から察するに、官位を持つ者のようだ。
「玄徳、あの老人の客人か?」
「とりあえず、聞いてみるとしよう」
私はその客人に尋ねた。
「王允殿にご用でしょうか?」
「私は荀公達です。王允殿とは面会の約束がありまして…。必要であれば、書状もお見せしますが」
荀攸と名乗る男の様子から、彼が嘘をついているとは思えなかった。
「承知しました。王允殿は今、呼ばれるところですので、私たちも一緒にお待ちしましょう」
「ありがとうございます」
荀攸殿との会話が終わると、貂蝉殿が現れた。
三人は貂蝉殿に導かれ、王允殿の部屋へと向かった。
向かう途中、荀攸は猫煌に興味深げな視線を向けていた。
そして、何か意味深なことを小声で呟いた。
「赤髪に翡翠色の瞳は……」
その言葉は、まるで猫煌について何かを知っているかのようだった。
私が荀攸の言葉に気を取られていると、いつの間にか王允殿の部屋に通された。
「待っておったぞ、荀攸殿。それで、折り入っての相談とは?」
「では、率直に申し上げます。王允殿、決起を」
荀攸の言葉に、王允は少し眉をひそめ、冷静な表情を崩さなかった。
「それは……董卓を討てということか?」
「はい」
荀攸は、王允の問いに迷うことなく応じた。
その様子からは、すでに覚悟が決まっていることが伝わってきた。
王允は荀攸の様子に納得しつつも、少し考え込んで話し始めた。
「確かに、近頃の董卓の専横は目に余る。しかし、いかにしてあの男を止めるのだ?彼の軍勢は何進殿の兵をも呑み込み、膨れ上がっている」
王允殿の言う通りだ。
帝を庇護下に置いた董卓は、天下を支配する権力を手に入れ、専横を極めてしまった。
その影響なのか、私たちが到着した時とは打って変わって、都は病人や怪我人で溢れ返っていた。
「先日死んだ、刺史の丁原…その子飼いの猛将らも引き入れたという噂さえある」
王允は自分の非力さを痛感しているのか、表情に影か落ちる。
「もはや、何者にも止められるのだ。現に袁紹殿は、敵わぬとみて洛陽を去ったであろう」
「承知しています」
「では、何故わしを頼む?都に災禍を運んだも同然の、この老体を…」
「あなたは、董卓を葬る術を持っていると思いましたので」
荀攸の言葉に、王允は少し躊躇いの色を浮かべた。
「それに、あの食客の二人のうち、一人は太平の要。…彼女を利用する手も考えている」
「…申し訳ないが、事はそう簡単ではない。今日はここでお引き取り願いたい」
「王允殿…」
王允の返答に荀攸は一瞬眉をひそめたが、少し残念そうな表情を浮かべ、部屋を後にした。
「王允殿…」
「心配いらぬ、劉備殿。貂蝉、少し外に出ていてくれ」
「承知しました」
貂蝉は軽く頭を下げ、部屋を出て行った。部屋には、私、猫煌、そして王允の三人だけになり、先ほどとは異なる緊張感が漂っていた。
「君たち二人に伝えておかねばならぬことがある」
「話?爺さん、急にどうしたんだ?」
王允殿の様子に、猫煌は少し戸惑いながら尋ねた。
王允殿は意を決したように、ゆっくりと口を開いた。
「わしが元々官吏であったことは、以前にも話した通り。刺史として、政務に尽力してきた。長い間、漢室に忠誠を尽くしてきた。しかし、それは表向きの話であり、実はもう一つの役割が与えられていたのだ」
「役割?」
王允殿は緊張しているのか、一呼吸おいて話を続けた。
「間者や刺客を使い、叛徒や政敵を排除する任務がな」
「「!?」」
私と猫煌は、王允殿の言葉に驚愕した。
「あなたは一体……」
「戦う力を持たぬ、一介の老爺に過ぎぬ。少々、知らずともよいことを知っているだけよ。聞くに、術を使って隠密を生業とする一族が密に頭領として作られた組織があった。それが太平の要……一族の者たちは皆、赤き髪、翡翠色の瞳をしていた。猫煌、そなたと同じように」
「どういうことだ……詳しく聞かせろ」
王允の口から、予想外の情報が飛び出し、猫煌は王允に食い入るように尋ねた。
それも無理はない…黄巾の騒動以降、猫煌は自分の一族の過去を調べている。
そんな猫煌自身も知らない事実を王允殿が知っているとなれば、強く問いただすのは当然のことだろう。
「そうは言っても、わしの口から語れるのはその成り立ちくらいか……太平の要とは、漢の高祖・劉邦と共に戦ったという、さる侠客を祖とする刺客たちのことよ。妖術を使う神兵だったともいうが、太平の世のためにと、あえて影働きに徹したそうだ」
妖術……。
張角が言っていたように、猫煌の一族が妖の系譜であるならば、妖術を使えるとされても不思議ではない。
しかし、それにしても疑問が残る。
猫煌自身はともかく、彼女の父親は剣や弓、さらには術についても教えるほどの知識を持つ人物だ。
王允殿が嘘をついているようには見えないが、もし彼の言葉が真実であれば、猫煌の父はなぜ自らの一族の真実の起源を隠し、猫煌に偽りの生い立ちを伝えたのだろうか。
それに、そこまでの力があるのに一部の人間しか知らないのだ?
「太平の世のため……じゃぁ、何故その一族は知られていないのだ?劉邦と共に戦った力があれば、多くの者に知られている筈じゃぁ…」
「彼らは功を誇らぬこそを誇りとしたゆえ、史書にもほとんど姿を現さず、全貌を知ることは困難。彼らの里が各地もあると聞くが場所を知る者はいない」
「……」
猫煌は少し複雑そうな表情をしたが、溜息をついて王允殿に聞いてみた。
「じいさん、なんでそんなことを今私ら二人に話すんだ?」
「先日助けられた時から、そなたがその一族の一員ではないかと思っておったのだ。それに、お前たちの力があれば本当に……いや、なんでもない。すまないな、こんなことで呼び出してしまって。今日からは暫くここで休むといい」
王允殿は何かを口にしようとしたが、言うべきではないと判断したのか、すぐに話題を変えた。
私と猫煌は、王允殿の指示に従い、しばらくの間屋敷に留まることにした。
そんな夜、昼間の事で彼女の事が心配で、私は彼女の元へ尋ねた。
ドアを優しく叩いても返事がなく、私は少し心配になり、彼女の部屋に入った。
部屋は薄暗く、縁側に座る猫煌は盃を手にして孤月と向き合っていた。
「猫煌大丈夫か?」
「……玄徳」
猫煌は何か思索にふけっていたのだろうか?私の呼びかけに対する反応が、遅れた様子が見受けられた。
「何か考えていたのか?」
「……ちょっとな。いやぁ、驚いたよな……ここ数日で自分が教えられてきたこととは、違うことを知ってしまうんなんて」
苦笑する猫煌、不安なのだろうか。
私はそんな猫煌の隣に腰を下ろした。
「玄徳も呑むか?」
「お前がいいなら、久しぶりに二人で呑もう。」
二人で余寒を感じながら、一つしかない盃を共に使い、夜を過ごした。
数日後―。
私たちは王允殿に呼ばれ、部屋に通された。
「今しがた、急使が来た。今上の陛下が董卓によって廃され、新たに陳留王・劉協様が即位されたそうだ。董卓に異を唱えた者たちは、ことごとく都を追われるか……命を奪われたと聞く」
「そんな……」
王允の言葉に、貂蝉と私たちは困惑した。
「あやつの専横は極まり、今や帝の寝台で眠る有様。麾下の者らの横暴も、とどまるところを知らぬ。洛陽の人々はみな怯え、息を殺して暮らしておる。陛下も心穏やかではおられまい…」
王允は董卓の専横をもう見過ごしたくはないと感じたのだろう。
一呼吸し覚悟を決めた表情で、私たちに伝えた。
「董卓を討つ。力を貸してもらいたい」
「そのお言葉、長らく待っておりました。お義父様。獣狩りは私にお任せを…この命を賭して、成し遂げてみせましょう。それが……私が出来る唯一の御恩返しでございます」
「貂蝉…私は愚かな親だ。お前に技芸を仕込み、剣にさせてしまった。普通の娘に戻すことも出来ない私を許してほしい」
王允の言葉に貂蝉は愁色を濃くするも、王允に優しく答えた。
「謝らないでください、お義父様。私は普通の娘になれないからといって、苦しい思いなどしたことはないのです」
「貂蝉……劉備殿、猫煌殿。すまぬがどうか頼む。董卓を討ち……天下太平を成すために」
「爺さんには良い情報教えてもらったんだ、その御恩は返すさ。なぁ、玄徳?」
「もちろんだ猫煌」
私と猫煌の返答に対し、王允は感謝の意を示した。
そして、王允殿から今日屋敷に協力者が訪れると言われ、貂蝉と共に待つことになった。
しばらくすると、屋敷に協力者が到着したらしく、貂蝉がその人物を屋敷へと案内した。
「曹操様、お待ちしておりました」
「曹操って……まじかよ」
王允が言っていた協力者は曹操殿だった。
まさかの人物に二人して驚嘆してしまった。
「王允殿は?」
二人の表情を気にすることもなく、曹操は貂蝉に王允の居場所を尋ねた。
「ちょうど留守にしております。もうまもなく戻られるかと」
「しばし、こちらで待たせてもらおう」
曹操はこちらに視線を向け、なにか言いたげな様子をみせた。
「しかし、こんな形で曹操と再会するとはねぇ」
「黄巾と戦った時以来か…思えば、あの戦いでも董卓の専横が見え隠れしていた。関わった身として、始末をつけばならぬ。ゆえに王允殿に持ちかけたのだ……董卓の暗殺をな」
「暗殺ねぇ……爺さんに持ちかけるくらいだ、策はあるんだろ?」
猫煌の質問に対し、曹操は貂蝉を一瞥し、納得した様子で冷静に返答した。
「王允殿は宝剣を貸し与えようと言っていたが……ふむ、なるほど。なんとも麗しい宝剣よな」
「まさか……おい貂蝉いくらなんでも!」
曹操の言葉に猫煌は気づき、貂蝉に強く聞いた。
「猫煌様、私は大丈夫です。このために私は育てられたのですから……」
「貂蝉……」
「どうぞ曹操様の思うままに、お振るいくださいませ」
貂蝉は覚悟を決めた表情で、一時だが剣として曹操に仕えることを誓った。
「董卓はこの機に必ず仕留めねばならぬ。何進殿が洛陽に諸侯を呼び集めた折、それを諫められなかったのは私の咎。ゆえに、私は命を懸けて臨む。万が一の時には、お前たちは私を見捨てよ」
「曹操様こそ、私の命を気にかける必要はございません。この作戦……すべてを賭さなければ、決して勝てぬ賭けでございましょうから」
二人の間には緊張が満ち、空気が重苦しく感じられた。
しかし、そんな空気を切るかのように、猫煌は大きな溜息をつき、ドカと椅子に腰かけた。
「はぁぁ……なんでアンタら二人、こうも簡単に命を捨てたがるんだよ。アンタらの犠牲で董卓が討てたとしても、その後をどうするんだよ?正しく導く者がいなければ、また同じことの繰り返しだ。命を懸ける?大いに結構!だがな、それは生きて帰ってくるものの言葉だ」
「猫煌……お前」
「玄徳、私は絶対生きて帰ってくる。生きて帰ったら、美味いもんが食えるからな。まぁ、成功したその時は爺さんと曹操に奢ってもらう」
猫煌は満足げに大笑すれば、今まで重たい空気が一気に一変した。
「ふっ……相変わらず面白い女子よ。そうだな、その時は美味しいご馳走を用意しよう」
曹操は先ほどの厳しい表情から、ふと柔らかな表情に変わった。
その様子はまるで、特別な寵愛を注いでいるかのようだった。
「……」
まただ、また胸の奥が痛むこの感じ。
私が歪んでいるのか?曹操殿が猫煌に向ける言葉や視線に、いちいち反応してしまう。
「おい、玄徳」
「……」
「おい!玄徳」
「あぁ、すまない猫煌。なんだ?」
「なんだよじゃねーよ、作戦終わったぞ。今宵決行するんだ、気を抜くなよ」
猫煌は私の背中を軽く叩き、貂蝉と準備してくるといってその場を去っていった。
「劉備殿、少し二人だけで話がしたい」
「曹操殿……わかりました」
曹操殿からの申し出に少し戸惑うものの、私は返事をした。
「率直に言おう、劉備殿と猫煌殿は字で呼ぶほど親しい関係だと見えたが…どのような関係なのだ?」
「……」
さすが曹操殿、率直に尋ねてきたな。
私と猫煌は幼い頃からの親友であり、何よりもあの夜以降、猫煌と私は恋仲になった。
だからこそ、曹操殿に対して嫉妬心を抱いてしまうのだろう。
私はこのままでは自分の感情に飲み込まれてしまうかもしれないと感じ、曹操殿の問いに応じた。
「私と猫煌は幼い頃からの親友でした、今は彼女とは深い仲です」
「…ふっ、そうか」
曹操殿はこの状況を楽しんでいるのか、曹操殿の瞳には愉悦の色を浮かべた。
「劉備殿。欲というものは、なにかしらのきっかけで人を変える。私もそうだ……私は猫煌の才を含め、あいつの全てが欲しいとさえ思っている。たとえ、劉備殿と恋仲であってもな」
曹操殿の言葉は無神経に私を煽ってくる。
「あなたはどうやら、私を煽るのが上手だ」
「ふっ、どうかな……さて、我々も準備をしよう」
曹操殿は満足げな様子で、その場を後にした。
私は曹操の側に付き、貂蝉は董卓に差し出される者として、董卓に謁見する。
そして、猫煌が弓で董卓を暗殺することになった。
「曹孟徳、お召により参上した」
「ふん…」
帝が座るべき玉座に、威圧感を漂わせながら董卓が鎮座していた。
「一つだけ答えろ。貴様は漢の忠臣か、董卓の忠臣か」
「率直な御方よ。答えを誤った者の首を、いくつ切り離したものやら」
二人の会話は今なお緊迫した状態で、一言の間違いが命取りとなりかねない状況だ。
「御託はいらん」
董卓の返答に対し、曹操はまったく表情を変えず冷静さを保っていた。
そして、貂蝉に横目で合図を送ると、膝をついていた貂蝉はしなやかに立ち上がった。
「…我が返答に代えてこちらを」
貂蝉は曹操の言葉に合わせて、ゆっくりと董卓のもとへ歩み寄った。
董卓は可憐な貂蝉の姿とその美しい顔に魅了されている様子だった。
「ほう、なんと申す?」
貂蝉はゆっくりと董卓の膝に腰を下ろし、彼を夢中にさせるために身体を寄せた。
「貂蝉にございます」
「ふははは!心得ているな曹操」
曹操の行動に董卓は満足げに呵々大笑いする。
「ふむ、なかなか良いではないか…傾国の美貌」
貂蝉の行動によって、まさに隙が生まれた瞬間、一本の矢が董卓を狙って放たれた。
それは猫煌の矢であり、彼女の弓の腕前なら確実に董卓を仕留めることができると確信した、その時だった。
キィィン!
董卓を狙った矢は、ひとりの男によって叩き落とされた。
方天画撃、黒い鎧に特徴的な翎子…間違いない…あの男は呂布だ。
「鼠はそこか」
「なっ!?」
呂布は猫煌が隠れている場所を見つけ出し、素早く斬撃を繰り出した。
呂布の斬撃は凄まじく、猫煌がいた場所は跡形もなく消え去っていた。
「猫煌!!」
「劉備殿!」
「…っつ。分かった」
猫煌を心配する余裕もなく、私と曹操殿は素早く武器を取り出した。
「ふん、貴様の返答、気に入ったぞ、曹操!」
「劉備様、曹操様、お逃げくださ…くっ!?」
貂蝉は私達に逃げるよう叫ぶが、背後から兵に捕らえられてしまった。
「わしは下がる。呂布よ、始末しておけ」
董卓の命令で呂布は完全に二人を討ち取ろうと、こちらへ向かってきた。
呂布の殺気が凄まじく、今の私達では呂布を倒すことができない!
「くっ、今は董卓に届かぬか…引くぞ劉備殿!」
「…っ猫煌」
猫煌の身を心配をしながらも、私たちは逃げ出した。
「貴様らの命運はすでに尽きている。なにしようと、無駄なあがきに過ぎん!」
兵たちを倒しつつ逃げる私たちに向かって、呂布は素早く攻撃を仕掛けてきた。
「させるかぁ!」
「!?」
私達に向けられた方天画戟の刃が、猫煌の受け流しによって防ぐことができた。
猫煌の素早い受け流しによって、確実に仕留めるはずだった攻撃をかわされた呂布は、驚嘆の表情で猫煌を見つめた。
「なっ!?無事だったのか猫煌!!」
「話は後だ逃げるぞ!」
猫煌は腰鞄から素早く何かを取り出し、それを力強く地面に叩きつけた。
「ボン!」という爆発音が響き渡り、周囲は煙幕に包まれた。
煙幕のおかげで姿を隠し、私は猫煌の後を追うように素早くその場を離れた。
「刺客を逃がすな!門を閉めろ!」
兵の掛け声が城内に響き渡る。
「西棟と庭園には、すでに手が回っているか。ならば、東から進むしかあるまい。話によれば……確か董卓に逆らい、投獄された者らがいたな。その者を使えば……あるいは」
「なるほど、でも投獄されている奴らがいるのは反対側だ、どうするんだよ?」
曹操は何かを考えたのか、こっちだと言わんばかり走り出し、辿り着いたのは帝の宝物庫だった。
「この辺りに隠し通路がなかったか。うまく使えば、敵を避けれよう」
宝物庫の中にはまだ兵士が来ておらず、私たちは急いで隠し通路を探し始めた。
すると、不自然な棚が目に留まり、近づいて確かめると、その装飾の一部だけが妙に盛り上がっていた。
私はそれに触れた瞬間、隠し通路を開く鍵だと確信し、力強く押した。
棚はそれに反応し襖のように右に動きけば、隠し通路が顕になった。
「こっちだ!」
私の呼びかけに二人はすぐに、隠し通路の中に入っていった。
「宮城からは抜け出せたが…。この先も、手が回っていると見て間違えない」
「その時はその時だ、あの呂布さえ来なければなんとかなる」
隠し通路を抜けた先は丁度、牢屋がある場所へとでた。
牢屋には様々の人が投獄されていた。
私達は牢屋の鍵を壊し、投獄されていた人々を外に出していった。
「あの人は…いきなり失礼、助けてください。あなたとは王允殿の所で会ったことが……」
「お前は、あの時の……」
猫煌は牢屋の中にいる人物をみて驚いた表情をみせた。
「猫煌!」
「分かった!、荀攸。早くお前も出るんだ」
猫煌は最後の牢屋の鍵を壊し、中の人たちを助け出した。
「助かりました。感謝感激……です」
「みれば、皆。董卓に抗い、捕らえられた者らだな。我らも志は同じ……力を貸してもらおう」
「俺でよければいくらでも、いきなり恩返しできるとは」
投獄されていた者たちと共に、私たちはこの場所を後にした。
「皆で、騒ぎを起こしながら逃げよ。我らとは別の道を行くのがいいだろう」
「敵の目を分散せよ、と……委細承知です。王允殿の食客であるあの二人がここに……あのお方も董卓を討つ決断をしたのですね」
私達は荀攸と二手に分かれ、なんとか城から抜け出すことができた。
「殿!!こっち!!」
「夏侯淵…」
夏侯淵が待ちわびているかのように、私たちを呼んでいた。
彼の元に駆け寄ると、そこには夏侯惇の姿もあった。
「こりゃぁ、駄目だ。街じゅう兵で溢れてますぜ。殿、どうしましょうか?」
「ふむ……」
この状況をどう切り抜けるか、私たちは険しい表情で思案していた。
その瞬間、猫煌が何かに気づいたのか、一人で少し離れた物陰へと駆け寄ろうとしていた為、声を掛けた。
「どうした、猫煌?」
「脱出経路が見つかった!」
「本当か?」
夏侯惇は猫煌の言葉に少し疑念を抱いたが、曹操は何かを感じ取ったのか、すぐに反応を示した。
「分かった。お前を信じよう」
曹操のその一言で私たちは猫煌の後をついて行くと、兵に見つかることもなく無事に抜け出すことができた。
そしてその夜。
私たちは都から離れた場所で野営をすることになった。
猫煌は水を汲みに行くと言って、その場を離れた。
猫煌が少し離れた木の陰に移動すると、そこには男の後ろ姿があった。
「間に合ってよっかた」
猫煌に優しく声を掛けた男は、猫煌の父親の猫徳だった。
「なんで父さんがここにいるんだよ」
猫煌は実の父親に対して明らかに不満そうな表情を浮かべ、少し怒った様子だった。
「…何も知らせずに出て行った娘を心配してここにきたんだ。それにお前は……」
「妖だろ?しかも、倭の国から来た太平の要と呼ばれた一族。私もお父さんも……なんで、私に本当の事を教えてくれなかった!私は人間だと思っていた!なのに、妖って…」
猫徳の言葉に猫煌は怒りを顕にし、胸ぐらをつよく掴み、泣きそうな表情で訴えた。
「猫煌、それは……」
「なんだよ!太平の要って……わかんねぇよ」
自分の事を必死に理解しようとするものの、猫煌にとってはそれはあまりにも大きく理解し難いことだった。
今でも泣きそうな猫煌を宥めるために、猫徳は彼女の背中を優しく撫でた。
「そうか、覚醒してしまったか…。猫煌、よく聞け。私がお前に真実を伝えなかったのは、お前を思ってのことだ。強大な力にはそれ相応の代償が伴う。太平の世のために働いていた私たち一族の力は大きすぎた。その力を欲した者たちは皆滅んでいったんだ……私はお前を失いたくはない。今ならまだ帰れる……」
「……駄目だ。私は玄徳と決めたんだ……仁の世を目指すって。ここであいつを見捨てれば、誰があいつを守るんだよ」
猫煌は玄徳との夢を思い出し、涙を拭いた。
「父さん。今回助けてくれたことには感謝するよ。だけど……私はこのまま玄徳といく」
「猫煌……分かった。お前がそこまで言うなら止めはしない。だが、これだけは覚えとくといい。お前が必要だと思ったとき、私達一族が助けてくれる」
猫徳は猫煌に翡翠で出来た勾玉を渡した。
「……これは?」
「私達一族の証だ…。この勾玉は力が宿っている…お前の力に反応し、一族が助けよう」
「父さん……ありがとう。そろそろ行くよ」
猫煌は猫徳の元から離れ、玄徳達の元へ戻っていった。
「猫煌、遅かったぞ」
「すまん!玄徳……いやぁ、暗いと水辺が分かりづらくて」
猫煌は他の者たちに余計な詮索されまいと、笑顔で答えた。
「やれやれ、ようやく落ち着けましたな」
「猫煌、お前の機転で助かった。礼を言うぞ」
「礼を言われるほどではない。それに、あの時……私に脱出路を教えた者がいたんだ」
「あの状況で助言をくれた者がいるのか?俺も礼を言わなければならんな」
助言をくれた者…さっきの猫煌の反応もそうだが、彼女はおそらくその助言者に会っていたのだろう。
さらに、猫煌は夜目が利くはずなのに、水辺が分かりづらかったというのは、どう考えても嘘だろう。
「どうした玄徳?」
「いや、なんでもない……さて、曹操殿。これからどうします?」
「此度と同じ手は通じぬだろう。大軍をもって、董卓を攻め滅ぼす。もはやこれしかあるまい。世は再び乱れるであろうが…」
曹操はほんの一瞬、愁色な様子を見せた。
あの曹操でもそんな表情をするのかと、私は失礼ながらも内心思ってしまった。
「それで、その軍はどう都合する?俺たちの手勢だけでは、とても歯が立たんぞ」
「諸侯らを動かすより他あるまい。私が必ず動かす。劉備殿、猫煌。二人も私と共に来い。あの女子の想いを、裏切るわけにもいくまい」
「もちろんだ、私の失態で貂蝉は捕まってしまった。助け出すのが筋だろう。なぁ、玄徳」
確かにそうだが、私は猫煌が心配だ。
いくら彼女の剣が優れていて、再び呂布のあの斬撃を受け流せたとしても、無傷でいるはずがない。
それなのに、あの斬撃を受けた猫煌は、なぜあんなに平然としているのだろう?もしかして、あの力が関係しているのか?
力のことも気になるが、やはり猫煌への懸念がますます膨らんでいく。
「……」
「おい、玄徳」
思考するあまり、猫煌の呼びかけに少し遅れてしまった。
「あぁ、すまない。もちろん私も同じだ」
「ふっ、よくぞ言った」
私達の返事に少し安心した様子を見せる曹操。
その隣の夏侯淵は少し疲れた様子だ。
「いやぁしかし、今日はしんどい一日でしたな」
「あぁ、同感だ。皆先に休んでいろ。まずは俺が火の番をしよう」
夏侯惇の言葉に甘え、私達は休むことにした。
夏侯惇以外は眠りにつくものの、私は眠ることが出来なかった。
「孟徳、火の番にはまだ早いぞ」
「いや、しばし休めなくてな。猫煌はどうした?あいつの姿が見えぬな」
「あいつなら、俺たちに気を使って、離れた場所で休んでいるぞ」
春の下風が、戦いの後の火照った身体を冷ますかのようにふく。
そんな風と共に、微かだが猫煌の声が聞こえてきた。
「夏侯惇、私はすこし夜風に当たってくる」
「あんまり遠くには行くなよ」
夏侯惇に念押しされながらも、私は猫煌の元へ行った。
「つぅ……痛たぁ……」
猫煌は川辺で自身の傷を手当していた。
「何をしている」
「なっ!?曹操!?なんでお前が……」
私の呼びかけに気が付いたのか、猫煌はすぐに振り向いた。
「お前の苦しむ声が風と共に聞こえたからな。どれ、みせてみろ」
「ちょ、やめっ……」
傷を隠そうと嫌がる猫煌を無理やりこちらに向かせた。
彼女の左肩から鎖骨にかけて、深い傷が刻まれていた。
「やはりな…。この傷、呂布にやられたものだな?」
「……そうだったらなんだよ」
猫煌は警戒心が強い猫のように、鋭い目つきでこちらを睨んできた。
「ふぅ……本当の猫のように、そんなに警戒するな。ただ、傷の手当てを手伝うだけだ。ほら、包帯をかせ」
暫くこちらを睨んだが、自分じゃ上手く手当てが出来ないと悟り、彼女は溜息をついた。
「……分かった。変なことしたら容赦はしない」
渋々包帯を私に差し出しそれを受け取ると、ゆっくりと傷の手当てをした。
「お前の服と赤い髪で隠れて、周囲は気づかなかったようだが…私は気づいていたぞ。お前が兵と戦っているとき、妙に左を庇うような動きをしていたからな」
「そんな状況で、そこまで見ているのかよ……」
呆れた様子を見せた。
「当然よ……好きな女子が傷を負ったら、すぐに気づくものだろ」
手当が終わると、猫煌は少し警戒し、私から距離を取った。
「……お前、それを本気で言っているのか?」
「ああ、本気だ。今こうして、お前が傷ついているのに、あの男はそんなお前を気にも留めずに休んでいる。私はそれに対しても嫌悪感を抱いている」
「それは、私が玄徳に言ってないからだ……あいつには心配かけたくないんだよ。それに、あいつを悪く言うな」
そこまでして、猫煌はあの男を庇うのか。
その言葉がもし、自分だったらと考えれば考えるほど、胸の内から沸々と嫉妬が溢れてくる。
ああ、なんて醜悪なのだろう。
さっきまで欲望にまみれた獣を前にしていたはずなのに、今、こうして自身が好意を抱く女の前で自分が獣になろうとしている。
それほどまでに、私はお前が欲しい……あの男から奪ってやりたいと考えてしまうほどに。
しかし、私が獣になってしまったら、お前を鳥籠の中の鳥のように愛でることもできなくなる。
それに、私は見たいのだ……黄巾の際に見せたあの美しい姿を。
その姿は、濁ることのない美しい翠色の瞳、鳳凰のように燃え上がる赤い髪は命の灯火。
「私はあの男から奪ってでも、お前を私のものにしたいと思っている」
「……つ、すまねぇが、私は玄徳と共にいくと決めた。お前の誘いは他の女にやるんだな」
猫煌はこの場からすぐに立ち去ろうとしたが、去り際に言った。
「……手当手伝ってくれてありがとう……礼は言ったからな!!」
少し恥ずかしそうに言うと、猫煌はその場を後にした。