【SO3】聖王国の紅刃が堕ちるとき~背徳の淫紋から始まる英雄救済譚~【IF】 作:ばんどう
1.親善試合(前編) vsアルベル★
カルサア修練場、屋上。
石造りの堅牢な要塞は、かつて処刑場として数多の命を奪ってきた因縁の地だ。
その忌まわしき闘技場を、いま熱気が覆っていた。アーリグリフとシーハーツ両国の国民がひしめき合っているのだ。彼らの熱狂は闘技場を越えて伝播するように要塞や周辺の町を覆い、闘技場の外では、決着を待ちわびる群衆のざわめきがひろがっている。
蒼く澄み渡る空に、祝砲が響く。
大戦の終結から、半年。
和平の象徴として開かれる親善試合――その舞台に、国家の威信を賭けた二人の将が、呼び出されようとしていた。
「アレンさん、準備はいいですか?」
腰まで流れる銀髪を風にそよがせて、黒いサーコート状の軍服に身を包んだ光牙師団『光』の長、シーハーツ軍総司令官――クレア・ラーズバードが背後をふり返った。
あどけない顔立ちに反して、凛とした琥珀色の瞳には、戦場を知る者だけがもつ静かな光を宿している。
足音もなくクレアの背後に立っていた、長身の青年――アレンは、腰の刀に手をかけながらつぶやいた。
「模擬刀とはいえ……。ノックス団長がどう出てくるのか、楽しみです」
金髪を短く整えた男は、どこにでも居そうな雰囲気のくせに、所作に無駄がない。かつて銀河の大半を制した連邦軍の精鋭部隊に属していた。いまは軍服を脱ぎ、黒シャツの上にカーキ色の軍用ジャケット。白いズボンを身に着けている。
これから大陸最強と名高い漆黒団長と戦うというのに、緊張すらしていない。
闘技場を中心とした熱気が、石壁越しにひしひしと伝わってくるようだった。
戦に疲弊したひとびとが、いま再び注目するのは『国の英雄』ではなく、『個の強者』。
シーハーツ軍の双頭、封魔師団『闇』を束ねるネルが、ショートカットの丸いフォルムからこぼれる赤い横髪を耳にかけて、アレンを凛と見つめた。
「絶対に負けるんじゃないよ、アレン。歪みのアルベルより私たちが下だなんて思われたら、それこそシーハーツ軍の名折れさ」
「言うようになったな、ネル」
アレンが感慨深そうにつぶやく。ネルは片眉を上げて、小さく笑った。猫目が細められる。
大戦中は『歪みのアルベルに会って、生きて返ってこれただけで儲けもの』と口にしていた彼女が、フェイトたちとの旅を経て、こうまで成長したのだ。
親善試合の運営から、アレンの名が呼ばれる。
闘技場に繰り出す彼を、クレアとネルが見送った。
シーハーツ王国の民からは『大戦を終わらせた英雄』という触れ込みが効いたのか、割れんばかりの歓声が湧き、アーリグリフ王国の軍人たちからは畏敬の悲鳴があふれた。
ほどなく、アルベル・ノックスが現れる。アーリグリフ王国民から放たれる、怒号に近い歓声。
年若い闘将のカリスマ性が彼らを鼓舞するのだ。
アルベルの黒髪の長い前髪が赤瞳を半ば隠しつつ、鋭い視線がアレンに注がれた。
細身だが鍛え上げられた体躯。紫色の胸当て、まがまがしい義爪、腰の黄金の腰当を赤い帯で締め、脛まで伸びる腰布がなびく。
荒々しい気迫が、まるで猛獣のような存在感を放っている。
「こんな大舞台で、あなたと剣を交えられるとはな」
アレンが気安く声をかけると、対するアーリグリフ軍最強の将は、端正な顔を忌々しげにゆがめて舌打った。
「気に食わねえな。こんな見世物小屋みてえな場で、貴様とやり合うのは」
アレンは静かに笑うのみだ。
闘技場の中央に設けられた実況台では、ペターニギルドが誇る看板娘、ウェルチが跳ねるように立っていた。
未開惑星人とは思えない前衛的な紺色のスーツをまとい、金髪の長いツインテールを揺らす彼女は、特徴的な白手袋の差し棒をぐるぐると振り回す。
「さあ、両者とも気合バッチリ入ってますね〜! シーハーツ王国陣営からは、女王の新たな剣が一角、クリムゾンセイバー! アレン・ガード選手! ――対するは! アーリグリフ王国、三軍最強の将! 国宝クリムゾンヘイトを操るアルベル・ノックス選手! 今回はなんと、両者とも模擬刀での試合です! とはいえ、本気でぶつかり合うこと間違いなーし! 果たして、どちらが真に最強の戦士なのか! この戦いですべてが決まります!」
派手な語り口とは裏腹に、ウェルチの碧眼の奥は意外にも戦士の本質を見極める鋭さがある。
闘技場の一番頂にある貴賓席に座したアーリグリフ王が、言い放った。
「アルベル! お前が勝てばその男、本気で引き抜いてやろう」
「言ったな、王」
眼前のアルベルがにやりと口端をつり上げる。抑え込んでいた闘志が、一気に噴きあがるようだった。
アーリグリフ王の隣で、シーハーツ女王がアレンに言った。
「アレン。我が剣としての働き、期待していますよ」
「了解」
アレンがネルから習ったシーハーツ式敬礼で応え、アルベルを見る。
見てわかるほど、漆黒団長の気迫は、あきらかにアーリグリフ王の一言で跳ねあがっている。対峙するだけで体が一回り大きくなったように感じるほどだ。
「くっく、テメエがアーリグリフに来るってんなら、マジで行かせてもらう!」
「気が早いな、ノックス団長」
普段は礼儀正しくとも、アレンはひとたび戦場に立てば傲岸不遜な本性が顔を出す。
その変貌ぶりにアルベルが満足そうに笑って、ウェルチをふり仰いだ。
「フン、女! 試合開始の合図をしろ!」
「はーい!」
ウェルチが笑顔でうなずいて、シーハーツ女王とアーリグリフ王がそれぞれ手を上げ、観客たちを黙らせる。
ウェルチの独特な差し棒が掲げられ、高らかな宣言が響いた。
「それではアーリグリフ・シーハーツ両国親善試合! 始め!」
鐘が鳴る。
両者、距離三メートル。
アレンはゆったりと剣を抜き、アルベルに言い放った。
「では、まずあなたの空破斬を見せてもらおう」
「面白え! ――行くぞ、空破斬!」
前かがみになったアルベルがひといきに剣を引き抜き、払い上げる。剣尖を追って銀色の弧が走った。その斬撃の鋭さで疾風の刃が生じ、地面を這ってアレンを襲う。
「おぉっとアルベル選手! 逆手で空を薙いで、疾風刃をアレン選手に飛ばしたぁああ! 対するアレン選手は――!」
ウェルチが興奮気味に唾を飛ばす中、アレンが素立ちに近い態勢から素早く打ち込む。袈裟懸けに放たれた剣閃から走った疾風刃が、同じく地面を這ってアルベルの疾風刃とぶつかった。
分厚い空気を割く、強烈な破裂音。両者の疾風刃が消え、闘技場の中心から、観客の頬を風圧がかすめた。
「両者、同じ技で激突! 相殺しています!」
「見事」
アレンが不遜に言い放った言葉が、観客のどよめきにかき消されていく。
――おぉおおっ!
闘技場全体が、群衆の興奮で揺れた。
熱狂的な観客席の片隅に座るフェイトは、ひとり冷静に顎を撫でながら、つぶやく。
「奇しくも同じ空破斬のぶつかり合いか……。どっちもすごい練気だね」
「でもフェイト、アレンさんは銀河連邦所属なのに、どうしてアルベルさんと似た技ができるんだろう?」
隣で問いかけてきたのは、幼馴染のソフィアだ。
フェイトが困ったように少し笑って、観客席から闘技場を見下ろす。
「アレンが使う技は、四百年前の英雄たちにルーツがあるんだ。だから、ぼくたちの感覚だとむしろ――」
ふいに言葉を切る。
視線の先、アーリグリフ陣営の控え席に、見慣れた青髪の女性が座っていた。
「……って、なんであんなところにいるんだ。姉よ……」
驚愕に目を見開くフェイトをよそに、その人物が鋭く声を張り上げる。
「イケるわよ! アルベル! 見せてあげなさい、あなたの本気を!」
観客席まで響いたその声に、ソフィアも目を丸くした。
「マリアさん? あんなにアルベルさんを応援して……」
『施術開発研究所』に所属するマリア、フェイト、ソフィアはなにかと顔を合わせる間柄だ。
今日も三人並んで観戦するはずだったのに、いつの間にか、マリアはアーリグリフの控え席に座っていた。
その隣では、『疾風』の将ヴォックスが眉をひそめていたが、マリアは構わず檄を飛ばしている。
「ほぅ。イケるとは、どういうつもりだ。シーハーツの女」
ヴォックスが刺々しい声掛けでマリアの気勢を削いだ。
闘技場から隣の席に視線を移した青髪の美女は、肩にかかった髪を無造作に背中に払いのける。
「いまのでわからないなんて節穴もいいところね。ヴォックス公爵。よく目ん玉かっ開いて見なさい。
ヴォックスとは反対側に座した『風雷』の将、ウォルターが、嬉しそうに相好を崩した。
「ほっほ、なるほど。片手のアルベルのほうが威力は上かもしれんのぅ」
「そういうことよ!」
一方のシーハーツ陣営では、アレンを送り出したクレアが、不安そうに闘技場を見つめていた。胸のまえに両手を重ねる指先に、わずかな震えが宿っている。
「ネル、アレンさんは大丈夫かしら」
息を呑むようなクレアの声音に、隣で両腕を組んで観戦していたネルが、視線だけを動かした。
「ん? ……ああ。あんたはあいつのしごきを受けたことがないんだったね」
「しごき?」
「こっちの話さ」
短く切って、ネルがため息を吐く。数秒、遠い目をしたあとはどこか、信頼と誇りがにじんだ顔で笑った。
「アレンが大丈夫かって? 冗談やめてよ、クレア。殺しても死なない男だろ。――それより、なんでアンタがアーリグリフにいるんだい! マリア!」
闘技場の反対側――敵陣営に向かって声を張り上げる。
マリアは悠然とアーリグリフ二軍の将に挟まれた席で腕を組んだままだ。ネルの呼びかけでおもむろに立ち上がると、胸を張った。
「愚問ね、ネル。アルベルの首輪に鎖をつけるのは――この私よ!」
腰に手を当てて、勝ち誇ったように笑うマリア。
数秒。
ネルは押し黙ると、諦めたように首を横に振った。
「いまの理屈、わかんないわ……。さすがフェイトの姉だね。血を感じるよ」
「試合会場じゃなかったら、エイミングデバイスを撃つところだったわ。命拾いしたわね、ネル」
「どーゆーことだー!? その失礼な会話はー!」
フェイトの抗議でさらに盛り上がる三人のやりとりをよそに、クレアの視線は、闘技場のアレンから一瞬たりとも離れない。
その横顔には、どこか言いようのない胸のざわめきがにじんでいる。
(――信じてる。でも、怖い)
相手は幾度もこちらを窮地に追いやってきた歪みのアルベルだ。その脅威を肌身で知っているクレアの視線から、不安がはがれることはない。思わず、一歩、身を乗り出してしまいそうになる。
だが、彼の背中を信じると決めたのだ。自分をぎゅっと押しとどめた。
「あ。アレンさんが動いたよ、フェイト!」
「え?」
マリアとネルの言い合いに抗議していたフェイトが、目を丸くして闘技場を見る。
そのときだった。
空破斬の相殺で起きた乱気流のなかに飛び込むように、アレンが鋭く、剣の間合いに踏み込んでいる。
(速い!)
アルベルがとっさに寒気を覚え、剣尖を立てる。
剣戟の火花が散った。
抜き打ったアレンの剣が、アルベルの首筋を狙ったまま止まっている。
「ほぅ、反応するか。さすがは『歪みのアルベル』」
元連邦精鋭軍人の賞賛を浴びても、アルベルの表情は苦い。忌々しげに唇をかみしめた。
「あんまり俺を舐めんなよ。こいつは、どうだっ!」
力任せに剣戟を薙ぎ払ったアルベルが、剣を払いあげる。
(空破斬か。同じ手を)
胸中でつぶやきかけたアレンが、目を見張った。
「無限空破斬! おらぁああああっ!」
地面を走る無数の斬線。空破斬の檻。アルベルの長い腕が、巨大な八の字を描くように剣を振り、滅多と斬り立てる。その剣尖は、まさに風の鉄条網だ。斬れば裂け、触れれば斬られる殺意の檻。
その強烈な斬撃の嵐をまえに、闘技場がどよめいた。
「さすがのテメエも、この無限の剣線! 見切れるか!?」
アレンが笑った。
腰を落とし、抜刀態勢をとる。キンと小さな金属音が立った。ひといきに抜き打った剣閃が、風をも斬るように静かにきらめく。途端、アレンの剣舞が、見る間に空間に網の目のような斬線の檻を描き出している。真空波の嵐をすべて断ち切る、銀河連邦伝説の秘剣『鏡面刹』だ。
両者の壮絶な剣技をまえに、ウェルチが興奮気味に叫んだ。
「おーっとアレン選手! 見事な剣技です! 無数の真空波をすべて模擬刀で斬り捨てています!」
「残念だがその程度の剣線なら、五萬と相手をしてきている」
しのぎ切ったアレンが、ぽつりとこぼした。
マリアが拳をふり上げる。
「大丈夫よ、アルベル! 兼定がないアレンならば、鏡面刹を打ちながら気を溜めることはできない! アレンの体力を一方的に削ぐことができるわ!」
そのとき、アレンが轟音を立てて、弾丸のようにアルベルに迫った。鋭い突き。剣尖に真空が宿った、連邦軍人が好んで使う奇襲『疾風突き』だ。
「ここでアレン選手! 笑いながら突っ込んだ!」
「そんな大人しくするタマじゃねえよな!」
アルベルが義手に気を込め、「剛魔掌!」と鋭く吼えるや、薄紅に輝く巨大な三本爪が空間を薙ぎ払う。強烈な破裂音。火花を上げながら斬り合う両者が、真っ向からぶつかる。互いに退かない。
そのとき。
(なにっ!)
上段からの切り下ろしをアルベルが止めた瞬間、反射的に顔の横にふり上げた左腕が軋む。丸太で殴られたような衝撃。
(蹴り!?)
事態を理解するまえにのけ反った。鼻先で空を切る、アレンの右ストレート。
「てめえ! 剣術の勝負で!」
言いかけたアルベルが言葉を失う。
対処しきれない。
悟ったとき、義手を前面に出した防戦の構えで舌打った。
(破れかぶれに拳をふりまわしてるわけじゃねえ! この野郎、体術もできるのか!? ……くそっ! 拳の間合いは不利だ! 後ろに退け――)
連撃の最後と思われる蹴り上げをしのぎ切ったところでアルベルが大きくバックステップする。そのとき、マリアが慌てて叫んだ。
「ダメよ、アルベル! 下がっちゃダメ!」
「良い位置だ」
炎が迫りくる。拳だ。炎をまとった拳。『バーストナックル』という連邦軍人たちの得意技。
防ぎきれない――悟ったとき、体がわずかに浮いていた。
ウェルチの興奮した声が、闘技場の歓声を切り裂いていった。
「アレン選手の猛攻にたまらず退がった、アルベル選手! そこにアレン選手の強烈な右ストレート! とっさに模擬刀で受けているが、拳がヒットすると同時に爆発しているぅー!」
「くっ!」
「片膝をついてしまったアルベル選手! アレン選手はすでに、次の動きに移っているっ!」
「なんだと!?」
見上げた時、体をくの字に折り曲げたアルベルに、疾風の刃が襲い掛かった。
「ガードが間に合わず、直撃ぃいい! アルベル選手、後方へ大きく揺らいだあっ!」
「くっ! ……てめえ!」
「どうした、歪みのアルベルの本気はこんなものじゃないだろう」
闘技場の地面を掻いてうずくまったアルベルに、アレンが淡々と声をかけてくる。
アルベルの腹の底から、こんこんと怒りが湧く。倒そうと思えば、いまの一撃で決着していた。それをこの男――
奥歯を噛みしめたアルベルが、低く唸った。
「この俺を相手に、手加減しやがったな……。ただの空破斬で、俺をやれると思ってやがるのか?」
ゆっくりと、立ち上がる。
全身からみなぎる闘気。赤黒く渦巻く竜の鬼気に、アレンが感心したようにつぶやいた。
「さすがだ。模擬刀でこれほどの気迫を出せるとは」
「――やめだ。試合なんぞ知ったことか。てめえは俺が、ぶちのめす!」
ぐつぐつに煮立った怒気をぶちまけるように、アルベルが吐き捨てる。
大陸中の兵士を震撼させた赤い瞳をぎらつかせた闘将をまえに、アレンはわずかに口端をつり上げて言い放った。
「やってみろ」