【SO3】聖王国の紅刃が堕ちるとき~背徳の淫紋から始まる英雄救済譚~【IF】 作:ばんどう
シランド城内のクレアの自室に招かれたアレンは、なんとも落ち着かない気分でアームチェアに腰かけた。円テーブルをはさんだ向かいにクレアが文机の椅子をもってきて座っており、テーブルに投げ出されたアレンの左手首に包帯を巻いている。
「……ごめんなさい。本来なら、これくらいの傷は施術で治せるのですが……」
「いえ。私もそうですので」
緊張からか、公人相手の口ぶりになっていることにアレンは気づかない。
クレアの指先はやわらかく、すべすべしていて軽く触れられているだけで気持ちがいい。彼女の指先が触れるたび、手首の痛みとは別の、胸の奥が甘くざわつく感覚があった。
手首の失血はすでに止まっている。
紋章術が封じられた局面に備え、訓練で叩き込まれた筋肉圧迫とアドレナリンコントロールによる止血だ。本来ならヒーリングで塞ぐべき傷が、物理的な処置だけで沈黙している。その異様さを不思議がっているのか、あるいは自らを傷つけてまで衝動を断ち切った痕跡に心を痛めているのか。クレアはアレンが施した応急処置のあとを、泣きそうな瞳でしげしげと観察していた。
「あの。クレアさん」
「ごめんなさい。痛かったですか?」
クレアがあわてて大事そうにアレンの手をテーブルに戻す。
アレンが首をふった。
「いえ。そうではなく。さきほどは大変失礼いたしました」
「……それこそ私が謝らなければいけないことです。ともかく、すこしお話しませんか。鎮痛作用のあるお茶をお出ししますので」
「ありがとうございます……」
「アレンさん。ここをご自分の部屋と思って、くつろいでいただいてかまいませんから」
(……無茶をおっしゃる……)
クレアが慣れた手つきでキャビネットから茶器を出していくさまを視線で追いかける。まだ双乳の突起部が濡れているのに気づいて思わずうつむいた。アレンを招いてから、まだ着替えていないのだ。
なのにクレアはどこか上機嫌で、鼻歌混じりに茶を用意すると盆にのせて帰ってきた。香ばしい香りが鼻腔をくすぐり、うながされるまま口に含むと、安堵の息がふっとこぼれる。
「お口に合うようでよかった」
クレアが花が咲いたように笑う。普段の凛とした表情ではない、無邪気な笑顔。ふいにクレアの素の感情に触れた気がして、鼓動が高鳴った。
――普段は沈着冷静、疲れている部下を見れば慈愛の微笑みで気遣ってくれる完全無欠の女神。
いつぞやの特攻隊長の言葉を思い出す。(たしかに)と納得しながら紅茶を含んだ。女神と崇めるには、少々アレンには雑念が多いのだが、気にしないことにする。
茶葉の鎮痛作用が効いているのか、温かい感覚が全身に広がるたびに、痛みがすこし楽になった。
――股間のこわばりをごまかすのには、この痛みはちょうどよかったのだが。
(というか、俺の体はどうなってるんだ……。朝、処理したはずでは……)
クレアが切りだしてきた。
「それで月の洞窟で起きたことを整理したいのですが」
一瞬、遠くを見つめてしまった。来るべきときが来たのである。
「なにからお話するべきか……」
アレンは断頭台に向かう死刑囚の心地で腹をくくった。隠しだてしたところでクレアを危険な目に遭わせるだけだ。現に彼女はこうしてアレンを私室に呼び込んでしまっている。
アレンは短く息を吐くと、みずからの左手首を見つめて言った。
「今朝、エレナ女史にこの施文を診ていただきました。曰く、これは『淫紋』であり、この施文を解除するには我々が『心を通わせる』必要があるそうなのです」
「心を通わせる?」
「つまりは、添い遂げよと」
クレアが息を呑んだのがわかった。彼女にこれ以上の負担をかけたくない、という強い思いが込み上げた。それでも、自分だけがこの状況から逃げ出すことはできないのだ。自分の心臓が、鉛のように重く感じる。
「月の洞窟はもともと二人一組で訪れると『縁結びの祝福』をさずかる場所だそうなのです。それが魔物の影響で淫紋に成り下がったと現段階では考えられます。腕の八つある男神の石像は、元の祠にはなく。本来は亀の精霊を祀っている素朴な社だったそうです。あの洞窟内の海藻の話をするとアドレーさんが不思議がっていました。我々が発作的に惹かれ合うのもこの施文が、互いの失った施力を取り戻すために引き合わせている可能性が高い」
「どういうことです?」
失った施力に話が転じた瞬間、クレアの目が光った。顔つきがおだやかな女性からいち司令官の鋭さを宿す。
対して、アレンはやや言葉に詰まった。
「……にわかに信じがたいでしょうが、クレアさんのその。胸の……母乳を口にすると、私の施力がわずかに回復しました」
「では、私が施力を回復させるには、アレンさんの母乳を飲む必要があるということですか?」
「…………」
アレンは思わず黙り込んでしまった。クレアの純粋なまなざしが突き刺さってくる。
言われてみればたしかに。同条件であるならば――まずアレンから母乳が出るという発想がなかったが――そうあるべきだ。恥ずかしさにさえ堪えれば、そのほうがいくらかリスクも低い。
アレンがしばらく黙っていると、クレアがいつのまにか傍にきて、右から顔を覗き込んできた。
「アレンさん?」
「…………クレアさんのほうは、一定の危険が伴います。どうしても添い遂げる以外の解除方法が見つからなかった場合は、申し訳ありませんが私を籍に入れていただくこともご考慮ください」
「夫婦にならないと、やってはいけないこと……?」
数秒、クレアは合点せず首をかしげていた。ふと。その視線がアレンの股間に伸びて息を詰めたのがわかった。
「そ、それも手首の、淫紋のせいということですか?」
「…………はい……」
「アレンさんはその。……施力を取り戻すためなら私と結婚することもやぶさかではないと……?」
クレアがじっと見つめてくるのに気付いて、アレンはうなずいた。不安そうに琥珀色の瞳が揺れているのが見えて、良心が痛む。
「私はもともと、アドレーさんからあなたの護衛を頼まれて月の洞窟に向かったんです。それがこの体たらく。なんとお詫びすればいいか……」
「……へー。そーですか。つまりアレンさんは、義務感から私と結婚してもいいと?」
クレアの声に急に硬いものが混じって、アレンが思わず顔をあげた。
「……クレアさん?」
「洞窟に私たちを向かわせたのはお父さまです。その尻ぬぐいをアレンさんがする必要はまったくありませんけど、アレンさんはみずから買って出てくださっている。そーゆー状況なんですね」
クレアは急に冷たい物言いになって、じろりと睨んでくる。
ここで気の利いたことを言わなければならないのはわかったが、アレンはなにを言えばいいのかわからなかった。
――ただ、義務感だけだったなら幾分か楽なのに、とふと思う。
「……その。申し訳ございません」
「謝っていただかなくて結構です。アレンさんが悪いとはまったく思っていませんから。ですがその代わり」
「……なんでしょう?」
「私が施力を回復させる方法を、ちゃんと教えてください」
「あ、あの。ですがそういったことは、籍を入れてからでないと……」
「方法を聞く権利くらい私にもあるはずです。アレンさんばかりずるいです」
なにがずるいのかはまったくわからなかったが、アレンは思考を巡らせた。
たしかに妊娠させずに精液を呑ませることはできる。
だがアレンの倫理観では、
(俺も全然豊富ではないし……。いったい、どうすれば)
困ったときのサキュバス嬢だが、まったくいまの状況に対応できそうな甘言は出てこない。もっとまじめに聞いておけばよかった、と後悔する。
とりつくろえないのであれば、もうストレートに言うほかない。
アレンはつり橋を渡る心地で、意を決した。
「私の精液を、クレアさんが飲むことです」
「…………?」
クレアのおとがいがゆっくりと左に倒れる。
アレンはみずからの手が震えるのをごまかしつつ、続けた。
「ですから、私の精液をクレアさんが飲むか。もしくは、さきほどのように直接的な性交渉を私とするほかありません」
ただ、いまのクレアが
クレアが両手を頬にあてて真っ赤な顔で絶句している。
いたたまれなくなってアレンが出された茶を一気に飲み干すと、アームチェアから立ち上がった。
「では、このあたりでご勘弁願います。つづきはまた後日に」
「…………アレンさん」
「はい」
上官に呼ばれると反射的にふり返る癖が、アレンにはついている。
ほとんど無意識に立ち止まったアレンを、クレアは椅子に腰かけたまま見上げてきた。
「……その。つまり私がアレンさんを楽にしてさしあげれば、手首の怪我も治せるのですね」
「なにを血迷ったことを!」
思わず本音を口走ってしまい、アレンがハッと口許を覆う。
クレアは恐る恐るアレンのこわばりに触れてくると、潤んだ瞳で言った。
「ここが、とても苦しそうです」
「そんなものは――!」
言いかけて、クレアが股間のこわばりに頬を寄せるさまが官能的すぎて、言葉を失う。彼女の震えが伝わって、純粋な、しかし無垢ゆえに挑発的な行動に、アレンの理性のタガが外れそうになる。
同時に、彼女がこれほどまでに自分を心配しているのかと思うと、胸の奥が熱くなるのを感じた。
ただクレアを抱きしめたい衝動を抑えていると、クレアが唇を尖らせて「それに」と続けた。
「私だって、あの洞窟でアレンさんにたくさん胸を吸われたんですよ? 告白もされていないのに」
「ぐっ……!」
痛いところを突かれて二の句が継げない。
アレンの抵抗が薄れたのを悟ったのか、クレアがにっこり笑ってアレンの右手を強引に引いていく。
(なぜこんなに積極的なんだ? 紋章のせいか?)
クレアらしからぬ行動に疑問符が浮かぶ。彼女が着替えないのは、また母乳がにじみ出てきているからか。
クレアを観察しつつ、手首の紋章陣を見る。この忌々しい陣は短剣で切り裂いた程度では弱まらない。おそらく、祝福と呪いが同時にかかっているのだ。神学資料室でアレンはしばらく気を失っていたが、そのときクレアに『
(紋章術を使うと、力も減るのか?)
さらに発情反応も、『心を通わせる』こととは真反対である。
円テーブルの隣にある寝台に導かれて、ハッと我に返る。現実逃避している場合ではない。いざアレンを寝台の上に座らせたクレアが、まえにひざまずいてくる。
「……本当に、やるんですか……?」
クレアがうなずいてきた。これが本音か、紋章によるのか。アレンにはわからない。
仮に本音だったとして、彼女が強情になることがあるだろうか――まったく心当たりはないように思えたが、唯一、あるとするならば洞窟でのクレアの乳房の反応だろう。いまこの時においても萎える気配のないペニスの反応が、彼女のなかでつながっているのかもしれない。
「アレンさん。ひとりで抱え込まないでください。私だって、クリムゾンブレイドなんです」
クレアがそう言ってアレンの手を取る。この状況に
ただし男根をまえに怖気づいており、よく見ると彼女が震えているのがわかった。それでもアレンの罪悪感を少しでもまぎらわせようと、虚勢を張っているのだ。
「……その。どうすればいいのかは、お恥ずかしながら心得ていないので。手ほどきしてもらえませんか? アレンさん」
クレアが純粋にこちらを見つめて懇願してくる。そのいじらしい姿に、アレンは不覚にも心臓を撃ち抜かれた気がした。