※この作品はR-18です。

【SO3】聖王国の紅刃が堕ちるとき~背徳の淫紋から始まる英雄救済譚~【IF】   作:ばんどう

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23.ネルの試練:声なき想い

 目を閉じたはずなのに、まぶたの裏が明るい。

 光が流れ込み、全身をふわりと持ち上げられるような浮遊感が走った。

 

 そして、落ちる――。

 

 足元に感触が戻ったとき、ネルはあの忌まわしい場所にいた。惑星ストリーム。荒廃した土地と砂塵に包まれた不吉な場所。

 

「ぐっ……!」

 

 傍らでうめき声が立ち、すばやくふり返るとアレンが肩を押さえてうずくまっていた。

 

「アレン、どうしたんだいっ!」

 

 呼びかけると、いつもは強い光を宿した蒼瞳が、濁ってこちらをすがるように見上げてくる。

 闇が彼の周りを渦巻き始め、沈んでいく彼にとっさに手を伸ばした。

 

「アレンっ!」

 

 だが、霧と化したアレンの腕をかすめただけで、つかめない。

 その間にアレンは闇の渦に沈みゆく。取り返しのつかない深みに達してもなお、ネルは彼を引きずり上げようと、懸命に手を伸ばしていた。

 

(――あのときと、同じだ。)

 

 ネルは思った。これはまさに、アレンが世界の敵『エクスキューショナー』に堕ちた瞬間の記憶である。

 

「こんなもの、いまさら一体なんだっていうんだい……!」

 

 目の前の苦しむアレンが幻影であると気付くや、ネルは空に向かって吼えた。

 ふと、碑文の文字が脳裏をよぎる。

 

 ――名を与えよ。汝の胸にあるものに――名を。

 

 六つの言葉が、彼女の前に並ぶように現れてくる。

 『愛』『信頼』『執着』『憧れ』『責任』『欲望』

 ネルが忌々しげに舌打った。

 

「だから、何度も言わせんじゃないよ! 『信頼』。私はアレンを信頼してる」

 

 声にした瞬間、『信頼』の文字が淡く光る。

 だが――次の瞬間、その光は砕けるように散り、霧に溶けた。

 

「……たくっ、なんだってんだい……!」

 

 クレアの言葉が脳裏をよぎる。

 『みずからの心の奥底を覗いたうえで選べ』。

 ネルは唇を噛みしめる。これでは彼への信頼が偽りだと言われているようで不快だった。

 そもそもアレンとネルは『従』の施文を刻まれ、クレアが『主』であるのに、なぜネルの心を向ける先がクレアではなくアレンなのか? と疑問と不満がふつふつ湧いてくる。

 仕方なく、ゆっくり息を吐いて集中する。

 最初にあの男と衝突したのは、フェイトをめぐってのことだ。

 

「たった一人の人間と国民全体の命。単純な計算だろ? どっちが大事かは子どもでも分かるさ」

 

「俺は民間人(フェイト)を守る。例えどんな状況であれ、軍人(オレ)がついていながら民間人(フェイト)に人殺しはさせない。絶対に。――それが、俺の務めだ」

 

 兵士であるからこそ、個人を見捨てない――そう言い切り、実行したアレンの強さに、ネルが感じたもの。

 頭のなかに、あの旅の日々がよみがえる。

 アレンの背中。戦う姿。危険なときに差し伸べられた手。

 ――強く、頼もしく、いつもみんなの先を示す彼。

 

「憧れ……かな……?」

 

 自然と口をついて出た言葉に呼応し、『憧れ』の文字が光り、また砕けた。

 ネルは押し黙って考え込む。

 

「だとしたら、責任……だね。あのとき、私が助けられなかったから――」

 

 砕ける。

 ひとつ、ひとつ、選んでは拒まれ、ネルの胸がざわめいていく。

 残る感情の言葉が不穏だった。

 

 『愛』『執着』『欲望』

 

 アレンは、クレアの想い人だ。

 どれも抱いてはならない想いであり、ネルが知らなくていい感情だった。

 

(仲間で良いだろ……。私はそれで、なんの不満もない……っ!)

 

 心臓が嫌な音を立てる。

 この試練で淫紋が解けたとて――その先は、考えたくもない未来だ。

 いつしかストリームの荒野は霧に覆われ、ネルは水溜まりのなかに立ち尽くしていた。雨が降っている。頬を涙が伝う感触が、ネルの意識を現実に引き寄せる。

 

「じゃあ、私の感情が……愛だとでも?」

 

 皮肉気に笑って、愛の言葉を持つと、言葉はあっけなく砕けていった。

 

「……ネル」

 

 背中から抱きしめられて、ネルは諦めたように「ああ」とつぶやいた。

 これは幻だ。すぐにわかった。それでも覚えのある香りに包まれて、強く安心した自分がいる。幻のアレンは、本物と寸分違わぬ温もりで頭を撫でてきて、目尻に溜まった涙を優しく払った。

 心臓が、とくんとくんと音を立てている。

 ネルがごまかすようにぼやいた。

 

「ほんとさ……。この試練、わけがわかんないんだよ」

 

「そうだな。お前はいつだって『仲間想い』なのに」

 

 アレンが苦笑してくる。時折見せる、やわらかい微笑みだ。嬉しい。

 この苦しみを、彼ならわかってくれる気がした。大戦中ネルが抱えた苦しみを、すぐに見抜いた彼なら――。

 そこまで考えて、ネルは、はた、とまたたいた。

 

(もしかして――)

 

 喉の奥が乾き、息が詰まる。

 

「……欲望?」

 

 遠慮がちにささやく。言葉にするだけで、頬が熱くなる。

 しかしその言葉も、砕けて消えていった。

 思わず安堵の息がもれる。

 しかし、ネルは残った言葉に再び緊張して、首をゆるく振った。

 

「違う、違うよ……。こんなの、私じゃない」

 

「それでも、お前は俺を追った。闇に沈む俺を、引き戻そうとした」

 

「そんなの、当たり前だろ……」

 

「なら、なぜいま、この手をふり払わないんだ?」

 

 問われて、ネルが後ろをふり仰ぐ。

 幻のアレンと目が合った途端、反射的に息を呑んだ。

 

「……あんた、幻のくせに本物に似て、意地が悪いね。クレアの嫉妬にも気付かない鈍感クソ悪魔のくせにさ」

 

 思わず軽口がついてでる。本物のアレンなら、きっとネルの心をこんなに的確に察してこないだろう。

 小さく笑って、ネルは目を閉じる。

 

(けど、もしあのとき――仲間が私を止めなかったら……こいつと一緒に、私はあの闇のなかに、落ちようとした……? アレンを追って……)

 

 首許に巻き付いたアレンの腕に手をやる。失いたくない、とあのとき思ったのは真実だ。

 アレンがもたらす安心感に、寄りかかっていたかった。

 

「これが、執着……?」

 

 口に出した途端、霧が揺れる。

 まるでその言葉だけが、霧の中に確かな輪郭を持っていたかのように。

 

 『執着』の文字が、深い紅に輝く。

 

 ――名を与えよ。汝が胸に灯るものに、明確な名を。

 

 まぶたの裏に浮かぶ碑文に、ネルは目を閉じて小さくうなずいた。

 

「……私はアレンに、執着してたんだ」

 

 その瞬間、霧が音を立てて崩れ落ち、世界が光に包まれる。

 

 重くのしかかっていた何かが、すっと抜け落ちた。

 額の紋章が、脈動しながら淡く輝き、そして静かに鎮まっていく。

 

 ネルは目を開けた。

 

 そこにはもう、アレンの幻影はいなかった。

 ただ、静けさと、少しだけ軽くなった心だけが残っていた。

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