【SO3】聖王国の紅刃が堕ちるとき~背徳の淫紋から始まる英雄救済譚~【IF】 作:ばんどう
崩れ、燃え広がる廃墟が遠くまで続いている。ビルの骨組みは黒くねじれ、地面にひしゃげた車が突き刺さっていた。焼け剥がれた
歌が聞こえる。
月の洞窟で聞いた、彼の気功と紋章力を完全に封じ込めた、忌まわしい歌だ。
アレンは頭上を見上げた。崩れた廃墟のうえにレザースーツをまとった女が腰かけている。クレアの姿をした淫魔だ。
「……やはり、貴様が元凶か」
背中の愛刀を抜き放ち、握りこむ。相手はフェイト渾身のイセリアル・ブラストを一撃で沈めた強敵だ。ここが精神世界であるならば、封印など関係ない。アレンは
「破ぁっ!」
砂塵が舞い上がる。
兼定の刀身に、吸い込まれるように光がとぐろを巻き、青く、蒼く、輝く刃として凝縮されていく。アレンの全身は闘気に満たされ、黄金色に輝いた。疾風が起きる。風は竜巻と化して天まで届き、雲をも穿ち、アレンが立つひび割れた地面を中心に吹き荒れる。
その彼の背後に現れたのは、巨大な朱雀だった。太陽を思わせる圧倒的な存在感と熱風をはらんだ、炎の化身。連邦の戦闘専用艦にも迫るその巨大な神の獣が、アレン同様、廃墟のうえに腰かけた女を睨む。
風が、震えた。
「…………かっこいい……」
レザースーツの女はうっとりと目を細めてつぶやき、背中に生やした赤い蝙蝠の翼を広げるなり、大きな満月がかかった黒い夜空を滑空してするりと降りてくる。刹那、アレンが斬りかかった。電光石火の速さで上段から斬り込む。その刃は精神世界の仮初の空間ごと断ち切らんばかりの強烈さで女に襲いかかっていた。
剣戟の火花が散る。
確実に
「でも、ダメですよ?」
女が、悠然と警告してくる。彼女の銀髪の左右から、山羊の赤い角がまっすぐに生えていた。
アレンの周り、四方八方の空間から脈絡なく黒い鎖が飛び出てくる。アレンが舌打ち、鍔迫り合いを打ち払うやすべて斬り払わんと剛刀を操った。空間を蒼白の斬線が網の目のごとく走り、アレンを捕えんとした黒鎖があっけなく断ち切られていく。
そのときだった。
(なにっ!?)
アレンの腰から黒鎖が
朱雀の炎ですら、音もなく鎖に溶け消えている。
(俺が、淫魔相手に
「ここは夢のなか……。思ったことが現実になる世界。けれど」
女はアレンの目の前に立つと、その頬を愛おしそうに撫でた。姿形だけでなく、香りまでもがクレアと同じだ。
「あなたの言う通り、私は淫魔です。あなたの手に刻まれた施文が具現化したもの……。だから、この夢で私と戦おうだなんて野暮なことは考えないでください。だって、この世界の歌も、鎖も、空も……あなたの『力』でできていますから」
「……なんだと?」
「この鎖はあなた自身。あなたの欲望と、自戒、愛、恐怖――すべてを混ぜて捏ね合わせた、心そのもの。そして私は、あなたを想って丁寧にこねあげられた、ある感情の結晶」
レザースーツに押し込められた豊満な胸が、アレンにしなだれかかり、やわらかく形を変える。燕尾服を思わせる黒いジャケットは、双乳の頂だけをそっと包み込んで、そこから下は大胆に開いていた。くびれたウエストは細い黒紐だけでかろうじて結ばれているにすぎず、レザーの漆黒と女の雪白の肌が織りなす対比は、まぶしいほどに鮮烈だ。
下半身を包む漆黒のホットパンツは、きゅっと上向いたヒップの丸みに沿って艶めかしい光沢を放つ。その下腹部の繊細な稜線は、太めの赤革ベルトによって強調され、その奥に潜む花園の存在を有無を言わせず意識させる。
むっちりとした白い太ももを這うように、深紅のレザーブーツが彼女の脚線の美しさを極限まで浮かび上がらせる。細い足首を強調するピンヒールは、一歩踏み出すたびに挑発的な音色を響かせ、彼女のすべての動きに艶めかしさを与えていた。
「……ここが精神世界であるなら、お前のその姿は俺の煩悩が生み出したのか……。……我ながら……」
絶句するアレンに、女が口付けをねだるように桜色の唇を寄せてくる。
アレンがかまわず尋ねた。
「……まあ、それはいいとして。お前自身は、俺とフェイトが戦っているときにいたはずだ。それをどう説明する」
応じる気のないアレンの反応に、女が寂しげに眉を下げた。
「私が生まれたのは、あなたがクレアの母乳を口にしたときですよ。こうして姿を保てるようになるまで、そう時間はかかりませんでした。なぜだかわかりますか?」
彼女の吐息が首筋にかかって、ぞくりと肌が粟立った。アレンを縛る黒い鎖が、脈動を始める。左手首の紋章陣が共鳴するように輝き、全身が熱を帯びてくる。
(くそっ! ……そうか、淫紋だったな……!)
アレンは毒づき、クレアの幻影を睨み据える。速まる拍動を感じながら、――意識を、愛刀にそそぐ。
(ここが精神世界であるのなら、俺がこの世でもっとも信頼するもの――『兼定』に、俺こそが絶刀の刃そのものとなってすべて断ち切る……!)
深く息を吸い込んだその瞬間、幻影のクレアが口付けてきた。甘いクレアの香り。やわらかな肌の感触がまとわりついてきて、月の洞窟が起こした、クレアとの睦み事を思い起こさせる。
「くっ……!」
頬が赤らむのがわかった。敵をまえに動揺する自分に舌打つ。思えばあのときも、こうやって心をかき乱されたのだ。
幻影のクレアはアレンの首に巻き付いたまま、すこし哀しげに目を伏せた。
「……やっぱり、あなたは私がこうしていやらしく誘わないと、なにもしてくれないのね……」
「言ってる意味がわからない。お前が紋章から生まれたものなら、この状況に屈するかどうか。それが試練の本質だろう」
「えいっ!」
幻影のクレアは怒ったように頬を膨らませると、掛け声とともに壁に張りつけられているアレンを
アレンが目をみはる。崩壊した廃墟はまばたきの間に姿を変え、アレンの背中をやわらかい羽毛が受け止めてきた。
天蓋付きのベッド。
いつのまにか巨大なベッドのうえに横たえられたアレンは、幻影のクレアにのしかかられていた。彼女の豊かな胸がアレンの体に押し付けられ、柔らかな感触に息を呑む。アレンは一瞬、呼吸を乱しかけたが、すぐに思考を切り替えた。
「アレンさんは頭が固すぎます! これは感情の共鳴を促す『風の試練』なんですよ! ちゃんとしてください!」
ぷんぷん怒ってくる幻影のクレアに、アレンは彼女の言葉を反芻して、首をかしげた。
「ちゃんとってどういう?」
ふと、脳裡に石の台座が浮かび上がる、そこに刻まれた碑文は、彼の意識に直接流れ込む。
――名を与えよ。汝が胸に灯るものに、明確な名を。
――曖昧なるは弱きを招き、無名は汝を迷わせる。
――己が感情の源流をたどり、その真の姿を言葉にせよ。
――言葉は力を生み、力は道を拓く。
『愛』『信頼』『執着』『憧れ』『責任』『欲望』
縛られていたはずの鎖も、背負っていた愛刀も、いまは跡形もなく消え失せている。アレンは息を呑み、示された言葉の意味に思考をめぐらせる。
(つまり、この六つの感情のうち、自分に近い感情を選べ、ということか?)
幻影のクレアがにこりと笑って、うなずいてくる。
アレンはもう一度、六つの言葉をじっくりと眺めた。
「待て、この問いは欠陥だ。『憤怒』、『殲滅』、『不可解』、『克己』のどれも見当たらない」
言ったあとで、覚えのある殺気がして喉をひきつらせた。幻影のクレアだ。その凍ったまなざしが突き刺さってきて、アレンはさりげなく目をそむける。
(ほ、本人じゃないのに俺を威圧できるだとっ!?)
「アレンさん」
反射的に答えそうになってしまう自分をどうにか抑え込む。
体が震えているのは気のせいだと信じた。
(相手は幻影、クレアさんじゃない。相手は幻影、クレアさんじゃない。恐れれば、死ぬのは俺だ)
「アレンさん!」
「はいっ」
だめだとわかっているのに返事をしてしまって、アレンは頭を抱えてベッドに突っ伏した。うえから、クレアが抱きすくめてくる。
「私って、そんなに魅力ないですか……?」
顔を向けると、淫魔のくせにクレアにそっくりな幻影が、瞳に涙を浮かべて唇を引き結んでいた。
彼女の顔でそういう表情をされるとどうにかしたくなる――自分を観察して、アレンはふと目を丸くする。
「………………これは。もしかしてクレアさんを俺がどう思っているか、答えろ、ということか?」
「そう言ってますっ」
「………………悪かった」
泣きそうな淫魔に、『そうなんだ……』と納得しつつ謝ってしまう。
幻影のクレアがすり寄ってきた。
「許しません。ちゃんと抱きしめてください」
言われるがまま、抱きしめようとして――アレンは違和感に気づいた。体の熱が、ふたたび高まってくる。呼吸が乱れる。
幻影の白い肌に、自然と指が伸びる。淫魔が微笑んだ。潤んだ瞳で媚びるように見上げてきて、耳元に唇を寄せてくる。
「アレンさん、あのときの続きをしましょう……? 今度は、ちゃんと最後まで」
汗ばんだ肌がしっとりと吸いつく。洞窟で見た、クレアのとろけた表情をまえに、心臓が音を立てている。
――魂の共鳴、精神の対話。
エレナはたしかそう言っていた。ならば目の前の淫魔は、単なるアレンの煩悩というわけではないのだろう。
「……言っておくが、お前がクレアさんでない以上、俺に躊躇する理由はないぞ」
体の奥底から湧く衝動のままに、淫魔のウエストを飾る黒紐をするりと外していく。
これがなんの試練になるのか、アレンには皆目見当がつかなかった。