【SO3】聖王国の紅刃が堕ちるとき~背徳の淫紋から始まる英雄救済譚~【IF】 作:ばんどう
3.ささいなきっかけ
クレアが『その気持ち』に気づいたのは、ほんの些細なきっかけだった。
二国間戦争を終え、クレアは六年ぶりに最前線の村アリアスから王都シランドへの帰還を許された。いまは領主屋敷に展開していた軍の備品整理に追われる日々である。
戦争の終わりは、心にわずかな隙間と、新たな感情の芽生えをもたらす。
ふいに飛び込んできたのは、うら若い乙女のはずんだ声。向かいの厨房からだ。
「それでね、アレンさま。わたし思うんです……」
クレアの手が思わず止まる。
戦時中から厨房に押し込められている『地味に家庭的で貧乏くじな女兵士』だ。昔の渋々さは嘘のように消えて、声が弾んでいた。
「そうは言っても、きみまでそうする必要は……」
調味料のかぐわしい香りとともに、トントントンとまな板を叩く音となにかが炒められている音が軽快に響く。
女兵士と話しているのは、この星の外からきたという、アレンと言う名の男だ。戦中、華々しい戦果をあげた彼の存在は、クレアにとってまぶしく、遠い。
いまは女王より正式に近衛騎士と認められ、シランド城内に住居を与えられている。
パルミラ平原に墜落した星の船から彼を助け出したときは、この男がまさか数か月で大戦を終わらせるなど思いもよらなかった。
クレアが立ち上がって厨房を覗き見ると、女兵士に微笑んでいるアレンが見えた。
(……私じゃなくても楽しそうね……)
胸に重苦しいなにかがのしかかってくるのを感じて、クレアは思わずまたたく。大戦の緊張が解けたいま、彼女の心は、自分だけによそよそしい彼の態度に、説明のつかない不満を覚えるようになっていたのだ。
「あっ、クレアさま!」
クレアが覗き込んだ拍子に、古びたオーク製の床がきしんだらしい。女兵士が笑顔でふり返ってくる。
「リリィ!」
アレンの鋭い声が走った。
そのとき、女兵士は持っていた鍋まで一緒にふり回してしまい、鍋底がテーブルにぶつかって跳ね上がった。なみなみ沸かしたスープが激しくうねり、縁までせり上がって彼女の足許にかかる――寸前で、アレンがとっさに女兵士の両手をとらえ、鍋が倒れるのを防いでいる。
「ぇ、あ……。ご、ごめんなさい!」
「そそっかしいところが玉に瑕だな、きみの場合」
女兵士が頬を染めている間に、アレンがスープ鍋を取り上げて完成済みの料理が並んだテーブルに置くと、クレアをふり返った。
「クレアさん。午後には引っ越しの準備は終わりそうですか?」
「…………」
「……どうしました? またネルになにか?」
アレンは金髪碧眼で、クレアより頭ひとつ分ほど高い長身の男だ。女兵士と話しているときは楽しそうにしていたのに、なぜかいまは少し怯えた目をクレアに向けてくる。
クレアは心がささくれ立つのを感じた。
「いえ。部下を助けていただき、ありがとうございます。アレンさん」
ふつうに言っているのに、アレンは引きつった愛想笑いを返してくる。『部下』と強調しすぎただろうか。いや、普段通りのはずだ。結論付けて、アレンを見る。
「私、そんなに怖い顔してますか? アレンさん」
「いや……。その、ネルがいないのにどうしてだろう、とは思っています……」
アレンは女兵士を助け起こすや、そそくさと調理台のまえに行って作業に戻ろうとする。
(――また、そんなに優しくする必要ありますか?)
クレアの脳裡に、思いのほかとげとげしい言葉がよぎった。
クレアの声がさらに硬くなる。
「いま、ネルの話はしていませんが」
「だ、ですから……クレアさんがなにに怒っているのか、よくわかりません……」
「怒ってません」
「え?」
「アレンさんが、私が怒っていないのに怒っているような反応をするから、怒っているだけです」
「えっ?」
アレンが目を白黒させてこちらを見る。クエスチョンマークを見るからにめいっぱい飛ばしている彼の顔をみていると――不思議と、胸のつかえが取れていく。
「……っふふ、さすがにいまのは冗談です」
クレアが口許に手を当てて、肩をふるわせる。
そのさまに安心したように、アレンの目許がほころんだ。
「よかった……」
情感のこもった低い声。頭上からもれてきた声に、クレアの心臓が急に脈打った。
自分のあずかり知らぬところで起きた生理現象にクレアは戸惑った。その間に調理作業に戻ったアレンが、こちらを見ずに言った。
「こちらはあとすこしで昼食の準備を終えます。クレアさん。お手隙でしたら、みなにも声をかけておいてください」
「え、ええ。荷物整理もほとんど終わってきているから、午後からは搬送しましょう」
「了解。ウォルター伯からお借りした
「ありがとう」
礼を言って、厨房をあとにする。廊下をとことこと進んで立ち止まったクレアは、顔中に血が集まるのを感じながら、両腕を抱えてずるずるとその場に座り込んでいった。
「うそ……」
『ネルを取られる』と思って、つんけんしていたはずだ。
それなのに――
「私、ほんとうに……?」
両手を頬に添えてひとりごちる。脳裏をよぎるのは、彼が時折見せる、やわらかく微笑んだ顔。会議中隣の席になったときによく見える、大きな手。真剣なまなざし――。そのひとつひとつを思い浮かべるたび、心のどこかが温かくなる。
クレアは声にならない呻きをもらした。
『その気持ち』を自覚するには、充分だった。
「……わたし、アレンさんのことが…………『好き』なんだ……」
その言葉はあまりにストンとクレアのなかに入ってきてしまっていて。納得したあと、クレアは耳まで赤くなるのを感じた。
………………
…………
アリアスから撤収が完了して数日後。
ネルは、アレンに呼び出されたペターニのカフェで目を丸めた。
「最近のクレアがおかしい?」
思わず素っ頓狂な声が出る。長いまつ毛の下で、つぶらな紫瞳がまたたいた。
聖王国シーハーツ軍が誇る女王の刃『クリムゾンブレイド』。その片割れにして隠密部隊『闇』の師団長たるネルは、アレンの直属の上官に当たる。普段クールな彼女が、赤髪の丸いショートヘアをかしげ、どこかあどけない表情を浮かべているのは珍しいことだった。
アレンが声を抑えろ、というように手のひらを見せてくる。
ふたりがいまいるのは交易都市ペターニの中心部、オープンカフェが立ち並ぶテラス席のひとつだ。
ネルたっての希望で、ペターニ名物アップルパイがふたりのまえに並んだ。ほこほこと湯気を立てる出来立てのそれを、彼女は丁寧に切り分けてフォークでつつき、ほおばる。見る間に、その目が幸せそうに細まっていった。
「ん-んっ……! 大陸広しといえど、やっぱりこの『ポムポム』のアップルパイが一番だね。リンゴの酸味が仕事明けの疲れた体に効くよ」
「活性剤じゃないんだぞ。ネル」
「あん? 文句あんのかい?」
「文句はないが、俺の相談は聞いてほしい」
「相談ねぇ……」
真剣にこちらを見てくるアレンから視線をそらして、ネルは中空を見やった。どうしたものか、と思案する。口のなかのアップルパイをじっくり堪能してから、紅茶を含み、腕を組んだ。
「けどアレン? クレアの様子がおかしい、ってのはいつものことじゃないか。具体的にどう違うのさ」
「ずいぶんな言いようだな……」
「私から見ると、あんたといるときのクレアが正常だった試しがないからね」
アレンが思わず閉口した。
「まてネル。その『おかしいクレアさん』は、お前がいるときにしか発動しないはずなんだ。シーハーツ軍総司令官を務めるだけあって、普段、冷静沈着なひとだろう。それが最近、たまに話が通じないんだ。急に敵視してくるというか……お前がいないのに変、っておかしいだろう」
「つまり――……妬いてくるってこと?」
「妬くとまではとても、俺からは判断つきかねるが。少なくともお前なら、なにか心当たりがあるんじゃないかと思って。シーハーツのことを、俺が見落としている可能性もある」
アレンがじっと見てくる。いつになく期待に満ちた眼差しだ。言外にネルを『お前はクレア博士だろう』とでも言いたげだった。
クレア相手にどう対応すればいいか困惑している仲間を尻目に、ネルはため息を吐いた。
――そういえば、大戦中にも似たような話をしたことがある。そのときのアレンは『ネルに手を出すな』とクレアから釘を刺されたことに戸惑っていた。
旅の仲間同士、いつもどおり話していただけで、クレアの表情が明らかに曇っていったのをネルははっきりと覚えている。
ネルとしては、人当たりのいいクレアが、あれだけあからさまに不機嫌になるなぞ『
「だから前に言ったろ? あんたに気があるんじゃないの。正直、悪魔相手に正気と思えないけどさ」
「…………」
アレンは遠い目をしていた。あきらかにピンときていない。
ネルは心がささくれるのを感じた。親友の関心は己を越えて、目のまえの男に移りつつあるというのに、この反応――半ばあきれながら、テーブルに身を乗り出す。
「なに? あんた、かたくなに信じないね? まさか不満があるとでも?」
「……単純に、好かれる要素が思い当たらなくて」
アレンなりに記憶を掘り起こしていたのか、あらぬ方をみて、深々とため息を吐いていた。
ネルが肩をすくめる。
「まああんた、本性は悪魔だからね」
「まだ言うか」
アレンが眉を寄せた。
数か月前、アーリグリフとの大戦から始まった苦難の旅に終止符が打たれた。ネルたちは生き残るために、当時もっとも戦闘経験に優れた、銀河連邦の精鋭軍人だったアレンに日々、稽古をつけられていた。仲間が力尽き倒れようと、ヒーリングで無理矢理蘇らせ、休む間もなく襲いかかってくるアレンは、ネルたちを極限まで追い込み、いつしか『悪魔』と呼ばれ、アレン以外の旅の仲間たちが一致団結するきっかけをつくったのである。
アレンとしては戦力増強に一役買ったはずの訓練が、仲間内からは悪魔呼ばわりされていることに不服だった。彼は限度を知らないのだ。
アレンが抗議してくるのを聞き流して、ネルは言った。
「考えてみれば、あんた、クレアにはあの悪魔の修行をさせてなかったね。ならまあ――わからなくもない」
「さすがに俺も、命の恩人相手に一時の訓練で叩きのめすのは気が引ける」
「あ?」
「お前とちがって旅の同行者でもないし。クレアさんは司令官だったし」
「……なに? ソフィアみたく、クレアも『女の子だ』って言いたいのかい?」
「なんでそうなる」
「自分の態度を
急に冷たく突き放されて、アレンは目を丸くした。『命の恩人』というのは、かつてこの星に墜落したアレンが、瀕死の重傷だったところをクレアに介抱され、一命をとりとめたことをさしている。
もう半年以上前のことだ。
「俺の?」
「あんた、結構気安く異性にさわるだろ。共に旅をしてきた私たちなら、それは男女分け隔てなくやってることだってわかるけど、勘違いする娘は出てきてもおかしくないよ」
「つまり、どうすれば?」
「あんたはどうしたいのさ?」
「もちろん、良好な関係を築きたいと思っている」
アレンの真面目くさった顔を見て。ネルは観念したようにため息を吐いた。
(――だったら、こうして私とふたりきりでお茶してちゃまずいんじゃない?)
アレンとしては、まったく後ろめたい気持ちがないからこそ、わざわざ人目につく場所でネルとお茶しているのだ。それくらいのことは、彼を知る人間ならわかる。
だが、あの嫉妬にかられたクレアはどうか――。
考えて、自分よりもこの男を優先し始めている親友に、『こいつはちょっとした仕返しさ』とネルは小さく笑った。べつに取り返したいと思っていないが、巣立ちを見守る親鳥の切なさとでも言えばいいのか。
ネルが肩をすくめて、続きを促した。
「だったら親しくなる方法、クレアに直接聞いたらいいじゃない」
「もう聞いた。そのうえで、よくわからなかったからお前に相談してるんだ」
「……………………」
アレンの視線に迷いはない。
ネルが思わず頭を抱えた。戦いに明け暮れてきた男であるのは知っているが、まさかここまで――と気を取り直して手にした紅茶は、もう冷めきっていた。
もうそんな時間か、とネルが考えている間に、アレンが通りがかったウエイターを呼び止めた。
「すまない。彼女にあたらしいのをひとつ」
「かしこまりました」
「……………………」
ほどなくしてネルのまえに、淹れたての紅茶が差し出されてくる。
「あんた、それほんとに?」
「なにがだ?」
きょとんとしているアレンに、ネルは何度目になるかわからないため息を吐いた。
アーリグリフとの大戦はじつに長く続き、シーハーツ王国軍の大半は女性兵士である。青春のすべてを戦争に捧げた彼女らが、大戦を終わらせた若き鬼才にこう気遣われて、はたしてどのような感情を抱くだろうか。
少なくとも、シーハーツ王国軍の男性兵たちとはタイプが違っている。
「あんた……、やっぱりちょっとしばらく悪魔でいなよ」
「……お前までわけのわからないことを言い出したら、俺はどうしたらいいんだ……」
「信頼してくれるのはありがたいんだけどさ、アレン。あんたがクレアを嫌いじゃないなら、たぶんこれまでどおりでなにも問題ないはずさ」
「クレアさん博士のお前がそう言うなら」
アレンは視線で語っていたことをついに口に出して、ネルを見てからこくりとうなずいた。
頬杖をついたネルが冷めた目で見る。
「変に自己肯定感の低いところが、あんたのネックなのかもしれないね」
アレンが首をかしげている。ネルはあらたな紅茶に口付けると澄ました顔で言った。
「あんたより、私はクレアの話が聞きたいってこと」
「それは心強いな。お前になら、クレアさんもなにか思うところを打ち明けやすいと思う」
「またアップルパイおごりなよ、アレン」
「いくらでも」
会計を済ませ、アレンとネルがカフェを後にする。その様子を、通りの向かいにあるブティックのショーウィンドウ越しに、じっと見つめる視線があった。
クリムゾンブレイド公認ファンクラブ会員番号00026番、特攻隊長デュクリス。
男手の少ないシーハーツ軍内で、数万人規模のファンクラブの一端を担う気鋭の会員だ。アレンが
数刻後、ペターニから送られてきたデュクリスの報告書に目を通したクレアは、くしゃりとその紙を握りしめた。その表情は普段の冷静沈着な総司令官のものではなく、複雑な感情が入り混じっている。
「……やっぱり」
アレンは困ったことがあると、すぐネルに相談する。
そのことを知っているクレアは、「ぅぅぅ……」と言葉にならない小さな呻きを発しながら、執務机のうえに突っ伏していった。
「――クレアさま。アドレーさまがお見えです」
ノックのあと、側近の部下がやってきて、クレアはすぐに居住まいを正した。
「あとにしなさい」
「それが、緊急事案です。シャール村近くの洞窟に、魔物が出たと」
「――聞きます。通して」
聖王国軍総司令官として、数万の命を動かしてきた声が毅然と走る。
ほどなくして入室してきた大柄の父は、どこか含み笑うような不思議な顔をしていた。