※この作品はR-18です。

【SO3】聖王国の紅刃が堕ちるとき~背徳の淫紋から始まる英雄救済譚~【IF】   作:ばんどう

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30.風の試練の終わり

 目覚めると、石室にいた。水晶の心臓がある地下迷宮のなかだ。アレンは台座に寄り掛かり、気を失っていたらしい。どれほど時間が経ったのか。

 身動ぎすると、右腕に重みがかかった。

 腕のなかにネルが居る。

 

「っ!」

 

 驚きつつも、ネルの容態をあらためる。呼吸、脈拍、体温に異状はなく、かすかな寝息が首筋にかかる。

 安堵の息をこぼした。刀は左手で握っていた。ふとネルの唇が視界の端に映って、知らぬ間にまじまじと見つめる。堕天使とは違い、口紅を塗っていない唇はぷるりとして、深みのあるローズピンクだ。実際に触れたことはないが、さきほどの甘く名前をささやき、何度も啄んできては舌を絡ませ合った――あまりにリアルな感触は、下腹にずしりと熱を籠もらせる。

 伸ばしかけた指先が空を切る。

 奪いたい。啄みたい。貪りたい。

 そんな衝動が、喉元までせり上がってきて、アレンは拳を握りしめて毒づいた。

 いま、ここにいるのは現実のネルなのだ。

 

「……くそっ!」

 

 以前は『すべて忘れてほしい』と願ったのに、いまはネルが『なにも知らない』かもしれないという不安に、胸が痛む。

 勝手なことを、とひとりごちてジャケットを脱いだ。階段に敷き、そのうえにネルを横たえた。

 

(クレアさんはどこだ?)

 

 意識を切り替える。背後で気配がした。

 コツ、コツとピンヒールが石畳を踏む音が響く。ふり返ると、クレアの姿をした淫魔がいた。夢と同じく、レザースーツの胸もとは取り払われ、お椀型のまっ白な乳房がうす暗い室内に浮かび上がっている。

 反射的に構えかけるも、淫魔の顔を見てやめた。覇気のない琥珀色の瞳だ。視線を落としていた淫魔が、ゆるりと顔をあげてくる。

 

「ずっと……、わからなかったんです。あなたがなにに苦しんでいるのか、あなたがなにを見ているのか」

 

 思わせぶりな言葉だった。

 さりげなく室内に意識をめぐらせても、本物のクレアはどこにもいない。強いて言うならば、この淫魔と(・・・)クレアが(・・・・)同化(・・)しているように、アレンには見えた。

 

 ――もしも、あの夢が現実につながっているならば。

 

 堕天使とネルが一体化したように、淫魔とクレアも同一の存在となった可能性がある。

 深い悲しみとあきらめが滲んだ淫魔を見て、アレンは固唾を呑みこんでいた。

 

「……クレアさん、なのか?」

 

 アレンの問いに、淫魔と一体化したクレアはかすかに笑った。それは見抜かれたことに対する安堵なのか、悲しみなのか、どちらにも見えるあいまいな微笑みだった。

 

「終わりにしましょう、アレンさん。……もう、十分すぎるほど、よくわかりました。私と、あなたがどうあるべきなのか」

 

 クレアが手のひらを広げると、赤い三又槍が二振り、現れてくる。それぞれを握った彼女が、こちらを睨み据えた。

 アレンが手のひらを見せた。

 

「やめましょう、クレアさん。いまのあなたに、俺が倒せるとは思えない」

 

「……侮られたものですね」

 

 つぶやいたクレアが施力を青く輝かせ、滑るように間合いを詰めた。双槍を雷鳴のごとく繰る。閃光とともに払い上げられた右槍が、鋭い風切り音を立てた。アレンは兼定の刃を寝かせ、かみ合う瞬間に右槍をはじく。続けざまに斬り落としてくる左槍を、左足を引いてかわす。刃風に前髪が揺れた。クレアがさらに踏み込み、大上段から追い打ってくる。

 剣戟の火花が散った。アレンは兼定を左手で握って受け太刀している。その刃が、気功も紋章力も込めていないというのに微動だにしない。

 相手の太刀筋を正確に見定めているためだ。

 クレアの目尻が震えた。

 

「クレアさん。その迷いに満ちた剣で、あなたはなにを為すつもりだ」

 

 わずかに揺れる琥珀色の瞳に対して、アレンの蒼瞳は冷徹に相手の実力を見極める。戦いで一点集中することは、彼の本分だった。

 クレアが唇を噛みしめ、きっと睨み据えた。

 

「これならどうです!」

 

 クレアの体が赤く輝き、蝙蝠の翼が広がって宙に飛びあがった。アレンが視線を追った先で、彼女は両腕を抱きしめ、鋭くターンして光の紅剣を五振り、鉤爪のごとく召喚する。右拳のさきに生み出したそれを、クレアが横殴りに投擲した。一瞬のきらめきが石室に走り、五振りの剣が光矢のごとく走る。さらにもう五振り、クレアが投げつけてくる。

 鋭く重く、迫る紋章の刃。

 それらを見据え、アレンが兼定を握りこむ。

 そのとき。

 クレアが追い打ちに、さらなる五振りを投げつけた。とどめとばかりに放たれた赤雷の施術が、十五振りの紋章剣を追ってほとばしった。

 

「――え?」

 

 クレアが目を丸めたそのとき。紋章剣と雷の向こうから、巨大な光芒が爆ぜた。クレアが事態を把握するまえに、施力で編まれたすべての光が、まっ二つに切り裂かれて宙に散り、ぱらぱらと音もなく消えていく。

 一瞬の、出来事だった。

 カシン、といやに重たげな鍔鳴りの音が、静寂のなかで響いている。

 斬線――。

 兼定の一刀で、すべて切り払われたのだ。

 理解したそのとき、アレンは大太刀を背中の鞘に納め、クレアを見据えていた。

 

「この兼定に、斬れぬものはありません」

 

 クレアの頬が小さく震える。ふと、彼女の首許を縛っていた赤い首輪が、音もなく切れて床に落ちていった。

 いまの一閃で、アレンは紋章剣と施術だけでなく、クレア自身までもを斬っていたのだ。それはクレア自身をこれまで縛り付けていた鎖を、断ち切るような出来事だった。

 ふと、彼女の膝から力が抜けて、立つこともままならずにその場にくずおれる。

 

「クレアさん!」

 

 素早く駆け寄ったアレンが、クレアの肩を支える。そのとき、刃を向けようとしたクレアの拳が空を切り、ただぽすりとアレンの胸板を弱々しく叩いた。

 抱き留められたクレアが、うつろな瞳をアレンに向ける。

 

「……どうして、私を斬らないの……?」

 

 アレンの眉間に力がこもった。静かに、声音が落ちる。

 

「どういう意味です」

 

「だって……私がっ……私のせいで、ネルやアレンさんが……! なのにっ……」

 

 悲哀、後悔、嫉妬、羨望――。

 クレアは複雑な感情がないまぜになって、言葉にならずに唇を震わせている。

 

「……あなたはどうして、こんな姿になった私を、抱き留めてくれるの……?」

 

 涙に濡れた琥珀色の瞳は、アレンからすれば宝物のように澄んで見えた。

 

「あなたが、俺を救ってくれたんです。命だけでなく、俺の心を。幻影のネルが護ってと言われたとき、あなたの声が心に響いてきた」

 

 それは風の試練を受けるまえ、クレアがこっそりかけた言葉だ。

 

 ――……なにかあっても、アレンさんが助けてくれますよね?

 

「俺は、ネルだけでなくあなたのためにも、トラウマに囚われている場合じゃないとあのとき思えたんだ。だから――」

 

「でも、あなたはネルを選んだんです……っ」

 

 クレアがつぶやき、諦めたように視線を反らし薄笑った。その強がりも長くは続かず、彼女の頬に痺れが走る。

 

「私がどれだけ想っても、あなたは私の許にきてくれないっ……。こんなに苦しくても、あなたは私のものにはならない! ……なら! ……せめて……せめて、あなたの手で、終わらせてくれたら……」

 

 懇願するクレアの肩を、アレンは無言で抱きしめる。

 クレアは涙に濡れた瞳を丸めて、アレンを見上げた。震える彼女の指先が、何度も空を切る。抱きしめ返したい気持ちを押さえて、彼女は目を細め、息をひそめた。

 

「……クレアさん。風の試練を、終わらせます」

 

「……はい……」

 

 クレアは自嘲気味に口端を引きつらせると、ゆっくりとまぶたを閉じた。

 あの大太刀なら、きっと一瞬だ。

 これですべてが終わる――。

 願いにも似た贖罪に身を預けたそのとき、やわらかな感触が唇に触れてきた。目を開けると、すぐ目の前にアレンがいて、口付けを交わされている。

 

「っぅ!」

 

 声を出すまえに柔腰を抱き寄せられ、クレアの白い頬が真っ赤に染まった。じわりと暖かな温もりが、クレアの胸に広がっていく。また目尻に涙がにじんだ。

 数秒か、数十秒か、それとも数分か――。

 口付けがほどかれ、アレンが静かに離れていく。その腕を、クレアは無意識に掴んでいた。

 

「アレンさっ……」

 

 どうして、と聞こうとして、耳まで赤くしたアレンをまえに、クレアは言葉を失った。アレンがややうつむいたまま、言ってくる。

 

「……うまく言葉にできなくてすみません。たしかにこういったことをふたりに、というのは俺も倫理的にどうかと思います。それでも、俺はふたりとも欲しい」

 

 クレアが思わず固唾をのむ。

 

「つ、つまり……?」

 

 アレンがゆっくりと息を吐く。

 この選択が受け入れられるかはわからない。ただ、クレアやネルの本音を受け止めて、いまさら片方だけを選び、もう片方を否定する結末にはしたくない、と彼は思う。

 ふたりの誠意は、それほどまでにアレンの心に響いている。

 蒼瞳が徐々に力を帯びていき、やがてまっすぐにクレアを見た。

 

「クレアさん。俺は、あなたと生きていきたい。これからも、ずっと。……俺の隣に、居てほしい」

 

「……っ!」

 

 クレアが目を見開く。両手で口もとを押さえた彼女の瞳からは、大粒の涙がこぼれていく。

 そのとき、彼女の体が光に包まれた。アレンが慌てて抱きしめるも、台座にある三つ水晶がそれぞれ白く輝き、その光がクレアに溶け込んでいく。光のなかから、いつもの黒い軍服姿のクレアが現れた。

 アレンが安堵して微笑む。

 

(は、はぅぅぅっ!)

 

 今度はクレアが赤くなった顔を抱えてそっぽ向いた。アレンが心配そうに尋ねてくるも答えられない。

 ただ頬の筋肉がゆるみすぎて、表情を制御できなくなっていた。

 アレンが笑って、クレアを抱きしめ直す。大きな手のひらが彼女の頭を撫でて、彼の穏やかな声が、クレアの胸に深く響いた。

 

「おかえりなさい、クレアさん」

 

 その温かな響きは、精神世界での理想的な甘い言葉たちよりもクレアに刺さり、彼女は気づかれないように目尻の涙を拭いながら笑った。

 

「好きです。アレンさん」

 

「俺も、大好きです」

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