【SO3】聖王国の紅刃が堕ちるとき~背徳の淫紋から始まる英雄救済譚~【IF】 作:ばんどう
ようやく想いが通じ合えた気がして、互いに抱きしめたまま相手を見つめて――ふと、クレアが目を見開いた。
「……クレアさん?」
アレンは、いまにも口付けしそうな雰囲気が突如霧散したのを察して、首を傾げた。
クレアは目を伏せている。ふと、少しだけわがままを言うなら、ネルに向けた言葉が自分にも欲しい、と思ったのだ。頬が熱くなるのを感じながら、おずおずとアレンを見上げた。
「……あ、あの。アレンさん。アレンさんはつまり、私のことをあ」
「クレア、いい加減にしな」
ふたりの体がビクリと震えて、階段を見た。アレンのジャケットを肩にかけたネルが、長い脚を組んで座り、こちらを見ている。
「ったく、年下相手にいつまで甘えてんのさ。私たちの魂を共鳴させるんだろ? ぐずぐずしてないで、さっさと済ませるよ」
「目が覚めたのか、ネル」
アレンが安堵して笑う。
ネルは指先でジャケットの裾をいらいつつ、ぽつりと言った。
「だって、油断も隙もないじゃない……」
「ネ、ネル……それって、どういうこと……?」
クレアが割り込むように聞いてきて、アレンとネルが首を傾げ、同時にクレアを見た。
「アレンさんが、年下だって……」
ネルが呆れながら、アレンを見た。
「なに、言ってなかったの? あんた」
「……そうだったか……? ……言われてみるとたしかに、言う機会はなかったかもしれない……?」
遠い記憶をたどるような目で、アレンが宙を見つめている。
クレアの瞳がみるみる見開かれていく。
「ち、ちなみにいくつなの……?」
「アレンかい? フェイトと同じ、十九だよ。ね?」
「ああ。……そんなに、見えないか?」
固まっているクレアを、アレンが不安そうに横目見つつ、ネルに尋ねる。ネルが半眼になって腕を組んだ。
「さあ? クレアが年下お断りなら、私が独り占めするだけだけど?」
ネルがつんと澄ました顔でアレンの袖を引く。
抱擁を外されたクレアが、眉をつり上がらせた。
「いくらネルでも、そんないじわるひどいわ!」
「なによ、あんたがこの騒動に巻き込んだんじゃない! しかもひとの心を、勝手に暴くような真似して!」
「そ、それは! だって……!」
「ネル、不可抗力だ。あまり責めるのは……」
「あんたは私のまえにクレアにキスしたの、見てたんだからね!」
仲裁に入ったアレンをネルがすかさず封じた。クレアが涙混じりにアレンの腕を抱き、その影に隠れるように身をひそめる。
「こら、クレア! 三つも下の男に甘えてんじゃないよ!」
「そんなこと言うならネルだって、その手を離して!」
「わ、私はこいつが結構抜けてるから、フォローしてるだけだよ!」
「そうやってすぐ、私の知らないアレンさんを披露してくるのもやめて!」
「私だって、あんたみたいに大事に扱われたことなんか……、っ!」
ふと、ネルの攻勢がやんで、クレアとアレンが不思議そうにネルを見る。ネルは耳まで赤くして絶句している。
――精神世界での交わりを、思い出したのだ。甘く、激しく、とてつもない幸せに満ちた記憶を。
クレアが瞳に涙をためて、アレンの腕を抱きしめた。
「ネルのばか!」
アレンはこの会話に入るべきか、考えあぐねていた。両腕を左右から引っ張られているので、諍いから逃げる選択肢は存在しない。
その後も、言い争っていたふたりが、ふいにアレンをふり返ってくる。
「アレンさん!」「アレン!」
「いまの話、聞かないで!」「いまの話、ちゃんと聞いてた?!」
真逆なのにほぼ同じ内容を聞かれて、アレンは宙を見つめた。
やはり、逃げ場がない。
「……えぇっと、つまり。ふたりはどうしたいんだ? 意見を聞かせてくれ」
「こいつ、ホント……」
「わ、私は」
呆れるネルの隣で、クレアがアレンを見上げる。
「私は、あなたと……一緒にいたい。たとえ一番じゃなくても」
そう言ったあとで、小声で「ううん、やっぱり一番がいいです……」などとつぶやいているクレアを、ネルが半眼で睨む。
そうする一方で、ネルもまた、ため息混じりにアレンを見上げた。
「こういうこと、女から言わせる気? アレン」
アレンの首筋に手をかけて、その頭を引き寄せる。
すぐそこまで近づいた唇を見つめて、ネルが低くささやいた。
「……キスをくれるのは、夢のなかだけ?」
「っ!」
「だめ! ネル! 夢のなかであんなことまでしたのに、そんなに早く取らないで!」
「ちょっ! クレア! あんた自分ばっかりずるい!」
「ネルがおいしいところばかり取っていっちゃうんだもの!」
無邪気に言い争ったかと思えば、不意打ちに幻影とは比較にならない色気をぶつけてくるふたりに、アレンは流れる汗を拭った。
(……こ、これは。……破壊力がすごい……)
異性経験などこれまでほとんどなかっただけに、このふたりは刺激が強過ぎた。
それでも――クリムゾンブレイドのふたりの両手脚には失われたはずの施文が、クレアは青々と、ネルは赤々と刻まれている。
手首の月の紋章こそ消えていないものの、ふたりの紋章力は元に戻ったのだ。
あとはアレンのみとなる。兼定さえあれば、月の紋章で封印されていようと戦える。だが、いつまた困難な事態に直面し、ふたりを護りたくとも護れぬときがくるやもしれないのだ。それに備えるためには、この紋章を完全に掌握する必要がある。幻影の言葉、『魂は三つで一つ』という意味を、アレンは理解し、受け入れねばならない。
エレナのあのときの言葉が蘇る。
――要はゴールインしちゃえってことだ!
アレンは床を見つめつつ(言われずとも)とつぶやいた。
つまりは、そういうことだ。
ふたりを同時に、という選択肢を取ることに対して、完全に迷いがないと言えば嘘になる。
ただ、ふたりが本音をぶつけ合いながらも、どこか楽しそうにしているのを見ていて、この選択が間違いだとは思えなかった。胸の奥は、自然と温かな感情で満たされている。
「……ふたりとも一旦、ここを出よう」
アレンが声をかけると我に返ったふたりが、同時にこちらを見上げてきた。
ネルが首を傾げている。
「この台座に、なにかしなくていいのかい?」
「水晶の心臓から輝きが消えている。試練は終わったんだ」
アレンの言葉に、クレアとネルが互いの顔を見合わせた。
アレンは、こほん、と咳払いすると、左手首に刻まれた月の紋章をかかげて言った。
「こいつとも、決着をつけたいしな。ただ、
「アレンさん……?」
「それってどういう……?」
ぴんときていないふたりの反応に、アレンはごまかしが効かなくなってきて、じわじわと頬に熱がこもるのを感じながら平静を装った。
「…………二週間後に、月の紋章を解こうと思う」
ふたりがハッと目を見開く。
期待に濡れた二対の瞳を見つめて、アレンは静かにうなずいた。
「王都に戻って、まずアドレーさんと女王陛下に筋を通させてくれ。俺も、覚悟は決めた」
「どうする気だい?」
「ふたりを正式に迎える許可をもらってくる。クリムゾンブレイドのどちらも、となると難しい話になるだろうが、やるしかない」
ネルに問われて、アレンは即答した。
クレアが指先をいじりながら、上目遣いに見上げてくる。
「け、けれど……。そんなこと、女王陛下はお認めくださるでしょうか……?」
「……この施文は、まがりなりにも女神イリスの系譜に連なる刻印です。『祝福』だというなら、利用させていただくまで」
そのための二週間だと気付いて、ネルとクレアが絶句した。『交渉事』になった途端、口端をつり上げて戦略を考え始める男は、宗教大国というシーハーツの特性を逆手に取る気のようだった。
クレアとネルの体は見る間にわなないて、左右からアレンの腕を抱きしめる。その口許は緩み、表情に、万感の思いがこめられている。
アレンは簡単なことのように言ってのけるが、道のりの険しさはどちらもわかっている。だがこの男は、やると決めたらやり切るのだ。
アレンが小さく笑った。
「王都に戻ろう、ふたりとも」
「はい!」
「ええ」
アレンが出口へと続く扉を見る。
クレアとネルが、満面の笑顔でうなずいた。
あの終りが見えない大戦を終結させた英雄の言葉は、彼女たちに力を与える。この先なにが待っていても、もう背を向けたりはしない――そんなおだやかな決意が、クレアの胸に宿っていた。
そこでふと、アレンが思い出した顔になってネルを見る。
「ネル」
「なに?」
不思議そうに見上げてくるネルに口付ける。きょとんとしている彼女を直視できず、アレンはやや視線を泳がせて言った。
「……夢だけじゃ、俺も足りてない」
言ったあとで、言い方を間違えた気がしたが、心臓の音がうるさくてそれどころではない。
ネルの顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
クレアがアレンの袖を引いた。
「アレンさん、私もください」
「ちょっと、クレア! 余韻くらい味わわせてよ……」
「さきに入ってきたのはネルのほうよ」
本気で抗議するネルと、『愛情をもっとよこせ』と詰め寄るクレア。
そんなふたりに挟まれて、アレンは苦笑したまま言った。
「精進します」
ふたりを迎える、とは、そういうことなのだ。
シーハーツ軍の羨望を集める『クリムゾンブレイド』の無益で小気味よい言い争いは、王都に着くまで途切れることなく続いていた。