※この作品はR-18です。

【SO3】聖王国の紅刃が堕ちるとき~背徳の淫紋から始まる英雄救済譚~【IF】   作:ばんどう

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『抜け駆け、じゃないよね?』

 窓から差す月明かりが、司祭室にいるふたりを照らしていた。
 伺うようなネルの顔を見つめて、クレアは小さく息をこぼす。

『ええ。でも……もし私が、あの人の気持ちに触れられたら、ちゃんと報告するわ。ネルにも』

『……ほんと、あんたってずるいよ』


37.三つの月が照らす道

 数刻前に交わした、ネルとの会話。

 震える体を叱咤して、クレアは、呻きながらも立ち上がる。体の深奥にそそがれた精液がどろりと垂れて、さきほどの夢のような交わりが急激に現実味を帯びてくる。

 逃げ出したネルの背中が、まぶたの裏に焼きついている。

 クレアが息を呑み、ゆっくりと廃教会の扉を押し開けると、炎が揺らめく気配がした。

 

(……アレンさんの、朱雀……?)

 

 直接見た機会は数えるほどだが、そう感じた。

 扉に手をかけ、慎重にあたりを見渡せど異常はない。

 首を傾げている間に、ちょうど帰ってきたネルたちと鉢合わせた。

 

「ネル……!」

 

 クレアの琥珀色の瞳が揺れる。驚きと安堵、すこしの不安。すべてが一瞬にして浮かび、潤んだ瞳のなかに溶けていく。

 

「どうにか捕まえましたよ」

 

 アレンが左腕にネルを抱えたまま、冗談めかして告げた。

 クレアの頬がふっとゆるむ。

 アレンの左腕で足許を抱え込まれたネルは、顔を赤くしてじたばたともがくのみだ。

 

「ちょ、ちょっと! 降ろしてってば!」

 

「大人しくしていろ」

 

 ネルが肩を叩いても、アレンはびくともしない。

 焦るネルの頬には、涙の痕が乾いて残っていた。その横顔に、陰りはもうない。ただ恥じらいと照れが混じって、見る間に耳まで赤く染まっていく。

 幼馴染の珍しい反応を横目に、クレアの胸に深い安堵が滲んでいった。

 

「うまくいったのね」

 

 ふたりに歩み寄って尋ねると、アレンが小さく顎を引く。

 

「クレアさん、……どうしました?」

 

 ふと、アレンが首をかしげた。

 クレアはびくりと肩を揺らして、うつむく。脚のつけ根に残る痺れが、心音を跳ね上げる。

 頬が熱い。

 遠慮がちに見上げると、アレンが心配そうにこちらを見ていた。

 

「あ、脚が震えてしまって……。でも大丈夫」

 

 ようやく言葉を絞り出すと、アレンがさらに首をかしげて真顔のまま、クレアを見つめた。

 数秒。

 まばたきを忘れた蒼瞳が、ハッと見開かれる。

 息を呑んだアレンが、右手を差し伸べてきた。

 

「クレアさん、手を」

 

「……はい?」

 

 不思議に思いながら手を取ると、ふわりと体が浮いた。――アレンの右腕に、抱え上げられたのだ。

 

「ア、アレンさんっ?」

 

「すぐに降ろします」

 

 ネル同様、足許を抱えられたクレアが息を詰める。

 アレンが短く答えて、教会奥の、司祭室の簡素な寝台のうえにクレアを慎重に降ろしていった。

 一方のネルは、抱えられたままだ。

 

「逃げないってば!」

 

「どうだろうな。隠密の言うことはあまり信用ならない……」

 

 アレンは冗談とも本気とも取れる口調でつぶやき、ネルの細腰を右手を添えて、両手でぎゅっと抱きしめる。

 ネルの額には汗が貼りつき、見上げるアレンの横顔には一切の容赦がない。

 まるでふたりは、捕獲された猫と、脱走を警戒する飼い主のようだ。

 ワイワイ言いながら密着しているふたりをまえに、クレアが息を呑んだ。

 

「……疑ってる割には、ずいぶん楽しそうですね」

 

「精進します」

 

 アレンが明後日の方角を見る。

 無意識に、アレンの袖を引いていた。

 

「アレンさん。わ、私だって逃げちゃうかもしれませんよ?」

 

「――それは、どういう意味ですか」

 

 アレンの声音が落ちる。クレアをじっと見た。

 力のこもった眼差しだ。『言葉を間違えた』とクレアが悟っても遅い。アレンは怒っていないようだが、気迫に圧されて、ぞくぞくと背筋が震える。たまに向けてくる捕食者の眼だ。

 クレアは口もとがゆるむのをこらえて両手の指先を胸の前で合わせると、落ち着きなく言った。

 

「そ、そのっだから……アレンさんも、ここで」

 

 言いかけて、詰まる。

 そのときだ。

 ピピッ、と聞き慣れぬ甲高い音が司祭室の静寂を切り裂いていった。アレンがネルをそっと離し、身を翻して胸元から拳大の石板を取り出す。

 たしかあれは、『つうしんき』というアレンの世界のアイテムだ。

 彼は淡く光る盤面に、素早く視線を走らせている。そのまなざしが、見る間に鋭くなった。

 わずかに視線を上げたアレンが、ネルを見た。

 

「ネル。クレアさんを頼む」

 

「どうしたの?」

 

「――マリアからだ」

 

「マリア? こんな時間に彼女が?」

 

 ネルが眉を寄せて睨むも、アレンが「ああ」と返したときすでに司祭室の入口に歩きだしていた。拳大の石板を耳に当て、話し始めている。

 

「――状況を。教会は――」

 

 そのまま去っていったアレンの背を見送って、クレアは起きたことが理解できずにまたたいた。

 ネルとクレアが部屋に残された。完全に、ふたりとも手持無沙汰だった。

 アレンを追いかけて、情報を得るべきか。立ち上がりかけて、踏みとどまる。

 

 痛みもあるが、それ以上に、アレンは当事者たるクレアを、事件に深入りさせないよう苦心している節がある。

 

 どうすべきか悩んでいるうち、両腕を組んで憮然としているネルと目が合った。数秒。黙り込んだまま、ふたりとも見つめ合う。

 

「なんて顔してんのさ、クレア」

 

「ネルこそ」

 

 二人で話しているとは思えないほど、妙に硬い声が出て、しばらく見つめ合ったあと、お互いに噴き出していた。

 笑っていられる状況ではない。けれど、シーハーツ最高峰の封魔師団長と光牙師団長がふたり揃って、蚊帳の外など、まったくあり得ない。

 ひとりの男をめぐって、一番に相棒(ネル)の様子を伺っているなど、一個人の感情があまりに大きな割合を占め過ぎている。

 気付けば、クレアとネルは寝台の端と端に並んで座っていた。

 アレンと結ばれる前と、まったく同じ状況だ。

 クレアは気づかれないように、息を詰めた。

 

「ネル、ごめんなさい……。怒って、いるわよね……?」

 

 恐る恐る、ネルを横目見る。

 緊張に満ちた空気に思わずうつむくと、ネルがかすかに笑った。

 

「……勘違いしないで、クレア。あんたに怒ってるわけじゃない。――ただ、自分を許せなかっただけ」

 

 前置きしたネルは、アレンが去っていった司祭室の閉まった戸を見つめていた。

 

「あいつに力を返してやるのは癪だけど、あんたを貶めようとする勢力がいま動いてるんだ。――それも、私たちが経験したことのないスピードで。

 なら、あんたは総司令官としての判断をする。起きるべくして起きたことだよ」

 

「……ネル……」

 

「私は大丈夫。あいつから聞いたよ。あんたがあいつの背中を押してくれたんだって。そのせいで、余計なことまでわかってしまった」

 

「余計なこと?」

 

 クレアが純粋に尋ねると、ネルが固唾を飲んでうなずいた。

 

「……いい? クレア。

 あいつは……本当に私たち、ふたりもらう気でいる。――あんたにとっては不満だろうけど」

 

「あなたにとっても、でしょ?」

 

「……生意気」

 

「ふふっ」

 

 憎まれ口をたたくと、ネルが肘で小突いてくる。そのくすぐったさに、嬉しさがにじんだ。

 

 ――こんなことをふたり同時に、というのは、俺も倫理的にどうかと思いますが。

 

 風の試練の終わりで告げた言葉を、ネルやクレアが揺れても、アレンだけは抱いている。

 ふたりは、窓から見える三つの月を見上げていた。

 一番左側の――夜空を照らす月のなかでも、もっとも大きく目立つイリスの月は、今夜、手首に刻まれた紋様と同じ、三日月だった。

 

「毎度のことながら、頭のネジが飛んでるよ。ホント。――もし」

 

 ふと、ネルが言いよどむ。

 その不安を察して、クレアがそっとネルの手の甲に手を重ねた。

 

「もし、月の紋章が私たちでなく、ほかの人に刻まれて彼を巻き込んでいたら……」

 

 ネルがこちらを見る。

 ふたり、息を殺して押し黙った。

 ネルは小さくため息を吐くと、切なげに目線を落としていった。

 

「きっと見捨てないよ、あいつは。だれが相手でも。

 全部ひとりで抱え込んで、最善手にたどり着こうとする。……そうするだけの実力もある。わかってる、わかってるんだ……けど」

 

「ネルも、気になるの? 彼のこと」

 

 ネルはうつむいたまま、しばらく答えなかった。

 

「……あいつは、自分の痛みをかえりみない。私が気づかず寄りかかっても、きっと笑って受け入れる。だから、怖い」

 

 クレアは唇を噛み締めた。

 戦場では頼もしかったアレンの即断、情の深さに救われながらも、ネルも苦しんでもいる。

 この複雑な想いをわかり合えるのが、誰よりも信頼できるネルであるのが嬉しかった。

 胸元で拳を握りしめる。

 

「ネル。私ね、置いていかれるのが怖かったの。あなたとアレンさんに」

 

 ネルは答えず、窓から月を見ている。その静かな気配に誘われて、言葉は自然とあふれ出た。

 

「あなたたちはとても近くにいて、言葉にしなくてもわかりあえるから」

 

「違うよ、クレア」

 

「え……?」

 

「言ってるだろ。あいつは、独りなんだ。特に卑汚の風事件以降、そう(・・)しなきゃ(・・・・)いけない(・・・・)って自分を縛ってる気がする。――だけど」

 

 ネルがまたたいて、わずかに視線を落とす。

 唇の震えをごまかすように笑った彼女が、クレアを見た。

 

「だけど……。あんたと愛し合ってるあいつは、ただの男だった。――……私じゃ、あんな顔……」

 

「…………ネル……」

 

「私も、クレアみたいに見てほしかった」

 

「私は、ネルみたいにあのひとに傍にきてほしい」

 

 複雑なネルの表情につられて、本音がこぼれていく。

 ネルはクレアの言葉に、ぽかんと目を丸くした。うらやまれるなど、みじんも思っていなかった顔だ。

 しばらくの間を置いて、彼女が左目だけ細めて苦笑した。

 

「……冗談きついよ、クレア。あいつ、本性は悪魔だからね? 近くにいたって、べつにいいことなんか」

 

「でも好きなんでしょう?」

 

 悪態つこうとした彼女を、無意識に押し止める。

 アレンを『悪魔』と称するのはネルだけではない。マリアや、フェイトもだ。

 クレアの知らないアレンの一面をぼやくネルは、シーハーツ軍よりも『旅の仲間』を優先しているようで、気に入らない。

 気づかぬうちに頬を膨らませていると、ネルがため息混じりに肩をすくめた。

 

「その言葉で後悔しなきゃいいけど」

 

「もう! 真剣に話してるのに、ネルったらひどい!」

 

「そう言ってられるあんたが、うらやましいだけ。ここから先は、覚悟しなよ」

 

「そっくりそのままお返しします!」

 

 ぷいとそっぽを向いたとき、司祭室の戸が開いた。アレンだ。

 彼は無表情のまま部屋の中央で足を止めると、クレア、ネルを順に見た。

 

「……明日、俺は王都に戻る。ふたりはここで待機を。村長に話して、もう少し快適に過ごせるよう手配する」

 

「なにがあったの?」

 

 すかさずネルが問う。

 アレンの顔は気難しいままだ。

 

「光牙師団が動いた。援護してくる」

 

「両師団長(わたしたち)抜きで対処しようと言うのですか」

 

 クレアが戸惑いに眉をひそめると、アレンがわずかに視線をやわらげた。

 

「相手は、ふたりの知り合いかもしれません。指揮官の動揺は絶対に避けたい。俺とフェイトにも女王特権はあります。ご心配なく」

 

「その割には、小難しい顔してるじゃない」

 

 ネルが刺すように指摘すると、アレンは静かに顎を引いて認めた。

 

「……師団が決定打に欠ける状態で逮捕に踏み切った。フェイトとマリアなら逮捕自体は完遂できるが、妙な巻き添えを喰わせるわけにはいかない」

 

「王都の混乱が長引く恐れがある……。だから、アレンさんは戻るのですね」

 

「ええ」

 

「いますぐ行かなくていいの?」

 

 ネルの問いにアレンは口を開きかけてクレアを見、「まあな」とだけネルに返した。

 いまのクレアは万全ではない。

 ネルも察して、視線を泳がせる。

 

「……それ(・・)。一晩くらいで、どうにかなるの?」

 

「詳しくはないが、いますぐよりは。――それで、ネルとクレアさんの話は落ち着いたのか」

 

 アレンに問われて、クレアとネルが顔を見合わせる。

 質問の意図が読めない。

 同じく眉をひそめたネルの顔を見つめながら、これまでのことを思い返す。

 

 事の始まりは司祭室だ。ネルとクレアがここに待機して、クレアだけがアレンに会いに行き、結ばれた――ところを目撃したネルが、廃教会を去っていった。

 

 アレンからすれば、月の洞窟でまとまったはずの話が、クレアとネルのやりとりでこじれていった、と解釈したのだろう。

 ネルが半眼になって両腕を組む。

 

「こっちは、あんたほど単純じゃないんだよ。クリムゾンブレイド(私たち)は王国の象徴でもある。それを両翼とも、なんてだれが聞いても無茶な話さ」

 

「……ネル……」

 

「クレアさんも、同じお考えですか?」

 

 アレンに問われて、クレアが頬に垂れ落ちた横髪をかき上げた。

 

「……無茶なのは、たしかです」

 

 相手の答えが予想できず、クレアが所在なく視線をさまよわる。

 アレンが、ネルとクレアの微妙な空気を読んで「そうか」とだけこぼした。

 クレアが息を殺してアレンの動きを待っていると、やがてゆっくりと近づいてきて、ネルとクレアを両腕で抱きしめた。

 

「……わっ」

「ア、アレンさん?」

 

 戸惑っているふたりに答えず、アレンは抱き寄せたふたりの肩に額を寄せて、目を閉じている。

 数秒、間があった。

 

「必ず、道を切り開く。だからもう少しだけ、待っててくれ」

 

 決然と放たれた言葉に、クレアは胸の奥が痺れるのを感じた。彼の頬を撫でると、アレンがかすかにクレアをふり仰いで見つめてくる。

 おだやかな微笑みが、クレアの口許に広がった。

 

「私も、あなたといたい。いつまでも」

 

 心を込めて伝えた言葉に、アレンが一瞬、瞳を潤ませたように見えた。

 

「…………んぅ」

 

 気づけば、口付けられている。頭から足先まで、幸福感に満たされてアレンにしなだれかかると、背中にまわった大きな手が、ゆっくりと背筋を撫でてきた。

 離れたアレンが、静かに微笑む。

 つられてクレアも微笑んでいると、ネルの、驚いた顔がふと視界の端に映った。

 

「……あんた、もしかして甘えてる?」

 

 ネルが物珍しさに目を丸めたまま、アレンを覗き込む。

 アレンは答えない。ただ抱きしめる腕の力が少し強くなった。

 

「んっ……!」

 

 ネルのくぐもった声。矛先を変えたアレンが彼女の顎を取って上向かせ、口付けたのだ。

 クレアの胸がちりりと痛んだ。

 アレンから解放された途端、ネルの眉がつり上がった。

 

「ちょっ!」

「減らず口分だ」

 

 アレンがつぶやき、ネルに先を言わせず、また口付ける。

 二度目のキスはネルの抵抗も始めだけだった。次第に深く、とろけるような息をこぼして応じていく。

 情熱的なふたりのキスをまえに、クレアは思わず頬を膨らませた。

 

「……やっぱり、ネルばかりずるい」

 

 唇の尖ったクレアの顔に、アレンが気づいて、慌てたように目を伏せた。

 

「……あまり、煽らないでくださいクレアさん。俺にも一応、節度というものが……」

 

 言いながら、クレアの背中を撫でていた手が、言い訳するように指先に降りて、きゅっきゅと握ってくる。

 アレンの視線は、あてどなく中空をただよった。

 ネルの冷めた声が、空気を切り裂く。

 

「ふーん。クレアにはそんな顔するんだ?」

 

 ぴくりとアレンの目尻が動く。ネルが憮然と両腕を組んで、アレンを睨んでいる。

 

「だれかと違って素直だからな。こっちは二度も(・・・)、いいところを切りあげられてるんだ」

 

「……なっ!」

 

 ネルが頬を引きつらせて後ずさった。

 クレアはとっさにアレンの意図がつかめず、首を傾げる。

 

「あ、あんたデリカシーなさすぎ!」

 

「これくらいハッキリ言わないとわからないだろ、お前は」

 

 風の試練でネルと繋がったときに淫魔によって精神世界を壊され、廃教会ではクレアと交わった直後にネルが逃走してそれどころではなくなったことを、アレンはきっちりと根に持っている。

 ネルが察して赤面するも、傍らでクレアが無垢にまたたいているのを見て、我に返った。

 

「だっ! だから、そんなすぐに決められないって言ってるでしょ!」

 

「だから、今回は(・・・)待った。次に俺がどうするか、楽しみだな? ネル」

 

「あー、うるさいっ! この話はもう終わり!」

 

 ネルがそっぽを向いて強制的に話を切ると、アレンが名残惜しげにネルを見ながら抱擁をほどいた。

 クレアはアレンの胸元に寄りそったままだ。

 

「……クレアさん?」

 

 不思議そうにアレンに尋ねられてもクレアは離れない。

 やがてそっぽを向いたはずのネルのほうから、突き刺すような視線が注がれてきた。

 クレアがネルを意識したまま、アレンの胸元をギュッと握りしめる。 

 

「そうやって、すぐふたりの世界になるんだもの」

 

「え?」

 

「私はここを離れません。王都にも、アレンさんとともに帰ります」

 

 クレアが決然と告げると、アレンの瞳が揺れた。

 

「クレアさん。いま王都は混乱していて――」

 

「嫌」

 

 アレンが二の句を呑み込んだ。動揺に揺れながらも、その蒼瞳にかすかな喜びがにじんでいる。いつも通りの無表情を装って、頬を淡く染めた彼は、数秒押し黙ったあと、目を閉じた。

 こちらを見るときには、もう一切の感情をにじませない。

 

「俺も、片時も離れたくない想いは同じです」

 

「……アレン」

 

 クレアもまた、別れの言葉を告げさせる前に、アレンの首にギュッと巻き付いた。こぼれる金髪に頬を寄せると、アレンが息を詰める。

 高鳴る彼の鼓動を聞きながら、クレアは続けた。

 

「私には、女王の刃として軍を率いる責務があります。あなたが守ってくれるのは嬉しい。嬉しいけれど、私も、ネルも、王国の危機には立たねばならないクリムゾンブレイドです。だれが相手であっても、それは変わりません」

 

「…………クレアさん……」

 

「……だから、置いていかないで」

 

 どさくさにまぎれてこぼした本音を、どう聞いたのかはしれなかった。

 ただ遠慮がちだったアレンの腕がゆっくりとクレアの体に巻き付いて、抱きすくめてくる。

 長い沈黙があった。

 クレアの後頭部を撫でる大きな手が止まって、アレンの喉がわずかに鳴る。

 

「わかりました」

 

 耳もとに落ちた低い声に、体の芯がしびれる。

 強く抱きしめると、アレンもまた、きつく抱きしめ返してきた。

 

「ともに、帰りましょう」

 

「ええ。もちろん」

 

「ネルも、こっちへ」

 

「いや、私は――わっ!」

 

 アレンに抱きすくめられたらしいネルが、自分の反対側で慌てている。

 クレアもアレン同様、ネルとアレンを両手で抱きしめて、ゆっくりと目を閉じた。

 

(……我々に、アペリスのご加護がありますように)

 

 後ろ盾はなにもない。

 ただ、ともに生きたい。

 その想いだけが、いまの真実だった。

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