ドラゴンクエストー堕ちた光の戦士と女神の勇者ー 作:ルビス
初めて瞳を開けた時に感じたのは全身を蝕むような使命感だった。
真っ白な記憶と心の中で、その使命感だけがまるでキャンバスに垂らされた一点の染みの如く強烈に存在感を放っていた。それをなぜ感じるのか自分にはわからない。誰から命じられたのか、それが自分の意志なのかさえ分からなかった。
ただあるのは、初めて息を吸うよりも前にこの身に刻まれた二つの言葉だけ。
――邪悪なる者たちを滅ぼせ
――囚われた光の戦士たちを救い出せ
邪悪な者たちは何なのか、光の戦士たちとは一体誰の事なのか。何一つ分からないまま。だけど体と心はその使命を果たさんと昂っていた。目覚めたばかりの自分の意志をどこまでも置いてきぼりにしながら。
何一つ分からなくても、使命を刻まれた心は勝手に反応していた。開けた瞼の下の瞳に初めて映った草原、その近くから何か形容しがたい嫌な気配を嗅ぎつけると、考えるよりも先に体が動いていた。いたのはよくわからない生物。ないはずの記憶に、あれが魔物なのだと、あれが邪悪な者たちの尖兵なのだとなぜか確信と共に刻まれる。それから自分は魔物を殺して、殺して、殺しまわった。存在を嗅ぎつければ駆けだして、意味もわからずその身を打ち倒していく。
そこに殺意はない。そこに嫌悪はない。ただ身を焦がすほどの使命感だけがあった。
お腹が空いた。――まだ魔物がいるぞ
もう気の遠くなるほど殺している、そろそろ休もう。――あの森から魔物の気配がする
なぜ自分は魔物を殺しているんだ?――そんなことより、魔物の気配だ、殺さなくては
ようやく物事を考えられるまでになって来た意志を押し潰すほどに、心が魔物を殺すことを求めていた。体が彼らを駆逐する事を求めていた。
自分は、記憶を失う前に一体何があったのだろうと、自問してしまうほどにそれは強い執念だった。
少年がようやく落ち着くことが出来たのは、目覚めてから二日経ってから。ようやく意志でその衝動を抑えられるようになった少年は、空腹を満たすために森で山菜を口にした。なぜか、疲労は感じなかった。
そしてそこで、少年はようやく人に出会えた。少し一悶着あったが、その後の彼らとの交流と、彼らの村での日々は幸福と呼んで差し支えない日々だった。
きっと光の戦士たちとは彼らのことで、それを助けるのが俺の使命だ。
少年はそう確信した。――それは違うと心が言った
これからもここで暮らしたいな。――邪悪なる者を滅ぼさないと
酒場の仕事も板についてきた。――光の戦士たちを救い出せ
明日はどこで手伝いをし――滅ぼせ、救え、滅ぼせ、救え、滅ぼせ救え滅ぼせ救え、邪悪を、光を、邪悪を光を、滅滅滅救救救
村人たちと話している時も、酒場の小部屋で着替えている時も、給仕の恰好をあらくれの頭に指摘されて苦笑している時も、少年の心は、体は、使命を成せと思考を塗りつぶして叫んでいる。
少年は笑顔だ。どんなに辛くても、この平和を意味もわかない使命で無くしたくなかったから。
外から、商人の到来を告げる声が響いた。
邪悪なる者を滅ぼせと言う声が一層強くなったのを少年は感じた。
*****
いつもの村の風景を打ち破るように、その馬車は佇んでいた。と言っても何か異様な見た目をしていたとかそう言う訳ではなかった。普通の馬車引き用の馬とそれを操る御者、そしてそれに引かれる白いケープで覆われた大きな荷車の部分。ケープの内側が分からないことを除けば、何ら怪しいところのない普通の荷馬車だ。荷物を隠すのも、誰かが盗んで行かないようにするためだと思えば不自然ではない。
では何がその馬車を異様たらしめるのか。それはその馬車を見る村人たちの視線であった。誰もがその馬車を、恐れるように見ていた。厳密には今もケープで隠された荷車の中にあるものに。
少年が読み取ることが出来たのはそれぐらいだった。もっと言えば、彼らが抱く恐怖がその荷車の中身が怖いと言うよりも、それによってもたらされる何かを恐れているような感じを少年は覚えた。
そして観察しながら、少年は
そんな少年の視界を遮るように馬車と少年の前に大勢の男たちが並んだ。それは少年の様子に気づいてそうしたと言うより、少年が馬車の持ち主たちから見えないようにするためのようで、また少年に荷車の中を見せないようにするためのようであった。それでも、その僅かに空いた隙間から少年は目を凝らすことでその馬車の周辺を見ることが出来た。
「これはこれは、一月見ない内にずいぶんと様変わりしたものだ。そんなに次の便器が恋しかったのかぁ? ククク、これだから底辺の連中は」
あからさまにこちらを見下す響きと内容を、馬車から降りた男が口にした。御者とは別の、おそらく馬車の持ち主と思う太った男だった。その後ろに御者が控えるように並んだことから、彼が商人だと少年は確信に近い思いを抱く。
一方侮蔑の言葉を受けた村人たちの中に、表情を怒りや不機嫌なそれに変える者はいない。皆が愛想笑いを浮かべその通りですと言わんばかりに頷きながら、その男の言葉を肯定していた。
少年はその関係性に疑問を覚えた。今も心が頭痛を起こすほどにうるさく訴える使命感を抜きにしても、それは商人と買い手の関係ではないのではないかと。まるで、奴隷に食事を与える横暴な主人とその奴隷のようで。
「あ、あの、商人様。は、はるばるこ、こんな辺鄙な村まで、き、来てもらったところで、そ、その申し訳ないんですがっ」
代表するように前に出た村人、少年に部屋を貸してくれたジャンクさんだ。この村で一番良い家――と言っても都市の家と比べればボロ屋も良い所だが――に住んでいて、少年にその部屋の一室を貸してくれた少年にとっては大恩あるひとだ。
その彼があからさまな恐怖を浮かべ、まるでライオンの檻に入ったかのように口を震わせながら商人へと話しかけた。それにギロリと睨みを効かせた商人に、「ヒッ」と情けない声を漏らしたジャンクはしかし、一瞬だけちらりと少年が居る方に視線を向けると、再びこの世の重力が何十倍にも上がったのではないかと言うほどに重く感じられた口を開いた。
「も、もう、俺ら、べ、便器は、い、い、いらない、です」
そう言い切った瞬間、動揺を浮かべたのは商人たちの方であった。限界まで目を見開き、信じられないとばかりの表情を顔に貼りつけているのが少年の居る場からでもわかった。
「な、何を馬鹿な事を!!? お前たち、本当に便器はいらんのか!? 下等な人間風情が強がったところで意味などないぞ!!」
集まった村人全員を見回しながら叫ぶ商人たちの言葉に、誰も反応する者はいなかった。全員ビクリと身を震わせながらも、先の代表者であるジャンクの言葉が村の総意だと言わんばかりだった。
「~~~!!? ならこれを見てもそう言えるか!? 今日の便器はかつて城で飼われていたペットが飽きられて便器堕ちした者だ! 布を外せ!」
激怒し顔を赤く染めた商人が、少年には理解できない言葉を吐き捨てた後、隣に立っていた御者へと命令した。
バサッと男の手によって荷車にかけられていた白いケープの布が剥ぎ取られる。同時に、少年の前に立っていた男たちが慌てたようにその人壁を厚くした。だが、少し遅かった。少年の目には確かにその荷車に積まれた中身が見えてしまった。
それは人だった。女性だ。檻の中に閉じ込められた全裸の女性だった。元は綺麗な金髪だったであろうものが今ではボロボロに色褪せ、古びた箒のようにぱさぱさになっているのが遠目にも分かる。目に生気はなく、焦点の合っていない瞳が虚空を映している。全身には暴行を受けたと見られる痣や傷がろくな手入れもされずに残っており、胸の中央が黒ずみ、乳輪とは本来ピンク色だと言う知識しかない少年にはそれもまた酷い暴行の結果そうなったと認識した。
そして同時に理解する。彼らの言っていた便器が何を指すのかを。瞬間、少年は宙を舞った。一切の助走もなく、足腰の力だけでその身を浮かせた少年は、威張るように荷車に積まれた女を見せびらかす商人と向かい合っているジャンクとの間に、まるで蝶のように欠片の雑音も響かせることなく着地した。
「な、なんだ!!?」
驚きの声を上げたのは、商人と村人の両方であった。突如自分たちの前に現れた透き通る黒髪をポニーテールにして、女物の給仕服を身に着ける美しい容姿をした人間の存在を確認すると同時に、村人たちはその顔を絶望の表情に染め、商人たちは光悦とした表情で固まった。
「先に断っておきます。私はまだこの世界の情勢、常識、歴史を詳しく知りません。その上で、それでもこれを見過ごすわけにはいかないと思ったからこそ、ここで今あなたたちに意見します。女性へのその扱いは、とてもではないが看過できるものを越えている」
地の底から響くような声だった。村人たちの誰もが少年の口から聞いたことのないほどの、温かみと言う単語が一切抜け落ちてしまったと言わんばかりの冷徹な声色に背筋を震わせた。いつも見る者をうっとりとさせる少年の黒髪が、今では死神の纏うマントにしか見えなかった。光悦とした表情を浮かべて唖然としていた商人たちが、自身たちを見つめる紅い瞳から放たれる重圧にその表情を今度は別の意味で凍り付かせた。人間がなぜこれほどの威圧を放てるのだと。
「お、女、貴様どうしてこんな村に。ど、どこから逃げて来たんだ!?」
震える声で最初に言葉を発したのはジャンクと喋っていた商人の方であった。心胆を寒からしめたこの少女の威圧を跳ね除けようと大きな声で叫び、彼らにとっては当然の疑問をぶつける。
言うまでもなく、商人たちもまた少女が少年であることに気づいてはいなかった。そもそも普段の服装をしていても絶世の美少女としか思えない少年が、酒場の女物の給仕服状態で現れたのだ、気づく方が無理と言う話しだ。
「この世界の女は全て、教団に管理されているはずだ!! 貴様のような美貌を持った女が、こんな辺境のクソみたいな村にいるわけがない!! どこの城から抜け出して来たぁ!!」
少年は無言。一瞬、教団と言う単語に僅かに反応したがそれだけだった。依然として、見るだけで心を振るいあがらせるような冷徹な顔を商人たちに向けたまま。
静寂は数秒であったはずなのに、村人たちは何十分も少年と商人は睨み合っていたのではないかと錯覚するほどに、空間を取り巻く空気は重く、息苦しかった。
沈黙に耐えかねたように、少年を睨む商人が懐から何か棒状の物を取り出した時、ようやく少年が口を開いた。
「あなたの問いには答えられない。私は記憶喪失で、つい一月程前にこの村の近くの草原で目覚めた。それ以外の事は何も知らない」
それは厳密には嘘だ。今も精神を蝕まんとする強烈な使命感が自分にはあった。だがこれは説明しようもない物として、少年は言わずに置いた。
「さあ、望む言葉ではなかったかもしれないが。こちらは一つ、あなたの問いへの返事を返した。次はあなたが私の質問に答えて欲しい。なぜ、その女性にそのような扱いをする?」
言外に話し合いで持ってこの場は進めようと、武器らしきものを取り出した商人を牽制する意味合いも込めて少年は問を発する。この場で争えば、周りにいる村人たちにまで被害が及ぶのは明白だ。
後ろ手に村人に避難するように伝える。だが、少年の豹変となぜか絶望した表情で立ちすさんでいる村人たちはその場を動こうとしなかった。少年はそれに僅かに悔し気な思いを感じながらも、彼らを責めるのはお門違いだと自分を戒める。
幸運な事に、商人は少年の問いに乗って来た。それが少年から感じる威圧感に、この少年と戦う事を無意識に恐れての物だとは商人自身も気づいてはいなかった。だが、商人が次に発した言葉は少年にとって予想外に過ぎるもので。
「なぜだと!? 便器だからに決まっているだろう! この村にいれば知ってるだろう!! なんせ便器を求めたのはこの村の者たちなんだからな!!」
ばっと少年が驚きの表情と共に後ろにいた村人たちに振り返る。そして全員の表情を見た。薪割りのトムさんを、部屋を貸してくれたジャンクさんを、自分を襲って撃退されて以来自分の舎弟を名乗るホックスを、酒場の店主のホフマンさんを、自分をここに連れて来た山賊たちを、他にも、他にも―――最後にあらくれの頭を見た。
嘘だと、言って欲しかった。
村人たちは全員、少年から目を逸らした。それが何よりの証拠だった。
「――――――えっ?」
それは、先ほど死神のように恐ろしい声を発した者と同じ口から出たとは思えないほどに弱弱しくて、まるで大好きだった親に捨てられた子供が漏らしたような―――絶望の声だった。
直後、ドンッと言う異音と共に少年の体が吹き飛んだ。少年の体は宙を舞い、そのまま現れた瞬間を逆回しするかのように酒場の方へと飛んで行き、新品の扉を突き破り内部へと突っ込んだ。村人の誰もがその光景を唖然と見るしかなかった。そして遅れて、少年を吹き飛ばした原因、商人の男へと目を向けた。
その手に持っていた身の丈ほどの長さの杖を、先ほどまで少年が立っていた場所に向けるその様は、商人が何かしらの魔法を少年に向かって放ったのは一目瞭然であった。
少年が視線を外し村人たちへと目線を向け、周りを包んでいた威圧感が消失した瞬間に、商人は持っていた杖から【ベギラマ】を放つことで、完全な不意を突いたのである。だが、それは商人が意図してやった物であると言うとそうではなかった。少年の放つ無色の重圧が、商人自身も知らぬ間に、彼の緊張の糸を無意識に張り詰めさせていたのだ。それが唐突に消えた時、彼の限界にまで引き絞られた糸はプツリと切れ、思わず呪文を唱えていた。それが図らずも少年の意表を突き、吹き飛ばすことに成功したのは間違いなく商人にとって望外の幸運だろう。
「は、ははははは、馬鹿め!! 何を呆けたのかは知らんが今の一撃を食らって矮小な人間が意識を保てるわけがない!! 都市へと帰る傍らどこから逃げ出して来たのか、その体にたっぷりと聞いてやるわ!!」
自身を恐怖させた存在の打倒に、商人の男が気を強くして笑い声を上げる。それどころか、あの美しい女神の如き少女の体をこれから貪れるのだと言う興奮が、彼の精神をさらに昂らせていた。
御者に目配せをした商人は、絶望で恐れおののき酒場までの道を開けてしまう村人たちを後目に、その開いた道をまるでレッドカーペットを進む王者のように堂々と進んで行く。
誰もが、それを阻むことが出来なかった。
誰もが、自分たちを変えてくれた少年がこの邪悪なる者の手に渡ってしまうことを止めることが出来なかった。
誰もが、自分たちに温かな笑みを向け、親愛を持って接してくれた大切な少年を助ける事は――――
本当に――?
「……まてや」
声が響いた。
低い、野太い声だった。
山賊の頭である、あらくれの声だった。
少年と最初に友誼を結んだあらくれが、壊れた酒場の扉の前で、立ちはだかるようにその腕を広げていた。
「なんのつもりだ、人間?」
商人の口から恐ろしいほど冷淡な声が、あらくれたちの頭である男に浴びせられる。少年が先ほど放った死神のような、地獄の寒さを連想させたようなそれに比べれば生易しいものであったが、それでも多少腕が立つとは言え普通の人間であるあらくれを威圧するのには十分なものだ。
「ここから先には行かせねえってことだ」
それでも、男は小動もしなかった。それどころか愛用のてつのおのを構え、死んでもここは通さないと、城を守る門番の如き覚悟を持って、商人へと宣言した。
ピキッと商人のこめかみに罅が入る。その瞬間、商人の纏う雰囲気が一変する。いやそれどころか、商人の姿形が変わって行く。今まで普通の人間の姿をしていた上から、いつの間に身に着けたのか白い仮面が商人の顔を覆っていた。体を覆う服装が、白いローブに紫色のマントを纏った姿へと変貌する。その姿はまるで魔法使いのようだ。
いや、真実彼は魔法を使う悪道に堕ちたる【ようじゅつし】。正真正銘の魔法使いであり、その身を魔物に墜とした邪悪なる者の一人である。
「もう一度聞いてやろう、人間。…………何と言った?」
手にした杖をあらくれへと向け、目に見えるほどにその先端に魔力を込めながら、ようじゅつしは言った。その先端に溜められた魔力が解き放たれれば、いくらあらくれの中で最も強い彼でもただでは済まないだろう。しかもこれは、先の忘我の状態でつい放ってしまった中途半端な魔法ではない。然りと対象に狙いを定め、魔力の溜めを入れた本気の一撃だ。死体が残るかさえ怪しいだろう。
「通さねえって言ったんだ。その顔を覆う頭巾には耳元に穴開いてねえのかよ」
一の次は二だと、あたりまえのことを告げるような調子で、あらくれの頭たる男は、少年に温かい感情を貰った男は言葉を返した。巌の如き覚悟がそこにはあった。
「――――そうか」
「なら死ね。【ベギラマ】」
先端に溜まった魔力が無色から赤色に変わった瞬間、杖から真っ赤な業火が放たれた。周りを迸るように駆け抜ける炎の波が蛇のようにあらくれへと殺到する。宙を舞い、遮る者全てを飲み込まんと二百度にも達する熱を持って襲い来るそれを人間に躱す術などない。誰かが「あっ」と言葉を発する間もなく、その炎はあらくれを飲み込み――
ドンッと言う音と共に、あらくれと炎の間にテーブルが降って来た。
「!!?」
それにあらくれが反応するよりも早く、彼の首根っこが後ろから掴まれ、思い切り後方へと引っ張られる。数瞬して、テーブルをただの灰の塊にまで燃やし尽くしたベギラマの火が、あらくれの居た所に着弾した。しばらく地面を焼き尽くした後、炎はまるで目的は果たしたかのように消えていく。自然の火ならばありえない消え方。これが魔力によって作られた火の形をしただけの魔力の塊であることの証左であった。
店内に引っ張られたことで倒れたあらくれの横を通り、彼を助けた者の姿が壊れた扉を通って露わになる。それは純黒の綺麗な長髪を頭の上で一つに纏めた、女用給仕服を着た女神のような容姿をした少年だった。その衣服には多少の焦げ目が付いているが、逆に言えばそれだけで、不意打ちでベギラマを至近距離で受けたにしてはあまりにも外傷がなさすぎた。
「な、どういうことだ!? 我の魔法を受けて、気絶しなかったならまだしも、ほとんど外傷がないだと!! ありえん、何をした貴様ぁ!!?」
少年は再び無言だった。俯いたその表情からは、如何様な感情も推測する事が出来ない。
だが、少年がした事は単純で、だからこそ常人には理解できないものだった。
少年はベギラマが放たれる瞬間、確かに大切な、それこそ初めて感じる、家族に近い親しみを持っていた村人たちの残酷な真実を知って忘我の状態になっていた。普通、あの状態であればどのような達人であろうとあの至近距離からの攻撃に対処するなど不可能に近い。
普通ならば。
茫然自失の少年を動かしたのは、誰ならん少年自身の中で呪いの如く叫び続ける使命感であった。空白の意識に変わって「邪悪なる者を滅ぼす」と言う使命感に基づき動き出した少年の体が、本来なら絶対に防げない距離からのベギラマに対し即応、持っていたひのきのぼうを残像が完全な形で残るほどの速度で振るい迎撃したのだ。
さらにひのきのぼうとベギラマの火がぶつかったことで生じた衝撃に耐えるのではなく、逆に体を衝撃に沿って浮かせることでそのインパクトを軽減、吹き飛ばされた先でも見事な受け身を取ることでほとんどのダメージをなくしてみせた。
だが代償もないわけでなかった。ベギラマの火とぶつかったひのきのぼうは粉砕。元々ただの棒程度の強度しかないものを、音速の速度で振るったのだ。その時点で箍はとっくに切れていたし、ベギラマを防いだ時点で大金星の活躍と言えよう。
そこまでを使命感に支配された体が本人の意志を無視して勝手にやったのだから、常人に理解しろと言うのが無理な話だろう。
受け身を取って酒場とは思えない綺麗な床に着地した時にようやく少年の意識は忘我の状態から復帰。だが、その心は依然として暗闇のままで、精神の均衡などとても取れてはいなかった。
それでも、前方から感じられる魔力の収束に心と体が反応し少年の顔を無理やり前方に向けさせる。
壊れた扉の先に大柄な男の背中が見えた。
少年にあらくれの言葉は届いていなかった。
少年を死んでも守ろうと立ちふさがった一世一代の男の意地を少年は見ていなかった。
少年の心は、今も暗闇に包まれたまま。
それでも彼の意志はあらくれを助けに走っていた。
邪悪なる者を滅ぼせと訴える心を無視し。
邪悪なる者の討滅を優先しろと主導権を奪おうとする体を封殺し。
少年は店内のテーブルを掴んで、その細腕ではありえないほどの怪力を持ってちょうどあらくれの前方に来るようにコンマ一秒で力の加減と投げる角度を弾き出し、投擲した。
狙い通りの場にテーブルが着弾、一瞬の防波堤となっている隙にあらくれを魔法の範囲外まで回収すると言う荒業を、少年は成したのだ。
その心を今も絶望で覆いながら。
武器も無く、精神の支えもない。村人たちの顔を見るのがたまらなく怖かった。どうしようもない孤独を感じながら、少年にとって目覚めて初となる、意志持つ魔物との戦闘が幕を開ける。
使命を成せる事を喜ぶ心と体が、少年の意志と反するように昂っていた。