ドラゴンクエストー堕ちた光の戦士と女神の勇者ー 作:ルビス
眼下に密集する魔物たちの姿を見据えながら、ルビーは頭の中で敵全員の戦闘能力を分析していた。
初手の不意打ちを防がれたのは手痛かったが、それでも一時目下最大の警戒対象であった魔法使いであるマリアを戦線離脱させる事は出来た。彼女がかなり優れた魔法使いであり、大量の魔物を相手取りながら対処するのは危険すぎると、ルビーは遠めに見えた火事を掻き消した風の爆発から判断していた。そしてマリアを気絶させられなかった段階で、ルビーは魔物側の数を即座に減らす事に方針を変更したのだ。
ムームンが立ち直ったことで仕切り直しの意味をこめて一時二階にまで避難したが、すでにこの時点でルビーは館に帰って来た魔物の半分近くを屠っていた。突然の奇襲で防御も何もなく会心の一撃を叩きこまれた魔物たちはほとんどが即死。僅かに【オーク】が元来の皮膚の分厚さによる防御力の高さと巨大な体格に見合った体力の総量で討ち取る事は叶わなかったが、そのオーク数体には近くにいた魔物を巻き込んで倒れるように斧を振ったため、今は無傷の魔物たちを押さえつける文字通り重石の役割となっている。
残る魔物はオークが一体、【しにがみ】や【くびかりぞく】が三体ほどに【ヒババンゴ】と【あくまのめだま】が数匹。そしてその首魁であるムームンこと【じごくのつかい】が一人。
この中で危険なのはやはりムームンだろう。見るからに破壊力が高そうなモーニングスターはもちろんだが、恐らく魔法も操るとなれば危険度はかなり高い。それでも先の奇襲で狙わなかったのは、一撃や二撃程度では倒す事は難しい事と、今のルビーにとっては個の強さよりも数の強さの方が厄介であったからだ。
ルビーの服装は未だぬののふく。数で囲まれて攻撃を躱す事も出来ずに一撃を食らってしまえば、それがたとえかすっただけであろうと、その攻撃のダメージをもろに受けるのだ。そうなれば回復手段のないルビーにとっては痛みを堪えながら戦いを継続する事になる。だからこその質より量を減らす作戦だったのだ。
マリアが外に吹っ飛んでからまだ八秒と経っていない。復帰するにはまだ数秒かかると推測し、ルビーは二階の吹き抜け廊下から全体の位置関係を確認、即座に最も倒しやすい順番を導き出しその最初の一体目へと、手すりをひしゃげさせるほどの脚力で踏み抜き眼下の魔物へ向けて飛び込んだ。
「グギャァ!!」
落下速度も加えた斧の上段から振りかぶった一撃にヒババンゴが短い断末魔と共に絶命。返す一撃で下段から左斜めに振り上げられた斧を、隣で佇むしにがみに叩き込む。しにがみを構成する骨がバラバラに砕け散り、その骨がカーペットの上に降り注いだ時にはすでにルビーは別の魔物へと斧を振りかぶっていた。
「……!! おのれこの小娘がぁ!!!」
流れるような澱みのない一連の動きに真っ先に反応したのは、やはりこのカザーブを支配するムームンであった。地を踏みしめ、今まさにあくまのめだまを叩き割ったルビーへとその手に持つモーニングスターを叩きつけんと飛び掛かる。魔物の並外れた脚力は僅か一歩でルビーとムームンの五メートルの間を踏破、右手に持つモーニングスターが斧を横に振り切った状態のルビーに叩きつけられんとする。
「しぃぃぃぃねぇぇごはぁっ!!?」
そのムームンの腹に、斧を振り切った力を止めずにそのまま体を反転、遠心力を利用したルビーの強烈な回し蹴りが叩き込まれた。体勢を崩したムームンが振り下ろした右手のモーニングスターはそのままルビーの僅か十数センチ先の床に激突。巨大な鉄球を高層から叩きつけたかのような衝撃が館一階の地面を揺らした。
今度はルビーがその揺れに体勢を崩された。回し蹴りを叩きこんだ直後で片足立ちだった体勢の中で生じた直近を震源地とした揺れに、ルビーは耐えられないと即座に判断。地に着いた足を蹴り、倒れる体の転倒地を強引に変更。横に反転するようにして倒れる事ですぐに体を起き上がらせ、同時に近場にいた傷つき倒れたオークとそれに押しつぶされる魔物を切り伏せる。
戦闘は誰が見てもルビー優位に進んでいた。追いすがるムームンとそれを躱し、あまりの速度に付いて行くことも困難な状態の魔物たちを屠っていくルビー。数秒と経たず、館内に残っていた魔物はムームン以外にはオークとくびかりぞくの二体になっていた。
「お、おおおおおお!!! ベギラマぁぁぁ!!」
理性さえも失ったような怒りの声と共に左手のモーニングスターを地に投げ捨てたムームンの空いた左の手のひらから、灼熱の炎が今まさにくびかりぞくと向かい合っていたルビーに襲い掛かった。
今までムームンが魔法を使わなかったのは単純にルビーの速さに追いつけなかった事と、ルビーがわざと配下の魔物が射線上に来るように位置を調整していた事で、彼自身の魔法の精度では巻き込む恐れが高かったのだ。これがマリアであったなら、針の穴を縫うような精確な魔法制御で魔物たちに当たらないようにルビーを狙う事も可能であっただろう。
そして今、ムームンはその同士討ちの危険を無視した。ルビーが囮のために起こした火事の炎に匹敵する高熱のベギラマの火の渦が、ルビーとくびかりぞくを飲み込む。
「ギエ──ッ!!」とくびかりぞくの悲鳴が響き渡った。
「やったか!?」
「やってない、なっ!!」
「──なっ!? ごはぁ!!?」
喜悦を見せたムームンの真横から振るわれた斧の一撃が、彼の左わき腹に命中。切断される事はなかったが、それでも斧の刃は深くムームンの体に食い込む。そしてそのまま、まるでバットでボールを打つかのように斧をフルスイングしたルビーによって、ムームンの体はゴムボールさながらに吹き飛んだ。
ルビーにとってムームンがいずれ彼の仲間ごと自分を狙って魔法を使うのは予想出来ていた。常に彼から注意をひと時も離さなかったルビーに、彼が魔法を使おうと手に魔力を溜めたことに気づくのは容易なことだ。
地面を何バウンドもするムームンに追撃をかけんとしたルビーの前をオークが遮る。先ほどムームンが仲間をベギラマで燃やすところを見ていたのにも関わらず、それでも彼を守ろうとするのは忠誠心が高いのか、はたまた理解する頭がないのか。どちらにしろルビーにとって目前のオークを排除すれば、ムームン以外の魔物を全滅させたことになる。遠慮する理由はない。
手に持つ斧を振りかぶりその頭に叩き込まんとした、その瞬間――
世界が白に染まった。
*****
「ガハァ……! グオオッ……!!」
身に纏う法衣を深紅に染めたムームンが血反吐をこぼしながら地を這っていた。その身に負うのはルビーによって付けられた傷だけではない。斧の一撃で吹き飛ばされた直後にその身を襲った爆発が、彼をボロ雑巾のように高く舞い上がらせて地面へと叩きつけた事で、ムームンの体は瀕死と言ってもいいほどのダメージを受けてしまったのだ。
痛む視界で捉えた自身の館があったはずの場所には、すでに大量の砂埃に包まれたかつて建物であった物の残骸しか残っていなかった。
あれほどの規模と荘厳さを持っていた館の外壁はすでに見るも無残に吹き飛んでおり、本来二階や三階のあった場所は完全に崩れ去っていた。内装などはほぼ塵同然、瓦礫に押しつぶされたかあの爆発で塵芥残さず蒸発したかのどちらかで、少なくともあの中にいた者は誰一人生きてはいないと確信させるだけの光景がそこにはあった。
ムームンが生きていたのは単純にルビーに吹き飛ばされた先が出口である扉の近くであり、そのおかげで館中央付近起こった白い魔力の爆発を余波だけを受けるに留める事が出来たからであった。
だがそれも、今の体の現状では寿命が数分伸びただけだ。必死に回復呪文を自身に唱えようとするムームンの思考を痛みが邪魔をして上手く魔力をその手に込められない。このまま死ぬしかないのか、そう思ったムームンの体に────
「【ベホマ】」
年若い少女の純情さと数多の色を知る女の妖艶さが混じったような声が響くと同時に、ムームンの周りを緑の魔力が包み込む。それはただの魔力でありながら、確かな温もりをかけられたムームンに与え、そして一秒と経たずにその温かな緑の光は傷口に侵入。胴体の三分の一を切り裂いた斧の一撃、全身に広がるルビーや爆発の衝撃で受けた打撲やかすり傷と言った、魔物の回復力を持ってしても完治に何日もかかるであろう重症を数秒で治療、その見た目を下手な健常者よりも健康そうなそれに変えた。
痛みが消え、しかし倦怠感までは癒すことはできないその個人を癒す回復呪文の中では最上位の魔法を放った当人へと、ムームンは感謝よりも先に怒りを覚えた。
「おのれ、この雌犬風情がっ!! 貴様、儂ごとイオナズンで吹き飛ばすとは何事だ!! その身、百回便器として使い倒してもなお足りぬ重罪だぞ!!」
その理由は単純明快。ムームンを瀕死にまで追い込んだ最後の一撃の下手人が、彼を癒した者、ムーンブルクの王女ことマリアであるからに他ならない。常人ならば恐怖で腰を抜かしそうなほどの剣幕で怒声を響かせるムームンを、マリアは呆れた者を見るような白い目で見つめる。
「ムームン様、あれは戦術上致し方ない事であります。あの少女の戦闘能力は正直申しまして予想以上と言わざるを得ませんでした。あの身体能力と戦闘技術、余程上手く魔法を放たなければ当てる事は出来なかったでしょう。魔物の皆さんが大多数犠牲になったあの段階でそれをするには不意打ち以外にございません。ですので、ムームン様の被害が最も少ないよう、館の扉前に吹き飛ばされた折に最大火力を持って仕留めるのが最善手でした」
「黙れぇ!! そんな事知るか! どんな理由があろうと、最底辺である雌がこの世界を統べる王である魔物の雄を傷つけた事実は変わらん! その子宮で今回死んだ魔物の数と同じ数だけの儂の子供を産むまでロマリアには帰れぬと思え!!」
マリアの理性的な言葉を、ムームンは一顧だにしない。彼の中を占めるのは雌に傷つけられたと言う怒りと、この責任を追及する事であのムーンブルクの王女の裸体を好きなように出来ると言う下卑た欲望だけだ。そこにもしマリアがあそこでイオナズンを撃たなければ、ムームンはルビーによって殺されていたと言う事実に対する感謝は欠片もない。この世界において、たとえ如何なる事情があろうとも雌が魔物を傷つける事はあってはならないのだ。
それはムームンの物言いに、一言も否定の意を述べる事が出来ないマリアの様子がその是非を物語っていた。彼女にとっても事の利がムームン側にあると判断していたのだ。あの場ではムームンを殺されないために、そして確実に襲撃者である少女を殺すためにああするしかなかったが、それでも雄を攻撃したのは事実。
火事を鎮火した場所で着付けのためにバギを使ったのとは訳が違う、文字通りの瀕死の傷を与えたのだ。ムームンが教団側にこの事実を告げれば、たとえハーゴット専用娼婦と言う肩書を持ってしても、ムームンの要求通りしばらく彼の専用孕み袋になる事は避けられないだろう。
心中で愛する主人の元をしばらく離れなければならなくなる未来に臍を噛むマリアの悔恨は、思わぬ形で破られる事になった。
「──!!? ムームン様、奴はまだ生きています!!」
「なっ!? 馬鹿な、ありえん!! あれほどの爆発を受けて……!」
倒壊によって巻き起こった砂埃が辺りを包むかつて館があった場所と隣接していた通りの向こう、マリアたちが居る場所と対になる位置にその人影はあった。無風のために風に流されずに残った土や砂が霧のように辺りを包む中に合って、その姿にマリアが気づけたのは幸運だろう。
「────バギ!!」
即座に手に持つ杖から風の刃を生み出す魔法名を唱えるマリア。それは攻撃の意味もあったが、同時に視界を遮る砂埃を消し飛ばすためでもあった。巻き起こった風が影に向かって直進、一秒と経たずその暴風を目的の存在が居た付近で解放、荒れ狂う緑の魔力と自然の風の複合が通りを埋め尽くす。
──やはり、躱された
晴れた視界に映るのは、謎の少女の切り刻まれた死体ではなく、バギの攻撃範囲外までその身を退所させた五体満足で立つ麗しい少女の姿だった。
だが、さすがにあのイオナズンを無傷で凌ぐことはこの超人的な身のこなしをした少女を持ってしても不可能だったのだろう。その身に纏うぬののふくと思われる衣服はすでに服としての機能が果たせてないほどにズタボロだ。男の欲情を誘うふくよかな太股を股下近くまであられもなく晒し、上半身の布はその大部分が千切れ飛び、その白く透き通る肌を胸辺りだけを残し僅かに隠すのみ。むしろ裸より色気を誘うその身には、いくつもの裂傷が覗いている。
マリアの顔が喜悦と光悦に染まった。明らかな負傷、しかもそれを癒していない事から回復手段を持っていない可能性が高い。今なら倒せると言う思いと同時に、その少女の容姿の素晴らしさにマリアの中で別の思惑が湧く。女である自分でさえもが思わず見惚れるのだ、男であり女を犯す事しか考えない下卑た思考を持ったムームンならば如何ほどか。
果たして、ムームンの顔はかつてないほどの美貌を持った人間の淫靡な姿に発情した猿の様に興奮していた。先ほどの怒りをも塗りつぶすほどの強烈な雄を刺激する光景に、彼の思考は性欲で埋まっているのだ。
それが、マリアの望むことだった。
「ムームン様、彼女は手負い。私たちならば彼女を殺さずに捕えることも出来ましょう。そこで提案なのですが、捕まえた後の尋問とその後の彼女の処遇はムームン様に一任してもよろしいでしょうか?」
それは実質的に、目前の少女の所有権をムームンに与える事を意味していた。そのマリアの言葉にムームンは目を見開き、そして鼻息荒く肯定の返事を返す。
「も、もちろんだ! あの小娘に自分が誰を襲撃したかを徹底的にその体に解らせて、儂の魔物チンポなしでは生きていけない雌に仕上げてやる!!」
「その意気です、ムームン様。ですが彼女は今後の外交の札に必要な存在。それをムームン様に引き渡すのは本来許可出来ないのですが、此度は私の不手際で迷惑をかけてしまったので、そのお詫びと言うことでどうでしょう?」
これこそがマリアの考えた策。ムームンにあの少女を与える代わりに自身の責を無かった事にして欲しいと言う申し出である。マリアの言ったことに嘘はなく、彼女が他の国から送られてきた刺客と考えているマリアにとって、その身柄は重要なものであり本来なら魔物に立てついた人間として教団本部に送る必要さえあるのだ。
それを行わない。カザーブでのムームンの館への襲撃事件はなかったものとして扱うのだ。その結果として彼女を尋問して聞き出した情報や彼女自身の身柄を交渉の場で使う事は出来ないが、その代わりにマリアがムームンを傷つけたと言う事実もないものとなるのだ。
そのマリアの提案に、一瞬ムームンは迷った素振りを見せる。彼の脳内ではムーンブルクの王女である少女と目前の女神のように美しい少女との間で揺れているのであろう。しかし即座にロマリアの無能の使い古した雌犬よりも、自身を傷つけた麗しい少女に屈辱を与え一生飼い殺す方に魅力を感じたのだろう、ムームンはその提案を飲んだ。
後顧の憂いは消えたと、マリアは少女に目を向ける。少女はすでに間合いを先ほどバギが炸裂した地点まで戻っており、いつでもこちらに攻撃出来る体勢を保っていた。
おそらく、あそこから私たちのいる地点までが彼女が一足で近づくことが出来る飛距離なのだろうと、マリアは分析した。彼我の距離は十メートル弱。そんな距離を一瞬で詰められるのは脅威だが、その範囲を知れたのは大きい。小声でマリアはムームンへとその旨を伝える。そんな時だった、件の少女が口を開いたのは。
「そちらの女性には、まだ名乗っていませんでしたね。ルビーと言います。よろしければ、なぜ魔物と共謀し人を、同じ女性たちを虐げるのか、その理由を聞いていいですか?」
それはマリアにして見れば趣旨の分からない質問だった。雌が魔物に奉仕するなど当たり前。自分はそれを主であるハーゴット様から懇切丁寧に教えて貰った。魔物が上で人は下、雌はその中でも最底辺、それこそこの世の不変の常識である。
人はなぜ息をしているのか。マリアにとってはそんな疑問を突然敵対している相手から言われたに等しい。
「なぜって、ふふ、おかしい人ですね。雌が魔物に傅くのは当たり前。彼らに奉仕し、この魔物の子を産むしか価値のない淫らな体を使ってもらうのが私たちの使命。あなたも自分のご主人様からそう教えられたでしょう?」
何かの時間稼ぎのつもりか、はたまたこちらの隙を伺っての物か。だがどのような思惑があるにしろ、マリアはこの質問に答える事にした。彼女にとっても時間を稼ぐ事で
「ご主人様に教えられた? あなたは、今の価値観をそのご主人様から植え付けられたんですか?」
「何を当たり前のことを。かつての私は愚かで、魔物を倒すべき悪と唾棄すべき考えを抱いていました。それを私の旦那様、ロマリアの偉大なる王であるハーゴット様が正してくれたのです♡ 私は淫らな雌犬で、旦那様の性奴隷になるためにこの世界に呼ばれたんだって♡」
その言葉をマリアは何恥じる事もなく堂々と口にする。彼女にとってハーゴットとの出会いとその後の調教は福音なのだ。自分をあるべき姿に変えてくれた運命の出会いなのだ。マリアのドレスのスリットから飛び出る犬の尻尾がその喜びを象徴するように左右に揺れる。
そんな興奮した様子のマリアと対比するようにルビーの表情が、暗く冷たい物へと変わって行く。だがその表情はマリアに向けてのものではなかった。ここにはいない誰かに向けた激しい義憤を抱えた表情で、それが誰に向けたものかはマリアが旦那様と言う存在を口にした瞬間に下がった気温が物語っていた。
体感温度が変わるほどに増したルビーの体から発せられる圧力に、マリアが即座に身を引き締める。同時に隣にいたムームンもまたその圧力に目を見開きながらも片手に持つモーニングスターを握りしめた。もう一つのモーニングスターは先ほど魔法を使った際に放置した場所に置かれたままであったために、マリアのイオナズンで跡形も残さず消滅してしまったのだ。
勝負はおそらく一瞬だと、両者は判断する。
ルビーが身を低くし、その手に持つ斧を腰横に構えた。
そして──────眼前。
「フッ……!!」
「【バギ】!」
瞬き一つしていなかったのに、気づいた瞬間には目前にいたルビーの斧の横なぎがムームンに放たれる。その攻防に付いて来られたのはマリア一人。いや厳密には、付いて来てはいない。元より杖に溜めていたバギの為の魔法をルビーの姿が霞んだと思った瞬間に唱えただけだ。
魔力を持った風が、今まさにムームンの体に斧による一撃を食らわせたルビーの身を引き裂かんと迫る。そこへルビーがまるで盾にするかのようにムームンの体をマリアへ向けて吹き飛ばす。ムームンは一切反応する事が出来ず、自身を攻撃した美しい少女の、その激しい動きで乱れるボロボロの服から覗く白い太股と眩いへそ周りに目を奪われながら、マリアのバギへと吸い込まれるように飛んで行く。
哀れムームンは再びマリアの魔法によってその身を傷つけられる……そんな愚をマリアは二度も犯さない。卓越した魔法制御で杖から放たれたバギが、まるで意志を持つかのようにムームンの体を迂回、ルビーの元へと殺到する。
その光景にルビーが瞠目する。魔法を放ってから操る事など可能なのかと、その見開かれた目が内心を物語っていた。もちろん並の魔法使いにそんな芸当は不可能。自身の手元から離れた魔力を制御するなど、投げたボールを空中で動かしてみろと言うような物だ。
だがマリアはそれを成す。彼女の人並外れた魔力量とその天与の才が合わさり、手元を離れた魔力に自身の魔力との線を繋ぐことで、縦横無尽にその魔法を操作する事が出来るのだ。
だからその神業に刹那とは言え思考を奪われたルビーに対応する隙などあるわけもなく。
マリアは勝った、と確信した。自身に迫り来るムームンの体を横に飛ぶ事で躱したマリアの視線は、バギの直撃を食らって吹き飛び気絶するルビーの姿を捉えんとした。
だが本来そうなるはずだった未来は、マリアが知る由もないものによって防がれた。
「──────!!」
一閃。
完全に驚きに染まって固まっていたはずのルビーの体が、
マリアの放ったバギが、霧散して消し飛んだ。
「そんな……!?」
驚愕に身を固めたのは、今度はマリアの番であった。自身が放ったバギ、ムームンが居る場に放つ事とあくまでルビーを殺さずに確保するために威力を弱めていたとは言え、それを斧で掻き消されるなど。しかも完全に相手の不意を打ったはずの攻撃をだ。
──まさか彼女は、
脳裏に主を嫌う憎きジパングの支配者、それに飼われるある女の事を思い出し、臍を噛むマリアの視界にこちらへ迫るルビーの姿が映る。
すでに驚きによる硬直状態を抜け出し、先の動きとは違い確固たる意志を持って体を動かすルビーに、マリアの未だ驚愕が抜けきれない体は動かない。先の攻防と全く逆になった状況で唯一違うのは、マリアにその硬直を打ち消し迎撃する力がないことだ。
「失礼……シッ!!」
バチンッと顎に衝撃が走るのをマリアは感じた。想像していた痛みよりも弱いと感じたのは一瞬、即座にその攻撃の意図を薄れゆく意識の中で理解する。
──これは、気絶を、ねら……べ…………ま
*****
意識を無くしたマリアが地面に倒れるより早く支えるルビーの心に沸くのは先ず安堵であった。マリアが元は悪人でない事は、先の会話で確認する事が出来た。ハーゴットと言う者による陵辱によってその心を堕とされ、利用されていると分かったからこそ、ルビーはマリアを全力で助けるつもりだった。
その上でも危ない勝負だったと、ルビーは思う。もしあの一瞬、自身の心と体を支配する使命感が自身に迫る危機に勝手に体を動かさなければ、こうして気絶していたのは自分だっただろう。自身を守った憎き使命感にこの時ばかりは感謝をするルビーの瞳は即座にまだ残っている敵へと視線を向けた。
ムームンは、今まさに立ち上がりこちらに魔力の籠った左手を向けていたところだ。その手にある魔力の色が赤色に染まり始めたのを視認した瞬間、ルビーはマリアを抱え横っ飛びに回避した。
「ベギラマァァァあああ!!!」
ルビーどころかマリアさえも射程に入れたその業火の奔流は、数瞬前まで二人が居た場所に着弾。激しい火の手をその場に数秒渦巻かせるも、燃え移る場所がなかったためかすぐにその身を空中に四散させる。
ムームンは何もルビーとマリアを本気で殺す気はない。ただ死ぬほど痛めつけてやろうと思っているだけだ。ベギラマの炎で炙り、死なない程度の所でベホマを使って癒す。先ほどマリアにやられた事を、そっくりそのまま返してやろうとしたのだ。最も、あくまでムームンを助けるために必要だったマリアと違い、ムームンの行動は百パーセント自身の下衆なプライドを満たすためなのだが。
その内情を知らないルビーだが、ムームンがマリアであろうと自分を仕留めるためなら容赦なく魔法を撃って来る存在と認識、マリアの体を三軒ほど離れた地点に仰向けで寝かせて避難させる。ムームンがそれに気づき再びベギラマの火を放つよりも早く、ルビーは踵を返し、狙いを定まらせないように右に左に体を動かしながら接近して行く。
数秒と経たずに再び先ほどの位置まで戻って来たルビーは手に握る、先ほどバギを消し飛ばした衝撃で僅かに罅が入ったてつのおのを上段に構えた。それを迎撃するように、片手に持っていたモーニングスターを両手で握りしめたムームンが待ち構える。
二つの武器が激突する。その瞬間に、ルビーが上段に振り上げていた斧が
「馬鹿め!! 焦ってすっぽ抜けたな!!」
ムームンが笑みを浮かべて迎撃に振るうモーニングスターの威力を弱め、死なない程度の力で殴打しようとする。もちろん、それでも直撃すればルビーの体中の骨は砕かれ、内臓は腐ったトマトのように潰され一瞬で半死半生となるだろう。だが生きてさえいれば、ベホマで治せる。
最初の教育には調度良いだろうと、ルビーのボロ装飾の下から覗く肌の美しさを見ながらほくそ笑むムームンの予想は……腹に走った鈍痛によって即座に掻き消された。
「うごぉ!!?」
一体今日何度目の呻き声だろうか。口の中から胃液が逆流しそうなほどの痛みの正体は、自身の鳩尾を抉るルビーの拳によるものだった。予想外の位置からの攻撃と、武器の破壊力を弱めようと腕の筋肉の力を抜いたのが災いした。今度はムームンの両手に握られていたモーニングスターが横に振りぬいた威力を保ったまますっぽ抜けてあさっての方向へと飛んで行く。
斧がルビーの手を離れたのは、決して手が滑ったなどと言う初歩的なミスによるものではない。全てルビーが意図してやった事だ。罅の入った斧でモーニングスターと打ち合うなど愚の骨頂、故にルビーは斧を囮にした。相手が空中に投げ出された斧にほんの一瞬でも意識が向けば、それで良い。あとはその隙に全身を丸めるように畳みながら加速、相手のモーニングスターの一撃を潜り抜けて躱しながらそのがら空きの腹に正拳突きを叩きこんだのだ。
「────!?」
唯一の懸念は、相手の体を覆う
「残念だったな! すでにスクルトがこの身にはある! 武器を手放したお前に勝機はないわ!!」
ムームンが叫ぶと同時に、ルビーの体を捕えようとモーニングスターを離した右手が伸びる。その動きよりも早く、ルビーはムームンの後ろへ移動その体を強く蹴りつけた。
「無駄だ!! そんな攻撃じゃ、スクルトを纏った儂を一撃で屠るなど出来ん! そして多少の傷など……ベホマ!」
ムームンの体を緑の魔力が覆い、ルビーの付けた拳と蹴りの一撃のダメージが消失する。嗤うムームンの言う通り、素手ではスクルトの防御力を破りムームンにベホマを使う隙さえなく殺すことなど出来はしないだろう。
「フハハハハハ! 儂がスクルトを使えるとも知らずに武器を捨てた己を恨めこむす────」
「知っている」
そんな敵は、すでに自身の始まりの村で会っている。
故にその敵と似た姿をしたムームンがスクルトを使う可能性など最初から理解していた。だから布石を二段構えで打ったのだ。
ムームンを蹴りつけ、空中にその身を躍らせる。丁度ムームンと自身の武器が激突しそうになっていた場所の真上に移動したルビーは、その手を上げて、今まさに
「次生まれ変わる時はパンの美味さが分かるようになると良い」
轟音
余裕綽々とした体で今まさにルビーのいる空を見上げようとするムームンのその顔へと、重力とルビーの埒外の腕力全てを乗せた振り下ろしが叩き込まれた。
断末魔の悲鳴さえ上げる間もなく、ムームンの頭は文字通り叩き割られた。そして同じく役目を果たしたと言わんばかりに斧もまたその全身に亀裂を走らせ、バキンッとバラバラに砕け落ちる。ルビーの手に残ったのは、斧の持ち手であった木の棒だけであった。
「ありがとう、頭さん。あなたのてつのおのは、とても役に立ちました。あなたみたいに、どこまでも頼もしかったです」
壊れたてつのおのに黙祷を捧げるように、その残骸の前で持ち手の部分を額に当て感謝を告げる。ただの量産品であるてつのおのにそこまで深く親愛の籠った謝礼を言う姿は、まるで長年の苦楽を共にした剣に別れを告げる騎士のようで、その美貌と相成りまさしく物語の一枚絵のようだった。
故にそれほどの愛情を貰ったてつのおのが最後の奉公をするのもまた必然と言えた。
「なにっ……!?」
砕けて地に落ちていた僅かな鉄の小さな欠片が、突然の風に吹かれて少年の露出した足肌を刺激、次瞬無風のはずの通りに欠片とは言え鉄が舞うほどの風が起こっている異変に気付いたルビーがその身を大きく横に投げた。
全てを蹂躙すると言わんばかりの風の鉄槌が、ルビーが先ほどまでいた場所を抉り取った。射線上にいたムームンの死体が飲み込まれ、その体が一瞬で風の刃で切断、分解されて、後に残ったのは僅かなパーツだけ。そして躱したルビーでさえも、その余波だけで体が十メートル以上吹き飛び、もはや守備力など欠片もない服の上から地面に叩きつけられる強い衝撃を感じる事になった。
「がっ……くぅ……!」
「まさか、あの状態で躱すなんて。後ろに目でも付いているんですか?」
滲む視界に、こちらを見つめる人影の姿が映った。最上級の絹を編んだように綺麗な菫色の髪。年頃の少女らしい小柄な体付きと、適度にその存在を主張する胸とくびれた腰つき。細く新雪のように白い両手と両足はまるで人形のよう。身に着ける彼女の髪色と同じ色のドレスのスリットから伸びる犬の尻尾がゆらゆらと意志持つように揺れ、それが玩具ではない事を物語る。
そのプロポーションに見合う小動物のような愛らしい顔つきをしたその少女の表情は、まるで小悪魔のような淫猥な笑みが浮かべられていて。
「まあ、いいでしょう。どちらにしろ、あなたはもう詰みです。ね、ルビーちゃん?」
そう言って少女は、元ムーンブルクの王女マリアは十数匹の魔物を背後に、その手に持つ杖に魔力を迸らせた。
戦いは終局へと向かって行く。