ライナは負けヒロインなんかじゃないっス! 作:情緒不安定ゾンビ
深夜という程ではないが、健康的なお子様であればとっくに眠りについているような夜中。
俺もそろそろ寝るかな、なんて考えた頃合に、ライナが俺の宿を訪ねてきた。
人目を避けて来たのか、小柄なライナが着ると足首のあたりまですっぽりと覆われるような黒いローブを身に着けている。
ほんのさっきまでフードを被って顔まで隠していたので、暗殺者か邪教徒か黒魔術師か中二病か吸血鬼かって感じだった。いや候補多いな。意外とメジャーなのかもしれん。みんな大好き黒ローブ。
小さな声で挨拶を交わした後にするりと部屋に入って来たライナに、俺は尋ねる。
至って普通のテンションで入って来たので、普通に入れてしまったが、いやいやいや。
「え。いやいやいや。どうしたんだよライナ、こんな時間に。危ないだろ。よほどの緊急事態でもあったのか?」
レゴール、というか、この世界、ライナみたいな小柄な女の子が一人で夜道を歩いても平気な治安はしていない。
ローブで顔も体格も隠しては来たようだが、少なくとも大男ではないことは明らかなわけで。
一般市民よりは腕に覚えがあるにしたって、明らかな犯罪者は処せても距離無し系ナンパ師だのうざがらみ系酔っ払いだの程度には一々弓を使うわけにもいかないだろう。
それらから犯罪者にクラスチェンジするやつだっているだろうに、近距離でクラスチェンジされた場合に弓がどこまで役に立つか。
危険過ぎる。
故に、なぜ、と問うたのだが。
ライナは頬を赤くしてしばらく「あー……」だの「その……」だのと何か言いかけては口ごもっていたのだが、やがてキリっと決意を固めたような表情で俺を見上げ、それでもなお言いづらそうに語りだす。
「なにかあったというか……、なにもないのが問題というか……。その、ちょっと焦ってたっス。いや、焦ってるっス。だから、危ないのはわかってたスけど、いてもたってもいられなくて……」
「そうか……。よほどのこと、なんだな。いや、まあ、危険性をわかっていないわけじゃないなら、説教をするつもりはない。話を聞くよ」
彼女の表情が、まとう空気が、常に明るい普段の彼女とは違って、あまりにも真剣そのものだったから。
俺は可能な限り優しく聞こえる声音を意識して作って、返した。
「そうだな、文字通り腰を据えて聞こうか。ライナはそっちに座ってもらって……」
「うっス」
そっち、と指し示してライナに椅子を譲って、俺はベッドに腰掛け……る前に訊いておくか。
「ええと、ライナ、ついでに酒でも飲むか?」
「や。それはやめとくっス」
「……そうか」
酒はいらないと返って来て、あのライナが酒をいらないと返してきて、なるほどよほど深刻な話らしいと改めて思いながら、俺はベッドに腰掛けた。
視線で促せば、ライナはぎゅっと両手を組んで握って、意を決したように、告げる。
「あの……私……勝ちたいっス。だから、今夜、ここに来たっス」
「勝ちたい……? ええと、なんだ、えらく抽象的だが。ライナはいったい、何に勝ちたいんだ? 俺が役に立てる勝負事……、まさか、猥談バトルとかか……?」
「違うっス。今ふざけないで欲しいっス」
「だよなすまん。よしわかった。真面目に聞くから、続けて欲しい」
間髪入れずに叱られて、俺は素直に頭を下げた。
組んでいる両の手を組み替えてこすり合わせてと落ち着かなげな仕草を見せてから、ライナはぼそぼそと言う。
「その……勝ちたい、というか、負けたくなくて。サリー先輩とか、ウルリカ先輩に」
「……ん?」
俺が首を傾げたとほぼ同時に、ライナはガタン! とそれなりに大きな音を立てて椅子から立ち上がり、ばさりとローブを脱ぎ捨て椅子に放り投げずいずいとこちらに迫りながら、もうほとんど叫ぶような勢いで主張する。
「モングレル先輩、ウルリカ先輩との距離感おかしいっスよね! 私の方が先に知り合いだったはずなのに、なんかあっちとの方が親密な空気っスよね!?」
「ま、まああいつは男だから、気楽に接している部分はある、かもな?」
「サリー先輩とはなんか最近露骨に距離縮まっている感じっスよね!? 実は元々付き合ってたとかっスか!? 元鞘ってやつっスか!?」
「いや、あいつとはそういうんじゃないから……」
「モモちゃんへの好感度もあの人に加算されてないっスか!? そんなんズルっスよズル! 昔からの付き合いのあるミステリアス母とぴちぴち小生意気な娘のセット売りとか、そんなんズルっス!」
「お、おう……。いやそれはモモにもサリーにも失礼じゃないかな……」
俺が口を挟んでも、ライナの勢いは一向に収まらない。
「とにかく、誰よりも、私の方が! 先に! モングレル先輩のことを好きだったっス!! ……たぶん」
すう、と一度息を吸ってから、ババンとない胸を張って、ライナはこのよくわからない流れの話の結論を高らかに宣言した。ちっちゃな声でちょろりと付け足した『たぶん』はあったが、要するにこれが今回の訪問の主題らしい。
「あー……そういうー……」
負けたくないってあれか、ヒロインレース的な。
しかしライナ、これまでだいぶ奥ゆかしく来ていたと思ったんだが、だいぶ開き直ったなぁ。あっさり好きとか言ってるし。それだけ焦ってるってことか。
「ともかく、私が最初に好きだったはずなのに、ここ最近なんか出遅れている感があるっス。と、いうわけで。今日は存在感を示したくて来たっス。端的に言うと夜這いっス。っスっス」
「勢いが喧嘩を売りに来た奴のソレなんだよな……。もっとこうしめっぽいというか色っぽいというかそういう雰囲気で来るべきなんじゃないか、仮にも夜這いだってんなら」
「湿度とか色気とかで勝負したら負けるっス。自分と敵の実力は把握してるっス。一途さと元気の良さと勢いで勝負っス」
「いや敵て。誰も俺なんかを取り合うためにお前の敵になったりしないって」
「そうやってのんきに構えてたらますます引き離されるに決まってるっス。もう私は油断しないっス。既成事実を作りに来たっス」
「……そうか。そうかぁ……」
俺は、頭を抱えた。
ここまでのらりくらりとかわしてきたツケが、ここでやって来たらしい。
どーっすかなこれ。
下手にこのまま何もせずに追い返したりしたら、自暴自棄になって何かしでかしかねん勢いだ。そもそも、レゴールの夜道を単身駆けて来た時点でだいぶ冷静じゃない。
恥をかかせて更に追い込んでまた夜道を帰らせるなんて、できない。できるわけがない。どう考えても不安しかない。
「いや、でもなライナ、俺はライナの事を大切に思っているからこそ、『夜這いです』『はいそうですか』って受け入れるわけにいかんのよ」
「受け入れて欲しいっス。私、自分が後輩としてかわいがられている自覚はあるっス。でも同時に、親戚の子みたいな愛で方されてるなとも実感してるっス。好感度は足りている。あとはもう意識してもらうだけ。なら、初めてを捧げるくらいすれば、さすがに情が湧くっスよね?」
「それはそうだけど……! それはそうだけどさぁ! なんでそこまでの決意を固めてんだよ! なにがお前をそこまで追い込んだんだよ、ライナ!」
「ここのところのモングレル先輩の、美人さんたちとのえらい親密な様子っス!」
「ごめんね!!」
「悪いと思ってんなら観念して欲しいっス!!」
そういうわけにもいかねーだろうがよぉ……!!
一応説得を試みてみたものの、ライナの決意は固かった。
これはやっぱり、何もせずに追い返すというわけにはいかないだろう。
とはいえ、本当に夜這いを認めるわけにはいかない。
自分を大切にして欲しい。
いやもう、俺のこの『自分を大切にして欲しい』という気もちをわかった上で、『なら処女食っちゃったらもう結婚だよなぁ!? かわいい後輩のかけがえのない初めて、もらっちゃったら当然責任を取るよなぁ!? ほら食えさあ食えさあさあさあ!!』って圧をかけて来てるのだろうけれども。今まさに。なにこの子こわい。
しかし、そういう意味で手を出す気は、ない。
俺は血統を考えても抱えている秘密を考えても、身を固めるのは難しい。単純に妻子を養うって考えても、気が重いし。
いやなんでライナは、こんな甲斐性も将来性も不安だろう俺なんかをここまで想っているのだろうか。まあこういうのは理屈じゃないんだろうけども。それにしたって。
そして、ライナは結婚するつもりもないのに手を出して良いような女ではない。そんな事しやがった奴がいたら俺が殺す。アルテミスのみんなだって黙っちゃいないだろう。
故に、この据え膳を食うわけにはいかないわけだ。
だがしかし、ここまで言わせてしまったからには、ライナの『存在感を示したい』という要望は汲んでやるべきだろう。
恥をかかせたくはないし、俺だって、ライナの事は憎からず思っているのだから。
というわけで、他よりぐんとリードしたなとこいつが確信できるような触れ合いを、する。しよう。と、そういう結論になるわけだ。セックスはナシだが。
いやでも具体的になんだろうな、それって。
求められるのは、ちょっといちゃいちゃするような、疑似恋人的な、かといっていやらしい雰囲気にはならなそうな、ちょうどいいふれあいだ。
いやらしい雰囲気になるような事じゃダメなのかって? ダメに決まってんだろ。
いくら俺でも、夜這いをしに来たとまで言ってる女とこの時間に自分の部屋にいて、これ以上ちょっとでもいやらしい雰囲気になった場合に、なにもせずにいられるほどは枯れていない。そこまで自分の理性を信用できない。
うん、難しいな。
いやしかし、なんとか知恵をひねり出さなければならない。ライナのために。ついでに自分のために。
唸れ俺の脳細胞……! お前はケイオス卿だろスケベ伝道師だろ思い出せなにかしらこの場を切り抜けられそうな現代知識を……!
「……耳かきASMR……!」
「……みみ、かき、えー……?」
降りて来た天啓がぽろりと口からまろび出て、それを拾ったライナが、ぽかんと小首を傾げた。
待たせたなライナ。出たぞ結論。
ほどほど健全、でも親密!
数々のシチュエーションボイスに採用されたもはや鉄板!
これぞちょうどいいふれあい、それこそが、耳かきASMRだ!
いやASMRって正直なんなのかよくわかってないけど。なんかこう、そっと優しく囁いたり吐息ふーっとかしてもらう感じ?
まあなんかほら、耳かきって家族でもなきゃしないものだけど、全くいやらしいことではないのが良い感じかなって。
というわけで、しよう、いやしてもらおう、になるのか、耳かきASMR。
することを決めた俺は、戸惑っている様子のライナの頭をポンと撫でながら彼女の脇を抜け、小物の類を保管している棚へと向かう。
「なんていうかほら、ライナは、かわいい声してるよな」
「へっ!? そっスか? え、なんか嬉しいかも……へへ……」
背後のライナは、見なくても締まりの無い笑みになっているとわかる程嬉しそうな反応をくれた。
目当ての物を探しながら、俺は続ける。
「そして、ライナは太ももも素晴らしい。健康的で、やっぱり若いなっていう感じのハリがあるよな」
「そう! 若さ! 自分、若さあるっス! 健康体っス!」
「そんなお前の魅力を最大限発揮してもらおうと、俺は思うんだ」
「はあ……、そうっス、か……?」
ライナがよくわかってなさそうな返事を返したところで、ちょうど目当ての物が見つかった。
「というわけで、ライナにはこれで、俺の耳の掃除をしてもらいたい」
ずい、と俺手製の耳かきを差し出しながら言えば、ライナは首を傾げ『いやどういうわけだよ』というような表情をしつつも、素直にそれを受け取ってくれる。
「はあ……。あ、これ、なんかちょっと変わった耳かきっスね。木でできてて、ふわふわがついてて、あ、けっこう角度がついてるっス……?」
ここらで売っている耳かきは、極めて細長くて小さい計量スプーンみたいな形状だ。日本人が耳かきと言われてパッと思い浮かべるだろう木製の梵天(白いふわふわの事だ)付きの物と比べると、ただ真っすぐで先端は丸い。
別に悪くはないんだろうがなんか違うんだよなと思い、自分で使う分だけを自分の耳と手に合わせて微調整を重ねながら作り上げた自家製耳かきが今ライナの手の中にある物だ。当然梵天もつけた。汚れそうなのが嫌で全然梵天は使っていないけど。
これを用いて、ちょっといちゃいちゃするような、疑似恋人的な、かといっていやらしい雰囲気にはならなそうな、ちょうどいいふれあい=耳かきASMRをしてもらおうというわけだ。
ASMRってなんなのか、よくわかってないけど。