社会不適合者な幼馴染は体で家賃を払ってくれる【電子書籍化】 作:猫屋敷てん
東雲夕菜は己が生きる価値のない役立たずであることを良く知っている。
それは母の言葉もあるし、己が生きてきた全ての過程が教えてくれた。夕菜の生きてきた人生は、大凡下らないものばかりだ。
最初に自覚したのは、両親の喧嘩を見たときだろう。
夕菜は普通の子ではなかったらしい。医者に連れて行かれ、診断されたから間違いない。
両親共々エリートである中で、その子である夕菜は失敗作と言うしかなかった。
母は子に英才教育を施し、一流大学を卒業させて一流企業へ就職させる腹づもりだったらしい。
場合によって留学することも視野にいれて、生まれる前から資金を作っていたという力の入れよう。
だというのに生まれてきたのが夕菜だった。
勉強はもちろんできない。それどころか何をやらせてもできない。唯一できたのが、絵を描く事だ。
その才はトップクラスであったとはいえ、それを塗りつぶすほどのマイナス面を夕菜は抱える。
故に夕菜は、両親の夢は粉々に打ち砕いた。
それからだろう、両親が喧嘩をするようになったのは。
夕菜が生まれてしまったのはどっちのせいか。お前がわるい、あなたが悪い。そんな喧嘩を食卓ですら二人は繰り広げる。
その度に、夕菜は己がいかに役立たずで無価値な人間なのかをまざまざと見せつけられた。
誰も愛してくれなかった。褒めてくれることもないし、貰うのは夕菜が失敗する度に浴びせられる叱責の言葉だ。
その環境による歪みが夕菜という人格を構成し、より歪んで育ってしまった。
親は夕菜のせいでずっと喧嘩をしていたし、学校でも馴染めず友達もいない。
ずっと独りだった夕菜は、心の穴を埋めるように絵を描いていた。
唯一自分ができることを、ただ淡々とやっていた。もしかしたら褒めてくれるかもしれない。そんな淡い期待があったのは間違いないだろう。
だがそれを褒めてくれたのは両親ではなかった。
突然庭にサッカーボールと共に入って来た一人の男の子だ――
「あの、凄いな」
「ん?」
「絵、めっちゃ凄い。俺、好きだよ」
その言葉が、夕菜にどれほどの衝撃を与えたか彼は知らないだろう。
誰かに認められることがとても嬉しくて、己が無価値の役立たずではないと彼は教えてくれる。
胸はドキドキと高鳴って、彼から目を逸らすことができなかった。
「もっと近くで見ていいか?」
「えっ? ……良いけど」
そう言って彼は、夕菜の隣で絵を描く姿をずっと見ていた。その時初めて、夕菜は幸せというものを感じたのだ。
小学校二年生。この時から、夕菜の恋が始まったのは間違いない――
◇
彼の名前は咲間竜二郎。同い年の男の子。
あの日から、竜二郎は夕菜をとても助けてくれた。
同じ小学校には通っていたがクラスが違う中で、孤立しているとわかると率先して会いに来てくれる。
竜二郎のおかげで、夕菜には友達もできた。
人とのコミュニケーションというのも、この時少しだけ身についたのだ。
竜二郎と出会って楽しい日々を過ごす中で、転機を迎えたのは中学二年生の頃。両親が離婚した。
ずっと喧嘩ばかりだったし、そうなるのは予定調和と言えるだろう。
ようやく喧嘩を見なくてすむ。そう夕菜は安堵したのだ。
だが問題は母に引き取られてからのことだ。
母は夕菜のことを放置するようになった。
いわゆるネグレクトであるが、母の夢を叶えられない夕菜は離婚を機に捨てられたのだ。
母は新しい男を作るとその彼の下に入り浸り、夕菜のことを見もしない。
たまに帰ってきてお金を置いていくだけで、母がするべき世話というのは一切やらなかった。
中学生にもなれば少しは自立してくるものだが、夕菜はその常識が通用しない。
お金だけあっても管理はできないし、どうすれば生きていけるのかもわからない。結果的に夕菜は失敗して、お金がなくなり餓死しかけた。
学校に来ないことを心配した竜二郎が顔を見せなければ、そのまま死んでいだろう。
その日から竜二郎が世話をしてくれるようになった。
ご飯を作ってくれて、お金の管理もしてくれる。その関係はもはや幼馴染とは言えぬほどだ。
故に竜二郎への想いは、留まることを知らず高まり続ける。
恐らくこの日から、夕菜の中には竜二郎しかいなくなった。
一方母は夕菜が死にかけたことを知っても変わらず無関心だ。
竜二郎はそれに激怒していたが、夕菜はしかたないことだと諦める。
全ては役立たずの己が悪いのだとして、その問題を外に出すことはしなかった。
それが環境によって生まれた夕菜の歪みの一つだろう。
親に捨てられたとはいえ、その日から夕菜はもっと幸せになった。
悪意を持つ人が消えて、竜二郎が世話をしてくれる日々。それを幸せと言わずして何と言えば良いのだろう。
だが同時に、酷い自己否定にも繋がった。
竜二郎は夕菜に多くのものを与えてくれるのに、夕菜は何も返すことができない。竜二郎が世話をしてくれるたびに、夕菜はただただ役立たずで無価値な己が嫌になった。
この時もう少し考えていれば、竜二郎が夕菜の胸をチラチラ見てたことにも気づけて、もっと早く体を差し出していただろう。
だが夕菜は気付くことなく、学生時代は非常に清い関係だった。
これほどの距離感で、夕菜も一切警戒せず肢体を見せつけてくる中で手を出さなかった竜二郎は、鋼の精神を持っていたということだろう。
そうして恋人ではなく、あくまで幼馴染。
そんな関係は高校卒業まで続き――突如として終わった。
「すまん。今すぐ自立しないといけなくなったんだ」
そう告げてきた竜二郎の顔は、最後まで夕菜を案じていた。
全ての切っ掛けは、父親の会社が不況の煽りを受けて倒産してしまったことだ。
進学を予定していた竜二郎の予定は大幅に狂い、借金も多く残ったということですぐ就職して自立し、親の負担にならぬよう務めなければならなくなった。
親の紹介で就職先はすぐ決まり、そのために引っ越さねばならなくなる。
そうなれば夕菜の世話はもうできなくなり、だから申し訳なさそうに竜二郎は言うのだ。
「私は、大丈夫だよ。安心して。竜くんは、竜くんのことをやって」
故に夕菜も安心させるようにそう告げる。
私も連れて行って、など言えるはずがないだろう。ただでさえ迷惑を掛けている自覚があるのに、これ以上竜二郎の負担にはなりたくなかった。
だから健気に笑って、竜二郎のために送り出す。
余裕がない竜二郎はそれを信じ、旅だった。
それが二回目の転機だ。
夕菜は一人になった。高校を卒業し、家でただただ絵を描き続ける。
食事は竜二郎が作ってくれたスケジュールの通りにスーパーで買えばまかなえた。ただそれ以外の家事はできないから、家はどんどん汚くなる。
そんな日々を過ごせば、今までどれだけ竜二郎に助けられたか痛いほど理解した。
もはや夕菜は竜二郎なしでは生きられないのだろう。
夕菜は竜二郎のことだけを考えながら、ただ絵を描き続ける退屈な日々を過ごした。
そしてそれも、すぐに終わった。
「夕菜、明日にはここ引き払うから出て行って」
突然家に帰ってきた母がそう告げたのは、高校卒業から二ヶ月が経過してからのことだ。
再婚したらしくもう暫く顔を見ていない母は、そう言って夕菜を冷たく突き放した。
「えっ? お母さん?」
「もう大人でしょ。じゃあ世話をする義理もないわ」
「あ、うぅ……」
「ほんと、最後まで役立たずだったわ」
母の中に夕菜の姿はすでになかった。
再婚して子供をなした母は、かつて夢見た生活を実現させているらしい。子を一流の学校へ通わせ、英才教育を施す。
夕菜では叶えられなかった夢を叶えたのだ。
高校を卒業して大人になった夕菜には、もう金を出すつもりもない。
家から追い出し、この借家も引き払う。すでにその後のことは興味が無かった。
「わ、私は、どうすれば、良いの?」
「さあ。その体でお金でも稼いだら? あんたみたいな役立たずは、それぐらいしかできないでしょ」
「…………そ、っか」
「売女をするのにピッタリの体ね」
母は捨て台詞のように言い捨てて、夕菜を置いて家を出た。
夕菜は捨てられたショックで呆然となり、動けない。
全てをなくして一人になって、夕菜はただただ涙を流していた。
小さなバッグに服となけなしのお金。そして画材を詰め込んで、夕菜はトボトボと道を歩く。
このバッグが夕菜の全財産で、もちろん行く当てなんてどこにもない。
高校時代の友人の顔を思い浮かべてみたが、誰もどこに住んでいるか知らなかった。
結局竜二郎という仲介者がいたから仲良くしていただけで、そうでないなら夕菜に友達なんていない。
どこまで行っても夕菜には竜二郎しかいなかった。
「……っ」
夕菜は悲しみに暮れて俯き、涙を堪える。
そうすれば服を押し上げるほど大きな己の胸が視界に入った。
これを使えば、お金を稼げるらしい。居場所を作ることもできるだろうか。
思い返せば高校時代、容姿や体だけを見て告白されたことは何度もある。
その男達は全員胸をみながら告白してきて、とても気持ち悪かったのを覚えていた。あまりの恐怖に逃げ出して、全部竜二郎に断ってもらったものだ。
そんな人達に、体を差し出す。
考えただけでも虫唾が走った。
そもそも人間が嫌いだが、男はもっと嫌いだ。みんな夕菜を欲望の目で見て、気持ち悪い視線ばかり寄越してくる。
そうしなかったのは、竜二郎ぐらいだ。
「……竜くん。竜くんも、私の体、好きなのかな」
考える中で、ふと夕菜はその考えに至った。
竜二郎は他の男みたいな視線を向けてこなかった。一切手を出してくることもなかった。
だけど、もしかしたら少しぐらいは好きかもしれない。
竜二郎になら、夕菜はいくらでもよろこんで全てを差し出すだろう。
「ああ――でも、竜くんに、また、迷惑かける、かも」
それでも夕菜の足が竦むのは、竜二郎へ迷惑をかける恐怖だ。
もしこの体を気に入ってもらえず、価値を提供できないなら、また無価値のゴミに逆戻り。
これ以上竜二郎の負担にはなりたくなかった。
「っ……」
でも、行くしかない。
竜二郎しか夕菜が頼れる人がいないのだ。
どこに引っ越したかは教えてもらった。
電車で行くしかないが、どれに乗れば良いかも教えてもらった。
とても遠くの町だけど、頑張ればたどり着けるはずだった。夕菜は覚悟を決めて、歩き出す――
電車に乗って、竜二郎の住む町まで行き、一日掛けて家を見つけ出す。
古びたアパートが竜二郎の住んでいる場所らしい。ここに一番大切な人がいる。だけど、足が竦んで一歩踏み出すことができなかった。
「竜くん……受け入れて、くれるかな。私、竜くんの、役に、立てるかな」
アパートを視界に入れながら、夕菜は電柱の陰で目を伏せる。
夕菜にとって何よりも恐れるのは、竜二郎に拒絶されないか。そして受け入れられたとしても、役に立てるのかということだ。
己の胸を触った。
こんな脂肪の何が良いかはわからないが、男の人は大好きらしい。
これを竜二郎が気に入ってくれれば、夕菜はようやく返すことができるだろう。
でもその踏ん切りがつかず、夕菜は踏み出せずにいた。
「――あ、雨」
足が竦む夕菜に追い打ちをかけるように、ポツリポツリと雨が降ってくる。
雨脚は次第に速くなり、夕菜の体を容赦なく濡らす。
「お腹、すいた」
電柱の陰で雨に打たれながら、夕菜は己の腹を触った。
もう暫く何も食べていない。空腹は、雨の冷たさをより増大させる。
その上日は陰ってきて、夜がやってきた。
夕菜はなぜこんなことになったのか。己の無価値をただただ呪う。
もう少し頭が良ければ、もう少し別の才能があれば、もっと違う人生を歩めていただろう。
そんな下らないIFを考え続けた。
体は徐々に冷えてきて、空腹は思考能力を奪う。
そして追い打ちをかけるように――
――ドン、ゴロゴロゴロ!!
雷の音まで鳴り出した。
「ひうっ……」
近くに見えた強烈な光りと音で、夕菜はぎゅっと体を縮こませる。
雷は、夕菜に死を強烈に予感させていた。
しかしその雷を切っ掛けに、夕菜は歩み出した。
「竜くん……」
このまま死ぬとして、それが電柱の陰で一人寂しく死ぬのは嫌だった。
死ぬのであれば一番大切な人の隣で死にたい。それが無価値な夕菜の抱える、唯一の願いだ。
震える指でインターホンを教えて、家主が出てくるのを俯きながら待つ時間は人生で一番の恐怖と言って良い。
だけど現れた竜二郎は、変わらず優しかったのだ。
「夕菜!? ど、どうしたんだ」
「家……追い出されちゃった」
震える声でそう告げて、心が限界を迎えるように竜二郎の胸に飛び込む。
ビチョビチョの夕菜を、竜二郎はとても優しく抱きしめてくれた。
「ごめん。ごめんな。夕菜を一人にして」
「ううん。私が悪いの。私が、馬鹿で、役立たずだから」
竜二郎の胸の中はとても暖かい。
ここが夕菜の居場所なのだろう。
夕菜はやはり、竜二郎がいないと駄目なのだ。
この腕の中にしか、夕菜の居場所はなかった。
◇
竜二郎は夕菜を快く受け入れてくれた。
だけどその度に夕菜は申し訳なくて心が痛む。突然一人暮らしをすることになった竜二郎に、余裕がないのはわかっているのだ。
夕菜は負担にしかなっていない。
だから同棲開始から一週間、夕菜はどうにか竜二郎のプラスになりたかった。
そのために薄着をしてみたり、胸元をわざと露出させたりしてみたが、竜二郎が手を出してくることはない。
やはり己の体には価値がないのか、そう思った時だ。
竜二郎が勃起していた。
男性の勃起という現象に明るくない夕菜であるが、ズボンを押し上げるそれが興奮の証なのは知っている。
つまり夕菜に欲情しているということ。夕菜は漸く竜二郎の役に立てる。ただただ心の底から安堵した。
その日から、家賃を払うために体を重ねる日々が始まった。
それを夕菜は、辛いなんてかけらも思ったことはない。行為はとても気持ちいし、体だけでなく心まで幸せな気分になれる。
竜二郎が夕菜のおまんこで気持ちよくなるたびに、己に価値があるのだと自尊心も高められた。
月に一度だった行為は夕菜から誘惑することで一週間に一回、そして三日に一回と頻度を上げていく。
しかしそれでも、夕菜は足りない。十年以上も竜二郎の世話になってきて、三日に一度のセックス程度じゃ返せるはずがなかった。
夕菜は決して立ち止まらずに、竜二郎を満足させる技術を研究していく。竜二郎はどうすれば喜ぶのか、竜二郎が何を望むのか。彼のためならばなんだってできただろう。
しかし竜二郎は、それを良しとしなかった。
社会的には間違っている行為だとして、セックスを我慢していく。
己の価値が否定された気分になったが、それが夕菜のための行為だと理解して受け入れていた。
それを竜二郎が望むなら、頑張って叶えるのが夕菜の勤めだ。
しかしその結果、竜二郎を盗られてしまうなら、そんなの許せるはずがない!
きっかけはショッピングモールに訪れたこと。
そこで出会った凪野なる女は、竜二郎の知り合いらしい。しかし夕菜は彼女を知らない。
だが当たり前だ。夕菜にとっては竜二郎しかいないのに、竜二郎は外にもたくさんの知り合いがいる。
それがとても、苦しくなった。
凪野はとても美しい人だ。とても優秀そうで、仕事もできるのだろう。夕菜の完全上位互換。胸の大きさぐらいしか、勝てる場所が見当たらない。
とても嫉妬した。
竜二郎が彼女に盗られてしまうのではないかと、恐ろしく不安になった。
だから夕菜はバスで竜二郎を射精させたのだ。
また性の快楽に溺れさせて、竜二郎を盗られないように頑張った。
それで怒られてしまったが、盗られるぐらいならその方がマシだ。
思い返せば学生時代は常に側に夕菜がいた。それが女避けになっていたのだろう。
夕菜という外見だけは完璧な少女が隣にいて、勝てると思う女はいなかった。竜二郎を好きになった子もいたかもしれないが、全員夕菜に勝てず消えていった。
だけど今、家から出ない夕菜には竜二郎に近づく女を追い払うことができない。
他の女のことを知って、無価値で役立たずな夕菜は捨てられてしまうのではないか。不安がその心中にあったのは間違いない。
だから夕菜は、封印していた恋心を表に出した。
これはいけない思いである。あんなに優しくて格好良い竜二郎に、無能であり無価値な己が恋をするなんて許されざることだ。
彼にはもっと素晴らしい人がいるだろう。それは凪野のような完璧な美人だ。
ただ容姿や体しか取り柄のない夕菜が、竜二郎に釣り合うはずがなかった。
でもだとしても、竜二郎が他の女に惹かれることを考えれば、胸を締め付けるほど苦しくなる。
そうなった時、自分でもどんな行動をするかわからない黒い思いが内にはあった。
竜二郎は夕菜にとっての全てだ。彼に捨てられるのならば、生きる意味をなくして自決するだろう。夕菜の胸の中には、竜二郎に対する愛しか存在しない。
竜二郎の存在が、夕菜という存在を構成すると言えるほどだ。
「大好きだよ。竜くん」
それが東雲夕菜という少女である。