私立成沢学園中等部二年、片桐佳奈子の朝はそこそこ早い。
時刻は朝の六時過ぎ、カーテンの隙間から瞼に差し込む朝日を受け、夢の中にいた佳奈子の意識が現実へと引き戻される。
丁度鳴り出した目覚ましを反射的にパシリと叩いて止めると、大きく深呼吸してから天井を眺め続ける。一秒二秒と時が過ぎる毎に、靄の掛かっていた意識が徐々にはっきりしてくるのを感じた。
ふと首を曲げ自身の左隣を見る。
もちろんそこには誰もいないのだが、それを理解した途端佳奈子の胸がキュッと締め付けられるのだ。
(寂しい……な……)
朝、目を覚ますと隣に勝也がいる。そんな日々が終わってからまだ一週間も経っていない。
だが強烈に刻み込まれたその日々の記憶が、日常へと戻った佳奈子の心をちくちくと刺激していた。
目が覚めると好きな相手がすぐ傍にいて、その寝顔を堪能し、吐息や温もりを間近に感じる。
その幸せを経験してしまった後では、一人ぼっちの起床がどうしようもなく寂しく感じてしまうのだ。
TVドラマで度々目にする、恋人とのアレコレで大げさに一喜一憂する女性達。
そんな彼女らを冷めた目で見ていた佳奈子だったが、いざ自分が似たような立場になってみると、隣に勝也がいない事でこんなにも切なさを感じてしまう。そんな自分の心の変化に驚いていた。
(まさかねぇ……)
本当に、あの旅行での数日間は片桐佳奈子という人間の根底を
いや、覆したんじゃない。元々内に秘めていた物をさらけ出されたんだろう。
とんでもなく過激な行為の数々を体験してしまったが、その事自体に後悔は無い。素直になれないええかっこしいだった自分の殻を剥いてくれた勝也、優菜、陽一、そして綾子には感謝している。みんなのお陰で、みんなと過ごす日々がもっともっと楽しくなったのだ。
あの忘れがたい数日間の後遺症と言える一抹の寂しさは今も感じているが、それもすぐに癒えるだろう。なにせ、これから勝也達と過ごす日常には更に素晴らしい体験が待っているに違いないのだ。
今までとは一変するだろうこれからの日々を想うと、柄にもなくワクワクしてしまうのだった。
「いってきまーす」
家の中の家族に向けてそう告げると、玄関のドアを閉め敷地を出る。
学校が遠い事を考慮しても家を出るにはまだ早いと言える時刻だが、別に真面目な彼女らしく遅刻しない為の保険を掛けてる訳では無い。学校に行く前に、長年続いた日課をこなしに行くのだ。
その向かう先は、通学に使ってるバス停とは反対方向、徒歩で二分もかからない隣家の北山家だった。幼馴染であり、今は恋人になった勝也を毎朝起こす事が小学生の頃からの習慣になっているのだ。
彼は寝つきはいいのだが寝起きが悪く、ほっといたら遅刻しかねない。
普通なら家族が叩き起こすんだろうが、勝也の家は専業農家であり、農家の常として朝は早い。同居の両親と祖父母は今の時分には既に畑へ出ているので、こうして近所に住む佳奈子が毎朝起こしに来ている訳だ。
『無意識で目覚まし止めるようなあいつを放っておけないでしょ?』
わざわざ毎朝起こしている理由を親しい部活仲間に聞かれた時、佳奈子はそう語ったものだ。
それは当然ニマニマと微笑まし気な視線をよこす相手に向けての建前であり、自分でも苦しい理屈だとは思っていた。
その辺素直に「好きだからだよ」と言える優菜が羨ましくもあったが、そんな気苦労はもう過去の話だ。今は自分も胸を張って「好きだから」と言える。
「……うふふ」
件の部活仲間に、勝也と恋人になった、そして初体験もしたと伝えた時の反応は面白かった。今思い出しても笑みが零れてしまう。
そんな自分はちょっと性格悪いなと自戒しつつ、北山家の広い敷地を進んで玄関先へと到着する。
呼び鈴は鳴らさない。そこが第二の自宅であるかのように、何の気負いも無く扉を開け家の中へと入るのだ。
両親らが不在なのは知ってるのでさっさと勝也の部屋へと向かう。今時分珍しくなった和風建築、その広く長い廊下を進み、突き当りの襖を躊躇なく開いた。
「!?」
そして目に飛び込んできたのは、いつもの朝の光景とは似てるようで異なるものだった。
その差異に気付き絶句してしまう。と同時に呆れもした。
畳に敷かれた布団の上、掛布団をはねのけながら大の字に寝ている様はいつもと同じだ。しかしその恰好に一部問題があった。
冬場でもTシャツとパンツのみを寝巻とする勝也だが、今日は何故かTシャツしか身に着けていないのだ。毎朝存在を主張しつつも普段なら布地の中に収まっていた朝立ちが、今日は何も纏う事無く元気に屹立しているのだ。
そんな様を目の当たりにした佳奈子だが、しかし悲鳴を上げたり目を覆う事は無かった。
伊多海旅行中にさんざん目にしたのだ。今更恥ずかしがったりはしない。
(ひどい格好ね……)
と、ため息一つ吐きつつ、朝から無様を晒す恋人の周囲を見回す。
無様の理由、そのヒントはすぐに見つかった。布団の傍らに乱雑に置かれた数冊の本、それはどれもエロ本だ。そしてゴミ箱の側に複数落ちてる、何かを吸い取ったと思われる使用済みティッシュ。
それらの情報を鑑みるに、どうやら勝也は自慰をしたまま碌な処理もしないで寝てしまったらしい。
そんなあまりにズボラな恋人を目にして、もう一度ため息が漏れてしまう。
だがそのため息は、同時に自分にも向けられたものでもあった。
(でも、好きなのよねぇ……)
こんな間抜けな姿を見せられても、呆れはしても嫌いになれない佳奈子なのだ。
こんな感じで陽一を始めとした同年代の男子に比べ雑さが散見される勝也だが、雑なのはあくまでも自身に対してだけだ。むしろ家族を含む周囲の人には何かとまめに気を配れるのだった。
それが故にクラスでも人気者だし、佳奈子に対しても所謂夫婦漫才的なじゃれ合いはするものの、思春期以降はちゃんと一人の女の子として扱ってくれていた。異性を意識しだした男子がやりがちな気になる子への意地悪はほとんどされた覚えがない。
明るく元気で見た目も悪くなく、そしてこちらに好意を向けてくれる。
そんな男子が傍にいれば、好きにならない訳が無いのだ。たとえ下半身丸出しで眠りこける姿を見せられても。
(しょうがないなぁ)
心ではそう思いつつも、口元には笑みが浮かんでしまう。
何はともあれ換気をしようと、カーテンと窓を開ける。その顔に日差しが差し込んでも勝也はまだ目を覚まさない。
相変わらずの眠りの深さに苦笑しつつ、狙いを外れて散らばったであろうティッシュ群を手に取りゴミ箱に入れようとした。
と、そこで佳奈子の身体が固まる。
手に持った数個の使用済みティッシュ、そこから立ち昇る臭気が鼻に入り、その瞬間、ポッと下腹部に熱が生まれたのだ。
今の今まで、全然そういう気分じゃなかった。勃起を目にしても冷静でいられた佳奈子だが、乾燥した精液が発する独特の匂いを嗅いだ途端、下腹部から生まれた熱が一気に身体を駆け上がり、脳裏に強い欲情を生み出していたのだ。
これは一人寝の寂しさと共に、伊多海での日々を体験して生じたもう一つの弊害と言ってよかった。
あれ以降、勝也と陽一、そして優菜でさえも、その性を感じさせる匂いに触れる度、佳奈子はムラムラと欲情してしまうのだ。
一旦沸いたそれはなかなか治まらない。多くの場合は家に帰って自室に戻るまで我慢する羽目になる。性の楽しさを覚えた佳奈子だが、同時に性の煩わしさもまた生じていたのだ。
今も手に持つティッシュから立ち昇る匂いに引き込まれている自分がいる。さっさとゴミ箱へ捨てなければいけないのに、指先からそれを離せないのだ。
むしろ顔がどんどん手元に近付いている。より近い位置からその匂いを嗅ごうと、本能が身体を突き動かしているのだ。
そうして躊躇するような理性をほぼ見失ったまま、佳奈子の形のいい鼻が使用済みのティッシュの中に埋もれる。
そのまま大きく息を吸うと、小刻みに身体が震え出した。
(…………すごい!)
強烈な精臭が鼻孔を突き抜け、瞬時に頭の中が真っ白に染まる。
それは旅行のお土産として勝也と陽一から貰ったパンツ、今では自慰のお供として欠かせなくなったそれらと同じ匂いだ。一回分しか染み込んでないのでパンツよりは弱いが、間違いなく同じ匂いが漂って来る。
(……っ!だめだめ!朝からこんな)
二回目の深呼吸をしようとした所で僅かに残っていた理性が機能し、何とかティッシュから顔を引きはがす。その勢いのまま手に持っていた物をゴミ箱へと放り込んだ。
「……ふぅ」
大きく一つため息ついて心を落ち着けようとするが、欲情は全く収まらない。
むしろ半端に刺激物を摂取してしまったものだから、続きを期待するようにムクムクと膨れ上がってくるのだ。
これは一回スッキリしないとどうにもならない物だと理解する。
そんな中で目に入ってしまったものがある。勝也の朝立ちだ。
「……」
その雄々しい屹立から目が離せない。再び理性が隅に押しのけられ、ふらふらと身体がそこに近付いていく。制服を着ている事も忘却したままうつ伏せになり、勝也の下腹部へと顔を寄せていた。
包皮を纏ったままの勃起がすぐ目の前にある。エッチをしている時は絶えず我慢汁を漏らしている先端も、今は乾いているようだ。あの独特のいやらしい匂いの代わりに、今は精臭の方が強かった。
どうやら精を放ったまま碌に処理をしないで寝てしまったらしい。よく見るとむき出しのお腹やTシャツの一部に、何かの液体が零れそのまま乾いたような跡がある。鼻を寄せて嗅いでみると、案の定精液の匂いがした。
(これも貸して欲しいな……)
勝也の体臭と精臭が染み込んだTシャツ、それを身に着けながら自慰を行う場面を想像すると、下腹部がキュッと締まる感覚がした。
少し前から自覚していたが、股間が濡れ始めている。
今日という日はまだ始まったばかりだ。パンツを濡らす前に脱ぎたい所だが、他人の家でそんな事する訳にもいかない。
それなら他人の家で他人の剥き出しの股間に顔を寄せるのも十分まずいのだが、その矛盾を感じる理性は茹った頭の中から完全に抜け落ちていた。
碌に拭わないまま乾いた精臭と肉棒のすえた匂いが合わさり、堪らなくいやらしい匂いが醸されている。むき出しの下半身から尽きる事無く立ち昇るそれを、佳奈子は勃起のぎりぎりまで顔を寄せて堪能する。
最早佳奈子は欲情に染まりきった顔をでスンスンと勃起の匂いを嗅ぎ続けていた。
最初の内は肉棒に触れない距離で行われていたそれも、すぐに鼻先を擦りつけるようになり、更には頬ずりをし、ちゅっちゅと竿に口付けするまでに至った。今自らの股間に手を伸ばしていないのが不思議なくらいの蕩け顔だ。
そしてついには舌をチロリと出し、竿の味を確かめてもいた。ほんのりした塩味と口に広がるいやらしい臭気を感じた途端、いよいよもって欲情が爆発する。
もうこうなっては勃起全体を口に収めてしゃぶるしかないという思考に至り、勝也のモノを手に取って握り締めた。
そこに反応したんだろう、意識の外から声が聞こえてきたのだ。
「おうぅっ」
瞬間、佳奈子の身体が硬直し、あれほど勢いよく溢れ出ていた欲情がスッと引いて行く。
声のした方へ恐る恐る顔を向けると、ぱっちり目を開けた勝也と視線が交錯した。
「おっす」
「……」
まるで動じた様子も無しに片手を上げ挨拶する勝也。それをじっと見つめたままの佳奈子はまだ動けない。
「や、全然いんだけどさ。……おまえも大胆になったなぁ」
小声ではあるが、感慨深げにそう呟いている。そしてその視線は佳奈子ではなく、部屋の入り口から向かって左側にある襖に向けられていた。
その視線の意味を理解した途端、佳奈子の背筋がスーッと冷えていく。
勝也の視線が向けられる襖、その先にはもう一つ部屋がある。そこは勝也の弟、
当然、音はよく漏れるし、襖を少しでも開ければ隣で何をしているかは丸見えだ。そんな環境で自分は今の今まで勝也の股間に顔を埋めていたのだ。欲情に染まっていた自分が如何に冷静ではなかったかを、これでもかと理解させられた。
「だって……来てみたらあんたすっぽんぽんだし……それにエッチな匂いしてるし……」
考えてみれば寝込みをイタズラされる事はあっても、したのはこれが初めてだ。しかも隣に他人がいる事も忘れてのめり込んでしまった。
そんな醜態が勝也に露見した焦りと羞恥でしどろもどろになる佳奈子。口から出る弁明にもキレがない。
自分の情けなさに少し涙目になって来るが、それに勝也も気付いたらしく、身体を起こして佳奈子を抱き寄せた。
「あー、だからそんな気にすんなよ。佳奈子がおれでムラムラしてくれんのはすげー嬉しーからさ」
ぽんぽんと頭を撫でながら優しく囁いてくれる。それだけで心の中にポッと温かい物が生まれていた。
我ながら単純だなと少し自分に呆れながらも、その温かさに後押しされてこちらからも身を寄せる。
「ありがと……そう言ってくれると助かるわ。……その……勝手に弄ってごめんね?」
「いいって。むしろ毎朝そんな感じで起こしてくれっと助かるけどな」
ニヤリと笑いながらおどけて答える勝也。それに対して、佳奈子も満更でもない照れ顔を返す。
「もう……でも、ちゃんと片付けてから寝なさいよ?叔母さん達や大和が見たら反応に困るわよ?」
乱雑に畳に置いてあるエロ本を見て言う。
「あ~……まぁ母ちゃん達は入ってこねーし大和には今更だからなぁ……」
どうやら兄弟間でその辺の遠慮は無いらしい。自身のあられもない姿を見られるのにも抵抗は無いようだ。
同じ弟がいる身の佳奈子だが、その感覚は今一理解できない。同性だとそんなものなんだろうかと不思議に思う。
「そんでも普通は片付けるんだけどさ、昨日は盛り上がっちまってな」
たははと笑う勝也の視線が、ついさっきまで自身が横たわっていた場所に向けられる。
釣られてそこへ視線を向けると、彼が身を起こした事でその身体の下に隠れていた物が目に入った。
それが何かを理解した途端、再び佳奈子の身体から血の気が引いていた。
二人が目にしているのは、可愛らしいデザインの布切れ、佳奈子のパンツだった。
「ちょっと!あれ、どうしてそのままにしてんの!」
「や、だから寝落ちしちまって……」
「あれこそちゃんと隠さなきゃダメでしょ!大和に見られたら言い訳出来ないでしょ!」
勝也の弁明を遮るように、声を潜めながらも捲し立てる佳奈子。それを「どぅどぅ」と両手で押し留めて勝也は言う。
「安心しろ。俺がパクってきた事にすっから」
「そういう問題じゃないでしょ~~~~~っ!」
ホントこいつはどうしてこう雑なのかと心中で歯ぎしりしながら、その両肩を掴みガクガクとゆする。「わかった!わかった!」と勝也がなだめようとするが、それにも構わず佳奈子は続ける。語気は強めながらも隣人を起こさないように小声でだ。
「次にこんな扱いしたらもうパンツ貸してあげないからね!優菜にも言って止めさせるから!綾子さんのも没収するから!」
「それだけはやめてくれ!…………やめてくださいお願いします」
提示された罰則を聞き咄嗟に慈悲を求めたが、キッと睨み返された勝也はすかさず最大限の謝罪の姿勢を見せる。もちろん土下座だ。
すっくと立ちあがった佳奈子はその片足を持ち上げ、畳に擦り付けられた勝也の頭の上に置く。
「……次は無いからね?」
「はい」
それはいつしか二人の間で形作られた、謝罪と許しの型だった。
佳奈子はふぅとため息一つつき、足を勝也の頭から下ろす。
すると勝也も顔を上げた。その表情には「許された」と言う心底の安堵の笑顔が浮かんでいた。
(ほんとしょうがないんだから……)
その顔を見ていると、自然と苦笑が浮かんでしまう。
呆れつつも嫌いになれない、そんな幼馴染の顔だった。