最近、アルラの様子がおかしい。
朝から晩までずっと心ここに在らずといった様子で、話しかけても返事が遅いし、キリッとした目もどこか遠くを見つめてばかり。心なしかお手本のようだった立ち姿も、落ち込んで背が伸び切っていないように見える。
何かあったか、と話しかけても「いいえ」「大丈夫です」「問題ありません」の三パターンしか返ってこず、その返事にもキレが感じられなくて、変に胸騒ぎがした。
とはいえ、何か問題を起こしたとか普段の仕事に支障をきたしたわけではない。俺はあまり突っ込まず、そういう時もあるか、と自分を納得させていた。
そんな気掛かりを抱えたある日のこと。
「コーヒー淹れてくれ」
作業の合間に一杯頼むとアルラは俺の側を離れてお湯を沸かしにいった。
一度作業を中断して、休憩モードに入る。
マキナが体育座りの体勢でくるくると宙を転がって、俺の頭上を通っていった。彼女は壁にプロジェクターでホラー映画を映して観ていた。意外と怖いもの耐性があるようで、ショックを与えてくる場面も顔色ひとつ変えない。俺はあの手の映画が苦手だから小屋で観るよう何度も言っているのに、全く聞いてくれなかった。
少しすると、お盆を持ったアルラが帰ってきた。お盆にはクッキーの入ったお皿とマグカップが乗せられているが、彼女の表情はやはりどこか虚ろで嫌な予感がした。
俺が声を掛けようとした時にはもう遅かった。アルラは作業台の角に腰をぶつけて体をよろけさせる。作業台にお盆の上の諸々がぶち撒けられて、マグカップがパリンと割れ、アルラが俺の方に倒れ込んできた。
反射的に腕を伸ばして彼女を受け止め、支えた。
「おっと。大丈夫か? どこか不具合とか……」
「い、いえ。すいません。ただの不注意で……あ」
俺から離れて一人で立ちあがろうとしたアルラが何かに気付いて目を見開いた。
視線の先には俺の右腕があった。アルラを支えた時、台の上に散らばったカップの破片に、腕が押しつけられたようで傷が出来ていた。
それは大した怪我でもなかった。擦り傷程度のもので少し血が滲んでいるだけ。すぐに治るものだ。
だがアルラは俺の傷に見たことがないほど狼狽えた。
「あ……あ、ご、ごめんなさい! マスター! ああ……っ」
「大丈夫だ。怒ってないし落ち着いてくれ」
「すいませんすいません……っ! 罰ならなんでも受けますっ。どうか……どうか、捨てないでくださいっ‼︎ お願いしますっ」
涙こそ出ていなかったが、俺の胸にしがみついて子供のように泣きついていた。世界が終わったかのように――いや、もしかするとそれ以上に絶望した顔でアルラは震えていた。
俺は初めて見る光景に困惑しながら、とりあえず落ち着かせようと彼女を抱きしめて、背中を摩った。
「捨てないって。安心してくれ」
アルラの震えが止まるまでこうするしかなかった。
彼女を落ち着かせながら顔を上げると、浮いているマキナと目が合った。マキナも驚いて目を丸くしていたが、俺と目が合うと肩をすくめて困ったように笑う。そして背を向けて、また映画鑑賞に戻った。
反応を見るにマキナはアルラがここまで取り乱した理由が分かっているのだろう。
俺はマキナにその理由を聞くか少し迷って、止めた。なんとなく教えてくれない気がする。
◆
ナオの寝顔をアルラは見つめていた。ここに来てから何度も見てきた寝顔だ。あどけない顔でスヤスヤと寝息を立てている。その頬に軽く手を添えて撫でると、アルラは彼の側を離れた。
灯の消えた作業場には空中を漂いながら映画を観ているマキナがいた。今度は恋愛映画を観ている。最近の彼女は時間があるとジャンルを問わずに映画を観漁っていた。何が面白いのかアルラには理解出来なかったが、四百年も閉じこもっていると何を見ても楽しめるのだろうなと、その気持ちだけはどこか分かる気がした。
「マキナ様」
「ん? 何かしら」
名前を呼ぶとマキナは映画を止めて振り返った。
超常の存在である彼女に、アルラは至って神妙な面持ちで願い出た。
「あなたの力で私をアップグレードしてくれませんか?」
そのひと言に、マキナは少女らしい雰囲気をパッと消して神としてアルラを上から見下ろした。
「……どうなりたいのよ」
「私は旧型のモデルです。新型にはある性器が私には無い……。どうか私に性器を付けてください。お願いします」
アルラが真っ直ぐに腰を折った。ブレのない品のある所作。だが、その動きとは裏腹に、声は怯えたように震えていた。
迷子のような不安定さを見せるアンドロイドの頭頂部をマキナはジッと見つめて、芯のある声で返した。
「断る」
「……何故、ですか? あなたなら出来るはず」
「確かに私なら出来る。でもやだ、やりたくない。どうせ『性器があればご主人は私を捨てずに側に置いてくれるはず』とか、そんな理由だろ」
「…………」
「しょーもな。そんな安直でネガティブな考えしか持ってないアンドロイド風情に、神が力を貸してくれるわけねえだろ。思いあがんな」
明確に攻撃的なトーンを乗せてマキナは言い放った。
思いがけないマキナの回答にアルラは目線を上げられなかった。マキナは自分の過去を知っていて、その上で今の在り方を否定している。それも神という立場からの判定ならば、黙って受け入れるしかないのだろう。
自分はもう、このまま飽きられて主人に捨てられる――その運命を辿るしかないのだと、アルラは諦めかけた。
しかし、目の前の神は決して否定するだけで終わるような存在でもなかった。
マキナは少しだけ攻撃的な空気を和らげてアルラにアドバイスを送った。
「あんたは人間じゃないから分からないだろうけど、悩みとか不安って、その場凌ぎで対処してもまた訪れるもんなのよ。根本から治さなきゃ解決したとは言えない」
「ならどうすれば……」
「知らね」
マキナはプイッとそっぽを向いた。
「……マスターには『素直に』とか『遠慮せず』とか言ってたけど、あんたはどうなんだよ。ちゃんと自分の感情を伝えた? どうしてほしいか言った?」
アルラはマキナの言葉を受け止め、頭の中でひたすら反芻する。
自分の感情。そんなもの、分かっているようで、分からなかった。検索すれば出てくるような単純な感情のはずなのに、アンドロイドにはそれをなんと表現し、言語化すればいいのか分からない。
それでも、主人に伝えたいことはすぐに浮かんだ。浮かんだ上で、アルラは伝えるべきか迷って――
「所有者に尽くすだけが道具じゃないって、どっかの修理屋が言ってたわよ」
見透かしたようなタイミングで降ってきた天啓に、彼女は前を向いた。